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夜空さくら
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ヒトネコライフ!1

 メイドさんたちの手によってわたしたちは、いかにも猫のために――ヒトネコのために用意された、と言わんばかりの部屋に運ばれた。

 寝床にしてくれと言わんばかりのベッドのように大きなクッションに、床に転がったボールなどのおもちゃの類。わたしたちには必要ないような、爪研ぎのための柱やキャットタワーのようなものまである。このへんは半分以上は雰囲気作りのためだろう。

 どう見ても愛猫家が用意した猫のための部屋、という感じだった。

 どれもこれも人間に合わせて作られている大きさであることに目を瞑れば、だけど。

 そんな部屋の中央まで運ばれたわたしたちのケージの扉が、ゆっくりと開く。格子越しじゃないメイドさんたちの顔が見えた。

 流石にその扉が開閉する大きな音には、眠りこけていた美里も目を覚ましたようだ。

「ふぁ……にゃぅ……?」

 ゴシゴシと手の甲で顔を擦りつつ、美里はわたしにしがみついている現状に気づいたようだ。不思議そうにわたしを見ている。

「んにゃあ……」

(いや、あなたからくっついて来たんだからね?)

 近づいたのはわたしかもしれないけど、わたしの首に腕を回してしがみ付いてきたのは美里の方だ。わたしはそういう抗議の意図を込めて唸った。

 猫の鳴き真似でもなんとなくニュアンスは伝わったようで、美里は素知らぬ顔をして周囲を見渡す。メイドさんたちがいることに今更気づいたのか、目をまん丸にして驚きを表していた。

 そして、ケージの扉が開いていることを見ると、あっさりとわたしから離れて、ケージの外に這い出してしまう。

 四つん這いでケージから這い出した美里。その彼女からメイドさんたちが若干距離を取った。警戒されている感がすごい。

(ああ……引かれちゃってるじゃない、美里ぉ……)

 メイドさんたちの感性はあくまでノーマルなようなので、すごくいたたまれない。こんなわたしたちの相手をさせている申し訳なさが先に立ってしまう。

 けれど、美里はそんなことを全く気にせず、猫のようにマイペースに体を伸ばして、くわぁ、と大きく猫っぽい欠伸をして見せた。

 さらに手の甲を使って軽く顔を擦る。猫が洗う動作を真似ているのだろう。

 その動きはとても自然で、猫のような挙動をさせたら美里以上の人はそうそういないだろう。普通は恥ずかしくてなかなか美里ほど徹底してはできない。

 美里は自然に猫らしい動きを見せ、本当の猫が憑依でもしてるのではないかと疑うくらい、自身の行動にそれを馴染ませていた。

 メイドさんたちも美里のあまりの名演技に、呆気に取られているように見える。

 美里はそんなメイドさんたちを見上げると、笑顔でその足元にすり寄っていく。

 メイドさんは戸惑いつつも、そんな美里から露骨に距離をとったりはせず、美里が近づいてくるのに任せていた。

 そのメイドさんの足に頭をすり寄せる美里。メイドさんも恐る恐る美里の頭に手を伸ばし、髪の毛を撫でてやっている。

「にゃおん♡」

 あざとく美里が啼くと、メイドさんたちは顔を見合わせ、それぞれが手を伸ばして美里の頭を撫で始める。

「にゃんっ♡」

 そうするとますます嬉しそうに破顔する美里が可愛く思えてきたのか、メイドさんたちの行動から硬さが取り除かれていく。

 さすがは美里と言うべきか。メイドさんたちの警戒や躊躇いをあっさり解いてしまったようだ。

 わたしはそんな美里の行動を見ながら、まだケージの中から動けなかった。

(美里……本当によくやるわ……)

 そう思ったのは嫌味でもなんでもなく、美里の、ひいてはわたしの姿を考えれば当然の思考だっただろう。

 猫耳に耳当て、そして首に巻き付けられたチョーカー型の首輪。そしてお尻の尻尾飾り。


 わたしと美里が身につけているのは――それだけなのだから。


 これまでわたしたちがヒトネコになるときによく身につけていたラバースーツは身につけていない。

 つまり、乳房も乳首もお臍も、そして股間の秘部も。あらゆるところを曝け出してしまっていた。

 今回、わたしたちはほとんど裸同然の格好でヒトネコになっていた。

 そんな格好で、堂々とメイドさんたちに擦り寄りに行ける美里は大物というべきか恥知らずというべきか。

(うぅ……恥ずかしい……)

 いつものラバースーツ姿でなら、ある程度人に見られることにも慣れてきていたけれど、裸を見られるのはまた別問題だ。

 わたしたちの行動範囲はあくまで家の中だけという話だったから実現してしまったことなのだけど、恥ずかしいことに変わりはない。メイドさんたちという多数の目があることもさっき知ったし。

 期間限定の主人である天景院さん次第では、ラバースーツを着させられることもあるけど、基本的には一ヶ月間はほぼ裸で過ごすことになる。

 事前に説明を受けて了承したとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。

(うぅ……この状態で、一ヶ月も……?)

 それが今回、わたしに与えられた仕事ではあるのだけど。

 わたしに耐えられるのだろうか。

 今はとにかく耐えるしかないと、ひたすらケージの奥でじっとしていた。

 そんなケージの入り口に、一人のメイドさんが現れてケージの中を覗き込んできた。

 思わずびくっとしてしまう。

 どうやら他のメイドさんたちが美里を囲んでいるため、彼女たちのように美里を触ることが出来ず、こちらに来たらしい。その目が期待に輝いている。

(いや、美里と同じ対応を求められても困るんだけど!?)

 嫌な汗が背中に滲む。

 美里みたいに擦り寄りにいくのは、わたしには恥ずかしすぎて無理だ。

 けれど、メイドさんは期待を込めた目をしたまま、こちらに向かって手を差し出してきた。まるで猫を呼ぶ時のように、舌を小さく鳴らしているのが聞こえてくる。

(こ、この人はどこまでヒトネコのことを聞いているの……?)

 ヒトネコを相手にする場合、基本的な不文律として『ヒトネコの嫌がることはしない』『構ってもらえるかどうかは、ヒトネコの気持ちに任せる』というものがある。

 これは愛好家の間で、ヒトネコは極力猫として扱うことが好まれるからだ。

 もちろん場合や人によって愛好家でも違いはあるみたいだけど、少なくとも天景院さんはそういうタイプの人だった。だから数回定めた特別な日以外は、基本的にヒトネコとしてわたしたちは自由に過ごしていいことになっている。

 けど、このメイドさんたちにもその話が通っているのか、わたしにはわからなかった。

 もしかしたら、ヒトネコと触れ合うことに慣れていない人にとって、ヒトネコは「人間がちょっとエッチなごっこ遊びをしている」という程度の認識しかないかもしれない。

 その場合、ここで頑なに彼女の要求を拒否するのは、非常に心証を悪くするのではないだろうか。

 期間限定とはいえ、わたしたちは一応彼女の雇主の飼いヒトネコとなるわけで、雇われているメイドさんと立場はほとんど一緒だ。ひどい扱いをす流ことはない、と思いたい。

 けれども理屈ばかりで動かないのが人というもの。露骨に何かをしてこなくても、メイドさんに嫌われて嫌な空気の中すごしたくはない。

「チッチッチッ……」

 メイドさんは何度も舌を鳴らして、こちらに出ておいでと言わんばかりに手を動かしている。


 わたしは屋敷に来て早々、難しい判断を迫られていた。





 夏休みに入ろうかという初夏の頃。

 ある日のバイト後、わたしと美里はバイト先のママさんに残るように言われた。わたしたちが働いているその店はちょっと変わったSMバーのようなところで、そこで全身を薄く覆うラバースーツのようなものを着たり、ヒトネコとして振る舞ったり、とにかく恥ずかしい格好をさせられていた。

 最初は嫌々ながら働いていたわたしも、美里と並んで看板娘と言われる程度には出ずっぱりになってしまい、すっかりお店に馴染んでいた。馴染まされたというべきかもしれないけど。

 なにせここでのバイトはとても時給が良いのだ。ちょっと特殊なことをさせられることもあるけど、その時はちゃんとボーナスも出る。

 他のところでバイトするのがバカらしくなるのも仕方ないくらいに、学生が持つにはあまりにも過剰なほどに稼げてしまっていた。

 ぶっちゃけ、もうバイトなんてしなくても十分なお金は溜まっているのだけど、それでもシフトをなるべくたくさん入れてしまう。

 結局わたしも、嫌々ながらと言いつつも、ここのバイトにハマってしまっていた。

 夏休みの間も、なるべくシフトを入れようと思っていたのだけど、連日連夜では流石に体が持たないし、コンビともいえる美里との兼ね合いもある。

 てっきりそのシフトの割り振りについて、ママさんからの相談があるのではないかと思っていたのだけど、呼び出された用件はそれではなかった。

「……と、いうわけで、二人になんと正式に特別特大オファーが来たのです!」

 どどーん、とわざわざ口で効果音をつけて宣言したママさん。

 机の上に契約書らしき紙の束がどっさりと置かれた。

「泊まり込みの仕事、それも長期の……え、一月もですか!?」

 契約書の一番上には概略が示されていたのだけど、内容よりもまずその期間の長さが目に飛び込んできた。夏休みをほぼ丸ごと使うことになりそうだ。

 ママさんはニコニコとした笑顔で続ける。

「ええ。この前の小旅行の時、あなたたちを気に入った資産家の方がいるって話はしたでしょう? その人がこの夏にぜひにって」

 そういう話は確かにあったけど、正直本気だったとは思っていなかった。

 とりあえず読んでみて、と言われて、契約書に目を通す。

 色々と気にかかるところはあったけど、その契約料に目を剥いた。当選した宝くじが舞い込んできたような、そんな気分にさせられる金額だったからだ。

「い、いくら何でも、もらいすぎでは……?」

 根が小市民なわたしはそう言ってしまう。ママさんは苦笑を浮かべた。

「そう見えるかもだけど、一月はかなり長い期間の契約だし、その後日常生活に戻るには結構なリハビリが必要になると思うから、割と妥当なところだと思うわ」

「り、リハビリって……」

 大袈裟な、と思ったけど、二泊三日の小旅行の後でも、思わず語尾が猫みたいになってしまったり、四つん這いで行動しかけたりと、気を抜いたら危うくヒトネコみたいに行動しそうになっていた。

 なので、あながち大袈裟な物言いとも言い切れないのかもしれない。

(一月も喋らなかったら、言葉とか忘れそうだしね……)

 そういう意味でも、破格の契約料は妥当なのかもしれない。

 しかし考えてみればわたしたちが一ヶ月の間丸ごと抜けるのだから、お店の方への補填もあるはずだ。

 自分で言うのはおこがましいけど、看板娘を二人同時に引き抜くなんて、普通に考えたら店としては拒否したいはず。ママさんの趣味で成り立っているような店だから、ママさんがそれでいいと思えばそれが優先されるとしても、それなりに補填は考慮したはず。

(わたしたちを飼うってだけで、どれくらいの金額が動いてるんだろ……)

 なんと言うか巨大な歯車に動かされているような気がして、あまり考えないようにした。

 拒否することもできたけれど、乗り気な美里を見てると、少し安心したというのもある。

(美里が一緒、って言うのは心強いわね)

 一人だったら断っていたかもしれない。そう言う意味でも二人同時のオファーで良かった。

 そういえば、普通の猫もできれば一匹だけじゃなく、二匹以上を同時に飼う方が好ましい、という話を聞いた覚えがある。

(まさか、天景院さんって人、そこまで猫に倣って……?)

 そういったことまで考慮して、わたしと美里を同時にヒトネコとして飼おうとしているのだとしたら、とんでもないレベルのヒトネコ愛好家だ。

 わたしは依頼書の分厚さに改めて天景院さんの本気を感じ、冷や汗を流すのだった。


 依頼書の名目には「ヒトネコライフのお誘い」と書かれていた。





 その後、わたしたちは天景院さんとの軽い事前面接なんかも行い、彼女の人柄も信用できると感じ、正式に彼女に飼われることになったのだ。

 特定の日以外は屋敷の中で自由にしていて構わないと言われていて、正直楽な類な仕事だとその時は思っていたのだけど。

 まさかこんな難しい判断をいきなり迫られることになろうとは。

 目の前で舌を鳴らしているメイドさんの表情はまだ柔らかい。でもそれがいつ不審に変わり、苛立ちや嫌悪に変わるかもしれないと思うと、すぐにでも寄って行った方がいいのではないかという気がする。

 わたしはぐるぐると回る思考に翻弄されていた。

(どどど、どうしよう……! どうすれば……!?)

 ドクンドクンと心臓が激しく高鳴っている。

 ここは恥を押し殺してでも、せめて擦り寄る努力はするべきか。

 そう思ったわたしは、意を決して体を前へ進めようとした。

 けれどそうして体を浮かせてしまうと、裸の胸は確実に見られてしまう。

 わたしはその時、自分の乳首が硬くなっていることに感覚で気付いていた。

 外気に触れ、地面に擦り付けるような体勢を取っていたのだから、ある意味当たり前なのだけど、それをメイドさんに見られるのは死ぬほど恥ずかしい。

「んにぃ……っ」

 体がぶるぶる震える。顔が真っ赤になっているのがわかる。勝手に滲んだ涙で視界が歪み、変な声が喉から出てしまった。

 メイドさんは不思議そうな顔をした後、はっとした様子になって手を引っ込める。そして彼女の方の顔まで真っ赤になった。

 どうやら美里の完璧な猫の演技を見て薄れていた「裸の女性が猫の振る舞いをしている」ということを思い出したらしい。

 恥ずかしい姿であることを改めて自覚させられてしまい、ますます顔に熱が集中するのがわかった。

(わ、わかってくれたのはいいけど……! これ、かえって自分の首を絞めちゃったような……!?)

 悪印象にはならずに済んだようだけど、これはかえって自分が恥ずかしい想いをすることになったのではないだろうか。

 今後のことを考えたら、美里のように平然と猫の印象であった方が楽だった気がする。

 そそくさと離れていくメイドさんを見ながら、わたしは後悔先に立たずという言葉を思い出していた。

 他のメイドさんたちへのサービスが終わったのか、美里がわたしの側に近づいてきて、その頭をわたしの頭に擦り付けてきた。

「なーぉ?」

 彼女は「ミヤ、どうかしたの?」と言わんばかりの顔で首を傾げる。

 どうしたも何も、美里みたいに初っ端からヒトネコとして思うがままに動ける方がおかしいのであって、わたしの反応の方が本来は正しい。

 あまりにもしれっとしている美里の顔が憎たらしかった。

 わたしは伝わらないことを承知の上で、抗議の猫パンチを――柔らかく握った拳で、彼女の頬に優しく触れるだけ――美里にお見舞いするのだった。


つづく



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