こんばんは!ちうねです。
13話の取材記を書くぞ~と思ってはや一週間、そろそろ書かねば
完全にタイミングを逃すなと思いぼちぼち書き始めることにしました。
作中では言及してないけどこういう当時の事情があったよ~みたいな部分を補足できたらなと思います。本来作品について後付けで話すのはあまり好きではないんですが、人物の感情や物語自体に影響する部分ではなく、歴史的部分なのでまあ良いかなあと…
あとは興味を持っていただけたら是非!碓氷峠や軽井沢に行ってみてください!
完全に趣味(かつ備忘録)なので、文章の拙さや情報の粗さには多少目をつぶっていただけたら幸いです。
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13話は今までで一番取材に時間がかかったのですが、なんでそんなことになったかというと大正時代の鉄道や遠距離移動の事情に対する己の無知さからきていました。
12話の紡と旭の会話で旭が
「軽井沢へは電車で5時間かかる」
と発言するのですが、掲載後に担当さんからよくよく考えたら
この時代に電車なんてほぼないのでは…?というご指摘をいただき…
現代っ子(と自分でいうのもいかがかと思いますが大正時代に比べたらの意)の私は何にも考えずに「電車」と言ってしまったのですが
大正時代は蒸気機関車が一般的なわけでして…現代と大正時代の常識のズレが無意識的にあらわれるという好例を披露してしまいました。こういうことは本当によくあるので
過去を書くことの難しさをその都度痛感します。
(今回の原稿含め、誤りは単行本で直しますのでお許しを…)
完全にやらかした~!という反省と時代感を出す上で鉄道などの
詳細の描写に今回は力を入れようと意気込む私。
が、これがなかなかに沼で結果作画時間よりも取材や調べの時間のほうが
長くなるという本末転倒(?)な事態を招くことになりました。
まず、大正時代で軽井沢に行こうと思ったら列車を使うわけなのですが
横川から軽井沢間はこの当時で既に電化されていたということを私はここで初めて知りました。
正直な話、蒸気機関車はおろか電気機関車がけん引している列車にも乗ったことがないのでそれを知ってもその時はピンとこなかったというか、そうなのね~というくらいの感想しかなく…
大正10年時点で使われていた電気機関車が大宮の鉄道博物館に残っているとのことだったのでとりあえず見に行かなくては!という気持ちで一路大宮に向かいました。
(めっちゃかっこいい~~~~!!!)
初めて見た電気機関車は思ったよりも大きく、えんじ色に塗られた鉄の車体と金文字のプレートが時代を感じさせて、これが100年前列車をけん引してたのか~!と来る前とは一転、興味津々になってしまいました。
100020形(のちに改番がありED40形)は1919年に製造されてから1923年までに14輌が製造されそのうちの1輌が鉄道博物館に保存されているとのこと。
良く残ってくれてたな~~~と謎目線の感想をいだきつつ、写真を一人バシャバシャ撮っていました。
動力は分かったとして次に問題だったのは車両をどうするかでした。
事前に軽く調べたところ、この当時軽井沢に行く列車には昼行は三等車しか設定されていなかったらしく、二等車は夜行列車のようで早速壁にぶち当たりました。
唯月のような華族のお嬢様がまさか三等車で行くわけはないし、とはいえ夜行列車だと会話もさせづらい景色もみせられないの二重苦…
そこで担当さんが調べてくださった結果、当時近衛文麿が特別車両をつけて軽井沢に行っていたということが分かりこれだ~!!となりました。
まあ一国の首相の使う手段を公爵家といえどその娘が移動するのに使うか…?という疑問は多々あるのですがフィクションなので…ということで割り切ることに。大幅に間違ったことはしないよう調べているつもりではあるのですがこういう部分毎回本当に悩まされます。
が、大正時代の客車の資料が本当に少なく、それも特別車となると付け焼刃の知識ではもうわからん!ということでこれもまた鉄道博物館にあるマイテ39を参考にすることにしました。
マイテ39は昭和5年の製造で、厳密にいうと大正10年には存在していませんがこの当時使われていた一等展望車の資料がとても少なく…年代的にもそこまで離れていないので大幅に違うことはない!!はず…と採用しました。
どうしてもわからないことが出てくると、こうやってものが残っていたり、写真が残っているのはなんとありがたいことかと実感します。
言い訳じみた話は置いておいて、このマイテ39、中がめちゃくちゃすごい…!
車内装飾が豪華絢爛!こんな列車で遠出したら本当にお嬢様気分だろうな~と思いました。
車体関係は他にも色々分からないことが多くて、悩まされたのですが詳細を書くと自分の調べ方が甘いことに対する言い訳にしかならないのでここらへんにしておきます。
でも私みたいに鉄道にほとんど興味なかった人間でも鉄道博物館はとっても楽しめたので皆さんも是非訪問してみてください!
機関車や客車の調査はこのぐらいにして、本題の碓氷線と当時の人の旅行の様子についても調べることにしました。
「東京から軽井沢に行くには信越線によつて急行列車四時間四十分、普通列車五時間四十分である。…(中略)…真夏日盛りの車中の温度は百度に垂んとして、高崎駅に着くまでには、先づ避暑の仙境に入る入郷税として、汗と喘ぎの苦痛を拂わねばならぬ。」
(佐藤孝一編『軽井沢小観』、1923年)
100度!?となりますがこれはたぶん華氏表記で摂氏だと約38度です。それでも38度の車内なんて考えたくもないですが…高崎駅までは上野からおよそ三時間ほどだったみたいなのでそんな時間をこの温度の車内で過ごすのは大変なことだったと思います。
いや~現代に生まれてよかった…(身も蓋もない感想)
それで横川につくといったん停車し、ここで先にでたアプト式の電気機関車を連結します。
アプト式はレールの中央に歯型のレールを設置して車両の床下に設置された歯車とそれをかみ合わせることで勾配がきついところをグイグイ登っていく鉄道の方式の一つです。
少し古いですが明治45年(1912年)の『上野新潟全線各駅旅の友』には横川駅について以下のように説明されています。
どうでもいいですが、歴史オタクなのでこういう漢文調の文章を見ると痺れてしまいますね。
ちょうどこの年に電化が行われたためそのことも書いてあります。
作中でも少し言及しましたが、これ以前は横川~軽井沢間も蒸気機関車で運行をしており、トンネルに入ると機関車からでる煙がそこで充満して吐血や窒息をする者も出てきて問題だったようです。
対策として隧道番なる人がトンネルわきに住んで24時間待機しており、列車がトンネルに入った後幕を引いてなるべく煙が入口側にとどまるようにしていたとか。ただやっぱりこれじゃ完全な解決にならなかったみたいです。(写真が残っているのですが、人力感バリバリで苦労がうかがえます)
そこで出てきたのが煙の出ない電気機関車なのですが、ED40形以前の話はさすがに脱線しすぎなので気になる方は後にあげる参考文献を是非読んでみてください。
で、面白いな~と思ったのが機関車の接続方法です。
(小林正義『国鉄アプト式電気機関車(上)』より図2.4)
左が横川で右が軽井沢方面なのですが、見ると分かる通り登坂するときは最後尾に機関車をつけて押し上げる形で登っていたみたいなのです。
これは作画にも関わってくるところなので調べて良かった~!と思うと同時に普通に面白いなと思いました。確かに考えたら頭につけてけん引してもし車両が途中外れるようなことがあったら大変ですしね…
大正10年時点ではお尻に2輌、間に1輌くっつけていたようなので作画もそれを参考にしていたりします。(見せ方の問題で車両の数は減らしてしまったのですが…)
ここらへんのことについては、碓氷峠鉄道文化むらの職員さんに色々質問をして快く答えていただきました。本当にありがたい限りです…!こちらも大宮の鉄道博物館とは違う車両や碓氷線に関する貴重な資料がたくさんありますので是非訪れてみてください。
電化によって輸送量も便利さも増した碓氷線ではありますが、やはりその急勾配ゆえ事故も起きています。初野が言及している大正7年の事故の他にも、蒸気機関車時代には男爵とその息子が逆走事故によって亡くなっていたり、そもそも建設する過程でも亡くなる方がいたようです。(そこらへんの事情はネット記事でも詳しく書かれていますのでぜひ)
鉄道を通すのが難しいほどの急勾配と言われても文献を読んでいるだけではいまいちピンとこないのですが、これは実際に碓氷線が通った跡を歩いてみるとよくわかりました。
(第5隧道と第6隧道の間にある眼鏡橋)
本当は横川にある碓氷峠鉄道文化むらから熊ノ平駅という横川と軽井沢の間にあった駅までアプト式鉄道の通った道を歩くことができるのですが、この日はあいにくの雨とさすがに往復三時間を歩き倒す自信がなかったので車で近くまでいってそこから第5隧道と第6隧道を抜けるまで歩く…というルートにしました。
歩いてみてすぐにこの坂がいかに急か実感しました。
登りも当然きついのですが、一番よくわかったのは下りです。まるで背中を誰かに押されているかのように足が進む…というか持ってかれます。
そりゃここで何トンもある列車が動力を失ったらものすごい勢いで逆走するよな…と身をもって感じました。
この朽ちた隧道も、もともと廃墟とか大好きなのでたまりませんね…
写真でみると分かりづらいのですがかなり小さいです。
実際当時の写真をみるとトンネルスレスレで走っていて、本当に列車が通れるギリギリの大きさだったことが分かります。
(トンネルの内部)
安っぽい言葉になりますけど、まさにエモいというやつです。ここをたった60年前まで列車が通っていて、開通から70年間いろんな人が様々な思いを抱えながら軽井沢に向かっていたのを想像すると、別にアプト式に何か思い入れがあるわけでもないのに泣きそうです。歴史オタク、歴史を感じるとすぐに涙腺がゆるみます。
作中には出ませんでしたが熊ノ平駅も見てきました。
昔はこの駅にお店があって、力餅を販売しており名物だったそうです。(初野が扉絵で持っているのがそれです)
この時には完全に廃線跡の虜になってまして、この…諸行無常感よ…というざっくりした感想を抱きながらフラフラ探索していたらヒルに噛まれました。
なかなか血が止まらなくて、地味に血が苦手な私には結構堪えました。恐るべし自然の生き物…
他にもカモシカやキツネも見かけたので、人がいなくなり数十年、今は動物たちの憩いの場になっているのかもしれません。
(そして最後に軽井沢駅)
こちらの駅舎は明治期の姿を復元したもので、駅舎記念館として保存されていたのが近年しなの鉄道の駅舎として現役復帰したそうです。
当時の貴賓室も復元されているのですが、結構お高めの観光列車の乗客でないと今は入れない(コロナがなければ、列車の通らない日は入場料を払って見学できたそう)のでド庶民の私には無理でした。お嬢様になりたい人生だった…
そんなわけで13話の取材記録でした。こんな長文を書くのはウン年ぶりで超グダった上に大変読みづらい文章で失礼いたしました。
歴史って文献を読むだけでも面白いのですが、こうして読んだものを実際見に行けるというのはもっと面白くてそういう部分が伝わったら良いな~と思います。
自分が面白いと感じたことを他人と共有したい一心でワワーッと書いたので、一人でもこの記事をきっかけに興味をもってもらえたら目的達成です。
漫画は見てないけどこの記事を最後まで読んでくださった方がもしいらっしゃったら発売中の単行本と、今月のキャラットさんでは表紙と巻頭カラーというもう二度とないような機会をいただいていますので是非お手に取っていただけたら嬉しいです!
特に今回の13話は担当さんや作画作業を手伝ってくれた友人などいろんな方にめちゃくちゃ助けていただいたいたので、そういう意味でも多くの人に見ていただけたら良いなという気持ちです。(本当にありがとうございました…そしてすみません…)
来月は休載をいただいておりますが、この間にまたいろんな文献などを調べてより良いお話を描けるよう頑張りますので今後も『紡ぐ乙女と大正の月』をどうぞよろしくお願いします!
ちうね
☆最後におすすめの参考文献☆
・清水昇『碓氷峠を超えたアプト式鉄道 66.7パーミルへの挑戦』交通新聞社、2015年
一番わかりやすく、かつコンパクトに碓氷線について書かれていると思います。碓氷に行ってみたいなという方は、こちらの本を読んでから行くと感動の具合がかわると思うので超おすすめです。是非!
・小林正義『国鉄アプト式電気機関車』(上)、(中)ネコ・パブリッシング、2011年
こちらは碓氷線で使われた電気機関車の変遷や構造についてかなり詳しく書かれている本です。根からの文系人間なので機械系の資料はチンプンカンプンだったのですが、貴重な写真が多く載っています。写真を見るだけでも楽しいです。
ちびキノコ
2020-09-19 10:33:42 +0000 UTCちうね
2020-08-23 13:43:53 +0000 UTCちうね
2020-08-23 13:41:28 +0000 UTCカミラ
2020-08-07 13:50:20 +0000 UTCなるまるポポロン
2020-08-05 22:40:17 +0000 UTC