お久しぶりの更新になってしまいました…すみません…!
だいぶ遅い宣伝になりますが「紡ぐ乙女と大正の月」22話、
キャラット8月号に掲載されております。
そして1P目下段にあった通り、8月26日に単行本2巻が発売されることに
なりました!単行本関連の作業で今後低浮上になるかと思いますが、こっそり応援していただけるとうれしいです。
今回はその2巻に収録される最後のお話になっております。
雪佳とのあれそれもひと段落して、歴史が動く予感?みたいなお話です。
だいぶストーリー性が強いのでうまい宣伝ができないのですが、
今回のお話のラストの演出が今までで一番描きたかった部分なので是非見ていただければ嬉しいです~っ
最後に起きた例の事件についてはこれ自体を掘り下げて描くわけではないのですが、単純に興味があったのと、末延邸に連絡が行く時刻を考えるために色々と調べたりしていました。
正直私も教科書でさらっと習ったくらいで、詳しい事の顛末は知らなかったのですが当時の新聞記事や原敬関連の本を読むと詳細な状況が分かって大変面白かったです。
以下はもう漫画とは何にも関係なく、調べたことを趣味でまとめただけなので間違っている部分もあるかと思いますし、お好きな方は暇つぶしにどうぞ~レベルのあれです(なので文章もまとまりなく読みづらいです!すみません!)
原敬が東京駅で刃物で刺されて死亡した…というのは教科書で習う範囲なので誰もが知っているかなと思うのですが、思いのほか刺されてから亡くなるまでが早く驚きました。
『平民大宰相原敬』(現代公論社出版、1922年)や翌日の朝刊によると19時25分ごろ(20分とする新聞もありますが、およそこの5分間)に「二十歳前後の青年が疾風の如く躍り出て猛烈な勢ひで」原に向かって刃物を突き刺し、医師がやってきた45分ごろにはすでに息絶えていた、ということです。
ただ刺された直後、周りの人間は「果たして何処を何うされたのかが判らず」というくらい傷は小さなもので、倒れた場所には血一滴もなかったと書かれています。
実際、盛岡の原敬記念館に残る、その時首相が着ていたワイシャツについた血痕は微々たるものでその記述が本当であることが分かります。
医師によれば傷が心臓に達したために差されると同時にほぼ即死したとのことですが、現場にいた小川国政総裁が「せめて外套でも来て居られたならば、かうまで深く兇器が這入らなかつたであらうに」と嘆いた通り、本当に少しでもズレていれば、死ぬまでのことはなかったのかもと思わせる暗殺劇だったようです。
(当時の暗殺現場の様子。駅長室から改札に向かう途中、凶変にあった)
『平民大宰相原敬』P232より
原が刺されたという一報はまず家族のもとに届きます。原敬の弟、原誠の追想(「原敬追想」『新岩手人』、第13巻第7号、1943年)によると7時30分ごろに原敬の妻から、「良人(夫)が東京駅でピストルで撃たれてモー駄目」だと電話があったようで、刺されてすぐに家族回りには連絡が行っていたことが分かります。
また、奥さんには最初ピストルで撃たれたと連絡がいっているのも、先ほど書いた通り刃物で刺されたにしては傷口が小さく出血が少なかったことに由来していそうです。
その後、原の死亡が確認され、芝公園にある邸宅に遺骸を運びだしたころ(読売新聞5日朝刊によれば8時5分ごろ)には新聞号外を見た群衆が切符売り場から駅前に詰め掛けていたと原誠は記述しており、読売新聞朝刊に記された時間がただしければ8時頃にはすでに号外がでていた…という迅速さだったようです。(東京日日新聞5日朝刊では「遺骸は八時二十分寢臺車に移され」とあるので、時刻はだいたいあっていると思います)
とはいえ、テレビはおろかラジオもない当時、号外がいくら8時前後にでていたとしても街に出ていなければ分からないわけで、要人に対する連絡はそれより後になっていたようです。
『平民大宰相原敬』「西園寺公の入京」によると、京都にいた公爵・西園寺公望への連絡は夜9時すぎ、奥繁三郎衆議院議長より電話があり、追って10時頃に高橋翰長から電報でも通知があったとあります。ちなみにその時西園寺はお散歩に出かけていたようで帰ってきてからその一報にふれ「原もトウトウやられたね」と言ったとか。(完全に強キャラの台詞でかっけえ…と思ってしまいました)
これに基づいて作中で末延邸に連絡が届いたのを9時10分ごろにしたのですが、西園寺は元老なので他の華族議員への連絡とは時間が違う可能性もあるかな~と思いつつ、他に対して何時ごろに連絡が行ったのかは調べきれなかったのでご愛敬ということで…
ちなみに原を継いで首相に任じられた高橋是清は自身の『随想録』(千倉書房、1936年)の中で事件当日、「原の目の邊りが、どうも影が薄い様に見えた。いはば死相でも出てゐると言ふのかね、何とも云えぬ様な淋しそうな感じ」がしたそうで、原首相の京都行きを止めたが聞き入れられず、惜しいことをしたと振り返っています。まあ後からだとなんでもいえるとは思いますが、私の言うことを聞いてくれていたら「あんな不幸を見なかったのであらうか、これも運命と言ふのだネ」と記しており、ちょっとしたことが人の運命を変えたりすることもあるのだろうなと高橋是清の感慨が分かるような気がしました。
正直、日本の近現代史というか特に政治史については教科書以上の知識がないものでチンプンカンプンなんですが、こういう一つの事件について掘り下げるのは好きなので結構楽しかったです。
今年は原敬100回忌とのことで、盛岡の記念館で特別展などもやっているようなので時間があれば見に行きたいな~と思っています。
原敬が暗殺された現場は今も東京駅丸の内南改札口のすぐ近くに印が残っていますので、機会があれば是非訪れてみてください。(写真を撮ったのですがだいぶ前すぎてiPhoneのカメラロールに埋まってしまいました)
それでは今号のキャラットと8月に出る単行本、何卒よろしくお願いします!
ちうね
ちうね
2021-08-31 07:45:21 +0000 UTCちうね
2021-08-31 07:44:20 +0000 UTCちうね
2021-08-31 07:43:15 +0000 UTC麻戸チェーザレぬこ
2021-07-24 03:10:46 +0000 UTCpacho_ishi
2021-07-11 14:53:14 +0000 UTCポリアネス
2021-07-10 10:43:12 +0000 UTC