SamSuka
夏目なつめ
夏目なつめ

fantia


名手失墜

§  歓声は高く天井を打った。  プールサイドでに音は混じり轟いて、なお鋭く笛の音が鳴る。  水面の光の反射、激しく上がる水しぶき。  魚のように泳ぐ選手たちが、覇を競ってしのぎ合う。  無論、俺より遅い者たちが。  俺は、当然だと言わんばかりに表彰台に立った。圧勝に圧勝を重ね、他の追随を許さない。  我ながらそれは誇らしく、これぞ男の醍醐味と言うにふさわしい。力に誉に若さに女。未来を嘱望される気分は悪くはなかった。    どこまで行けるだろう。どこまでだって行ってやる。水泳部のエースとして、誇りも驕りも一手に引き受けて、上昇していく自分が楽しくて仕方ない。  そうだ、それが俺だ、俺だった。  だからなのか?  傲慢の罰が、巡ってきたのか?  肉体一つ、それだけで生きてきた。  だからこそ、代償は体だったのか。  わからない。  ただ一つ確かなのは、俺に残されたものなどなにもないということだ。  全て無くした。病を除いて、一つ残らず。 §  未来を託された水泳選手。  そんな日々は、唐突に終わった。  端的に言えば、俺は健康を失ったのだ。  正確さを期すなら、財産と言える体を失くしたというべきか。  奇病にかかり、俺は体重の殆どを食い尽くされた。骨も肉も内臓も、平等に食われ消し去られ、あとに残ったのはもとの四分の一にも満たない身の丈だ。  縮小病と呼ばれるそれ。進行は一瞬で、手を打つ暇もなかった。  縮んだ体の水泳選手。  そんなものにかける期待など無い。転落までは一瞬だった。推薦で通った高校からは追放された。家族からは見放された。恋人に助けを求めても、奴は己の腰にも満たない男を雨の中に追い出す始末だ。部のエースに擦り寄ってくる女ども、その中から選びぬいたつもりだった。とびきりの美人でも、胸のデカいものはタイムが出ないと笑って振った。顔の冴えないものは言うに及ばず。だのに、本当に好いてくれたと思ったあいつに捨てられるなんて。  文字通り、寄る辺のない俺に行く場所はない。  そして今、俺は路傍のダンボールに収まって、捨て犬の如く震えている。  冗談のようだった。  身の丈40cm。これじゃ、道行く人間にさえ気づかず蹴飛ばされる。振り下ろされるヒールの爆撃、その上降りしきる雨に身を穿たれて、やっと落ち着いたのがこの場所だった。植え込みの陰、直に置かれた箱の冷たさ、硬さ。おまけに臭って、水が染み出すのも時間の問題だった。  それで、どうしろと?  行く場所など無い。  第一、もう何日も飯にありつけていないのだ。  飢えて死なないとも限らない。  張り詰めていた緊張が切れた今、ヘナヘナと俺はへたり込み。俄に漂い出した死の気配に、怯えながらも横臥するほかなかった。  ボトボトと、雨が箱の蓋を打つ。広さは申し分なく、それゆえガランとした空間は肌に冷たい。床は濡れだし座りも出来ず、俺はしゃがんだまま壁にもたれ、ガタガタと震えるほかなかった。  そして、恨めしげな目で往来を見上げるのだ。  それは、巨人たちの世界だった。  悠々と、往来を行く長い脚。そのどれも、腰元にさえ俺じゃ届かないだろう。グングンと力強くアスファルトを蹴る巨人たちの足取り。俺など気にせずに道を行き、箱の中を覗く気配もなかった。  箱の中に、なにか入っているとも気づいていないのかも知れない。ましてそれが、若盛りのアスリートとは思いもよるまい。  俺はうずくまった。  泣くまいとはした。  けれど、この胸の内をなんとすればいい? そう思うと、顔全体が不穏に熱くなる。  しかし、苦痛は長く続かなかった。  もはや、感情にかき乱される気力さえなくなったのだ。  容赦なく奪われる体温と思考。  そうして何時間も過ごす内。少しずつわかってきたことがある。  俺はここで死ぬんだろう。じわじわと死の気配が近づいてきて、より生々しい恐怖に変わっていった。  力を誇りおごった男を、臓腑の底から震わせる。  なんだったんだ、この人生。  俺はぐったりしながら空を仰いだ。天頂から放射状に降り注ぐ雨の軌跡が、心を苛んでいく。空腹は手先を冷やす、痺れさす。これほど湿った空気の中、唇はカサカサと乾いていた。 「…………?」  そして、危険な眠気が瞼を引っ張り始めた時。  ふと、巨大な影に包まれているのに気づいた。  傘に守られ、ボタボタと鈍い雨音が耳を打つ。そして、その人型の陰は覆いかぶさるように俺を見つめ続け、目を離す様子もない。  気配だけで美人とわかる巨大な存在感。薄めに見やれば、高校生だろう、制服姿と思われた。  ……僥倖かも知れない。  興味を持たれているならば、なにがしか助力を得られる可能性もあった。  説き伏せ、食を、そして、然るべき場所に連れて行ってもらわねば。  次はない。これを逃して、誰かが立ち止まる保証などありはしないのだ。  俺は視線を彷徨わせた。  仰いだのは、制服姿の女の脚。  壁を越し、脛の半分以上がヌッとこちらに身を乗り出している。まるで電柱だ。しゃがんでふくらはぎが潰れている分、余計に逞しく見える。左右に張り出して、そのしっかりした肉付きが力強い。  脛の美しい稜線から膨らむ様はエイに似ていた。鍛えられているが角張ることなく、流線型のフォルムだ。  しかし女性的な肌の中に、ギッチリ筋肉が詰まっているのがよく分かる。  奥に覗く、さらにぶっとい腿もそれに同じ。さぞ力強く水を蹴ることができるだろう。  ……水を蹴る?  そこで俺は気付く。  あくまでほっそり締まった脚。しかし一見して上質な筋肉の塊であることは明白。  これは、泳ぎこまれた女の脚だった。 「……センパイ?」  そして呼び声に、馴染み深い響きを見出した時。  俺は弾かれるように巨人の顔へ目を向けた。  ぼやけた視野が一気に引き締まる。  その視線を迎えたのは、甘くもクセある生意気な顔……。 「なにやってんすか、センパイ」  果たしてそこにいたのは、西村ナツその人だった。邪魔な巨乳でタイムが出ない。かつてそう見下した女が、巨女となって俺を見下ろし、温度のない視線を注ぎ続けていたのだ。  その時の動揺ったら他にない。 「なっ、ナツっ……!?」  俺はかばうように顔を背けた。プライドが許さなかった。見られたくなかったのだ。この体を。よりによって、西村なんかに……!  傘を差し、発達したぶっとい脚を潰して屈むスポーツ少女。それがシュッとした顔をニタニタと歪め俺を見下ろす。揺れる短髪。笑う美貌。みずみずしく水を弾くショートヘアは雨にも負けずきらめいて、ボロボロの俺をより一層惨めにさせる。 「捨て犬ごっこすか? ははっ、似合ってますよー」 「み、見るなっ!!」 「はあ?」  これだから嫌なのだ。なにもわかっちゃいない。一度振った女に、こんな、こんな姿を見られて平気なわけがないだろう。  恥で頭に血が上る。尻の底を炙るような羞恥に身を焦がす。ケツを掘られてる様を見られた気分だ。たまったもんじゃなかった。 「見るな、見るなって……!!」  震える声で俺は喚き散らした。この巨女はかつて俺を見上げた女。そして今じゃ、その脛より小さく軽い存在となった俺を見下している。死んだほうがマシだった。ナツを追い払った結果凍え死んだとて文句はない。 「はは、相ッ変わらずいい性格してますね。ウケる。死んだと思ったら生きてたんすねー」 「黙れっ! 行け、行っちまえ! こんな姿、見られたくない……!」 「はあ、別にいいっすけど。……でも、さっきから烏が狙ってますよ?」 「か、烏……?」 「あとここ、市営プールの近くなんで部の子結構来ますよ。……ほら」  ナツが顎で指した先、曲がり角から黄色い声が聞こえてくる。あれは、崎田に岩田か。何れにせよ、具合の悪いことには変わりない。 「まーいいっす。じゃ、お元気でー」  立ち上がり、グンと遠ざかる女の顔。同時に、電線に乗るカラスの姿、胃の底を引き剥がされるような空腹が俺を急き立てた。  もう、強がる威勢の良さなど残っちゃいない。 「ま、待ってくれ!!」  俺は箱の端、壁をよじ登ってナツの後を追って行った。  地獄の底へ、自ら参じて行ったのだ。 §  洗面所で虚しいシャワーを浴び、貫頭衣に似た服を渡された段になって。  俺はナツに抗議した。 「いくらなんでもこりゃねぇだろ。なんだこれ、ハンカチか? なぁ、もっとマシなもんよこせよ」  雨をきちんとしたシャワーで流し、さっぱりとしたナツ。身綺麗にデニムスカートとシャツを纏って、俺との差は一目瞭然だ。かたやスポーティなショートをきらめかせ、かたや食器洗剤でゴワゴワになった髪。ファッション誌に出ても遜色ない格好のナツに対して、俺は原始人にも劣る薄布一枚の格好だった。 「はは、贅沢言わないでくださいよ。小人用の服なんてあるわけないじゃないですか」 「……」  贅沢というほどの要求にも思えないが、そう言われたら言葉もない。が、今の格好で落ち着かないのは確かだった。 「服とは言わんがもっとあるだろ?」 「ありませんよ」  苛ついたようにナツは頭を欠いた。短髪をくしゃくしゃ言わせ、うんざりしたようにも見える。  俺の中に根付いた、体育会系の心が俄にざわつく。後輩がとる態度か? 敬語に挨拶は無論のこと、行く先々で気に入られようと甲斐甲斐しく世話してきた女の一人だ。それが、居候になったとはいえこの口ぶり。態度の落差についていけない。 「……まあ良い。それより、飯ないか? もうずっと何も食ってない」 「はあ。そうっすね、……これでも食べててください」  面倒そうにスポーツバッグの中をあさって、おやつ代わりだろう、シリアルバーを放ってよこした。レンガ大のそれは、ぞんざいな放物線を描き飛んでくる。慌ててはたき落とせば予想外に重く、手にジンジンと痛みが走る。 「お、おい! 危ねえじゃねぇか馬鹿野郎!」 「ん、ああ、すんません。まさか取れないとはおもわなくて」 「わ、渡し方ってもんがあんだろうが!」  俺は衝動的に怒鳴りつける。が、ナツはニヤニヤ笑うだけで意に介さない。それがまた癇に障って、頭にカッと血が上った。 「てめぇッ何様のつもりだ!? それが先輩に物言う態度か? あ? ふざけんじゃねえッ!」  荒く言葉を吐き捨て、目前の長い美脚に蹴りを入れる。キレるなという方が無理な話だ。つい先日までうやうやしく後ろをついてきた小娘が、突然態度を豹変させた。生意気な口に粗暴な対応。到底受け入れられず、力任せに暴力をふるったのだ。  一瞬、女を足蹴にする疚しさを覚えた。  しかし次の瞬間には、俺はまるで電柱を蹴ったような反発力に仰け反って、体勢を大きく崩しかける。  瞠目して俺はナツの脚を見た。全国屈指のキック力だ、脚力には自慢がある。学校は期待をかけて金を出した。速さを讃えていくつも賞を授与された。それが、渾身の力で蹴っても柔肌に傷一つつけられなかったのだ。  深くため息を付いて、ナツはガシガシ頭をかいた。駄々をこねる子供に困ったような、呆れたそぶりでそれがまた気に入らない。が、暴力衝動は後味が悪く、詫びたくなってくる。なにより、スポーツマンシップに反する行為だ。そこは譲れなかった。  すまん。  そう言おうとした。  その矢先。 「……うっさいなぁ」 「……え?」  ボソリと、ナツがつぶやく。  そして一気に脚を振り上げると。 「ピーピーうっさいんだよッ!!」  女の裸足の影が、無力な俺を覆い隠した。  ブンッと唸りを上げる強靭な脚。水の抵抗を蹴り飛ばす足は鞭のごとくしなやかに、俺へとめがけ飛んでくる。磨かれた石膏のごとき足の甲、それが目前に飛び出してきたと思うや、否や。 「がぁあッ……!!?」  巨女の足はしっかり腹を捉えて撃ち抜いた。木っ端のように吹き飛ばされ、鈍い落下音、俺は声も出せずにのたうち回る。 「小人のくせにうっせえんだよッ! 誰が好き好んでこんな汚い虫の世話するかっての。わかんないかな、あんたはもう終わったの。ははっ、センパイはこれからあたしの奴隷になるんです。そのこと、たっぷり教えてたげますね」  そして、裸足をギュゥっと俺に押し付けるのだ。そこに、何の遠慮もない。ふにふにと柔らかな足裏で俺を押しつぶし、指の付け根で強く踏みにじる。アーチを描く足裏は、ぎっちり俺の顔を踏み潰した。まだシャワーの残香漂う素足はしなやかで、しかし数トンにも及ぶ鉄槌を、容赦なく押し付けるのだ。 「ははっ、後輩に踏まれて動けも出来ないんすか? いい気味っすね。こんまま踏み殺したげましょうか? それとも、女子部員とこに突き出します? 散々オンナ振ってきて、みんなセンパイに会いたがってますよ。人気者っすね?」  ヘラヘラとせせら笑いながら、ナツは軽く俺に足を載せたまま。頭から腰まで全てを覆い、脚だけがジタバタともがき続ける。適当に足裏を練りつけて、抗うことも出来ない俺の非力さを楽しんでいるのだ。  あくまで軽い躾のつもり。  が、ナツは知らない。拳のようなその足指は、しっかり俺の頭を挟んで食い込み、母趾球は今にも肋を踏み割りそうになっていた。良質な筋肉を纏ってその裸足は分厚く柔らかい。そしてその分ずっしり俺に密着しては、グリグリと矮躯を踏みにじるのだ。 「やめ゛っ……!! 足を、どけ、ろ゛っ……!!」 「ん? それがものを頼む態度ですか?」 「あああ゛!!?」  躾が足りなかったかとでもいうように、ナツがほんの少し体重をかける。そうすれば、数百キロもの重みに痛みは限界を越え、視界が赤く染まりだす。 「はあ……。つまんないオモチャですね」  美人は足を上げて言い放ち、悶え苦しむ俺に一片の同情もない。が、どっちにしろ俺はそれどころではない。肋骨は、凹んで戻らないんじゃないかと思うほど鈍く痛み、女子部員の足型に歪んでいた。後輩の踏まれた感触が、身に刻まれて離れないのだ。 「ッてめぇ……!!」 「へぇ、まだ生意気言う口が残ってたんすか。大したもんすねー。さすが、ボスザル根性だけは健在ですか」  俺の悪態も、ケラケラと笑い飛ばして意に介さない。大男の鋭い眼光も、この体格差ではまるで力を持たないらしい。睨みつけた俺をナツは真正面から見つめ返し、挙げ句せせら笑って意に介さない。  そしてほんの少し足を上げると、ヒッと怯える俺にご満悦だ。 「あーあ、もの分かりの悪い小人っすね。少し躾が必要ですか?」  ズダンッと重い地響きを立て、ナツが俺の前に膝をつく。  膝立ちの女、眼の前にはその股間。見下ろすナツはニタニタと俺を見下ろし、からかうように生脚をなで上げる。 「立場わからせたげますよ、セ・ン・パ・イ♪」  スカートをたくし上げ、ナツは自身のショーツをこれでもかと見せつけた。後輩のくせに、穿いているのはエロさ満点のセクシーショーツ、紫の生地は巨尻に引っ張られ、全力で股に貼り付けられている。きっと背面では、見えなくなるほど尻に食い込んで、限界まで女の香りがしみているだろう。そんなしっかり穿き込まれた生意気パンツが、俺を上から見下ろしていた。  そして、言うのだ。 「舐めてくださいよ」 「……は?」 「ほら、舐めてくださいよセンパイ、得意でしょ? モテるんでしたっけ? ははっ、そういや彼女さん新しいオトコ見つけたらしいっすよ。ま、あたしの学年のエースですけど」  冷たい声に嘲笑を忍ばせ、ナツは股間をデカデカと見せつける。それどころか、呆然と立ち尽くす俺を煽るように、淫らな腰つきで振ってくる始末。巨大な女の体が目の前を行き来する、その迫力だけで気圧されるには十分だ。 「早くしてくださいよ、私せっかちなんで。ほら、見えないんすか?」  まるで醜いモルモットを見下ろすような目つきだった。それも当然か。デニムスカートの下、縮こまる俺はどう見えるだろう? 立ち上がった仔犬だってこんなに小さくはあるまい。そして今やかつての傲慢な男は、人権もなにもない単なる家畜……!  そんな状況で、ナツにためらう必要など一ミリもなかった。  思いついてからぞんざいな仕草で俺に手をのばすまで、須臾の間もない。 「あ、届かないんすか? 手伝ってあげますよ、セ・ン・パ・イ……!」 「ぐああっ!?」  握りつぶせば砕けそうな俺の頭部、それをガシッと掴みかかるナツ。肉厚の風呂敷に似た巨大な手は、俺の頭を掴んであまりある。  そんなほっそりと強靭な手で、小男の頭をがっしり鷲掴みにすれば。  後は強引に己の恥部へ叩きつけるだけ。  そして、ミチっと。  びくともしない股間で、俺を受け止めた。


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