SamSuka
夏目なつめ
夏目なつめ

fantia


遠きにありて甘いもの

§  街は少女と共にあった。  もちろん、初めにあったのは街ではあったものの。  だから、彼女と会うのに苦労はない。 《これはそっちに置けばいいんですか? え? あっち?》  美少女が、土いじりでもするように身を屈め、小箱を手に振り返ったりのぞき込んだり。  かのずば抜けた美少女こそ、くだんの娘その人。  とはいえ、身に包むのは羽衣ではなく街で買った服、天使の輪っかはなく、頭には髪つやが生む光沢の輪だけ。 愛らしくはあるものの、女神と仰がれるにはあまりに一般的な出で立ちだった。  その手に乗せているのが、3階建ての家でさえなければ。 《はぁ……、疲れた~!》 ググッと伸びをすれば、眼下に広がるのは平野いっぱいの街並み。身の丈150mから見下ろす大展望、それも自分たちで作り上げた街なのだから、感慨もひとしおというもの。  思わず破顔する、そんな100倍娘の無垢な笑みが、彼女をこれ以上なく崇高に見せていた。 《ふふっ、ずいぶん大きくなったね♪》  だから、彼女と会うのに苦労はない。  もっとも、認識してもらえるかは怪しいが。   §  結局、彼女は仁恵以外を知らかった。  ただ一人この不思議な力に目覚めることで、生まれてこの方そうすることしかなかったからだ。物心ついた頃から恵み、愛され、愛してきた彼女にとって、それはごく当然のことだった。17歳になった今でもそれはかわらない。特別なことなど何もない、当たり前の労働だと素朴に思っていたのだ。  同じ人間であるはずの少女が、一住人になったり、守護天使になったりする日々。  その非対称性に気づいていないのは、シエルだけだった。 その純真さがため自分を飽くまで街の一員としてしか認識できないシエルにとって、自分がどのように見えているか、どれほど絶大な力を持っているかなど考えもつかない事柄だった。そもそも、小人たちに大パノラマで下着を見せつけていることすら気づかずにいたのだ。善意と愛ですくすく育った少女にとって、寄せられる恐怖に崇拝、信頼、劣情など知りもしなかった。  それが、抑圧されたに過ぎないとしても。  元の姿に残って足や手を拭いているシエルの周りには、早くも人だかりができていた。 歓待の群衆だ。もはや、恒例になりつつある光景だった。 「疲れたでしょう? シエルさん、少し休んでいってくださいな」 これまでの一挙手一投足を感謝の念をもって見上げていた彼らにとって、それはごくごく自然な感情の表出だった。身に染みて感じるその偉大さに、自分らのできる恩返しが歯がゆいくらいだ。 対して、シエルはぼんやりとして笑んだまま。まだ、巨大娘の気分が抜けないでいたのだ。 さっきまで1㎝にも満たなかった米粒たちが、今では自分をもみくちゃにして一人一人の笑顔で視界をいっぱいにしている。その光景は、急激に身体を縮小させ未だサイズ酔いの回っているシエルにとって、ある種万華鏡の中にいる気分にさせた。 だから、手ずから作ったビルへと連れ込まれた時も、シエルはミニチュアの中へ入り込んだような感覚に陥るばかりだった。  そして、言われるのだ。 「何でも言ってくださいね! 貴女は私たちの女神様なんですから!」    結局気持ちが165㎝の体に収まるまで、更に1時間を待つ必要があった。 「ふぅ……」  自分の置いたハコものを、街人が懸命に埋めて作った喫茶店。出来たばかりのそれへ招待されて、出された紅茶を飲んで。一息つく気分は悪くはなかった。 (これ、全部私たちが作ったんだよな……)  窓外、煌めくガラス張りのビル。さっきまで膝にも届かなかった靴箱のようなそれを、今は見上げているのだ。己の手に目を落とせば、その指先にさえ自分は劣るのだという矛盾した想像で頭がこんがらがりそうになる。おまけに、3車線にもわたって自分の足跡が残っているのに気付くと、シエルは赤面を禁じ得なかった。 「シエルさん? どうかしましたか?」 「う、ううん、なんでもないの」  首を振ってシエルは紅茶に口をつける。そのシャレた香りは、シエルの子供舌には少々落ち着かない。 頬杖を突いて茶を啜る、少し長身の美少女女子高生。妙に様になったその姿で周囲の少女をキャイキャイ湧かせつつも、当の守護天使様はアイスが食べたい程度のことしか頭にない。恵みの雨が降って、24mの足形も幅5㎝の指紋も洗い流してくれたらこれ以上はない。 (この感覚、みんなにはわかんないんだろうな)  こんな恥ずかしい気持ち、とシエルは思う。  だがそれが全てではないとは、彼女自身知らずにいた。 曰く、壊す勿れと。訴えかけるのは、制御が未熟だった在りし日、瓦礫の中で目にした小人たちの怯えた眼。そのトラウマは根深く、彼女の一部に今なお蓋をしていた。おかげで若干精神年齢は低いのだが、それも街人にとっては彼女の純真さと映ったに違いない。そもそも、大人びて見える美貌に体つき、もう17歳の守護天使が子供舌だなんて、思う方が不自然だろう。  結局のところ、シエルのことを誰も理解してはいなかった。彼女自身でさえ。 (……?)  瞬間モヤッとしたものがこみ上げてきたが、シエルがその正体に気づくことはなかった。    砂糖を2つ落として一口飲み、すさまじい味にベッと舌を出すシエル。 なんだこれは。そう思い、手元のカップに目を落とす。 その水面、彼女の瞳と同じ、琥珀色。 それが少し、波立っている。 (……あれ?)  それが隣人には親しみ深い振動だと、彼女はしらない。だから、身構えることも出来ず。 「きゃあぁっ!?」  続く激震になすすべもなく跳ねとばされるのだ。 「な、何っ!?」  震えて立つことも出来ないほど驚くシエル。一方シエルに手を貸す隣人らは、彼女がそこにいることにこそ驚いていた。そして第二波は、窓辺から響くざわめき。 「おい見ろ! きょ、巨人が!!」 「なんで!? シエル様はここに……」 「だ、誰なの!?」  ただ一人状況についていけないシエルは、夢遊病のように窓へと歩み寄る。  それを迎えたのは……。 〈うわっ、なにこの広さ……。どんだけ頑張っちゃったわけ?〉 バカにしたような大きな声。俄かには信じられないシエルに対し、一方の街人は動揺こそあれ彼女の混乱からは程遠い。彼女にとっては未知であれ、彼らにとっては慣れっこの光景。 そんなもの、一つしかない。 〈やっほー。みんな元気―?〉 入道雲のようにそびえたつ大きな影。そこには、膝に頬杖を突き、やる気のない様で街を見下ろす少女の姿があった。生意気そうな笑みを浮かべ、網タイツに編み上げブーツと、服装もまた挑発的。親善が目的でないのは明らかだった。 それはシエルが初めて目にした巨人の姿。それを見上げた時の困惑が、町人と同じであるはずがない。 〈はいはーい、リエラさんだよ~♪ あ、人間の言葉わかるかな~?〉  色素の薄いショートを揺らし、いかにも小生意気に語るその少女。とても友好的とは言えないその巨体は、けれど、街人を絶望させるほどではなかった。だって、2時間前に君臨していたシエルのたかが半分。年も15、6ほどと見慣れた天使よりは若い、小さな巨人娘だ。 それでも、シエルを打ちのめすには十二分。 (わ、私、こんなふうに見えてたの……!?)  あまりの大きさに、シエルにはもう靴しか見えない。5階にいるシエルからさえ、その上端は拝めずにいたのだ。見れば無遠慮にも靴を履いたままなせいで、重厚な編み上げブーツがアスファルトを粉砕している。 一方反対のビルに映るその全容は、間違いなく50倍にも膨れ上がった可憐な美少女。しゃがんでなお10階建てのビル群を突き抜けて、街すべてを見下ろしていた。  しかも。 〈あはっ♪ 何見てんのよ、エッチ♡〉  腰に巻き付くようなタイトなスカートをはためかせれば、それだけで吹き飛ぶ小人たち。大パノラマで見せつけられる美脚に下着、スカートの中。紫のセクシーショーツも、ミニスカートの裏地も丸見え、寧ろ、小人に見上げられることを前提にした出で立ちだった。 (こ、こんなに見えちゃうの……?)  シエルが思わずスカートを押さえれば、さっと視線を逸らす周囲の人々。無意識に自分が見せつけていた光景を思うと、思わず顔が熱くなる。どんなに、どんなに大きな尻を下着を見られていたことか。  しかも、だ。  しゃがみこんで、むちぃ……っと横に潰れた太ももやふくらはぎの、あまりに生々しい肉感、背徳感。下から見れば、胸のふくらみとその重量感はいや増してしまう。もはや圧迫感を覚えるほどに、少女のパーツが視界を犯すのだ。頭の中で像がまとまらないほどの存在感に、頭の処理が追い付かない。  極悪ブーツが軋み、不穏な音を立てる。嫌でも聞こえてしまう、彼女の嘲る声音に鼓膜が痛い。リエラとかいう年下娘を前にして、シエルは完全に硬直してしまっていた。 (イヤ、怖い、怖い……!)  それがさっきまでの自分よりずっと小さいことになど、気が回るはずもない。ただただ、自分があちら側の存在だということが信じられずにいた。 (こんな、こんな存在とみんな仲良くしてたって言うの?)  それはもはや、対話など不可能な相手。ただただ威容を振りまく、非現実的な光景。近づきたくない。触れられたくない。だって、この窓だってもう彼女の体温でじっとりぬくもり、どこからか革靴と少女の体香さえ漂ってくるほどなのだ。  しかも、普段の自分よりずっと小さいと言うのに。  シエルは、その光景を受け入れている周囲の人さえ信じられなくなりつつあった。  だが、彼らを守れるのは自分だけ。 (イヤ、あんな存在になんかなりたくない……)  今までの自分の姿を想像するだけで身の毛がよだつ。けれど、やるしかない。  そうして彼女の下へ駆け出そうとした、その時。  目に入ったのは、ビルより重い厚底ブーツが昇っていく様子だった。 〈ふふっ、今からこのビル、踏みつぶしちゃいま~す♪〉 「……え?」  けれど、侵略少女は待ってはくれない。 聞こえてきたのは、数百トンある厚底ブーツが立てる風切り音。  刹那、全てを吹き飛ばす爆風にシエルは吹き飛んだ。 「きゃあああッ!!?」  決してあってはならない、巨大娘の破壊的な力の行使。空き缶のようにビルを踏みつぶし、一気にそのすべてを粉砕するのだ。窓から吹き飛ばされるだけで済んだのはむしろ僥倖だった。そして空き地に投げ出され、うずくまる心中にあるのは恐怖と焦燥だけ。 (私、こんな、こんな力を使ってたの……? もっと、もっとおっきな体で、私、私……!!)  呆然として、起き上がる手にも力が入らない。それでも、皆には自分しかいない。そう思えば、起き上がらざるを得なかった。 「早く、早く何とかしなきゃ……!」  でも、なんで私ばっかり。 思ってしまうのも仕方のないことだった。だって、あれほど巨大な存在なのだ。ひとけのない場所まで走りながらも、まるでその姿が遠のかない。少女に背を向ける、それだけで肌が粟立ってやまない。相手は、華奢な女の子でしかないのに。  けれど、一緒に逃げるその誰もがシエルにとっては親友そのもの。やるしかなかった。 (ダメ、早く、早く止めないと……!)  そして、使いたくない力を使おうとした時。  怪物と戦う者は、その間に怪物とならぬよう心せよ、などと。 柄にもなく、シエルは思った。 § 〈待って!〉 〈およっ?〉 シエルが現れたとき、さしものリエラも他の巨大娘には驚きを禁じ得ないようだった。 〈わ、すごいすごーい! 初めて見たかも、私以外の巨人〉  小石でも捨てるようにぞんざいにバスを投げ捨てると、パチパチと手を鳴らし少女は立ち上がる。その様に、思わずシエルは脱力する気分だった。あれほどの恐怖を誘った姿も、等身大になれば思わず拍子抜けするほどに華奢で可憐。豊満な胸や美脚で騙されていたが、身長もそこまで高くはない。もうシエルには小悪魔な後輩か何かにしか見えなくなっていた。 〈何をしているの!? 私たちの街を壊さないで!〉 〈でも、お姉さんもヒールで道壊してるよ?〉 〈え!?〉  今更気づいたって後の祭り、圧力が集中するピンヒールはアスファルトに深く深く突き刺さり、つま先はべったりと車を押しつぶしていた。絶対壊してはならぬよう、普段は靴下を履くのもはばかって、素足やトレンカで過ごしてきたシエルだ。慌てて靴を脱ぐ時にはすでに半泣きで、自分の巨大さが心底嫌になりつつあった。思い出したように後ろ手でスカートを押さえたり視線を気にしたり、もう体はギクシャクとしてどうにも居心地が悪い。  そしてトレンカストッキングで大地を踏みしめ、街を守ろうと立ちはだかる。 〈あー、もしかしてキミ? みんなシエルさまシエルさま~って泣き叫んでたけど。ふふっ、でもちょっと遅かったかな~♪〉 〈……ッ! と、とにかく、余計なことはしないで!〉 〈つれないなー。せっかくこんなオモチャがあるっていうのに〉 〈オモチャって言わないで! 私たちが作ってきた街なんだよ!?〉 〈ま、虫けらだけじゃこんな街作れないもんねー〉  のらりくらりと受け流すリエラに、シエラはもう言葉も出ない。 〈とにかく、小さくなるかこの街から出て行って!〉 〈え~、せっかくお友達と会えたと思ったのに、なっ!〉 〈きゃっ!?〉  そう言うとリエラは馴れ馴れしく抱き着いて、よろけたシエル自身にビルを蹴り崩させる。彼女らがビル一つを踏みつぶすのに、靴なんてものは必要ない。すでに細い踵は建物の2階までめり込んで、弾き飛ばされた人々をトレンカにしがみつかせている始末だった。 「シエルさん、助けて! 気づいて!」 「やだ、落ちる、落ちちゃうぅ……!」 〈うふふっ、柔らか~い♡ おっぱい超おっきくて全然ひっつけないや♪〉 〈ちょっと……、やめっ、離してっ……!〉  小石のような彼らの声は、女神たちには届かない。ビルの間せめぎ合う巨大な美脚たちを、ただ見上げることしかできないのだ。対等な巨人との頭上での対話。初めて街人は、巨人の世界に置いて行かれる恐怖を味わった。 「シエル様! あの子が足の下に……!」 「危ない! 逃げて、逃げてよ!!」 家族を、友人を、助け出そうとしたって無駄なこと。彼女らの足踏みに足をすくわれ跳ね飛ばされ、逃げることさえままならない。そしてそのまま、ほっそりした巨大素足に踏みにじられるのだ。後は柔軟性で死ねも出来ず、ふにふにとしたおみ足に潰され泣き叫ぶばかりだった。 〈貴女もそのブーツ脱ぎなさい、よッ! じゃなきゃ出てって! 怒るよ!?〉  容易く腕を振りほどくと、シエルは逆に横暴少女を戒める。頭一つ分身長差のあるシエルにとって、その力は驚くほど弱かった。多少藻掻いたところで、その体格差は覆せない。シエルにも小人にも、俄かに光明が見えた気がした瞬間だった。 〈あはっ♪ 力ずくで抑え込まれるのもちょっといいかも……♪〉 〈あんたねぇ……〉 〈でもお姉さんだって、同じ大きさの子と触れ合えてちょっと嬉しいんじゃないの~?〉 〈バカね、誰がこんな酷いことする子と……〉 〈お姉さん、顔緩んでるの気づいてないの?〉 〈そ、そんなこと……〉  クスクス笑う娘の、見透かすような視線に顔を赤らめる。目を逸らしてしまうのは、まさにそれが図星だったから。このサイズを共有できる喜び、誰かに触れてもらえる幸福感。敬愛されながらも本質的な孤独のうちに生きてきたシエルにとって、それは甘美な劇薬だった。  ぞわぞわと胸の底で沸き立つ不穏な感覚。もう無視はさせないぞと蠢く、後ろ暗い何か。直感的にリエルは、彼女が自分の裏面そのものなのだと気付いた。  だから一層、認めるわけには行かないのだ。 〈……わかったから、もう出て行って。貴女なら無理やり叩き出せるってわかるでしょ?〉 〈ん~、まあね〉  上目遣いにシエルを見上げ、素直に首肯する小悪魔娘。  それが一転。 〈でもでも~、私には敵わないんだな☆〉  そう口にし指でくるくる円を描くと。 突如現れた縄がシエルの手首に絡みつき、後ろ手に縛りあげてしまったのだ。 〈え? うそ、動かない……?! 何これ、何するつもり!?〉 〈あはっ、おびえちゃった♪ ふふっ、か〜わいっ♡〉  街人の乞うような視線さえ目に入らないほど、パニックに陥る巨大な守護天使。けれど、どんな力だって魔法の縄を相手にしては歯が立たない。対して小悪魔娘はクスクスと笑い近づいて、更に彼女の恐怖を掻き立てる。  そして、ぴょんっと長躯に飛びつけば。 〈キャアアッ!?〉  天を衝く巨体が2人分、街へ思いっきり倒れ込んだのだ。空を黒い曇天へと変える大きな背中、その頼もしい少女の体が今、降り注ぐ鉄槌となって街へと襲いかかり──!!


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