少女は女神の階段をのぼる(前編)
Added 2021-08-22 15:25:22 +0000 UTC§ 夏、公園、蝉しぐれ。 眺めていた入道雲が、不意に見えなくなった。 「だーれだっ♪」 小さな手に目を覆われて、けれど僕は慌てない。 こんなことをするイタズラ娘、ひとりしかいないもの。 「沙希でしょ。少しは隠す気ないの?」 「えへへっ、当たり♪」 目を覆う細い指先、そのとばりが下りる。 「ちょっと声音変えたんだけどな~」 そういってぴょこんっと僕の目の前に現れる黒髪の美少女。肩元で揺れる髪も艶やかに、眼は人懐っこい光を浮かべて。僕の幼馴染は、悔しいけど今日も可愛い。 「気づかない方がよかったわけ?」 「まあ気づかなかったら怒るけど」 「地雷じゃん……」 「ふふっ、可愛ければそれでよし!」 茶化すように言ってボブカット少女が胸を張る。そうすれば、誇らしげな態度とともにふるんっと揺れる沙希の巨乳。僕は慌てて目を逸らす。見慣れたはずの姿、けれど中学生になってから急激に育ち始めた少女の体は、無経験な僕には刺激が強すぎた。 幼馴染相手に何を考えているんだと頭を振る。それでも頭の隅で、“Fはあるよな”とか考えてしまって。 「どうしたの?」 結果、沙希に怪訝な顔をされることになるのだった。 「いや、ちょっと暑いなって」 「ラムネ飲む?」 「……飲む」 渡された飲みかけの瓶に口をつけ軽く呷る。意識した後だから少し恥ずかしいけれど、敢えて気にしないことにした。沙希の体温にぬくもった液体を喉に流し込めば、カランっと夏めくビー玉の音。見上げた夕陽が、なんだかノスタルジックで。 ずっとこういう日が続いたらいいなと、 そう思った、視線の先。 遠く、何かとてつもなく巨大なものが歩いていた。 「……巨人種だ」 それは、途方もなく大きな人影。 女性だろうか、長い髪。街を隔てる壁さえ腰元に収め、女神のように君臨している。 それは、僕らとは向こう側にいる存在の姿だった。 「……新しくビルが建つから、手伝いに来たんだよきっと」 「わかってる。別に珍しくもないし」 けれど僕は、そこから目を離せずにいた。 「優……?」 僕は、どうしようもない気持ちでその姿を見上げていた。 何十メートルあるのだろう。 どのくらい力があるのだろう。 それは想像を絶するほどに強大で崇高な立ち姿。とてもじゃないが、同じ人間だと思えない。 ……見ていると、ジャリっと、砂を噛んだような心地がしてくるくらいに。 ジッと、遠くのその姿を見上げる僕。突然の沈黙に沙希は、気づかわしげな視線を僕へ向けた。 「……まだ、怖い?」 「……怖いっていうな」 「でも、おうち踏みつぶされちゃったんだよ?」 「もう昔のことだって」 「でも、手、震えてるよ?」 ハッとして僕は自分の手を握りしめる。 馬鹿な。もう物心もつかない昔のこと。けれど、いや、だからこそ、刻み込まれた恐怖心はままならないようだった。 幸い、誰も怪我することはなかったあの事故。平謝りしてすべて直してももらった。土下座もしてくれた。多分優しい人だったのだと思う。けれど、謝るその体の巨大さだけが目に染みついて。 今またその足を振り下ろされたらどうなるんだろう? そんなことばかり考えていたのを覚えている。 僕も馬鹿じゃない。怖いものを怖いと認めなきゃいけないことはわかってる。けれど、どうしたらいいかわからないのも本当だった。 「……」 何を言うべきか迷った沙希は、ただ僕の手を握ってくれた。 小さく柔らかなその手。その中で、そっと緊張がほぐれた気がした。 「かえろっか」 立ち上がり、そういう沙希。 「うん」 僕もそれに続き、公園を出た。 それは、僕たちのある夏の日。 だったのだけれど。 ──しばらくして沙希は、唐突に僕の前から姿を消した。 ⁂ 沙希のいない日は味気なかった。 どこに行ったのかも知らない。何でいなくなったのかもわからない。もしかして嫌われたんだろうかと何度も疑った。けれど心当たりはない。いや、こういう場合はたいがい僕の方がわるいんだろうけど、それにしても思い当たる節はなかった。 散々沙希のことを考える日々。 次第に、そのモヤモヤも形を帯びてきて。 「なんなんだよ沙希のやつ……」 ベッドの中にうずくまり、ただそんなことを呟く始末だった。 だから、沙希から呼び出しがあった時。 まさに僕は、欣喜雀躍として公園に走っていった。 「だーれだ」 いつものように、目隠しして僕をからかう沙希。 けれど今日は、あまり元気がない。 「沙希でしょ。それより今までどこに……」 「ダメッ! まだこっち向かないで!」 小さく叫んで、ぎゅっと僕の顔を包み込む沙希の手のひら。その強い力に思わず驚く。緊張のせいか少し冷たい女の子の手。震えてさえいる。 何か、嫌な予感がした。 しばらく続く、気まずい沈黙。 たっぷり100秒は数えた、その後。 「…………ごめん」 沙希は唐突に、小さくつぶやいた。 「私、優にずっと嘘ついてた」 「……どういうこと?」 そして小さく息を吸い込むと。 「私、優と一緒じゃない」 小さく、そう言った。 「……え?」 「見て。私のこと。……見て」 彼女が手を離すと同時に、弾かれたように後ろを振り返れば。 目の前にあったのは、二本の丸く柔らかいもの。 眩いばかりの肌色が、視線の中で揺れていて。 ようやく気づく。 それが、少女の太ももだって。 そこから視線を登らせていけば……。 「どうしよう優、私、おっきくなっちゃった……」 泣き出しそうな沙希が、僕を見下ろしていたのだ。けれど、あまりのローアングルで見えるのはわずかに目元だけ。前に張り出す膨らみに隠れて、顔が見えないのだ。夕陽を背負い、その姿さえ逆光でよく見えない。まるで、女神様にでもなったみたいだった。 「どういうことなの沙希!? どうして急に……」 「……隠しててごめん。私、でも、ずっと言えなくて。……優が巨人種のこと怖がってること知ってたから」 「ま、待って!? 巨人種?! それってどういう……」 いや、どうもこうもない。目の前の事実が全て。けれど、一気にいろんなことが襲ってきて、頭の整理がとてもじゃないが追いつかなかった。 沙希が巨人種? ずっと黙ってた? 僕の家を踏みつぶした、あの人と同じ存在だって?? そんなこと、すぐに信じられるはずがない! 「ねえ、優」 そう言いながら、しゃがみ込む巨大な人影。ようやくまみえたその顔は、確かに長年連れ添った女の子の顔で。そして、巨大な体を折りたたみ、優しく嚙み含めるように言うのだ。 「大きな私のこと、受け入れてくれる?」 潤んだ目は、確かに僕を求めていた。ずっと不安だったに違いない。眠れない日もあったかもしれない。刻み込まれた恐怖に巨人種を拒絶する僕が、巨人種である自分をどう思うか不安で不安で。 本来、採るべき立場は一つだったはず。 その大きな体を抱き締め、問題ないと言うべきだったはず。 けれど、僕は。 「ゆ、優!?」 混乱のあまり、後ずさりすると。 何も言わず、その場を逃げ出してしまった。 受け入れられない現実から目を逸らして。 そのまま、公園に巨人種娘を置いて行ってしまったのだ。 ⁂ しばらくして僕は、沙希に電話をかけた。 けれどそれはどうも相手も同じだったらしく、何度かけても電話中。ようやくつながるまで、都合5回はかけ直す羽目になった。 そのおかげかどうか。やっと聞こえた声に思わず安堵して。 「公園で待ってて」 そう言うと僕は、いつもの場所に駆けていったのだった。 「沙希!? よかった、この前は僕……」 息せき切って駆け込んだ公園に、一人たたずむスラリと高い少女の姿。その足元に駆け寄って、僕はけれど次の言葉が出てこなかった。 前より、大きくなってないか? 会ったのはつい二、三日前、けれど2倍あった身長は既に3倍にも達していて、僕はその膝と背比べだ。 一方の沙希も、同じことを思ったらしい。 スカートの陰に隠れてしまいそうな幼馴染の小ささに衝撃を受けたように目を丸くして、けれどそれを隠すように目をつむった。 「……もう、“だーれだ”ってさせてよ」 むくれたように笑う沙希。もう、僕の顔ごと覆えてしまう手を小さく振って、ひさしぶり、とだけ囁く。 「ごめん、この前のことは……」 「いいの。混乱したの、私も一緒だから」 僕はまごまごして俯きながら、沙希の大きな足と自分の足を見比べる。サンダルを履いたそれは綺麗で、女の子っぽくて、けれど僕の胴くらいもあって。 ……少し、あの日降ってきた足を思い出させる。 そんな視線に気づいたのか、サッと足を引いて沙希は一言。 「すわろっか」 そう言ってベンチに腰を下ろした。小人用のベンチを半ば占領するお尻の横にちょこんと腰を下ろし、リスにでもなった気分だ。 「どうしたの?」 「ううん。……服、どうしてるのかなって」 「ああ、これ、借りたの」 「借りる?」 「みんなすぐ大きくなるでしょ? だからレンタルとかおさがりとかたくさんもらって、次の子に渡すんだ。だからほら、ブカブカでしょ?」 そう言って裾を引っ張って見せる沙希。不意に生脚を見せてくるものだから心臓に悪い。 おまけに、漂ってくるのはどこか複雑な服の香り。 いろんな女子の良い香りが染みついた、服の香りだった。それが、なんだか沙希が知らない人みたいに感じさせて僕をソワソワさせるのだ。 「う、うん、……似合ってるよ」 「ん、ありがと」 そう言ったっきり、口をつぐんでしまう沙希。 木陰に、温い風が通る。 煮え立つような蝉の声に、汗が頬を伝った。 そして、しばらくして。 「私ね、引っ越しするの」 やおら、とんでもないことを言い出すのだ。 「えっ!?」 「体がどんどん大きくなるから、それに合わせた家に行かなきゃいけないんだって」 「そ、そうなんだ」 狼狽えつつも、そういう他にしようがない。だって既にこの大きさなのだ。公園の木々を追い抜きそうなその身長は、とてもじゃないが小人の街では暮らせそうもない。今だって、どうやって暮らしているか分からないくらいだ。 それでね、と沙希はつづけた。 「小人の友達、1人なら連れて行っていいって言われたの」 「小人って……」 けれど沙希は構わず、不意によそを向くと。 「……一緒に行かない?」 沙希は、ぶっきらぼうにそう言った。 僕は何も言えなかった。 「……そう」 一瞬、表情に影を落とした沙希。 それから、立ち去ろうと腰を上げた時。 「……ん」 自分の太ももにしがみつく、小人の腕に気づいた。 「……何ひとりで行こうとしてんのさ」 何も言わずに沙希はしゃがみ込むと。 「……ありがと」 ギュウッと僕を抱きしめてくれた。 もうスイカのような柔らかおっぱい。その深みに埋もれさすように深く抱き込んで。 そっと、僕の頭を撫でてくれたのだ。