SamSuka
夏目なつめ
夏目なつめ

fantia


次はキミが、ドキドキする番①

§  電車で、うつらうつらしていた時だった。 「また、間違えられたね」  クスクス笑う、儚げな声。  高く澄んで、囁くように、内緒話をするように、少女の声が僕だけに呟く。  まどろみの中でそれは、ひどく幻想的に聞こえた。 「私の背が、高いからかな? キミがちっちゃいからかな。見下ろされて、可愛いもの見る目で見られて……」  それから、少し笑みを漏らすと、 ──でも、ちょっとドキドキしたでしょう?    そう。  そうだったと思う。  恥ずかしいのに、ドキドキして。  なんでだっけ。  たしか、二人で出かけて。  そうだ。じんわり思い出してきた。    デパートだ。  婦人服売り場。  一人で、エスカレーターの前。  向こうからやってくる美少女に、気づいたんだ。  フリルシャツにカーディガンを羽織り、タイツには格子のライン。一見して華やかで、けれど落ち着いていて。高身長のわりにひどく可愛らしい女の子。そう感じさせるのは、ゆるふわとした雰囲気のせいか、ぱっちりとした大きな瞳のせいか。  周囲の目を引く美少女。どこか浮世離れした儚さを持った少女が、こちらへやってきて。 「ごめんね、遅れちゃった、かな?」  大きくこちらに、かがみ込んだんだ。長躯を折って僕を見つめる可愛らしく優しい笑顔。屈んでいてもなお、その美貌が僕を見下ろしている。 「課題、少し手間取って。待った……?」  小さな子供にするように、膝に手をつき彼女が言う。わざとなのか、僕の目前に胸元が来る構図で。シャツに包まれた、大きな乳房。それが全重量をシャツに預け、布地をパツパツにしている。見せているのか、どうか。  でも、この体格差では仕方のないことだ。35㎝以上の身長差。小学校低学年の視点から、大人がどう見えるか考えればいい。 「ううん、僕もここら辺、よくわからなくて」  僕はかぶりを振って、その手をつなぐ。大人の女性の、細く柔らかい手。僕ではとうてい、覆いきれない大きな手だ。それが僕の手のひら全体を握りこみ、手を引いた。 「行こっか。帰ってからやること、まだあるんでしょ?」 「うん」  ふわりと歩き出す羽毛のような一歩。そのゆったりとした歩幅に引かれて、僕も後を追う。いつも見上げている、ミルクティー色の淡い茶髪。それが肩元に揺れるのを、もう何年ものあいだ見上げていたことか。 「この店は? 他のも持ってたでしょ」 「うん、ちょうどここ、来たかったの」  手を引かれるだけじゃイヤだから、なんとか知ったようなことを言う僕。けれど彼女は、始めからそのつもりだったらしい。すでに、店内に目を向けている。  そして、ショーケースの間をすり抜けて。  一瞬、姿見に僕らの姿が映る。すらりとした少女、オレンジのカーディガンの、モデルのような美貌。  そのかたわらに、小学生のような男子の姿があって。 「……やっぱり、小さいよな」  鏡の中の僕が、呟くのだった。  そこに映っていたのは、身長168㎝の彼女と、130㎝の僕。  大人と子供。姉と年の離れた小さな弟。  そんな関係じゃ、とてもじゃないけど恋人になれるものではない。  嘆息する僕。  対する彼女は、コート選びを始めているらしい。 「トレンチとチェスター、どっちがいい?」 「チェス……? えっと、帯なしの方が似合ってると思うけど」 「でもそれだと、代わり映え、しないかなって」 「そうかな。なら、ワインレッドにするとか……」 「それは持ってるんだ、Pコートだけど」 「だったら帯つきので探す?」  あれこれ言っては、微妙に要領を得ない僕の回答。それに、店員も気づいたらしい。機会を窺っていた女性店員が、滑るようにやってくる。 「もしよろしければお伺いしましょうか?」 「はい、冬物のコートなんですけど、丈の長いものを探していて……」  上空で交わされる女性同士の会話に、僕は置いてけぼりだ。経験を積めば、彼女の会話についていけるのだろうか。けれど生憎、そういったことには慣れていない。すらりとした女性たちが二人会話を交わす中、僕はしっかり立ち惑いっぱなしだ。  けれど、最後には決まって。 「ゆうくんは、どっちがいい?」 「……こっち、かな」 「じゃあこちらで」  瑠菜は、僕の好みを聞くのだった。 「弟さんですか? お二人で買い物なんて仲が良いですね」  服をしまいながら、にこやかに話しかける店員。子供に見えるが、連れ立っている女性が若すぎる。歳の離れた弟か。さしずめ、そんなことを思っている顔だ。 「…………いえ、大学の同期で、その……」 「彼氏、です」  僕の手を引き、ハミングするような声で言う少女。泡を食うのは店員の番だ。 「ああすみません! 飛んだ失礼を……」 「ああいえ、お気遣いなく……」  ここで憤慨した態度を取っては、余計に子供っぽい。あくまで鷹揚に言ってみる。けれどどうも挙動が不審になってしまって、店員も曖昧な笑みを浮かべるばかりだった。小人だろうか、成長障害? そんな顔をしているのはもう、手に取るようにわかる。    それが、悔しくもあり、諦め半分でもあって。 ────でもちょっと、ドキドキしたでしょ?    帰りの車内、クスクス笑いながら瑠菜は耳元で囁いた。天然のASMRのようなウィスパーボイス。それが耳元で吐息を漏らし、囁くのだ。  “多分今もみんな、ゆうくんのこと弟って思ってるよ?”とも。 「女の人に子供と思われて、優しくされて……。ゆうくん、そういうの、好きだもんね」  さえずるようにいう長身女性。かつて憧れた少女が、そんな名前で僕を呼んでくれる。僕の卑屈な性癖を理解して、かつ秘密を共有している。うつらうつらする中で、それがすべて夢であるような気がして。    僕は指を絡め、瑠菜の手をしっかりと握った。  ⁂  130㎝の体を持って、卑屈にならずにいるのは難しい。    いや、力強く生きている人はいる。けれど、僕にとってはそうだった。わかってくれるだろうか。わからないなら、僕の話を聞いてほしい。多分、そうありふれた話ではないから。    まだ小人だったなら良かったと、今でも思う。だって小人は、そういうものだから。何度思ったかわからない。けれど残念ながら、僕は小人ではないのだ。常人であるのが、却って悩ましかった。僕は小人ではないし、病気でもない。多分どこかで小人の血が入っているのだろうけど、そんなもの、他人にとってはどうでもいい話。僕が身を置くのは常人の学校、世界で、僕は世間的には“只のチビ”でしかなかった。  ……身体的なものに、社会的なものに、自己イメージが規定されるのはよくあること。  小学4年生程度の体は、どこにいても僕を場違いな気分にさせた。大人の中にいる子供、巨人の中にいる小人。自分がオモチャのように感じられて、体育館で、プールで、教室で、廊下で、見上げる周囲のクラスメイトを僕は、どこか別の国の人のように感じていた。  多分彼らは、自分の大きさを知らないだろう。自分がノーマルで、小さいのは僕の方だから。小学校低学年なら、僕のような背丈の人間はいる。彼らにとっては見慣れたもので、奇異ではあるけど奇妙ではないはずだ。  けれど彼らが、220cmほどの人々に囲まれたらどうだろう。天井に頭がつくような巨人が周りにひしめいていたら? 胸元にさえ視線が届かない、肩を組む肩を組むことさえできず、体重は2倍ほど。エスカレーターで3段ほどの高みから見下ろされれば、気分が少しわかるかもしれない。子供がそれでも平気なのは、周りが一回り上の大人だからだ。自身と同年代の人間が巨人であるとき、自分の異物感は独特のものがあった。  体育では、ペアを作れない。制服は合わないし、通学列車は地獄。むろん手すりはつかまれないし、そもそも人混みが多い場所に一人で行くのは、危険でさえあった。  今を謳歌する高校生たちのかたわらで、まったく違うゲームをしている気分。試合している彼らを尻目に、子供用のボールで壁打ちしているような。  いっそ、愛嬌があれば可愛がられたかもしれない。男子には気味悪がられても、女子の一部には喜ばれただろう。  けれどそんなことができるなら、僕はこうはなっていないのだ。  一言で言えば、彼らが怖くて。不審者にトイレに引き込まれそうになったことも、一度や二度ではない。男であれ女であれ僕は丸腰も同然で、恐怖するのが常だった。自分のちょっとした動きが僕を怯えさせるのは、彼らにとっては恰好のネタだったことだろう。  けれど悲しいのは、それからの話。  どこまで行ってもそれは、飽くまでネタ止まり。  どれほどの力で怪我をするかもわからないから、イジメられすらしなかった。明らかに手心を加えてもらっている。本気で相手にしてもらえることはない。対等ではない。  そう思うと、自分がくだらないもののように思えて、悔しくもあって。  でも。  同時に、どうしてかそれが心地良くもあったのを、わかってもらえるか、どうか。  その扱いが僕にとって、どこかくすぐったい快さを持っていたのも、また事実だった。  だってだ。期待もされない、相手にもされない。路傍の石のように扱われるのは辛かったけれど、背伸びしなくていいことは同時に僕を安心させた。それではいけないと思って勉強したり自立しようとしたりもしたけれど、結局のところそれもぜんぶ義務感ゆえのこと。僕は端的に言って、身も心も小動物そのものだった。  それが多分、少女らの何かをくすぐった。  揶揄われて、クラスの女子に抱き上げられたり。  自分より弱い男子が珍しくて、無理やり押し倒されたり。  おふざけで、エッチなイタズラをされることも多かった。胸でどつかれる。囲まれて下着を見せられる。異性としてカウントされていないことを、何度も何度も思い知られた。    ……僕だって、男子だ。女子にドキドキするのは当然だし、その瞬間が、ほんの少しの嗜虐心を帯びた笑みとともに与えられ続ければ、それは、それは歪むというものだった。  腕力のないせいで、僕は女子相手にさえ抗えない。潜在的な暴力への恐怖と、無力さへのあの安堵、倒錯した快感を同時に感じさせられて。そのせいで、僕はおかしくなっていったのかもしれない。見上げる視界に常にうっすら漂う被虐の感覚は、僕をプラスとマイナスに同時に引っ張って、性癖を捻じ曲げていった。  でもそんなもの、すぐに気づくものではない。  僕を呼び覚ましたのが、高梨さんであることも、事態を悪化させた。  ある日のことだった。  放課後、女子同士がふざけあっている傍らを通りながら、僕は彼女らをちらちらと見上げていた。ブレザーに身を包んだ、大きな影たち。制服姿の彼女らは眩しくて、そのさえずる声がうらやましくもあり、少し迷惑にも感じていた。  中でも一人、どうしても一つの背中に、視線が引き寄せられて。  ひと際すらりと高い少女。けれど目立つというわけではなく、比較的高身長といった程度の、均整の取れたプロポーション。モデルのような華やかさと、落ち着いた柔らかな雰囲気は、秋のパリの夕暮れのように独特だった。  多分、僕は既に彼女に惚れていたのだと思う。  意中の少女に、目を奪われる子ネズミ男子。  揺れる影、弾む声。大きく女性的な背中は、僕のことなど気づきもせず彼女らは談笑し。  不意にその一つが、僕へと倒れてきたのだ。 「あ、危ないっ!?」  ぐらりと揺れた少女の体。おそらく、通りがかりの誰かにぶつかったのだったと思う。ただそれだけのこと。けれどそれも、子供相手の巻き込み事故なら話は変わる。慌てて僕を抱き寄せる少女。そしてぎゅっと抱きしめると、僕をその豊満な胸に包んでしまう。 「ぐえっ?!」  びっくりした。  その事態にではない。彼女の、驚くほどの柔らかさと温かさ。キッチリした制服の奥に広がる甘い弾力は、僕の体には強烈すぎた。それがひと際豊満だと感じさせたのは、特大のクッションのような感触。乳房特有の柔らかさは、僕を弾力の中へ取り込まんばかりだった。  ぎゅっと抱きしめられて、豊穣な胸元に抱きしめられる。なんとか僕を守りながら、床に倒れ込む少女。矮躯にのしかかるのは、しっかり成長しきった美少女の体だ。窒息しそうなほど胸に抱きしめられながら、ずっしりとした重さで圧し潰される。目を白黒させるうちに巨体も身をもたげ、僕を見下ろして、 「大丈夫……?」 ──僕のヒロインが、僕を見下ろしていたのだ。 「大丈夫、怪我とかない? ……あれ、聞こえてる?」  そういって見下ろすのは、間違いなく彼女の姿だった。 高梨さん、高梨瑠菜、僕の密かに想いを寄せていた、あの少女。  そんな女子が、僕の上に覆いかぶさっている。  オモチャのような僕の体に、大人びた肢体の影を落としている。  ドキドキする至近距離、好きな女子の、ぱっちりした目は大きくて、優しくて。    さっき起こった恐怖と今ある感情、そのどちらもが同時に押し寄せてくるせいで、僕はもういっぱいいっぱいだった。青ざめて、涙さえ浮かべていたと思う。そして好きな女子を前に何も言えず、小動物的な怯えと手に負えない思いでグルグルしていた。  そんな姿に、高梨さんはふっと笑うと、 「……ダメだよ、そんな顔、しちゃ。あんまり可愛いと、女の子に襲われちゃうよ?」  澄んだ声で、僕だけに聞こえるよう囁いた。一言ごとに区切るような、不思議な話し方で。ハミングするような、囁くような、独特の声音、儚ささえ感じさせる甘い吐息。大きく流れる髪が頬をくすぐり、香り、声、体温、どれもが僕を包んでいる。  多分、その瞬間だったと思う。  何かが、グニャッとねじれた。 「……ごめんね、ビックリさせた、ね」  一転、子供に向けるような優しい声で言うと起き上がるクラスメイト。それから僕を起き上がらせると、埃を払って、輪の中へ戻っていった。  あんなに慌てた声、初めて聞いたな。  いまだドキドキ疼く胸を抱えながら、けれど僕はその後姿から目を離せない。  どこか謎めいた文学的な雰囲気と、好奇心の強そうなぱっちり大きな優しい瞳。知的な華やかさを持ったその容貌は、本当に本当にきれいだった。  でも、わかってる。  届かない。  絶対に振り向いてはもらえない。  きっと彼女にはお似合いの男性なり女性なりがいて、僕のアイレベルからは見られない景色をこれから目にするのだろう。そもそも、小さな背をすっかり卑屈に丸めてしまった僕に、一体どんな女性が目を留めてくれるというのか。  そう思うと、いよいよ辛くて、悲しくて。  僕は、憧憬の象徴と化した少女から、目を離せなくなっていた。  懊悩の日々だった。  低みから、卑屈な視線を美少女に見上げる毎日。制服をまとった高梨さんは可憐で華やかで、僕はその背をこっそり見上げることしかできない。背に広がる、長いミルクティー色の髪。あの頃は、腰に届くほど長かったっけ。ぱっちりと大きな瞳は、いつも明るく輝いていた。まるで、モデルかアイドルみたいに華やか。けれど同時に、儚いほどに可憐で、落ち着いていて。マロン味のマカロンを彷彿とさせる、不思議な雰囲気。男子が口々に好意を漏らすのも、納得の存在だ。だから淡い恋心など、最初からあきらめていた。彼女は僕にとって別次元の存在で、その姿に焦がれることしかできない。  ……なら、どうやってこの気持ちを紛らわせればいいんだろう?  勉強した。  創作もした。  そして、煩悶した。  あとはひたすら卒業する日を待って。  思い出になると。広い都会で、誰かと出会うことがあると。そう願ったのだった。  もちろん、忘れられる訳がない。  卒業して、入れてしまった志望校に入学して、ひとり暮らしを始めて。  結局残ったのは、憧憬とねじ曲げられた何かだけ。高校時代は一点物。初恋の人に植え付けられた記憶と倒錯は、膨らむばかりで消えはしなかった。  相応の性癖を抱えて、不相応な大学の空き教室で。  僕は来る日も来る日も、巨大な少女への思慕を募らせるようになっていた。  スマホに並ぶ、比較を絶して巨大な少女たち。愛好家たちの誰よりも小人に近いことが、なんだか誇らしくもあった。小説を、書いてみた。イラスト漁りに、熱中したりもした。SNSで作品を集めて、妄想を連ねて、めくるめく理想の世界に熱中し、熱愛し、熱狂し……。  そうして、1年目の夏。  あの日。試験も終えて解放感の中、何をするでもなくスマホを覗いていたのを覚えている。これから僕は、茫漠とした夏休みを持て余すことになる。そんな感覚をぬぐい切れないまま、空き教室で画面の中に目を奪われていた。もはや、倒錯したSNSを覗くのも日常。それでも、画面の虚構たちは僕を惹きつけて── 「イイもの、見てるね……♪」  突如、囁き声が耳元を過ぎ去ったのだ。 「へゃっ??!」  突然の声に跳ね上がる僕。その風の運んできた強烈な既視感に、頭がいっぱいになる。知ってる、この声を知っている。そう思って弾かれたように振り返り、さらに僕は驚愕した。  振り返る。  見上げる。  目を丸くする。 「あはは、すっごい声……♪」  だって、そう笑っていたのは、まぎれもなく。  高梨さんだったのだから。  可憐で柔和なあの少女が、目の前にいる。  ロングを肩元で切って、垢ぬけてはいるけど彼女は彼女。  あの初恋の少女が、僕の前にたたずんでいる。 「な、なんで、ここに、え、え……?」  しどろもどろになって、スマホを取り落としたのにも気づかない。一方の高梨さんはそれを拾いながら、ぱっちりした目で僕を見据えて、 「ふふっ……♪ 知らかなったんだね♪ 私も文学部なの。時々、見かけたよ? かわいい子がいるって、みんな、噂してるんだから……♪」  あの、一単語ずつ囁くような、ハミングするような、独特の声音が僕に語り掛ける。けれど、僕は答えられない。高校時代より更に綺麗になった高梨さんが、そこにいる。僕を見てくれている。  そして。そして、僕の醜悪極まりない妄想を知ってしまったのだ。二つの衝撃が、頭の中を跳ねまわって。  見られた。  終わった。  何も、かも。  画面も、それに見入っている姿も。歪んだ性癖を、意中の人に見つかってしまった。もうご破算。全部全部、おじゃん。  こんな事態に、打ちひしがれない人なんていない。対する高梨さんは、“ふふふ♪”と笑うばかり。元気で優しく澄んだ声。大好きだったこの声。この声も、もう聞こえなくなるなんて……。  そう思うと、ダメだった。ぐっちゃあっと頭の中が捻じ曲がる。不穏な熱が脳を煮え立たせた。離人感さえ催して、頭が急に真っ暗になって。  僕は、貧血で倒れてしまうのだった。 「だ、大丈夫……!?」  人生二度目の彼女の慌て声。次いで僕が感じたのは、奥深い柔らかさだった。フィルター一枚越しの現実で僕は、どうも彼女に抱き留められたらしい。それに気づくと、すべての感触がベールを突き破ってやってきて。  僕は意中の女子の、巨乳の中に埋もれてしまうのだ。男性の、それも子供のような僕からは想像もつかない柔らかさ。吹けば飛ぶような僕を、たしかな存在感が抱きしめる。母性的なボリュームと瑞々しい弾力に包まれて、ダメだ、同い年の女子相手に、甘えたくなりそうになる。 「……ん、ちょっと、落ち着いた?」  硬直した小躯の力が抜けるのを感じたのだろう、高梨さんは手を緩める。 「……うん、ありがとう、……ございます」 「ふふ、私も、びっくりしちゃったよ」 「ごめん……」  そう言って、少女の腕の中から抜け出そうとする。抱きしめられたまま、胸に埋もれているなんてしていいことじゃない。怒られる前に離れないと……。  けれど、その腕は緩みもしなかった。  しっかり僕を抱きしめると、胸の中の僕を優しく見下ろすだけだ。 「……、高梨、っ、さん……!」 「ん、なあに?」  さえずるように囁く儚げ美少女。けれど、その力も体も僕には圧倒的。もしかして、この抵抗に気付いてすらいないんだろうか? そう思うほどに、彼女の抱擁は大きく重く奥深くって。 「もう、大丈夫、ッ、だから、……あのっ、離して……!」  僕は、呼吸さえ苦しくなってしまうのだ。  片や美少女は、一言。 「ふふ……♪ 可愛い……♪」  自分の谷間の中、上目遣いに自分を見つめる男子大学生を、彼女はどう見たのだろう。いかにも優しそうな彼女にとって、この小動物はいかなる対象なのか。嫌われたと思って絶望し、貧血を起こして小さな体を抱き留められる、驚くほど情けない生き物を。彼女の表情は変わらない。ぱっちりとした目で僕を見下ろし、聞こえなかったかのように優しげに見下ろしているだけだ。  けれど、不意にくすりと笑うと。 「じゃあ、また驚かせてみよっかな♪」  そう言って僕の手を取れば、高梨さんは。 「え? あ、ちょ……っ!?」  無理やり、僕を押し倒してしまう。 「……ぎゃっ?!」  すごい力だった。大学に入れば、直接力を振るわれることなどそうそうない。そんな忘れかけていた体験を、一気に思い出させる腕力差。大人の体格で押し倒されれば僕は無力で、声も出ないまま女の子に組み伏されてしまう。長椅子に腕を押し付けられ、はりつけにされる矮躯。それに覆いかぶさる、ベージュ髪の美少女。ふわりと綺麗なセミロングが舞い降りて、高梨さんの香りが僕を包み込む。目を白黒させる小人に彼女は、甘く笑って見せた。 「ふふっ、ドキッてした……?」  上から僕を覗き込み、クスクス笑う彼女は綺麗だった。うっすら化粧して大人びた美貌が、至近距離で僕を見つめている。いろんな少女が見せた表情、けれどそれより甘い含みのある優しい笑み。そんなのを見せられて、ドキドキしない訳がない。好きな女の子に押し倒されて、怯えさせられて。好意と性癖とわずかな肉体的恐怖がないまぜで、もう感じたことのないほど心臓が胸を叩いている。頭がおかしくなる。性癖を歪めたあの瞬間が、100倍になって再来した気分だ。 「昔もキミ、こんな風に押し倒されてたね……♪ あの顔、今でも覚えてるよ? ダメだよって言ったのに、またその顔、しちゃうんだ……♪」  耳元でハミングする高梨さん。 「怯えてるの、かわいい……♡ 弱くて小さくて、女の子にも抗えないおチビさん♪」  それから、内緒話をするように、 「でも、こういうのが好きなんでしょ?」  そう囁く高梨さんが、可愛くて、ゾクゾクさせて。  やっぱり僕、この人が好きなんだ。  この人が好きで、この人に狂わされて、こんなことになってしまったんだ。多分、十分後には僕は捨てられている。そして、やりきれない思いを抱えて、これから過ごしていくんだろう。  だから、せめて何か言っておきたかった。異常な状況の中、冷静な判断はもう付きそうにない。何か言わなきゃ。言い残さなきゃ。言葉を、探して、探して。 「……髪、切ったんだ、ね」  出てきたのは、結局ありきたりのことばだった。 「ん? うん。短い方が、いいかなって」 「似合ってるよ、すっごく」 「ありがと」 「綺麗、すごく。前よりもっと、綺麗になった」 「……キミ、もしかして、口説いてる?」 「ううん、ヤケクソなだけ」  力なく僕は笑う。きっとこれで終わり。もう、独りよがりな思い出でもよかった。 「ずっと好きだったんだ。あんなの見られたから、もうダメだから、最後に言っておきたかっただけ」  驚くのは、今度は高梨さんの番のようだった。ぱっちりとした目を見開いて、面食らったような顔をしている。  それから、ほほ笑むと、 「おっきな女の子、好き?」 「……僕から見たら、みんなそうだよ」 「そうじゃなくて、さっきみたいなの」 「……言わせないでよ」  赤面する僕の答えは、高梨さんを満足させたらしい。声を潜めて、僕の目を見ると、 「私もね、小さい子、好きなんだ……♪」 「……え?」 「キミの逆ってこと……♪」  そして、耳元に唇を寄せると。 「私、キミのこと、イジめたくなってきちゃった……♪」  あの澄んだ囁き声で、そう囁いたのだった。

次はキミが、ドキドキする番①

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