「ふっ、ん。ふぅっ、ん」
大柄な男が台に寝そべり、バーベルを挙げている。
俗に言う、『ベンチプレス』である。
「『ブラックバイセップス』様」
黒いタイツスーツの男が跪き、そう問い掛けた。
ガチャッ、ガチャン。
「何、だ」
『ブラックバイセップス』と呼ばれた男は変わらず、ベンチプレスを続ける。
「『ブラックマスキュラー』様が敗退しました。再起不能、とのこと」
『Bマスキュラー』は、『バルクピンク』こと桃尻小百合に抱き潰され。
生死の境を迷いつつも、『ブラックトレーニー』の科学力で一命を取り留めた。
いや、正確には一命を取り留めるのがやっと、と言った所か。
両腕と、胴体のありとあらゆる骨を砕かれ、最早まともに歩くことは叶わない。
「ふんっ。奴は我ら、四天王の中でも最弱」
タイヤと見紛うようなウェイトを積んだバーベルが、変わらず上下する。
それはまるで、部下たちに自分の力を誇示しているかのようだった。
「所詮、『ブラックトレーニー』幹部の面汚しよ」
『Bバイセップス』は仲間の顛末に対し、そう吐き捨てた。
悪の組織、『ブラックトレーニー』。
筋肉至上主義を標榜する、“筋肉が全て”な組織である。
正義の戦隊にあるような仲間意識などは、存在しない。
「では、如何致しましょう?」
「そうだな。『チェスト』か『アドミナル』、そのどちらを差し向けようか」
この『Bバイセップス』が四天王筆頭であり、司令塔なのであれば。
残るは二人。『ブラックチェスト』と『ブラックアドミナル』が居る。
「そんな悠長な事を言ってるから、『バルクレンジャー』如きにヤラれるのよ」
「あ~ん?」
いつの間にか、“大きな影”がベンチプレス台の傍に立っていた。
「・・・あっ、貴女様はっ!?」
「上司に向かって『あ~ん?』とは、随分と粋がってくれるじゃない」
その大きな影・・・女は、ベンチプレス台の下に右手を挿し入れた。
「あ、いえ・・・そんな事・・・うぉぁっ!?」
女は、右手をそのまま肩の高さまで持ち上げてしまう。
「う、っそだろ。バーベル・・・いや、ベンチ台ごと『バイセップス』様を・・・」
「す、凄ぇ・・・一体、何キロあるんだ」
出前の岡持か、はたまた喫茶店のホール担当が持つお盆か。
バーベル:310kg。※シャフト込み
ベンチプレス台:30kg。
『Bバイセップス』:185cm、144kg。
端数もろもろ締めて、584kg。
軽自動車にも匹敵する重さの物を、女は片手で持ち上げてしまった。
「お、お許しをっ。ぶ、『黒女帝(ブラッククイーン)』様っ!」
『黒女帝』と呼ばれた女は、冷たい眼で『Bバイセップス』を見ていた。
組織のナンバー2、『黒女帝(ブラッククイーン)』。
この場に居る者の中では最下層と思われる部下たちですら、一般人より逞しい。
そして、『Bバイセップス』はその部下たちよりも大柄で、更に逞しい。
しかし、『黒女帝』はその『Bバイセップス』よりも遥かに“巨大な”体躯をしていた。
2mを余裕で超える、超長身。身長の割に小顔なのか、モデルのような九頭身。
その全身を、黒紫(ダークパープル)を基調としたエナメル質系のタイツで覆っていた。
レオタードというよりは、どちらかというとライダースーツに近いだろうか。
「「・・・っ」」
跪いたままの部下たちは、つい生唾を飲み込んでしまう。
軽自動車ほどもある超高重量を事も無げに片腕で持ち上げてしまう、怪力。
軽く曲げているようにしか見えない二の腕には、部下たちの胸周りより大きい、力瘤。
そんな巨大筋肉ボディに備わるのは、2mもの『Kカップ』バスト。
厚みのあるスーツであるにも関わらず、身体中のありとあらゆる部位が膨らみ、盛り上がっていた。
まさしく“恵体”とも言うべき、恵まれた体躯を持つ筋肉巨女である。
「許す、とは?」
「ひぃっ、い・・・ぃっ」
『黒女帝』は、肩の高さから万歳するように腕を完全に上げ。
また、それを肩の高さまで下げ。また、同じように上げ。
「何が、どう悪いのかしら?」
「そ、そ・・・そっ」
『黒女帝』は話しながら、その動作を何度も繰り返す。
まるで、ダンベルカールでもするかのような気軽さだった。
ブンッ、ブンッ!
「それ、は・・・っ」
『Bバイセップス』は、2mの高さから3mの高さの間を。
高重量のバーベルを抱えたまま、何度も何度も強制上下運動。
ブンッ、ブゥンッ!
「う、おっ、わ・・・ぁっ」
310kgという高重量なバーベルは、気軽に扱える代物ではない。
普通のトレーニーどころか、『Bバイセップス』にとってもそれは同じだった。
『ブラックトレーニー』の中でも“比較的”、逞しい体躯を持ち。
“一般的”には、怪力と言って差し障りの無い『Bバイセップス』。
そんな『Bバイセップス』であっても、バーベルを我が身に落としでもすれば、無事では済まない。
「“その程度”のウェイトを抱えるのに精一杯なんて・・・」
ダンベル替わりにされ、質問に答えるどころではない『Bバイセップス』。
痺れを切らしたのか、『黒女帝』は右腕に力を籠めるよう、溜めを作る。
モリモリ、モリィッ!
「す、っげぇ・・・」
部下たちは、自分たちの顔よりも大きな130cm近い特大の力瘤を見て恐怖した。
『力瘤』の名を冠する『Bバイセップス』と比べてすら、大人と子供。
「少し、“ベッドの上”で自分を見つめ直して来なさいっ」
そう言い放ち、『黒女帝』右腕を真上に振り上げた。
ブォァッ!!
「う、お、わぁぁぁっ!!?」
ドッ、グッシャアァァンッ!!!
「「ひぃっ!?」」
余りの“衝撃”に、部下たちはその場でヘタリ込んでしまう。
「流石に、“これ”までは無理だったわね」
宙空から落ちて来たベンチプレス台を、右手でスチャッとキャッチ。
ベンチプレス台に載っていた筈の『Bバイセップス』は、そこには居なかった。
『Bバイセップス』はバーベルごと、“天井に突き刺さっていた”のだ。
「私もまだまだ、筋トレが足りないわね・・・」
手持ち無沙汰とでも言わんばかりに、右手に持った台を“捏ね廻し”て行く。
グギャ、グギャリ。
「ひ、ひぃっ!?」
鉄だろうが、プラスチックだろうが、お構いなし。
メギ、メギョギョッ。
「~~っ♪」
鼻歌交じりに、30kgのベンチプレス台が重量そのまま鉄球に変わり果てて行く。
「丁度良いわ。アナタたち、私の補助をしなさい」
ゴトッと鉄球をその辺に放り出すと、部下たちにそう命じた。
「「は、はいぃっ!」」
上司かどうか、以前に。逆らうどころか、逡巡しただけでも。
軽自動車に匹敵する腕力に、鉄を捏ね繰り回す握力。
その化け物じみた怪力が発揮されれば、次に天井に埋まるのは自分たちになる。
「“これ”、シャフトの反対側にセットなさい」
「「はいっ」」
『Bバイセップス』が挙げていたバーベルより、二回りは太いシャフト。
「んぐぐ、っと・・・」
部下たちは協力し合い、一枚ずつ『50kg』と刻印された円形のウェイトプレートを嵌めて行く。
『黒女帝』も部下たちだけにやらせる訳ではなく、反対側に同じプレートを嵌めている。
「う、重っ・・・はぁ、はぁ」
『50kg』という重量は、ほぼ成人女性一人分である。
そんな超重量プレートを、部下たちは六枚もセットする羽目になった。
「ホント、情けないわね」
一方の『黒女帝』は、ものの数秒でセットし終わり、冷めた目線で見下ろしていた。
「はぁ、はぁっ・・・」
「お、終わりました・・・っ」
部下たちは二人掛かりなのに、『黒女帝』の倍の時間を掛けて漸く、セットし終えた。
「「・・・・・っ」」
自分たちの手の大きさでは掴み切れないような極太のシャフトが、ダランと撓(しな)っている。
片側に七枚、両方合わせて十四枚のバーベルウェイト。
シャフト込みで実に、『730kg』もの超々高重量のバーベルが完成。
「さて、と」
『黒女帝』は自身の巨体を何とかベンチプレス台に滑らせると、おもむろにシャフトを掴む。
巨体に見合う大きな両手は、極太のシャフトをぐるりと掴み。
「ふぅ、っん」
薄く紅が塗られた口を小さく開き、息を吐きながら持ち上げる。
「うぉ・・・」
「す、っご」
部下たちはつい、感嘆の声を漏らしてしまう。
『Bバイセップス』が挙げていた『310kg』ですら、自分たちでは厳しい。
目の前で寝そべる筋肉巨女は、その倍以上のウェイトを挙げているのだ。
「何、驚いてるの」
「・・・え?」
ブゥン、ブゥンッとリズミカルにバーベルを上下させつつ、『黒女帝』は部下を見遣る。
「アナタたちも、“このぐらい”挙げられないと伸し上がって行けないわよ」
「この・・・ぐらい?」
『730kg』ものバーベルは余りに現実感が無さ過ぎて、自分たちが挙げるという想像が付かない。
もし、このバーベルが『黒女帝』一人でセットした物であれば、重量の数値の方を疑っただろう。
しかし、確かに自分たちは、『50kg』のウェイトをセットした。しかも、七枚も・・・だ。
むしろ、それをわからせる為に自分たちにセットさせたのでは、と思うぐらい。
「そ、そんなっ。自分たちには無・・・」
「お、おい。お前・・・っ」
部下の片方が、もう一人の発言を咎めるより早く、バーベルが宙空で停止していた。
『730kg』のバーベルを宙空でビタッと停止させる膂力よりも。
『黒女帝』の視線の冷徹さが、二人を震え上がらせた。
それはまるで、『Bバイセップス』を見下した冷たい“それ”と同じだった。
「あん? 何を・・・。・・・・・っ!?」
一瞬、目線を切っただけなのに。いつの間にか、『黒女帝』が目の前に立っていたのだ。
もう一人の部下は、それが瞬間移動などでは無い事は、一部始終見ていた。
『730kg』もの超々高重量バーベルを、音も立てずラックに戻し。
流れるような所作で、スッと立ち上がっただけだった。
2m超えの身長で、300kg近い体重とは思えない、流れるような動作。
純粋なパワーも然る事ながら、身体の使い方も幹部らしい凄さを備えていた。
「何故、私が『Bバイセップス』を“かわいがった”のか、わかってないようね」
「い、いえ・・・そんなこと、うごぉっ!」
その部下は、両サイドから『黒女帝』の二の腕に挟まれ、固定されていた。
正確には、『黒女帝』が両腕を内向きに曲げる事で、力瘤を盛り上げただけなのだった。
『マスキュラーポーズ』の腕だけを上げたバージョンとでも言おうか。
「う、がぁ、ぁ・・・っ」
メキメキ、メギ・・・と、部下の両腕が軋む。
エナメルの生地越しですら、血管の浮き上がりがハッキリとわかる上腕二頭筋。
腕を曲げる動作の性質上、小さくなっている筈の上腕三頭筋ですら、部下たちの頭より大きい。
ウォーミングアップを終えてパンプアップした力瘤は、既に130cmを超えた。
自分の胸周りより大きな筋肉に挟まれた状態は、正にプレス機に掛けられる鉄屑も同然だった。
「筋肉を鍛えて、ちゃんと使えば。“こんな事”も出来るのよ」
「う、ご、あ・・・ぁ、っ」
メキメキ・・・ミシ、ミシシッ
力瘤でプレスされたまま、部下の身体がどんどん宙に浮いて行く。
『黒女帝』は単に、内側に曲げた腕を上方向に上げて行っているだけなのだが。
繰り返すが、部下たちはこれでも一般のトレーニーより逞しい。
そんな部下たちですら、『黒女帝』にとってはウェイト以下の存在なのだ。
ボギャッ。
「~~っ!!」
『力瘤プレス』を喰らった状態で、部下はカクンと首を垂れていた。
泡を吹いているので死んだ訳ではないものの、無事では済まず。
「あら、もう終わり?」
『黒女帝』が両腕を開放すると、部下はその場にドサッと崩れ落ちた。
残った部下が介抱しようと近付く。
「う、腕が・・・っ!?」
部下の両腕は、腰に埋没していた。
前腕部分が圧し潰され、平べったくなった為なのか。
それとも、腰骨が砕けて、空いたスペースに前腕が埋まってしまったのか。
どちらにしても、『黒女帝』の力瘤のパワーだけで、鍛えた男の身体は破壊されてしまった。
「ホント、もの足りないわぁ・・・」
盛り上げ足りないとでも言わんばかりに、『黒女帝』は肩の高さで右腕を折り曲げる。
ミチミチ・・・ビリッ、ビリビリッ!
「あら、嫌だわ・・・」
「そんな、スーツが・・・」
『130cm』もの超特大の力瘤が遂には袖を突き破り、肌が露わになる。
『ブラックトレーニー』の幹部が纏うスーツは、科学力の粋を結集した特別製である。
防弾、防刃、防火・・・等々。裏地だから破れ易い・・・なんて事は当然、有り得ない。
「科学部に、もっと頑丈なのを作るよう言わないと」
「・・・・・」
部下は、貴女の力瘤を抑え付けられる生地は存在しないのでは、と思うも口にはしなかった。
「・・・何? 何か言いたそうね」
「い、いえ! とんでもございませんっ」
部下はつい、敬礼をしてしまう。
「力は・・・筋肉は、その力を振るって初めて、意味があるのよ」
『Bマスキュラー』が敗退するなど、本来はあってはならない事。
にも関わらず、『Bバイセップス』は悠長に構えて、自分から出向こうとしなかった。
「しかし、それは・・・」
部下は、『バルクピンク』についての報告を話した。
相手が女だからと、『Bマスキュラー』が油断した結果、敗退してしまった。
でなければ、『ブラックトレーニー』の幹部が女などに負ける筈がない、と。
「それで? 四天王筆頭の自分が出るまでもない・・・と?」
「ひぃっ! い、いえ、そんなことは・・・」
部下は、『Bバイセップス』の行動をそのまま伝えただけ、である。
「油断がどうとか、相手が女だとか。我らが負けるとすれば、理由は一つよ」
『黒女帝』は袖が無事な左腕を折り曲げ、ビリリィッと一気に破いてしまう。
「筋トレが足りない、のよ」
「お、仰る通りですっ!」
強靭なスーツをいとも簡単に破いてしまう特大の力瘤を再び見せられ。
部下は、いつそれが自分に振るわれるか、気が気ではない。
「良いわ、私が出ましょう」
『黒女帝』は、『バルクピンク』に興味が沸いていた。
「ふふ、楽しませてくれると良いけど・・・」
少なくとも、目の前の“貧弱”な部下たちよりは期待出来る。
『黒女帝』は、不思議とそう感じていたのだった。