「「おはようございます」」
「あら、おはよう。そっか、夏休みですものね」
僕たちは、早朝から『プラチナジム』に顔を出していた。
相変わらずジム内で一番逞しい、保志さんが出迎えてくれる。
夏休みに入って、早々。
僕は、真理奈に強引に連れ出され、ジムに行く羽目になった。
結局、正式会員になって月謝を払うことになり。
僕たち二人は、ジム通いを継続することになった。
『健太君、真理奈を宜しく頼むよ』
真理奈の両親から、そう頼み込まれてしまった。
恐らく、真理奈は僕をダシに使ったんだろう。
とは言え、僕の分の月謝も出すから、と言われてしまい。
断るのも忍びなかったので今に至る、という訳だ。
「ふわぁ、まだ眠いよ」
「朝イチの方が空いてるんだから、仕方ないじゃん」
学生としては夏休みだけど、曜日としてはド平日。
なので、営業開始したばかりの早朝のジム内は閑散としていた。
「じゃあ、僕はこっちで・・・」
初心者コーナーに向かおうと、僕は真理奈に背を向ける。
「だーめ」
「うぉっ!?」
僕の左脇腹辺りから、ニュッと腕が生えて来る。
勿論、それは真理奈の極太の剛腕だった。
「健ちゃん、今日はこっち」
真理奈の左腕が僕の胸元を渡り、手で僕の右脇腹をガッチリとキャッチ。
「なんっ・・・で」
「折角二人で来てるんだし、別々にやることないじゃん」
ふよん・・・むにゅっ、という柔らかな感触。
僕の背中に、タンクトップ越しの真理奈の『Hカップ』爆乳が。
「ちょ、背中に当たっ・・・」
「当ててんのよ」
一度は言ってみたかったとばかりに、真理奈は決め台詞を吐いた。
「ふふっ、仲が良いですね♪」
「保志さん、見てないで助けて下さいよぉ」
僕はふふっ、と微笑みつつ離れた位置で作業している保志さんに助けを求めた。
「ちょ、真理奈。放し・・・っ」
「抜け出せるなら抜け出しても良いよぉ? ふふっ♪」
絶妙な力加減が効いているのか、僕は全く身体を動かせなかった。
両腕が自由であるにも関わらず、だ。
真理奈の腕力は、片腕だけで『500kg』を超える。
一方で、僕の体重は高校生男子の全国平均を下回る『50kg』程度。
真理奈は、その超筋力の内、たったの一割も発揮していない。
僕がどう抵抗したところで、抜け出せる筈がなかった。
「でも、トレーナーのサポートなしで『Hルーム』はダメなんじゃ」
ハイクラス専用ルーム・・・だと長ったらしいので、略して『Hルーム』。
常連さんの中には『H部屋』って言う人も居るけど、それだと卑猥過ぎる。
「ふふーん♪」
真理奈は僕の目の前に、『☆☆☆☆☆』という印の付いた名札を見せ付けた。
顔そのものは見えないけど、間違いなくドヤ顔をしている筈。
「それ、って・・・」
「ええ。紅世さんはもう、熟練トレーニーの仲間入りですよ」
『Hルーム』使用に辺り、ジム内でのローカルルールがある。
『プラチナジム』は経験者を細かく、次のようにランク分けしていて。
ブロンズ:☆
シルバー:☆☆
ゴールド:☆☆☆
プラチナ:☆☆☆☆
Hクラス:☆☆☆☆☆
『プラチナ』以下の場合、必ずジムトレーナーのサポートが必要となる。
五つ星になって初めて、トレーニー単独で『Hルーム』使用が許されるのだ。
「真理奈、いつの間に」
「どう、凄いでしょっ」
ジム通いを始めてからも、僕はせいぜい月に二、三回程度だったのが。
真理奈はひょっとして、僕の倍以上は通ったんじゃないだろうか。
「後で手が空いたら、様子を見に行きますよ」
「お待ちしてま・・・うぉっ!?」
保志さんに挨拶し終わらない内に、僕は強引に『Hルーム』に連行された。
「やったぁ♪ 貸し切りだ」
平日早朝の『Hルーム』は、見事に誰も居なかった。
「僕は、何をすれば良いの?」
初心者トレーニーも良い所な僕に、『Hルーム』でやれる事なんてあるんだろうか。
「健ちゃんなりのウェイトで良いから、一緒にやろ」
真理奈曰く、僕と一緒にトレすれば身が入る、とのこと。
更に、僕の補助をすることで勉強になるし、とも。
「うん、わかった」
確かに、今なら周りに誰も居ないので、多少の事でも迷惑にならない。
折角一緒に来たんだし、二人揃ってトレするのも悪くないのかも。
「じゃあ・・・」
僕は、手近にある『5kg』のダンベルを手に取った。
本当は『2kg』ぐらいのが欲しかったけど、『Hルーム』には置かれていないのだ。
「・・・すぅっ」
僕は、息を吸いながらダンベルを挙げ。
「・・・はぁっ」
今度は、下げながら息を吐いた。
「ん~。健ちゃん、逆かも」
「・・・へ。逆、って?」
見ててね、と真理奈は自分用のバーベルを手に取って。
「・・・はあぁっ」
僕にわかるように、少し大袈裟に息を吐きながらバーベルを挙げ。
「・・・・・」
「・・・?」
腕を曲げてバーベルが頂点に達した辺りで、真理奈はピタッと腕を停止。
「・・・すうぅっ」
そして、数秒経った辺りで再び息を大きく吸って。
空になった肺に空気を詰めながら、バーベルを下げた。
「これが、ダンベルカールの1セットだよ」
「なる、ほど・・・?」
正直、筋トレ素人の僕には、違いが良くわからなかった。
【1】筋肉を収縮させる時に、息を吐く。
【2】筋肉を収縮させた状態で2秒ほど、体勢を維持する。
【3】筋肉を伸長させる時に、息を吸う。
真理奈が言うには、この三つが筋トレにおける基本らしく。
僕は【1】で息を吸って、【3】で息を吐いていたらしい。
「そう、だったんだ」
「だから、ね。一緒に、やろ?」
真理奈は思ってた以上に、真剣に筋トレに取り組んでいたようで。
僕と一緒にやりたい、というのも真面目な理由からだった。
「はぁっ」「はあっ」
「すぅっ」「すうっ」
僕は真理奈に倣って、同じタイミングでダンベルを挙げ下げ。
慣れない呼吸法が覚束(おぼつか)ないのは、ご愛嬌。
「どう、良い感じでしょ?」
「うん。何か、“効いて”来た感覚・・・」
何だろう。筋肉に正しく、負荷が掛かった感触がある。
「十回ぐらいやったら、休憩入れてね」
「あ、うん」
【1】~【3】を1セットとして、それを十回ほど反復させたら。
一分間ほどのインターバルを入れるのがセオリー、とのこと。
「あれ? 真理奈は休憩入れないの?」
「うん、私のはウォーミングアップだから」
そう言いながら、リズミカルにバーベルが上下する。
「ウォーミング、アップ・・・」
直訳すれば、『暖機運転』。いわゆる、身体を暖める行為。
「それ・・・何キロ、あるの?」
バーベルのウェイトには『50』と書かれている。
恐らく、一枚辺りのウェイトプレートとしては、最大重量なのだろう。
「ん~。『200kg』、かな?」
ひぃふぅみぃ、と数えてみたら確かに、左右に二枚ずつ。
合計で四枚のウェイトプレートが、バーベルには搭載されている。
「にひゃく、って・・・」
僕が扱っているダンベルの、実に百倍のウェイト。
そんな高重量のバーベルを、真理奈は事も無げに“片手”で挙げている。
「辛く、ないの?」
確かに、体験入会の時も挙げてはいたけれども。
改めて、自分と比較して見てしまうと、筋力差をまざまざと感じる。
「保志さんも、このぐらいはサクッと挙げちゃうよ」
「そう、なんだ・・・」
このジムでは、それが普通なんだろうか。
それとも、真理奈と保志さんの二人だけが【特別】・・・なんだろうか?
「ひょっとして・・・」
実は、ウェイトプレートは見た目ほどの重さは無くて。
数百キロなんて重さは嘘なんじゃないか、なんて思ってみたり。
「・・・ん?」
真理奈がバーベルを挙げる度にグワン、グワンとシャフトが撓(たわ)んでいた。
真理奈には余裕の重さでも、鉄のシャフトバーにとってはそうでもないらしい。
「・・・あ、いや。ウェイト、増やしたんだ?」
「うん。今は『300』、かな」
それは勿論、『300kg』って意味で。
「ほんとは、ねぇ。『100』のプレートとか、あると良いんだけど」
それって、一枚のウェイトプレートが『100kg』ってことなんだろうか。
「そんな重いの、真理奈と保志さんしか扱えないよ」
「えー、そうかなぁ」
これだけは面倒なんだよねぇ、と真理奈は更にウェイトを足していた。
「ちょ、それ・・・」
「うん、『400』」
よ、よんひゃく・・・。『50kg』のプレートが左右の合計で、八枚。
何度も、同じようにしか例えようがないんだけど。
大型トラックのタイヤと見紛う大きく太いウェイトが載った、特大バーベルが。
「ん、っしょ」
高一女子の、真理奈の右腕一本でリズミカルに上下する。
グモモッ。
「ん、しょ」
モゴゴォッ、と上下動に合わせて、上腕二頭筋がこれでもかと盛り上がる。
「いつも、そんな重いのでやってるの?」
「そ、だね。限界攻めるなら『500』だけど・・・」
真理奈にとっての適正重量が、『400kg』ということらしい。
【腕輪】の計測値は、片腕一本で『532kg』だった。
今となっては、その数値はかなり正確なんじゃないかと思えて来る。
「ふふ、ん♪」
「・・・ん?」
何だろう。真理奈が含み笑いをしながら、バーベルをラックに置いて。
「んぅっ」
暖まった、とばかりに右腕を肩の高さで折り曲げた。
モリモリ・・・モリィッ、モゴォッ!!
「す、っご・・・」
「どう?」
身長差のある真理奈が、僕を見下ろすようにドヤ顔。
「まさか・・・」
「そ、だよ♪ 大っきくなった」
少し前の体育授業で、何度か真理奈の上腕とバレーボールを比べて見ていた。
その時は確か、バレーボールと同じぐらいだった・・・筈。
「『70cm』になったよ」
「な、ななじゅう!?」
真理奈の自己申告は恐らく、【腕輪】に確認した数値だろう。
今はパンプアップしているので、『70cm』を大きく超えていると思う。
バレーボールの大きさを飛び越え、遂には『ボウリング球(69cm)』大にまで到達。
因みに、僕のウェストは身体測定時で『68cm』だった事を付け加えておく。
「筋トレの効果、ちゃんと出てるみたい」
【腕輪】の計測値である所の最大筋力も、『561kg』まで更新されたらしい。
「太腿も、凄いんだよ?」
そう言って、真理奈はレッグプレスマシンに寝そべり。
両脚で何と、『1500kg』という途方もない重量を繰り返し挙げた。
「どう、触ってみる?」
「良い、の?」
女の子から、『太腿に触って良い』なんて言って貰えるシチュエーション。
そんな状況への興奮を感じる以前に、僕は真理奈の太腿の太さに圧倒されていた。
「す、っご・・・って。今日、これしか言ってない気がする」
「『90cm』になっちゃった」
僕の太腿が『48cm』なので、ほぼ両脚分といって過言ではない。
真理奈の片脚一本で、僕の両脚の筋量が賄えてしまうのだ。
「二人とも、どうですか?」
手仕事を終えたのか、保志さんが『Hルーム』に入って来た。
「いや、もう。圧倒されるばかりで・・・」
「ふふっ。紅世さん、凄いでしょう」
真理奈の超絶筋力に、何故か保志さんも得意気だった。
「本来なら、この重量はベンチプレスで挙げるレベルなので」
上半身全体の筋肉を使って、両腕でやっと挙がるかどうか。
『400kg』という超重量は、それだけのウェイトなのだ。
「このジムって、他には居るんですか?」
真理奈以外で。これだけの超重量を扱える人は、他に居るんだろうか。
「・・・うーん。居ない、ですね」
保志さんは、そう断言した。
「ただ、そう・・・ですね」
保志さんは何処か思案顔で、ラックに置かれた“バーベル”に手を置く。
「私を除けば、ですが」
「「っ!?」」
保志さんは、“そのバーベル”を右手で掴み上げ。
「んっ、ふぅ。んっ、ふぅ」
右腕一本で何度も、何度も反復して挙げ下げした。
真理奈が扱ったウェイトそのままの『400kg』の超重量バーベルを、だ。
何処か、“予感”めいたモノはあった。
真理奈の高重量トレを補助していて、全く息を切らさない。
真理奈より大きな、筋肉隆々の女性。
「保志さん。貴女、何者なんですか」
「私、ですか? 街のジムのトレーナー兼、インストラクターですよ」
この『プラチナジム』で、トレーニー相手の指導や補助が仕事。
「・・・なんですが。実は、こういう“片書き”も持っています」
保志さんは、ウェストポーチから『ICカード』を取り出した。
社員証、もしくは入館証のようなモノ、だろうか。
「研究調査員・・・」
高校生の僕たちには、聞き慣れない単語ばかり。
体験入会の時に、真理奈について問い掛けた時の事を思い出していた。
『私は医者ではないので、大したことは言えない』
『人間の身体は、まだまだ解明されてないことも多い』
こうして思い返すと、一般論としての回答としては“理解が良過ぎる”気がする。
他の筋トレ経験者に、真理奈について同じ質問をしたとして。
果たして、同じ回答が得られるだろうか。
「近い内に、“こちら”にお越し頂いても良いかも知れませんね」
そう言って、保志さんは意味あり気に微笑んだ。