SamSuka
mitsumichi
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見えないベクトル / 短編

 音を遮断し携帯をいじる彼は、僕に気づくとイヤホンを取り外した。そこから漏れるどこかで聞いたことがあるようなないような、彼の好きそうなアップテンポの曲は、今からの話には不釣り合いなBGMだった。 「また別れたの」 「おまえに関係ないだろ」 「まだ一ヶ月も経ってないのに」  わざとらしい溜息とともに、彼は携帯を閉じて机に放り投げた。 「気が合わなかったんだよ。それがわかった以上、付き合い続けたって意味ねえじゃん」 「ひとのこと、本気で好きになったことないんだね」 「きめえ」  机に頬杖をつき、気だるげな視線をこちらに投げかける。 「そういうことマジな顔で言うとか、ねえよ」  ポエマーにでもなんの、と問う彼の安い笑みはもう見飽きた。 「寂しくないの、こんなことばっかりして」 「お前には関係ないだろ」 「かわいそうなんだよ」 「同情すんの、おれに」 「ちがうよ、きみと付き合った子が可哀想なんだ」  その言葉に、ぴくりと彼の指先が反応した。 「彼女、泣いてたよ」  一瞬、彼が目を丸くする。瞬きの後にはその表情は消えていたが、発した言葉の語尾は不自然に高かった。 「は、なんでお前がそんなこと知ってんだよ」 「彼女が僕のところにきたんだ」  がたっと大げさな音ともに彼の頬杖が崩れた。頬をすべった手のひらは握り拳になり、今度は驚愕の表情を隠すこともせず、揺れる瞳が僕を捉えた。 「お前のところに?」 「そう、そのときにはもう目が真っ赤だった」 「なんであいつがお前の家を知ってんだ」 「僕ら元々友達だよ、サークルが一緒で」 「やったのか」  なんて不躾な質問だ。眉をひそめる僕に、彼は気づかず詰め寄った。 「してないよ、君ねえ」 「でも泊まったんだろ、アイツ」 「……彼女は少し酔ってたし、もう夜も遅かった」 「ううわ、確信犯だよ」  彼女は泣いていた。あのクソ野郎、と唐突に別れを切り出してきた男を本気で罵りながら、しかし好きだったんだと、別れた今でもどうしたって好きなままなんだと細い肩を震わせた。 「そういう言い方やめろよ。きみにはわからないだろうけど、好きなひとに拒絶されるのってつらいんだよ。お酒に走りたくなったり、誰かを頼って相談したくもなるんだ。自分のこと好きでいてくれるひとを、無下に扱うなよ」  思わず声を張り上げると、彼は途端におろおろと様子を変えた。 「な、なに怒ってんだよ」 「怒るに決まってるだろ」 「意味わかんねえ、なんだよお前、あいつのこと好きなのか」 「だれがそんな話をしたんだ。きみって本当に」  だめだ話にならない。自分がめずらしく興奮してしまっているのも、彼がそれに戸惑っているのもわかった。一旦時間を置くべきだ、と背を向け足を進めると、彼が立ち上がり僕の腕を掴んだ。首にかけられたイヤホンが落ちるも、彼は気にしない。 「おい、待てよ。怒んなよ、謝るから」 「僕に謝ってどうするの」 「わかった、ならまたあいつと付き合えばいいんだろ?」  呆れた。  掴まれた手を振り払う。後ろからかけられる声も聞こえないふりをして歩き続ける。このまま去ってしまおうと思ったのに、待ての声が震えるのが聞こえてしまい、ぎょっとして振り返った。 「なに泣いてんの」 「泣いてねえし」 「泣きそうだ」  慌てて駆け寄り彼の頬に触れると「触んじゃねえよ」とかぶりを振られた。 「なんだよ。女のことばっか庇いやがって、おれだけ悪者かよ。お前、いっつもそうだ。誰にでもへらへら優しくするくせに、俺にだけはひどく当たる。扱いも雑で、ずっとそっけない。おれは馬鹿だから、お前がおれに気を許しているのか、ただ単に嫌っているのかがわからない」  高ぶった気持ちを落ちつかせるように、彼は震える熱い吐息を飲み込んだが、 「人のこと好きになったことないとか、俺にはわかんないとか、決めつけてんじゃねえよ。なんにも知らねえくせに。おれだって、おれだってな、まじで、もう、くそ」  ぎりぎりのところを表面張力で保っていた涙はついにこぼれ落ち、ポロポロと赤い頬を流れていく。 「自分のこと好きでいてくれるやつを、無下に扱うなよ」  都合がいいと叱るべきか、不器用すぎると涙を拭ってやるべきか。


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