SS 俺いも 五更瑠璃 推理物は時々挑みたくなるジャンル
「創作をやっている者にとっては、推理物は時々挑みたくなるジャンルなのよねえ」
5月末の某日夜の高坂家の若夫婦の寝室。高坂瑠璃は依頼を受けて制作中の合同誌原稿を描く手を止めて大きく息を吐き出した。
「俺でも推理小説を書いてみたいという欲求に駆られることはあるから分からないでもないが。推理物はトリックを考えたり、そこに至る伏線を準備したりと普通の漫画より大変なんじゃないのか?」
「大変よ。それも、凄く大変。でも、だからこそ挑んでみたくもなるのが創作者の魂というものでしょう」
瑠璃は目下のデジタル原稿を見た。
「今描いているのは総4ページのミニ原稿だから、本格的な推理物なんて展開できない。ヴィジュアル重視で、事件は容疑者の言葉尻から矛盾を指摘して解決するのが精々だわ」
瑠璃が描き夫である京介がアシスタントをしているのは推理ジャンルの合同誌だった。
彼女が描いているのは、名探偵カトリーエイル・瑠璃がご近所のちょっとした謎を解いていくコメディー色の強い事件簿。ページに余裕がないので最初から探偵と犯人が対話しており、犯人の言葉の矛盾を突いて事件を解決する1ページ漫画が4本だった。
「なら、もし依頼が4ページでなくて、連載漫画並みに16ページとかそれ以上だったらどういう話にしてたんだ?」
京介からの疑問に瑠璃は目を瞑って考えてみせた。
「…………正直、分からないわね。探偵役の演出を派手にするのはすぐに思い付くのだけど。トリックは思い付かないし、思い付いたとしてもドラマと込みで20ページそこらの原稿に纏められる気はしないわ」
瑠璃の頭の中で、探偵役の自分はカトリーエイルよりも派手な恰好と小道具を持っていた。同じ声仲間の宝生麗子を意識したものだった。もっとも、本物のお嬢さまは警察官として活動している時にはひたすら地味にしているのでドレス姿で事件に関わったりはしないのだが。
「結局、犯人の言葉尻から矛盾を感じて……1ページ漫画の拡大版になりそうな気はするわね」
大きなため息を吐いた。
推理物における犯人のトリックはひな形。それが読者に受け入れられるか否かは作品の評価を決定的に変えてしまう。だが、それを考えるのは難しい。専門知識は必須であり、それが現実的にあり得るのかも読者の審査基準に大きく響く。
同人活動歴の長い瑠璃は、推理ジャンルに挑んでは壮大で込み入った物語を作ろうとして構想が練れず、或いは表現力不足で敗れ散っていった者たちを何人も見ていた。
「トリックをAIに考えてもらったらどうだ?」
「問題をきちんと設定して問いを投げ掛ければちゃんとしたトリックを瞬時に考えてくれる。そういう時代になると思うわ」
「推理物に知識も閃きも要らない時代か……」
「推理物だけじゃない。漫画全般のストーリーも作画もAIが全部やってくれる時代がもうすぐやって来るわ」
「人間様自体が創作に不要ってわけか」
「人間は創作のどこに自分の価値を、居場所を見出すのか。考えないといけない面倒な時代だわ」
瑠璃は大きなため息をもう一度吐いてみせた。
「創作をする者にとって目下の悩みは、AI作画が大量発生したことによる原稿料の駄々下がりでしょうけどね…………この依頼料、過去の時間軸の時の3割引きだもの」
瑠璃は過去の時間軸の同じ依頼を思い出しながら目を細めてみせた。
AI絵が幾ら普及しようと、創作者の創作活動には影響がない。本来ならその通りだが、実際にはそうはならない。
創作を長年やっている者は創作活動を通じて大なり小なり収入を得ている。創作活動を続けるには絵描き道具やソフトなど金銭がどうしても掛かる。それを補うだけでもそこそこの定期的収入は必要となる。プロとなり生活費を稼ぐとなればもっと多額の収入がなければ創作活動を続けることができない。
ところがAI絵の場合、描写の為の強力なパソコンマシン、そしてAI作画の為のライセンス料さえ支払えれば、後は無尽蔵に、しかも瞬時に制作が可能となる。
創作者とAIでは作画に関して相性が悪すぎる。そして、人間の方が圧倒的に不利な立場にある。
人間が今後とも創作活動を続けていく為に一定以上の時間と報酬を必要とする。一方でAIには幾らでもタダ働きさせられる。
両者がせめぎ合う結果、創作者の報酬はAI絵の影響を受けて下がることを余儀なくされる。無料で意のままに、しかも即日で作画してくれるのなら多くの依頼人はわざわざ時間とお金を多く要する創作者に頼まない。逆に創作者から見れば、受注する為には報酬を下げて受け易くするしかない。だが、その下げ幅が大きくなり過ぎると創作活動を続けること自体が困難となり、結果廃業となってしまう。実際、pixivではAI絵の普及以降、多くのイラストレーターが創作活動を辞めてしまっていた。
「創作である程度稼ごうとするのなら。これからは文章力や作画能力よりも沙織の様な総合プロデュース力が必要となるのでしょうね」
瑠璃は前の時間軸で、エロゲーの会社を立ち上げて高坂夫妻や桐乃たちを社員として雇っていた沙織のことを思い出したのだった。
「まあ、創作活動の報酬で困ったら沙織に泣きつけば良いさ。どうにかしてくれるって♪」
京介はサムズアップしてみせた。
「他力本願も良い所なのに……絶妙な解決策を提示してくるのは流石ね」
瑠璃は苦笑して、それから原稿に戻った。
「今日はここまでにしようかしら」
原稿を9割がた仕上げた時点で瑠璃は本日の執筆終了を宣言した。
後は細かい修正作業だけだが、これに凝り出すといつまでも終わらない。
締め切りまではまだ余裕があるので敢えて作業を止めることを選んだのだった。
「さあ、京介。一緒にお風呂に入りましょう」
「おっ、おうっ」
「次の原稿の構想を練るわよ」
「まだ、今の原稿も完成していないのにか?」
「完成前だからこそでしょ」
京介は首を捻りながら浴室へと向かう瑠璃について行った。
瑠璃の考え方は一見合理性を欠く。けれど、創作欲求を強く胸に抱いている創作者としては当たり前のことでもあった。
作品が完成した瞬間には次の作品に取り掛かり始める。創作好きな者にとってはすんなりと理解でき、そうでない者には狂気の沙汰に思える思考様式。誰にも読んでもらえない中二病作品を手掛けていた頃から瑠璃は創作が好きで好きで仕方なかった。
「青春学園モノの4ページで依頼は一つ来ているのだけれど……短いページでどう仕上げようかしら?」
今の原稿の仕上げはまだ終わっていないが、入浴中の瑠璃の頭は次回作構想でいっぱいだった。円滑な次回作制作開始の為には入浴中や睡眠前の構想練りが最も大事だった。
「美少女JKのお色気。俺が見たいぜ♪」
京介はサムズアップしながら己の欲望を素直に語ってみせた。
「貴方は本当にオスの欲望に忠実だわね。でも、そうね。全年齢向けの同人誌でお色気でギリギリまで攻めてみるのも面白いかもしれないわね」
中学生時代の自分だったら絶対に口にしない台詞を瑠璃は述べてみせた。
自分の満足だけを追求する作風から、自分と人の両方の満足を追求するスタイルへの変更。そして、人妻になったことで性的な事柄への免疫が付きまくったという変化。
「部屋に戻ったら……下着姿で際どいポーズを取って次回作のサンプリングにしようかしら」
「それは素晴らしいな……まあ、お色気JKを語るには胸が貧しいかもだけれどな」
「一言余計よ」
瑠璃は頬を膨らませて怒ったポーズを取りながら、どんなポーズを取ろうか頭の中で構想を練り始めるのだった。