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アプリの対価は…【case:柚葉】

 私の名前は柚葉(ゆずは)。


 待ちに待った瞬間とは、突然にやって来るものである。


 私は、友人の渚にファミレスへと呼び出されてスマホを見せられた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 『 “ The Mission(ミッション)” 』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ただそんな文字が、画面いっぱいに表示されていただけである。

 それなのに、私の心拍は急激に上昇していた。


 私は “これが何かを知っている” 。

 ずっと探していたのに見つからず、噂話だと諦めかけていた “アプリ” だ。

 すぐに渚から招待して貰い、アプリをインストールした。


 この日、私は遂に “例” のアプリを手に入れたのだった。


ーーーーー


 私の家は、とても貧しい。

 私が中学に上がった時、母は病気で倒れて入院した。

 それから少しして父は家を出て行き、最初こそお金を送ってきたものの、それも次第に途絶えて、今ではどこに居るかも分からない。

 だから私はバイトをし、自分の生活費と母の医療費を稼いで暮らしている。


 正直なことを言うと、高校進学はお金がないからする気も無かったのだが、このままの生活を続けていてもどこかで限界が来ると先生に言われ、その時に中卒だと困るから高校には行っておけと勧められたのだ。

 幸いなことに奨学金を受けられ、高校生活を送っているわけだが、日に日に家計は悪化の一途を辿り、何か解決方法を見つけなければバイトを増やすために、いずれ高校を辞めるしかない状況だった。


 そんな時のことである。

 私は『The Mission』と言うアプリが存在することを知った。

 それは名前の通り、アプリから提示される “ミッション” をこなすことで報酬……つまり、お金が貰えるというものだった。

 しかもミッションの内容は簡単で、支払われる金額は高額という噂つき。


 私は血眼になってネットを漁り、情報を仕入れ、アプリを探した。

 けれどもアプリは手に入らず、分かったことと言えば、“完全招待制” で限られた一部の人しか持っていないということだけだった。

 なので渚がそれを見せて来た時には、驚きと歓喜が入り混じって大変だった。


 家に帰った私は、さっそく『The Mission』を起動し、ミッションを受けた。

 ほんの軽い気持ちで、しっかりと地面に足がつく程度の浅くきれいな池で遊んでいるつもりだったのに……あの日以来、私はいつしか底なし沼に足を踏み入れ、身動きが取れないほどにどっぷりとハマっていたのだ。


ーーーーー


ポロンッ♪


〈 あなただけが受けられる “特別なミッション” が解放されました 〉


「…ふ〜ん、特別なミッションか……」


 柚葉は体を横にしながらぼーっと通知に目をやるが、次の内容を見て飛び跳ねるように起き上がった。


〈 成功報酬は 1,000,000円 です 〉


「うそっ!? 100万っ!!! …通貨がジンバブエドルってオチでもないよね、円って書いてあるし……」


〈 内容は、現地にてお伝え致します 〉


「…う、でも、さすがに怪しすぎる……所謂 “闇バイト” ってやつでしょ、これ」


 犯罪に手を染めるのは “良心が痛む” ようで、数日の無視を決め込んだ柚葉だったが…。


ポロンッ♪


〈 成功報酬が 2,000,000円 に変更されました 〉

〈 なお、特別ミッションの受注は “本日まで” となります 〉


「…に、200万……これがあれば、他のバイトを辞められる……それに最近お母さんの容体も良くなくて、前より薬代もかかるようになったし……(ごくり)」


 背に腹は変えられない。

 それにまだ、闇バイトだと決まったわけではないと自分を納得させ、柚葉はミッションを受けた。


ーーー そして当日。


「…この辺のはず……誰も居ない……」


ポロンッ♪


〈 お待ちしておりました 〉


 柚葉が指定された場所に着くと、アプリから通知が入る。

 どうやら位置情報で来たことを特定されたみたいだった。

 アプリに搭載された地図機能のようなものが起動し、ご丁寧に柚葉のいま居る位置が点滅により示される。


〈 報酬が高額な為、あなたが信用できるかを試させて頂きます 〉


「…こんなこともあるのか、めずらしい……」


 つはりは、どうやら “試用期間” らしいのだが…。

 『The Mission』は、ミッションが単純かつ、報酬の支払いだって瞬時に行われる。

 だから、これが “特別なミッション” と呼ばれるものであるとしても、こんなに謎が多く面倒なのは、柚葉にとって前例のない異様なことなのだ。


「まぁ確かに、200万だもんな〜。そんな誰にでも任せられるもんでもないか…」


 そんな風に思案をしていると、アプリ上に柚葉を示す点滅とは別の、緑色のピンがほぼ重なるような位置に現れた。


〈 緑色にマークされた場所へ行き荷物を拾い、それを持って次に示される赤色のマークまで行ってください 〉

〈 ※ 決して中身を見ないこと 〉

〈 ※ 不正が発覚した場合には、当ミッションによる報酬は受け取れません 〉


 そんな注意書きが添えられ、アプリからの通知は止まった。


「…完全に運び屋、やっぱり止めようかな……でも、ここまで来てしまったし……位置もバレてるわけだから、今もどっかで私のことを見て居るかも知れない……今さら隠れても逃げられない、よね……」


 相手の逃げ道を塞ぐ心理掌握に、初めに運ぶ先を示さないという用心深さ。

 特別という甘い言葉と高額な報酬の餌で、柚葉のような捨て駒を集める。

 まさにプロの犯行だった。


「…たぶんこれだな……」


 少し移動して、不自然に置かれたキャリーケースを手に取った。


「あれ、意外と軽いな。まるで空みたいな軽さだ。うぅ〜 気になるけど…中を見るのは禁止されてるし、我慢、我慢……で、どこに持っていけばいいんだ?」


 アプリを見るとすでに更新されており、赤色のピンが刺されている。


「……明らかにヤバい、こんな人気のない路地、怪しい以外の何物でも無い…」


 違法な行為に加担してる状態を理解しながらも、柚葉はミッションを続けるしかなかった。

 そして路地の突き当たりを曲がったその先、路地裏の奥に “黒いスーツの男” が一人立っている。


「(きっとあの人に渡せば “終わり” )」


 楽して稼ぐことは出来ない、うまい話なんて無いんだ。

 もう特別なミッションなんかに釣られず、今まで通りにコツコツと頑張ろう。

 柚葉はこれを機に、足を洗らう気になっていた。


「あ、あのぅ」

「……ご苦労。」


 男は柚葉からスーツケースを受け取り、そう言った。


「(…え、それだけ?)…それじゃあ私、帰りますね?」


 柚葉は来た道を戻ろうと振り返る。


「……それは “ダメだ” 」


 予想とは反する答えに柚葉は混乱し、反応が遅れる。


プスッ!


 結果、柚葉は男の “注射” を避けることが出来なかった。


「痛っ! …あれっ? 意識、が……」


ドサッ。


 急な睡魔に襲われ、柚葉はその場に倒れ込んだ。


「おい、手伝え」


 男がそう言うと、陰から数人の男たちが現れる。

 男たちは、眠った柚葉の手足を結束バンドで止め、口には布を噛ませた。

 そして柚葉が運んで来たスーツケースを開きその中に “柚葉を” 詰めると、ガラガラと音を立てながら路地裏から姿を消した。


ーーーーー


 ここは『龍山会』と呼ばれる中華系マフィアの拠点(アジト)である。


 『龍山会』は、病気で早くに亡くなった先代の後を継いで、まだ20代前半と若くして息子が4代目のボスになったマフィアだ。


 その名前に因んでシンボルは “龍” であり、建物の至る所に龍を象ったオブジェや龍の描かれた掛け軸が飾られ、みな体のどこかに龍の刺青を入れていた。


 そんな彼らの “仕事” は表立って話せないものが殆どで、“柚葉が攫われたように” 、しばしば人道に反する犯罪行為も行われているのだった。


「ん…ここは?……たしか私、スーツケースを届けて、それで…」

「やっと目を覚ましたか」

「あなたはっ!」


 柚葉の目の前に居た人物。

 それは柚葉が最後に目にしたのと同じ人物だった。


「先ほどの行為が不満なのだとすれば、その非礼は詫びよう。けれども、あの程度で “酷い” と感じるのなら、これから先は耐えられない…」


 一体、どの口がそれを言うのか。

 柚葉の思いも一緒であった。


「まずは “訓練” を受けてもらう必要がある。ああそうだった。ここにいる間は、そこにある服を着ること」

「…嫌だと言ったら?」

「別に、着たく無いのであればそれでも構わない。だが、死にたくないのであれば大人しく我々の言うことには従っておいた方がいい。それを着ていない女は、侵入者だと見なされて殺されるからな」

「(…まるで他人ごとみたい……いや、人の心が感じられないんだ……)…そんなの、最初から選択肢なんて……」


 柚葉が服と呼ばれた衣類を手に取ると、それはチャイナドレスであった。


「(…部屋の雰囲気もそうだけど、目に映るもの全てが中華風なのよね、ここ。一体どこだと言うのかしら……考えたくは無いけど、最悪の場合として本当に中国まで連れてこられたってのは無しにして欲しいな。もしそうなら、たとえここから逃げ出せたとしても……ううん、今は考えないようにしよう)……あの、着替えるので外に出て貰えないですか?」

「その必要があるなら、そうしよう」

「(何よその言い方。あるに決まってるでしょ!)」


 柚葉に言われて、男は部屋の外へ出た。


「……にしても、随分と物分かりがいいと言うか。あっさり部屋から出ていったな。目を離しても平気だと言うのか。それとも私には、そんな勇気も力も無いと舐められているのか…どちらにしても、男が言うことを信じるなら、このチャイナドレスを着ないことには外に出るのも危険なんだよね」


 柚葉は着ている服を脱ぎ、チャイナドレスを身につけた。


「な、何よこれっ/// 本当にこのチャイナドレスを着てないとダメなの?/////」


 チャイナドレスの他、一切の下着は用意されておらず、大きくひらけた背中と深めのスリットに、ところどころが透けるほどの薄い生地で、柚葉は頬を赤らめた。


「騒がしいが、もう着替えたのか? 準備が出来たならさっさと出てこい」


 男に言われ、しぶしぶ柚葉は部屋を出る。


「そんなナリでも少しはマシになるもんだな」


 スレンダーで低身長の柚葉は、お世辞にもナイスバディとは言えない体つきだった。


「(そんなにストレートに言わなくても良いじゃないっ!)」


 …とは言える状況にない柚葉は、何とか心の中でそう思うに留めた。


 その後、男に案内された部屋で “訓練” についての説明がなされた。


ーーーーー


「……で、その場合は…、……次は…、……の時は…、……最後に…、……以上だ。……では質問がなければ…と言われても、やってみないことには分からんだろうから、場所を移して “実際に” 行うとしようか」

「………。」


 男の説明に、柚葉は質問どころか、何も言葉を発することは出来なかった。

 それほどまでに男の話す内容が “単純” であるが故に純粋な恐怖を覚え、現実のものとして受け入れられなかったのだ。


 簡単に言えば “訓練” とは、“拷問” および “処刑” の訓練であった。

 抗争相手であったり、依頼されたターゲットであったりとマフィアをしていれば、争いの火種や標的はいくらでも生まれる。

 それを部下がいちいち相手にしていては、実行・実力部隊であるはずの数が分散してしまう。

 そのため、“簡単な” マニュアル事務作業的なこれらは、捕らえた女にやらせようという考えらしい。

 けれどいきなりやれと言われても不可能なので、訓練をして慣れさせるのだと男は言った。


「ちょうどよく、さっき運ばれて来た “モルモット” が居るんでな。そいつを使うとしよう」

「………(そ、それって、本当にモルモットなの???)」


 柚葉の予想は的中した。


「お、オレは何をされても喋らんぞっ!」


 案内された拷問部屋には、動物のモルモットでは無く “人が” 居た。


「そうか。残念だ」


 口ではそう言うが、男は全くもって残念そうには見えない。


「薬を使うのは最後だ。すぐに壊れて使えなくなる。廃人になられたら意味がない」


 男は捕えられた相手にではなく、柚葉に向かって話す。


「………(…かわいそう。今から拷問を受けるのはあの人なのに……男にとってこれは、“あくまで訓練でしかない” んだ。だから今もこうやって、私の方を見て喋ってる…)」

「さっきからだんまりだが、聞いているのか?」

「…はい……」

「そうか。なら、こう言う場合はどうすると言ったかは覚えているか?」

「……。まず最初は痛みを与えるのが有効…」

「その通りだ。抵抗するヤツからはその気を削ぐのが重要で、もっとも簡単かつ効果的なのは痛みだ。それと同時に、女であるお前は毅然な態度で冷酷に振る舞い、相手に舐められないよう気をつけろ」

「………。」

「まぁいい。手本を見せてやる」

ガンッ! バンッ!! ドカッ!!!! ゲシッ!!!!! ダンッ!!!!!


 男は殴る・蹴るの暴行を繰り返す。

 シンプルだが、一番手取り早いとも言える方法だ。


「こうやって、何度も、何度もやってるうちに、大人しくなる」


 実際、捕えられた相手の口数は減っていた。

 けれどもそれは、抵抗する気が無くなったと言うよりも、ただ抵抗できる体力が無くなっただけのように見えた。


「…ふぅ、こうすると自分自身の気分もスッキリして気持ちがいい。さぁ、お前もやってみろ」

「……出来ません。」

「ん? 女のお前には、素手で殴るのは抵抗があるのか??? そう言う時は、道具を使うことを推奨する。そこにバールがあるだろう? そっちのハンマーでもいい、定番中の定番だ…」

「そういう問題じゃなくて、人を殴るなんて出来ないと言っているんですっ」

「……はぁ。お前もそういう立ちか…止めだ、止めだ。興が醒めた。お前はさっきの部屋に戻っておけ、くれぐれも妙なことは考えるなよ」

「お、オレは?」

「うるさい(ボコッ!)」


 捕えられた相手は気を失い、男は拷問部屋を後にした。

 そして一人残された柚葉は……。


「(こんなところには居られないっ! こんなチャンスが次に来るかも分からないんだ。抜け出さないと!!)」


 男の言葉を無視し、出口を探すためにアジトの中の探索を始めるのだった。


ーーーーー


「(どんだけ広いのよ、この建物。歩いても歩いてもずっと同じような景色に装飾ばかりで、ちゃんと進んでるのかも今どこにいるのかも分からない…もしかしたら、グルグルと回っているだけなのかも知れない……時間だって無限にあるわけじゃないのに。あの男に気づかれる前にどうにかしないと)」


 焦る柚葉は、目の前に現れた人物に気付かず衝突した。


「!(痛っ!)」


 ぶつかったのは柚葉のはずなのに、弾かれて尻餅をついたのも柚葉だった。


「…初めて見る顔だな、新入りか?」

「……(見つかった!? …でもまだ、私が逃げようとしていたとは気づいていない? ここでバレるのはまずい……どうにか誤魔化さないと)…」

「黙ってたら何も分からねぇ。とは言え、まぁこんなナリだ。怖がられるのも仕方ない。そうだなぁ。転けさせちまったケジメに、俺の部屋で持て成そう。着いてこい」


 とんとん拍子で話が進んでいく。

 柚葉は、“ここで怪しまれるわけにはいかない” と従うことにした。

 …果たして、本当にそれだけが “理由” だったのか。

 ぶつかられたのに、自分の責だとする男らしさに……。

 柚葉と同じで、自身のナリを気にする点が……。

 それとも…それとも……。


「ここだ」


 案内されたのはこの施設で “一番” なのではないかと思うほど、これまで探索したどの部屋よりも広く豪華であった。

 また、奥の壁には『龍山会』の書が飾られている。


「(……りゅうざんかい。これが正体か…)」

「どこでもいいいから座るといい。いま茶を出してやる」


 そう勧められ、柚葉は近くのソファに腰を下ろす。


「…どうだ? ここでの生活はもう慣れたか? 仕事の方はどうだ?」


 まるで “家族” にでも話しかけるような優しい物腰で、“最近どう?大丈夫?” と心配する “親のような” 接し方をされる。


「え、あの…私……」


 不思議な雰囲気に流されて、口を開く柚葉。


「ようやく声を聞かせてくれたな。まぁ、話したくないなら今はそれで十分。俺が誰かも分からないのに、お前のことを教えろって言うのは順序が逆だからな。俺は……」


 男はやはり、『龍山会』のボスであった。

 そして『The Mission』を使い、人を集めているのは事実だと話した。

 しかし使い捨てのコマとしてでは無く、ファミリーとして大切にしているとも話した。


 他にも多くのことを語ったが、隠すことも、おそらく嘘をついていないであろうことも、ボスのようすから感じ取ることができた。

 そんなボスの人柄に警戒心も段々と薄まっていき、いつしか柚葉も全てを話していた。


「そうか、そうか。それは悪いことをしてしまったようだ…けれど、知ってしまったからには簡単に帰すことは出来ない」

「…そ、そんな……」

「違うな、言い方を間違った。そんなお前を見過ごすことは出来ない」

「???」

「話した通り、俺はすでに親を亡くしてる。しかし、お前の親はまだ生きている」

「………」

「ただでとはいかないが、ウチで働けば相応の金はやれる。それで母親の入院費や手術費を払えるんじゃねぇか?という話だ。お前が働くのはここだけで、外での実働は野郎どもが担う。危険は限りなく低いし、悪くは無い話だと思うが…」

「……どうして…」

「?」

「どうしてこんなに良くしてくれるんですか?」

「いや、なんだ。母親のために健気にバイトして、いい女だと思ってな、“気に入った” んだ」

「……(…私がここで頑張れば、お母さんを助けられる……)…でも、私には拷問をすることは出来そうにありません。実際さっきも……」

「俺たちのように闇社会で育って来たんじゃなきゃ、誰しもいきなりは難しい」

「でもあの人は失望している様子でした」

「アイツは狂ってるからな、仕方ない。1から9までの工程をすっ飛ばして、平気で10をさせる。アイツから何か聞いたか?」

「一応、一通りの説明はしてもらいました」

「そうか、なら訂正しよう。1から5くらいまでは済ませて、6から9を飛ばしたようだ。お前、生き物の命を奪ったことはあるか?」

「…虫なら……動物は……」

「じゃあそこからだな。すぐに用意させる」


 ボスが指示を出すと、スーツの男たちが「ネズミ」の入ったカゴを持ってくる。


「潰してみろ」

「…つぶ、す?」

「ああ、こうやるんだ」


ブチュ!


 カゴを開け、ネズミが外に出て来たところを足で踏み潰した。


「最初は味わったことのない感触に戸惑うかも知れないが、次第に慣れる。それに慣れれば案外……いや、まずは殺せるようになってからだな」


 男がネズミのカゴを持ってくる。 

 カゴを開けて、ネズミが逃げる。

 柚葉は踏めず、ボスが踏む。


 男がネズミのカゴを持ってくる。 

 カゴを開けて、ネズミが逃げる。

 柚葉は踏めず、ボスが踏む。


 男がネズミのカゴを持ってくる。 

 カゴを開けて、ネズミが逃げる。

 柚葉は踏めず、ボスが踏む。


 これが繰り返されること十数回。

 ようやくその時が訪れた。


「開けるぞ?」

「…はい。えいっ!」


ブチュ!


「う"ぅ"っ"!?」


 小さな足の極めて大きな一歩。

 ネズミを踏み外した方が、道を踏み外さずに済んだのかも知れない。

 相手は人ではなくネズミだ。

 けれども同じ命を持った生き物であり、この足に伝わる感触は、確かにそれを奪ったものである。


「よくやった。今日はここまでにしよう。体も心も疲れただろう? ゆっくり休め」


 柚葉は最初に目覚めた自室に戻ると、ネズミの血をシャワーで流す。

 鉄分の含まれる血はなかなか落ちずに苦戦する。

 綺麗になったときにはもう、部屋の時計は0時を回っていた。

 部屋に届けられていた食事は喉を通らず、せめて体は休めようとベッドに横になる。

 けれども目を閉じると感覚が研ぎ澄まされ、あの感触が蘇ってきて眠れない。

 柚葉が意識を落としたのは、それからしばらくしてのことだった。


ーーーーー

 

 次の日も、その次の日も、ただひたすらにネズミを潰す訓練が行われる。 


 そして “ようやっと慣れてきたか” というところで、ニワトリに変わる。

 今度はナイフを使って生きた動物を刺し、それの感触に慣れるように言われる。


 それも終われば、次はブタ。

 焼鏝を渡され、肉の焼ける匂いと音を覚えた。


 どんどん大きく、さまざまな方法で、拷問と処刑の基礎を学ぶ。

 最初こそ行為としてそれらを “するだけで精一杯” だった柚葉だが、どうすれば “より” 効率がいいかを考え始め、学習を深めていく。

 戸惑い、躊躇していた柚葉の姿はそこには無かった。


「調子はどうだ?」

「ボスっ///」


 この頃になると、柚葉のボスに対する態度にも変化が生まれていた。


「ほう、もうブタを殺めるところまで来たか。そろそろ頃合いかもな」

「…それって、つまり……」

「ああ、リベンジの時だ。これが出来れば晴れて柚葉もファミリーの一員になれるし、報酬も支払われる」

「…遂に、この時が……これでお母さんも……そして、私もっ///」

「そうだったな。“褒美も” 必ず…」


 柚葉は、一ヶ月以上ぶりに拷問部屋を訪れた。

 当然のように、ボスも一緒だった。


 部屋の真ん中、ポツンと置かれた椅子に “誰か” 座らされている。

 頭から麻袋を被せられ手足はロープで縛られているが、体型からしておそらく男性であろう。


「…これはお前の試験であって、コイツから何か情報を得たいわけではない。だから拷問と言っても、これまで訓練したことを存分に見せてくれるだけで構わない。ただし、俺が許可するまで麻袋は取るな。それ以外なら何をしたっていい……さぁ、準備ができたら始めろ」

「わかりましたぁ♡♡♡」


 ボスへの好意によるものか、それともこれから行われる行為に対してか、柚葉の語尾は上がっていた。


「まずはこーれっ♡♡」


 柚葉はバットを大きく振りかぶる。


「続きましては〜♡♡」


 拷問相手を助手に見立てて、まるでマジックショーでもしている様子である。


「あっ♡♡ 手が滑った〜♡♡」


 本来であれば、ギリギリ当たらないように周りの風船や頭上のリンゴなどを狙って投げるのだが…。


「もう一本っ♡♡ えいっ♡♡」


 柚葉の手から放たれたナイフは、見事に男へ突き刺さっていた。


「…そろそろ “あったまった” かなぁ?」


 柚葉の視線の先には “焼鏝が” ある。

 用意周到・準備万端といった感じで、拷問を始める時から熱していたのだ。


「…待て。」


 柚葉が焼鏝を手に取ろうと言うタイミングで、ボスが声をかける。


「いかがなさいましたかぁ?」

「それをする前に、麻袋を取るんだ。気絶してからでは面白くないからな」


 焼鏝を当てられたショックで気絶をすることの少なくはない。

 そのため、先に顔を見ておくのだとボスは言った。


「わかりましたぁ♡♡ ……え、あんたは。」


 麻袋を取った瞬間、柚葉は正気を取り戻す。

 これまでが正気でなかったと言うよりは驚きでふと我に返り、落ち着きを取り戻したと言う方が合っているのかも知れないが、それほどまでに予想外の人物であったのだ。


「柚葉、お前の父だ」


 改めてボスが言う。

 それにより柚葉の頭も認識を強める。


「…ねぇお父さん?」

「柚葉? 柚葉なのか???」


 数々の拷問で男の視界は失われ、かろうじて聞こえた “お父さん” という言葉で柚葉だと判断する。


「ああ、こんな状況なのに “私だと思う” のね」

「…そ、それはどういう?」

「自分の娘が、“こういうことをする人間だ” と思えるってことだよね?」

「違う、そうじゃないっ!」

「何が “違う” の?」

「柚葉がそんなことをする子だとは思ってない。脅されているんだろう?」

「………。本当に私のこと、何も分かってない。まぁ、それもそうか。捨てたんだし、興味もないよね? …もしかして、これも “違う” の???」

「………」

「…もういいや、何か “言いたい” ことはある? …… “違う” か。何か “言い残す” ことはある???」

「それは、どういう、手に持ってるの、置いて、や、やめっ…あぁぁぁああああああ」

「あはは、あははは」


 何度も、何度も、何度も何度も焼鏝を押し当て、男の皮膚は爛れた。


「……最後の最後まで、謝罪は無しだったな…」

「くはははっ! 最高の女だよ、柚葉!! いや、イョウ!!」

「イョウ?」

「それは中国語で “柚” という意味だ。お前はさっき父を殺し、過去と決別した。“柚葉” はソイツが付けた名だ。これからは “俺の女として” 、俺が付けた名を名乗って、“共に” 新たな人生を送ろうじゃないか!」

「イョウ、イョウ、イョウ♡ イョウ♡♡ イョウ♡♡♡ 嬉しいですっ♡♡♡ いいえ、嬉しいなんて言葉じゃ言い表せないほどの気持ちだけど、他に言葉が思いつかない……」

「イョウの反応を見れば十分に伝わる、わざわざ言葉にすることなど不要だ。それよりも、約束した “褒美” をやらねばな」


 柚葉の父だった物の処理はスーツの男に任せ、ボスとイョウは “ボスの寝室” に移動した。


ーーーーー


「…ボスっ♡♡♡」

「今夜はイョウの好きにするといい。なんたってファミリーになった祝いだ」

「ファミリーになっただけ?」

「いや、俺の妻になった祝いでもある」

「きゃっ♡♡♡ ボスぅ♡♡♡ 大好き〜♡♡♡」

「俺も好きだ、イョウ。ここまでよく頑張ったな。ファミリーに、妻になってくれてありがとう」

「もうっ! ボスったら、辛気臭いな〜 ほらっ脱いで? やろっ? イョウ、もう我慢できないよ♡♡♡ ずっとお預けだったんだからぁ♡♡♡」

「そうだな、俺もずっとこの時を待ってたさ。早くイョウのことを味わいたいぜ」


 ボスの子を成すと言うことは、妻として添い遂げ、子を次のボスとして育てると言うこと。

 柚葉…イョウは、その覚悟とマフィアになることを決めていた。


「ボス♡ ボス♡♡ ボス♡♡♡」

「イョウ、出るぞ?」

「出してっ! 中に出してっ!! 産む、絶対にボスの子を産むのっ!!!」

「そうだ、孕めっ! 孕ましてやるっ!!」

「ボス〜〜〜〜ぅ♡♡♡」


 アジトに響き渡るボスとイョウの声が、部下たちへの知らせの代わりになった。


ーーー 後日談。


 それから数ヶ月後、イョウの母親の容体は、すぐ手術を必要とするほど急激に悪化した。

 幸いなことに無事手術を終え、意識を取り戻した母の病室に、一通の手紙が届く。


 『お母さんへ』


 そう書かれた手紙の中身は、たった一行 “URLのリンク” が書かれているだけだった。


 嫌な予感を感じ、すぐさま手元のスマホで開くと、そこには変わり果てたイョウ(柚葉)の姿がサムネイルとして表示された。

 その数秒後、動画は自動で再生を始める。


「お母さん手術成功おめでとう!」

「お母さんに見てほしいものがあるんだ!」


 イョウ(柚葉)はくるりと後ろを向き、羽織っていたバスローブを取る。


「キレイでしょ?」


 チャイナドレスを着て、大きく開いた背中には “龍のタトゥー” 。

 そのタトゥーは、薄く透けた生地から覗くお尻や深めのスリットから見える太ももにまで至るほど大きく、背中一面を埋めるように彫られていた。


「立派に成長した私はどう?」


 振り向き、今度は前面が映る。

 腕にも巻きつく龍のタトゥー。

 乳首や、へそには “龍玉” のような宝石のピアスを嵌めている。


「これはね。ボスとお揃いなのっ♡♡♡」


 龍のタトゥーを手で撫でながら嬉しそうに言う。


「私ね。ボスと結婚するのっ♡♡♡」

「それからね。お腹にはボスと私の子がいるんだよっっ♡♡♡」

「手術を受けて目を覚ましたら、急におばあちゃんになるってビックリだよね?」


 まるで今日の学校での出来事を語るかのように、イョウ(柚葉)は楽しそうに話す。


「あ、ごめんね。お仕事の時間だから行ってくるね。また連絡するよ!」


 イョウ(柚葉)からすれば、本当にただ近況を報告するための軽いメッセージだった。

 しかし母親にとっては……。


ーーーーー


 イョウは、子を孕んだ後も仕事を続けていた。

 お腹の中にいる子は “自分のように” 幸せになってほしいと願い、“拷問” や “処刑” の音を聞かせる英才教育の日々を送っている。


 ボスの楽しみは、そんなまだ見ぬ我が子と “嬉しそうに仕事をする” イョウを見守ることである。


 ボスの視線に気づいたイョウは頬を染め、幸せそうに笑顔を返す。

 それから恍惚とした表情に邪悪な笑顔を浮かべ、仕事を再開する。

 そして今日も、龍のタトゥーは赤黒く染まった。


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