後ろの席でいつも寝ている女の子。大輪(おおわ)ことめさん。彼女は、授業中も机の上でうつ伏せになって寝てしまう。そのせいか、先生に注意されることもよくあるようだ。しかし、注意されても起きないので、結局また眠り続けるらしい。そんなわけで、僕は彼女と隣の席になった時からずっと気になっていたのだけれど、特に話すきっかけもなかったし、話しかける理由もなかった。 ある日の昼休み。弁当を食べ終わったあと、なんとなく教室を見渡していたら、窓際の席にいる彼女の姿が目に入った。相変わらず机の上に突っ伏して眠っている。今日は少し風が強いからだろうか、時折髪の毛が揺れていた。その様子はとても綺麗だった。でも、それを見た瞬間に、僕の心の中に妙な気持ちが生まれた。 『あぁ……可愛い』 思わず口から出てしまった言葉。それからすぐに自分の口を押さえた。別に変なことじゃないんだけれど、なぜか恥ずかしくなった。「え? 今なんて言った?」 僕の隣に座っている男友達が聞いてきた。僕は慌てて首を横に振った。 「いや、なんでもないよ」 すると彼は不思議そうな顔をした。そして再び前を向いてしまった。危なかった……。聞かれてなくて良かった。僕はほっとして胸を撫で下ろした。 放課後。部活が始まる前に部室へ行こうとした時のことだった。ふと隣を見ると、いつの間にか大輪さんが座っていた。 「うわっ!」 びっくりして大きな声を出してしまい、周りの人たちが一斉にこちらを振り向いた。僕は慌てて頭を下げた。 「ごめんなさい……」 彼女は無表情のまま小さく会釈をした。僕はもう一度謝ってその場を離れた。 廊下に出ると、ため息が出た。まさかあの子が隣にいたとは思わなかった。心臓の鼓動がまだ早いままだ。それにしてもなぜ彼女が隣に? 今まで一度だって話したことなんかないのに。そう思った途端、さらに鼓動が激しくなった気がした。僕は急いで階段を下りていった。 次の日も僕は学校に行くために電車に乗った。いつものようにつり革を持って立っていたのだが、昨日のことが頭に残っていたのか、無意識のうちに視線は彼女を探していた。 「あっ……いた」 ちょうどその時、扉の近くに立っていた大輪さんの姿が見えた。どうやら眠ってしまっているみたいだ。俯き加減になっている彼女の顔には髪がかかっていた。よく見るとまつ毛が長いような気がする。横から見ると唇の形がよく分かる。少し開いている口に目がいってしまう。 『あぁ……キスしたい』 またもや出てきた言葉。今度は自分で口を塞いだ。さすがにまずいと思ったからだ。ただでさえ、この前の席替えで隣の席になってから、ずっと彼女のことを見ていたというのに。これ以上見てたら変な人だと思われてしまうだろう。僕は目を逸らすことにした。 しかし、そんなことで忘れられるはずもなく、家に帰るまでずっと彼女のことを考えてしまっていた。 家に帰ってからも、彼女のことばかり考えていた。寝るまでに何度思い出したか分からないくらいだ。 翌朝、僕は学校に登校するために駅に向かった。電車に乗り込んですぐ、向かい側のドア近くに立っている彼女を見かけた。今日はうつむいて本を読んでいるようだ。しばらく見ていると、突然彼女が本を閉じた。何かあったのかな? と思っているうちに、目が合ってしまった。僕は慌てて下を向いた。しかし、彼女はそのまま何も言わずに立ち去って行ってしまった。なんだかとても悲しかった。 翌日、僕はまた同じ駅で降りた。昨日と同じように彼女の姿を探したが、なかなか見つけられなかった。 「今日はいないのか……」 僕は呟くように言ってから、ホームにあるベンチに腰掛けた。やっぱりいないんだな……。そう思いながら、僕はポケットに手を入れた。すると指先に硬いものが当たった。なんだろうと手を出してみると、それは小さな紙切れだった。これは……手紙? 僕は辺りを見回したが、誰もいなかった。 「これってもしかして……」 僕は恐る恐る開いてみた。そこにはこう書いてあった。 「今日の夕方5時に駅前公園の時計台の前に来てください 大輪」え? どういうことだ? いつのまに? 僕は首を傾げながらも、とりあえずその手紙を大切にバッグに入れた。 登校してから学校にいる間、大輪さんはいつもと同じように机の上で眠っていた。その様子が可愛くて、つい見つめてしまう。 「あれ?」 ふと気がつくと、彼女は机の上に頬杖をついて僕をじっと見上げていた。目が合うと、一瞬だけ驚いた顔をして、それからニコッと微笑んでくれた。僕もつられて笑顔になる。すると、彼女は机に置いてある教科書で顔を隠してしまった。その仕草もまた可愛い。僕はその教科書をどけてあげたい衝動を抑えつつ、そっと自分の席に戻った。昼休みになった。僕はいつものように友達と一緒に弁当を食べていた。すると、友達の一人が僕の顔を覗き込んできた。 「おい! どうしたんだよ」 「え?」 「ニヤケてるぞ、お前!」 「いや、別にそんなことないよ」 「嘘つけ、絶対そうだろ」 「違うってば」 「じゃあ、何考えてたんだよ」 「いや……なんでもないよ」僕は慌てて首を横に振った。すると友達は不思議そうな顔をした。 放課後。僕は約束通り駅前公園へ向かった。まだ夕暮れまでは時間がかかりそうだ。僕は時計台の近くで待つことにして、その近くのベンチに座った。すると数分後に大輪さんがやってきた。彼女はこちらに気づくと小走りで近づいてきた。 「待った?」 「いえ、全然です」とっさに敬語で答えてしまった。彼女は小さく笑うと僕の隣に座ってきた。「あの……どうしてここに?」 「え?」 「その、呼び出した理由を聞きたいんですけど……」 「ああ、そういう意味ですか。ちょっとお話したかったんです。それだけ」彼女は僕の方を向いてニッコリと笑った。 「あ、そうなんですか……」 「うん。迷惑だったかな?」 「いいえ、そんなことないですよ。むしろ嬉しいっていうか……」僕は慌てて首を横に振った。 「良かった。あ、でもここだと誰かに聞かれちゃうかもだから、場所を変えましょ」そう言うと彼女は立ち上がった。 「はい」 大輪さんの後ろ姿を見送りながら僕は思った。もしかして、これは告白されるんじゃないだろうか。いや、きっとそうだ。こんなにドキドキしているんだもの。心臓が破裂しそうだ。僕は期待しながら後を追った。「ここで良いよね」 彼女が言った場所は、人気のない路地裏だった。僕はごくりと唾を飲み込んだ。ついに来た。緊張するなぁ……。 「あの、それで話というのは……」 「あのさぁ、私に言いたいことがあるでしょ?」 「え? それは……」 「だってあなたずっと私のこと見てたから。バレバレですよ」 「す、すいません……」 「謝らなくていいよ。悪い気しないですし」 「あ、ありがとうございます」 「で、本当はどうしたいんですか?」 「え?」 「キスしたい」「あっ……」 大輪さんの言葉を聞いて顔が熱くなった。そんなこと思ってるなんて言えない……。恥ずかしすぎる……。それにしてもこの子すごいことを言うな。 大輪さんは僕の顔を見てクスッと笑った。そして口を開いた。 「この前そう言ってたでしょ?」「いや、確かにそうだけど、なんでそれを……?」 「きみの視線を感じたから。それに私もずっときみのことを見てましたし」 「え?」 「ごめんなさい。気持ち悪かったかな」 「いや、そんなことはありません。ただ、意外だっただけで……」 「そう?じゃ、よかった。で、どうかな? キスしたいんですか?」 「はい……」 「正直でよろしい!」大輪さんはそう言ってから僕の方に身体を寄せてきた。僕は思わず後退りしてしまった。しかし、壁際に追い込まれてしまい、もう逃げ場はなかった。 「大丈夫だよ。誰もいないから安心して」 「え? あ……」 「じゃあ、目を閉じて……」 「はい……」 言われるままに目を閉じると、唇に柔らかい感触があった。その瞬間、僕の全身を電気のようなものが走ったような気がした。数秒後、ゆっくりと離れていった彼女の顔を僕は見つめていた。 「どうでした?」 「なんか……すごかったです」僕は放心状態で答えた。すると、彼女は少し照れたように微笑んでくれた。その表情もまた魅力的だ。 「また、して欲しいですか?」 「はい……」とっさに返事をしてから僕はハッとした。これではまるで変態みたいじゃないか。 「ふぅん、そうなんだ。へぇー」大輪さんはニヤリと笑ってから、僕の耳元で囁いた。 「ねえ、この続きもしてみる?どうする?」 「あ、あの……お願いします」とっさに言ってしまった。すると彼女は満足そうな顔をして「分かった。じゃあ、これからうちに来てください」と言った。 「え? 今から?」 「うん。ダメかな?」彼女は上目遣いで聞いてきた。その仕草が可愛すぎて、僕は何も言うことができなかった。 大輪さんの家に向かう道中、僕らは何も喋らなかった。沈黙がつらいというより、何を話せばいいのか分からなかったのだ。やがて目的地に到着した。あまり大きいとは言えないアパート。僕は彼女の横顔を見上げた。すると彼女は振り返って僕を見た。その瞳には僕の姿だけが映っていた。 「ここが私の部屋。どうぞ」玄関に入ると、女の子らしい甘い香りが漂ってきた。 大輪さんの部屋はワンルームで狭かったけれど綺麗に片付いていた。部屋の隅に置かれたベッドの上には大きなぬいぐるみが置かれている。それが何とも彼女らしく思えた。 「適当に座っててくださいね」 「あ、はい」 僕は床に敷かれたクッションの上へと腰かけた。大輪さんはキッチンの方へ向かっていった。 「コーヒーか紅茶どっちがいいですかー?」しばらくして彼女が尋ねてきた。僕は迷わず「じゃあ、コーヒーで」と答えた。 数分後、湯気の立ったマグカップを持って大輪さんが戻ってきた。彼女はそれをテーブルに置くと僕の隣に座った。 「はい、どうぞ」 「ありがとうございます」「いえいえ」 僕は早速、コーヒーを一口飲んだ。インスタントなのに美味しかった。 「あのさぁ、一つだけ聞きたいことがあるんだけど」 「はい、なんでしょう?」 「君は私のどこが好きになったんですか?」 「え? それは……その……」「言いにくいなら言わなくてもいいよ。ただ気になってたから知りたかっただけですし」 「えっと……全部好きです」「それだと困るなぁ。具体的に教えてくれないと」 「そうですね……まず笑顔が好きです。それから寝顔も好きですね。あと、声とか指先の動きにも魅力を感じます。」 「なんかちょっとニッチな感じだけど嬉しいよ。ありがと」 「え? はい。どういたしまして」 「他には?」 「そうですね……。優しいところでしょうか。それに僕みたいな人間でも受け入れてくれるところが……なんていうか温かいなって思いました」「そっか……そんな風に思っててくれたんだ……」 「はい。それで、もし良かったらなんですけど……付き合って欲しいです」僕は勇気を出して言った。心臓がバクバク鳴っている。彼女は何も言わずに俯いているだけだった。やはりダメなのか……? 「あの、やっぱりダメですか?」恐る恐る尋ねると、彼女は小さく首を縦に振った。「ごめんなさい。私、好きな人がいるし、君が思ってくれてるようなヒトでもないから……」 「そうですか……」僕はガックリとうなだれた。 「でも、勇気を出して告白してくれて嬉しかったですよ」大輪さんは優しく微笑みかけてくれた。その表情はどこか悲しげだった。「はい……」僕は力なく返事をした。彼女の優しさに甘えて、自分の気持ちを伝えたかっただけだ。こんなことになってしまうとは予想していなかった。 「私は君のそういう真っ直ぐなところ羨ましいと思うな」 「え?」どういう意味だろうと思った瞬間、彼女は僕の身体を引き寄せてキスしてきた。突然の出来事に思考停止してしまう。数秒後、唇を離すと大輪さんは囁くように言った。「もうちょっとこうしててもいいかな?」「え? あ、はい」彼女は再び僕の唇を塞いだ。今度は舌まで入れてきてディープなやつだ。彼女の唾液と体温を直に感じる。頭がクラクラして全身が熱くなる。 数十秒間、その状態が続き、ようやく解放された。大輪さんの吐息が頬にかかる。僕は彼女の顔を呆然と見つめていた。すると大輪さんは微笑んでくれた。「どうでした?」 「なんか……すごかったです」我ながら情けない答えだと思う。 「次は……君からしたいことあるかな?」 「あ、えっと……じゃあ」僕は少し迷ってから言った。 「ハグして欲しいです」「分かった。いいですよ。おいで」 彼女は両手を広げ、僕を受け入れようとしてくれた。僕はおずおずと腕を回し、彼女の背中へ手を回した。温かく柔らかい感触に包まれる。鼓動が高まるのを感じた。しばらくそのままの状態でいると、彼女が囁いた。 「これでいいかな?満足できましたか?」 「あ、はい!十分です!」慌てて答えると、彼女はクスッと笑ってから僕から離れた。「よし、じゃあそろそろ帰るね」 「うん、また明日ね」大輪さんは手を振りながら送り出してくれた。僕は玄関を出て、アパートの外階段を下っていく。そして、途中で振り返って大輪さんの部屋を見上げた。彼女はまだこちらを見下ろしていた。目が合うと彼女は笑顔で小さく手を振ってくれた。僕は照れくさくて、軽く頭を下げるだけにしておいた。 学校へ向かう途中、僕は何度も同じことを反すうしていた。『なんであんなことになったんだろう?』もちろん嫌ではなかったけれど、不思議でしょうがなかったのだ。僕と大輪さんは友達同士ですらなく、ましてや恋人ではない。なのに、なぜ僕たちはキスしたり抱きしめ合ったりしたんだろうか? もしかしたら僕が思っているよりも大輪さんはフレンドリーな性格なのかもしれない。あるいは寂しいのかな。まあ、どちらにしても、彼女とは今後も仲良くやっていけそうだ。僕はそんなことを考えながら、いつもの通学電車に乗った。今日も大輪さんが扉の横に立っている。彼女は僕を見つけると、ニッコリ笑った。
おはことめ
2022-03-04 14:12:25 +0000 UTCtamutamu129
2022-03-04 11:24:57 +0000 UTC