前回はぼくなりの冒険の話を書いたが、「陸路でチベットからインドに抜ける冒険」というインスピレーションを与えてくれたのは木村肥佐生(ひさお、1866-1945)の探検記ともいえる「チベット潜行十年」である。
前回と同じことを書くが、もちろんぼくが個人でアルバイトでためた資金で行える冒険なので「冒険」と聞いて人が思い浮かべるような大胆ものでは全くない。ぼくが読むふけった冒険譚、イブン・バットゥータ(14世紀にアフリカから北京まで旅したとされる)、デイヴィッド・リヴィングストン(19世紀にアフリカを旅した)、スヴェン・ヘディン(19世紀に中央アジアを旅した)にみられるような冒険とは全く違う。
今の世界はどこにでも宿があってどこにでも道路があるので前人未踏の未開の地を踏破するような冒険は難しい。携帯電話が繋がったらそれだけで「冒険」感は損なわれる気がする。冒険をするなら宇宙しかないのかもしれない。そもそも、ぼくがイブン・バットゥータやリチャード・フランシス・バートンや河口慧海(えかい)にあこがれるのは、それが自分にもできそうな気がしているからだと思う。資金と時間さえあれば、彼らの旅したルートをたどることは難しくない。しかし彼らが生きた時代には彼らの冒険はそれこそ宇宙を旅するのと同じくらい難しいことだったのだろう。実際、宇宙飛行士に成れるのは超人的に頭がよく、超人的な体力の持ち主だ。ぼくがこれまでにあげた過去の冒険家たちもみんな学者だ(木村肥佐生はスパイだが)。彼らは未開の地を旅し、現地の言葉を覚え、学術的に調査をし、ヨーロッパ等本国に紹介した。つまり冒険家であり、探検家だった。
学者といえば中国のシーサンパンナ・タイ族自治州の景洪(けいこう、ジンホン)で日本人の文化人類学者に出会ったことがある。この時ぼくは中国雲南省大理で遊んでいたのだが、かつてネパールでつるんだバックパッカー仲間がちょうどタイに居るというので集まる約束をした。この時は二回めの中国→東南アジア移動だったので、かつてと同じルート(中国→ラオス→タイ)では芸がないと思い、噂で耳にしたルートを試そうと思ったのだ。噂とはすなわち「中国の景洪市からメコン川を下ってタイまで行ける船があるらしい」というものだ。とても興味を惹かれ、景洪で情報収集をしていたぼくはどうやら普通の旅行者が行かないような場所をうろついていた。すると日本人っぽい人とすれ違った。なぜだろう、お互いこいつ見た目が日本人っぽいなと思ったのだと思う。挨拶をし、お互い日本人であることを確認し、その文化人類学者とご飯を一緒に食べ、しかもおごってもらった。久しぶりに日本語が話せてうれしかったとも言っていた。文化人類学者はもちろん中国の少数民族の研究者で、小さな集落に泊まり込み、少数民族と生活を共にしているのだという。「基本民泊なのでお金を使う場所がないのだ。遠慮するな」と、おごってくれた。
お金を払ってお客になってしまうと生の文化が見えにくくなるというようなことも言っていた。これはよくわかる。ぼくはいろんな国で不良外国人をやったが、「よそ者」に真っ先に接触してくる人々はその文化の価値観の中央値から外れた人々だ。ジキジキ(過去回を参照)の話ではないが、大きな街ではえっちなお店を斡旋(あっせん)してくる輩(やから)や、麻薬を売りつけてくる輩が真っ先に集まってくる。アフリカの小さな村でもコミュニティに一人くらい外人担当みたいなのがいて、そいつはフランス語ができる。外人担当がそのコミュニティのことを教えてくれたりするものだが、たいてい彼らははみ出し者だ。「はみ出し者」とはよく言ったもので、コミュニティの外縁に居るので外からやってきたよそ者と真っ先に接触するのだ。
よそ者は先ずはみ出し者と接触する。困ったことに身に覚えがある。雲南省では外国人と触れ合うことを好む中国人アーティストばかりが周りに居たし、マダガスカルで仲良くなったのはフランス語を話すスネークハンターだった。インドはまた特殊で、みんながみんな英語をしゃべったのであんなに長期滞在したのにぼくはヒンディー語が全く覚えられなかった。毎日ヒンドゥー寺院に通っていたくせに本当は全く溶け込んでいなかったのだ。
たしかにツアー旅行者と比較すれば、ぼくは現地に溶け込んでいた。しかしそれでも自分はお客様でしかなかった。最初のうちは気が付かなかったが、バックパッカーをやっている間に気づかされていった。「これって結局、どこまで行ってもぼくはお客様に過ぎないってことだろうな」。ツアー旅行者もバックパッカーも程度の差でしかない。出来合いのお弁当のようなパックツアーを買っているわけではないが、ぼくだって消費者には違いなかった。結局ぼくには本当の探検なんてできないんだ。
しかし目の前に文化人類学者が現れたのだ。ぼくはお客様になりたくないといってツアーを嫌っていたし、ぼくは自分がハードコアな冒険をしていると思い込んでいた。もっと言えば、ぼくは無自覚に文化人類学者きどりだった。日本に帰れば日本の友達に知ったようなことを言って回った。「現地の人と同じ生活をしないと本当の文化は見えてこないんだよね」「もう中国にいても外国人だと思われなくてさ」「虫を食べるのに抵抗なくなっちゃった。サソリもタランチュラも食べたけどやっぱりおいしいのは幼虫系かな」「左手でお尻を洗えないとぼくみたいなインドの旅はできないかな」。ぼくは得意げだったとおもう。
しかし本物の文化人類学者が居たんだ。彼は自分の足で舗装されていない山道を歩いて回って、文明から隔絶された少数民族の集落を何年もかけて見て回っているのだ。ぼくみたいに飽きたらタイに行こうなんて軽薄な冒険をしているのではない。中国に腰を据えて何かを探し求めている本物の探検家ではないか。
彼の作った分厚い資料を見せてもらった。文化人類学者きどりぼくの作った資料は書きなぐりの日本語の日記だけだ。ぼくは恥ずかしかった。今の時代でも探検はできるんだ。やはり学者ならばぼくがあこがれた探検ができたのだ。探検家はバックパッカー仲間でタイに集まってシンハビールで「かんぱーい!」なんてしないんだ。結局今も昔も、探検とはよく学んだ者の特権なのだ。