70.残された懸念
Added 2026-01-02 10:00:00 +0000 UTC(※ランバート=オルソー視点のお話です)
「やっほー、父さん。様子見に来たわ」
「やあ、シモーヌ。私もちょうど作業が一段落したところだよ」
果実水の水差しとグラスを持ってやって来た愛娘の姿を見て、知らず強ばっていた頬が緩むのを感じた。
そしてふと気づく。
シモーヌのまとっている空気が微妙に硬い。
よく見ると、表情も若干愁いを帯びている気がする。
「何かあったかい?」
「え? んーん、何にも?」
「嘘は良くないよ、シモーヌ。おいで。少し話をしよう」
「父さんは心配性なんだから」
苦笑を浮かべつつも、シモーヌは作業場の片隅にあるテーブルに私と腰掛けてくれた。
「作業は順調なの?」
「うん、まあね。もともと、ゲートの調整は何度か依頼されたことがあったし、ここまで大がかりな修理は初めてだけど、やりがいもあるし面白いよ」
「機械いじりは父さんの病気だもんね」
「それは言わないで……レーネにも呆れられてるんだから」
ものの背後にある仕組みや、美しいロジックに私は惹かれる。
数学や魔道工学が好きなのも同じ理由だ。
全てが完璧な秩序と仕組みで動いて調和している様を、私はとても愛している。
ただ、シモーヌを養女に迎えてから、そこに別の価値観が加わった。
ロジックでは計りきれない、カオスと感情の世界――今はそこにも大きく価値を置いている。
レーネのことがあって、私は長い間感情というものに苦手意識を持っていた。
レーネのせいにするつもりは一切ない。
これは私自身の深い罪だ。
もし私が自分の感情を完全に御せていたなら、あるいは違った今もあったかもしれない。
喩え私らが今の生活に満足していたとしても。
――少し話がそれた。
とにかく、シモーヌが来てくれたことで、レーネと私の生活は一変した。
子育ては戦争だった。
シモーヌは基本的に大人で聞き分けのいい、とても賢い娘だ。
それでもまだまだ若く、癇癪を起こすことも時々ある。
アパラチアでの日々は、毎日が騒がしく、そして充実していた。
レーネとシモーヌ――最愛の家族がいる生活は、私にとって楽園に等しかった。
大きな罪を犯した私に、こんな幸せが許されていいのか、と思っていた時期もある。
特にレーネに対しては、とても贖いきれない罪を負っている。
彼女がクレア様の元を離れることになったのは、他の誰でもない私のせいだ。
二人が和解した後も、罪の意識は消えなかった。
この罪は一生、抱えていくのだろう、と思っていた。
そんなある日、レーネに言われた。
養子を迎えないか、と。
元々、性的なことは厳に慎んでいた。
レイから血の濃さによる弊害を聞いていたのもあるが、それ以前に罪の意識がそれを強く邪魔した。
そんなわけで子どもは諦めていたから、レーネのその提案には酷く驚いたのを覚えている。
でも、考えてみると、それはとてもいいアイデアのように思えた。
レーネと一緒に二人で愛情を注ぐ相手がいる未来は、とても幸せではないかと思った。
迎える子にとっても、家族ができるのは悪いことではないような気がした。
不安がなかったと言えば嘘になる。
私はクレア様とレイを知っている。
才女たるあの二人ですら、アレアちゃんとメイちゃんにほとほと手を焼いていたのは聞いていた。
レーネはともかく、私などに父親役が務まるのだろうか。
養子に迎えるという行為自体が、私たちのただの自己満足に過ぎないのではないか。
その悩みを、クレア様とレイさんに相談した。
彼女たちは真剣に耳を傾けてくれて、全てを聞いた後にクレア様がこう言った。
――命を迎える、というのは、最終的にはパッションだと思いますわ。
私はその言葉がとてもすとんと胸に落ちてきた。
不用意に聞くと、とても無責任な言葉に聞こえるかもしれない。
でも、違うのだ。
クレア様は思慮深い人だ。
彼女は命を迎えるという行為が、ロジックではどこまでいってもエゴにしかならないことを知っているのだ。
だから敢えてああいう言い方をした。
命を迎えるということへの覚悟、責任、意義、そしてほんの少しの諦め。
そういったことの全てが、あの一言には込められている。
「父さん?」
「ん? ああ、ごめん。なんでもないよ」
もっとも、ご覧のとおりの有様で、まだまだ良き父にはほど遠い。
日々、勉強と悪戦苦闘の毎日だ。
それでも、それを言い訳にはしたくない。
シモーヌには世界一頼りになる父親だと思っていて欲しい。
「それで? 何があったんだい?」
「だから、なんもないって」
「そうかい? 随分と落ち込んでいるように見えるけど」
「……父さんは時々鋭いのがずるいわ。普段はぼーっとしてるのに」
シモーヌはぽつりぽつりと話してくれた。
自分の生まれのこと、魔族の胎動のこと、やがて来るかもしれない不穏な未来についても。
「でも、これはアタシの問題であって、アレアたちに当たることじゃなかったわ。後で謝らなきゃ」
「んー……。それはきっと、アレアちゃんたちは寂しいんじゃないかなあ」
「? 寂しい?」
シモーヌはきょとんとしている。
説明が必要なようだ。
「アレアちゃんたちは友だちだろう?」
「ええ、すっごくいい友だちだわ」
「もしシモーヌがアレアちゃんに、これはわたくしの問題だからって一線引かれたら、どう感じるだろう?」
「……なるほど、それは寂しいわ」
既に触れたとおり、シモーヌは敏い子だ。
僕がいち説明するだけで、十も二十も理解してしまう。
「悩むことがあったら、一緒に悩んで貰うといいよ。その代わり、彼女たちが悩むことがあったら、シモーヌもその荷物を一緒に持ってあげればいい」
「父さんも子どもの頃そうしてた?」
「……父さんは、それが出来なかったから、色んな人に迷惑をかけてしまったね」
苦い経験だ。
「僕自身が出来なかったことを、シモーヌにしろというのは不当に思えるかもしれない。でも、シモーヌには同じ後悔はして欲しくないかな」
「そんなにガチガチに考えなくてもいいわよ。父さんもアタシもそんな聖人じゃないんだし」
「そう言って貰えるとね」
「まあ、覚えておくわ。だいぶ気持ちが楽になった。ありがと」
そう言うと、シモーヌは先ほどよりも明るい顔で笑った。
私はほっと胸をなで下ろした。
「話は変わるけど、帝国に来てからアレアちゃんに変わったことはないかい?」
「アレア? 別に普通だけど」
「そう……」
なら、「あれ」は僕の杞憂なのか?
「ああ、そういえば。関係あるか分からないけど、彼女の無色が使えなくなってるみたい。理由は分からないけど」
「――!」
やはり、か。
「シモーヌ。アレアちゃんは君が辛いときに、きっと力になってくれる」
「どうしたのよ急に。そうね、きっとそうだわ。っていうか、もう何度も世話になってるし」
「だよね。だから、彼女がこれからきつい目に遭ったとき、シモーヌも彼女の力になってあげて」
「? ええ、まあ、そうするけど」
シモーヌはいぶかしんでいる。
「え? アレアに何かあったの?」
「まだなんとも言えない。ダンジョンで手に入れた資料に気になる記述があって、フィリーネ様とも相談しているところなんだ」
「フィリーネ様? どうして彼女が出てくるの?」
「ちょっと規模と影響が大きい話なんだ。申し訳ないけど、今の段階では娘であるシモーヌにも言えない」
彼女をこれ以上不安がらせる訳にもいかないし。
「シモーヌは一旦このことは忘れて大丈夫だよ。それより、気を強く持って魔族の動きを気にしすぎないようにね」
「なんか納得いかないけど……まあいいわ。アタシは大丈夫。アレアのことも任せて」
「うん、いい子だ」
「じゃあ、そろそろ戻るわ。アレアもリリィも心配してると思うし」
そう言って、シモーヌは宿に戻っていった。
「さて、私も作業を再開しようか」
とは言え、気になることはある。
アレアちゃんがかつて抱えていた血の呪い、消えてしまったという無色の能力、ダンジョンで入手した資料、トーキちゃん……。
ボクの懸念を一言でいい表わすなら――。
「このゲート……本当に直していいものなんだろうか」