月明りの下で鳴く虫の声。
鼓膜に煩く響く鳴き声で、意識は覚醒してゆく。
「う、ぐっ……眩しい」
瞼を開けると強い光で目を焦がされ、自然とまた閉じてしまう。
起き抜け一番に、天からそそぐ月光を見たせいだ。
目に痛みを感じた俺は、一度ギュウッと強く瞼を閉じ、今度は光りに慣らすようにゆっくりと目を開ける。
「……ここは、どこだ?」
光りに目が慣れて見える、自分の周りにある異常なほど大きい葉っぱの数々。
これまで見た事もない巨大な植物が、ただ生えているだけなのに俺を威圧する。
「どうして俺は、こんな場所に……?」
目覚めたばかりで頭が回らない。
だけど、思考がハッキリとしていき――
「ああ、そうか。 俺は白鳥達に体を縮められて、そしてあいつらに見つからないように隠れていたんだった」
強い眠気に耐えられず、そのまま眠りに落ちてしまった事。
また、自身に何が起きたのかを思い出した。
「……夢じゃなかったんだよな。 まさか、自分の体が人形のように小さくなるなんて。 実際にこんな姿にされても尚――」
信じられない気持ちのまま、周りにうっそうと茂っている巨大な葉っぱと、自分とを比べる。
それを見てどうしようもなく小さくなったのだと、嘘だと思う心に嫌なほど現実を突きつけられ、途方に暮れる。
そんな自分に、更に追い打ちをかけるように冷たい風が吹き、周りの草葉が葉音を鳴らす。
「さ、寒ッ!」
当たり前だ。 俺は今、何も服を着ていない丸裸の姿。
夜風は冷たくて凍えてしまいそうだ。
なので、両手で体を擦りながらその場で身を屈めて縮こまる。
こうしているだけで幾分かは身体が温まり、マシだからだ。
「はぁ……温まってきた」
徐々にだが、冷えきった体温を取り戻してきた。
最悪、凍死はしないだろうと安堵した俺は、余裕ができて大事な事に今さらながら気付く。
「そ、そうだ! 速人と健太はッッ!」
忘れてはならない大事な友達。 自分と同じように小さく縮められた仲の良い奴等。
二人がどうなったのかと心配になり、嫌な不安に駆られ、俺は草むらの出口に走りだす。
どうか無事でいてくれと願って。
そして、深い森のような草むらを抜けた先で――
「いない。 そんな……」
明かりすらついていない真っ暗な校舎。
人の気配なんてありやしない。 もちろん速人達二人の姿も。
本当に居たのかと疑わしく思うぐらい、痕跡が何も残っていなかった。
「嘘だろ。 いったい何処へ行ったんだ。 ――ま、まさか白鳥達に……」
最悪な想像をしてしまう。 二人はやつらに捕まってしまったのではないかと。
いや、きっとこの想像は正しい。
なんせ白鳥と天上院は、自分を捕らえようとして草むらの中を探していたのだから。
だから、二人はきっと……。
「うぅ、く、くそッ!!」
俺の叫び声が、月明りだけの暗闇の中で木霊する。
そんな自分に向けて、嘲笑うかのように風でなびく葉音と虫の鳴き声が、よりいっそう煩く響き渡っていた。
ああ、寂しさや強い孤独感に襲われる。
夜の学校というのは何て言うか不気味で、その中に自分一人だけが取り残されているのだから。
「……クソ、こうして嘆いていても仕方がないな。 速人と健太が無事だと信じて、今は自分自身の事をなんとかしないと」
荒れた気持ちを無理やり落ち着かせて、自分のこれからを考える。
いつまでもこんな所にいたら、朝になったら俺を捕まえに白鳥達が戻ってくるかもしれないからだ。
「まずは、そうだな……家に帰らないと。 いや、家よりも先に警察に行く方がいいか。 ……でも、どうやって?」
自分の家は学校から何キロも先。 交番に行くにしても学校から離れている。
「そこまで歩いていくのか? この姿で」
正直に言って無理だ。
今の俺では一日二日で行けるような距離ではない。 ――それに、
「うわッ!」
ガサガサと近くの茂みが揺れ動く。
すぐ近くで虫が徘徊しているせいなのだろう。
小さくなった今の自分と鉢合わせしたらと思うと、怖くてたまらない。
「こんな恐怖に耐えながら、何日も歩いていくなんて絶対に無理だ。 正気を失ってしまう。 ……でも、無理だと言っても、唯一助かる道は交番で助けを求める事なんだよな。 家に帰るよりもまず先に交番で助けを求めた方が、速人達も俺と同じように助けてもらえるはずだし……よしッ!」
心を奮い立たせ決意を固める。
交番に行けば、皆助かるんだという希望を胸に、怖さを誤魔化して。
「待っててくれよ! 速人、健太。 必ず助けるからな」
俺は草むらの中から見晴らしの良い砂利道に出て、学校の入口、つまり校門の方へ走り出した。
砂利道に出た理由は、草むらの中には何が潜んでいるのか分からなく、怖いからだ。
それに、何と言っても砂利道の方が歩きやすくてマシであるため。
「あ!? うぁぁッ!」
とは言っても、砂利の一つ一つが大きくて、油断したら躓いて転んでしまうという危険はあるのだが。
「うぐぐ、頑張れ俺。 負けるな……」
転んだ拍子で膝をすりむいて血が出てしまった。
それでもジンジンと痛むのを堪え、俺は立ち上がってひたすら駆け出す。
汗で全身に土汚れが付着し、みずぼらしい姿になろうとも。
この青年『岩田 正司』は知りもしない。
正司が土にまみれて頑張っているこの時間に、元凶である三人の娘達は、それぞれの自宅で気持ち良く布団に包まっている事を。
一日の汚れを温かいお風呂で洗い流し、体から石鹸の良い匂をさせてスヤスヤと。
「ハァハァッ! 俺が頑張るから、どうか速人、健太、無事でいてくれよ」
三人の同級生の女子と、汗を垂らして走る正司とは酷く対照的な姿だ。
……本当に残酷なぐらい。
そしてもう一つ、正司は知りも、気づいてもいなかった。
転んだ拍子に出来た傷が、既に塞がりだしている事を。
……………………
………………
………
~ それから幾ばくかの時間が経ち、空から朝日が差し出した頃 ~
「ゼェ……ハァ……ゼェ……ハァ……やっとここまでこれた」
正司は校舎の玄関近くにある壁を背にし、座り込んで走った疲れを取っていた。
そうしたおかげでバクバクと早鐘がなっていた心臓の鼓動が、正常へと戻っていく。
「ふぅ……なんだ、もう空が明るくなってきているじゃないか。 今は何時なんだろうか?」
現在の時刻が分からない。 あの草むらの場所からどれだけの時間が経ったのかも。
体感では、かなりの時間が過ぎているとは思う。
「いつもは歩いて五分ぐらいの距離を、まさかこんなに長く掛かってしまうなんてな。 ここからまた学校の外へ出て走るのか……」
いい加減げんなりとしてしまう。
たったこれっぽっちの距離をこれだけ長く掛かり、走ってきたのだ。
学校の外にある交番までは、今の非じゃないほど遠いのだと思って。
「流石に心が折れてしまいそうだ……。 ん? あれは――」
ぐったりと壁に背中を預けてぼやいていると、校門からこちらへ歩いてくる一つの影が見えた。
朝日の逆光で黒く見える、人間の人影が。
一歩一歩こちらへ来るにつれて、その正体が自分の良く知る人影である事に気付く。
「せ、先生? ――先生じゃないかッ!」
こちらへ歩いてくる人物は、俺の担任の教師である『キノちゃん先生』。
少し大きなバッグを肩にかけ、俺の座っている場所へと歩いてくる。
「うわッ! うわわ……」
近づくにつれて、ドシッ! ドシッ! と地面を踏む音が激しくなる。
先生の履いている黒い靴が地面を打ち付け、信じられないほどの土ぼこりを巻き上げて。
それほどまでにインパクトのある光景。
あんなに小柄で小さかった先生であっても、今の俺からすればビル以上に大きい怪物みたいもの。
だから、仕方ないと言えばそうなのだが。
「――先生はただ歩いているだけなのに、これほどかよ……」
自分の現状の姿と比べて悲しくなる。 元は先生と同じ、それよりも俺の方が身長があったはずなのにと。
だが、悲観ばかりしていられない。 これは、俺に降り注いだ絶好のチャンスでもある。
「ああ、そうだッ! 先生に助けてもらえれば、わざわざ交番まで行く必要がないじゃないか!」
先生を見て思った。 何で俺一人の力だけで交番まで行こうとしていたのかと。
人に、先生に助けてもらえば簡単に事が進むじゃないかと。
「オーイッ! 先生! キノちゃん先生~!!」
だから俺は立ち上がって、ブンブンと両手を振りながら先生に向かって叫んだ。
気づいてもらおうとジャンプもしたり、俺に出来る事は何でもして。
――だが、
ズシッ…… ズシッ……
先生は俺にまったく気付く様子もなく、こちらへ歩いてくる。
真っ直ぐ前だけを向いて、下なんて見てもいない。
「キノちゃん……せん…せ……? ぁ……あぁッ!」
相変わらず地面を打ち鳴らしながら近づいてくる黒い靴。
迫力に負け、先生に向けて叫ぶ声は、自然と小さく小声になる。
余りの恐怖で顔が引きつったまま立ちすくんで動けなかった。
遠くからでは本当の意味で分からなかったのだ。
《人間の、歩く行為の恐ろしさを》
自分でビル以上に大きいと先生の事を比喩していたのに、それがどういう事なのかまったく理解していなかったので。
「ヒッッ!」
目の前に降り落ちる先生の黒い靴。
靴から見上げていくと白い靴下が見え、そこから肌色の先生の脚が、何処までも高く伸びている。
こんなのに下敷きにされたら、今ならハッキリとどうなるのか想像がつく。
今の俺という存在が、簡単に靴底の染みになるという事を……だ。
そんな、そんな巨大な建造物みたいな物が、動いて降り落ちている。
街中で見る、ただ聳え建っているビルみたいな物が、上空から何度も……。
「……ぁ」
突風を上げながら、もう片方の先生の足が頭上を通過して降り落ちた。
背にしている正面玄関に続いた、たった四段の階段に、俺を跨いで。
「うぁ……ぁぁ……」
あまりの迫力で尻もちをついてしまった俺は、空を見上げる形になり、ある物を見て馬鹿みたいに口をあんぐりと開けたまま呆けてしまう。
なんせ、視界いっぱいに埋め尽くされていたものは――
「パ、パン……ツ」
キノちゃん先生が穿いている生の下着だったからだ。
「ご、ごめん! キノちゃん先生」
無意識に謝って視線をそらす。
先生の、見てはいけないものを見てしまった罪悪感で。
――でも、自然とまたそらした顔が上を向く。
異性からは馬鹿だと思われるかもしれないが、思春期であるためどうしても目が勝手に向いてしまって、自分ではどうしようもないからだ。
「う、ぁ……すっ……ご」
キュッと割れ目に食い込んでいる先生の下着。
見ただけで柔らかそうな、プニプニとしたキノちゃん先生の大事な秘所。
あの幼いような童顔の先生からは、想像もしていなかったほど官能的な光景。
それに、足を階段に下ろしたせいで、下着の傍にある先生の太ももが波打ってもいる。
またそれが酷く扇情的(せんじょうてき)で、好奇心がくすぐられる。
ググッ……グググッッ!
「う、ぉぉッ……」
そんな先生の下ろした脚は、もう一方の脚を持ち上げようと力を込めているようだ。
どうして分かるのかと言うと、ふくらはぎがこんもりと膨らんでいるため。
こうして小さくなって初めて知る、足元にいる俺にしか分からない人間の体の細かな動き。
明白に、ありありと人間の筋収縮までもが分かってしまう。
プルプルと波打っていた太ももそうだ。 “普通” なら気にもならないのに、余りにも体格差が違う為に分かる。
「うわぁぁぁぁッ!」
キノちゃん先生が足を地面に下ろしただけで、また恐怖に身が縮こまる。
下着を見て性的興奮を覚えていたのが、一瞬で消し飛ばされてしまった。
ガクガクと震えている俺に構わず、先生は歩いていく。
階段を上って、校舎の中へと。
「ぁ……まずい! 先生!」
歩き去っていく先生を見て、我に返って大声で叫んだ。
先生に気づいてもらおうと一生懸命に。
「せんせぇぇぇぇぇッ!」
いくら叫ぼうが、先生の耳にまで俺の声は届かない。
変わらず小ぶりなお尻を左右に振りながら、先生は校舎の奥へと入って行ってしまった。
「待ってくれぇぇぇ!! キノちゃん先生、気づいて……くれよぉ……」
叫び声も虚しく、とうとう先生の姿は俺の目から完全に見えなくなる。
あんなに俺の視界を埋め尽くしていた巨大な存在が、忽然と。
今では何事もなかったかのように、また辺りに静けさを取り戻してしまった。
「うぅ、くそッ! 気づいてもらえなかった。 キノちゃん先生のパンツに見惚れて、何をしているんだよ俺は!」
今さらながらに後悔するが、もう遅い。
でも、これからすべき行動方針は決まった。
交番に向かわず、このままキノちゃん先生の後を追って助けてもらおうと。
長い道のりをがむしゃらに向かうより、絶対にそっちの方が安全で早いからだ。
「落ち込んではいられないな。 まずはこの階段を登らないと。 しかし、これを登って行くのか……。 一段一段が高すぎる」
目の前に聳え立つ四段の階段。
別に登れないことはない。 今の俺からすると、階段の細かな窪みに足を引っかけられるからだ。
でも、相当苦労はしそうだ。 一段だけでも、一階建ての一軒家ほどの高さがある。
「よい、しょっとッ!」
そんな高さのある階段を、さっそく掛け声を出して登り始める事にした。
細心の注意を払って、落ちないように気を付けて。
気を使いながら登っているせいで時間が掛かってしまうかもしれないが、安全に越したことはない。
こんな状態で怪我でもして、もし動けなくなったりしたら一大事であるため。
焦らず慎重に、確実に――。
「ハァハァ……。 ふんッ!」
登っている途中、別の先生が通り過ぎて行くという出来事があったが、まあ、気づいてもらえる事はなかった。
分かっていた。 キノちゃん先生もそうだったから……。
先生達にとって今の俺は、意識を向けないと目にも入らない存在であるため。
(何か方法を考えておかないと……)
なので俺は、考えながら残りの段数を登っていったのだった。
先生が、足元に意識を向けてくれそうな方法を模索しながら。
――次こそは絶対に気づいてもらえるように。
……………………
………………
………