「あ”あ”ぁぁ!! やめろ! やめてくれぇぇぇ!!」
一人の男が “お箸” に摘ままれ、そしてスキレット(小さなフライパン)の中に満たした白い液体の中に入れられた。
「ギャアアアッ! あつッ! 熱いぃぃ!!」
液体の中に入れられた男は、バシャバシャと暴れながら悲痛な叫び声を上げる。
……当然だ。
この白い液体はガスコンロでグツグツと温められており、沸騰しているからだ。
そんな100℃以上はあるはずの液体の中に、男は入れられたものだから堪ったもんじゃないだろう。
「あ”がッ! やべで……うぶッ…………」
熱したスキレットの中から必死になって男は脱出をしようと試みるが、ある女の持つお箸で押し付けられ、液体の中にまた沈められる。
「ふ~ん♪ ふふ~ん♪」
この鼻歌を歌っている、『月城 梨沙』という女に。
「こ、こんなのって……」
あまりに惨い光景だ。
肌が焼けただれた男をお箸で挟みながら、まぶすように何度も液体の中で浸す光景は。
慣れた手つきで、既に悲鳴を上げる事がなくなった男を……。
「さあて、そろそろ柔らかくなってくる頃合いかしら」
そう言って女は、白い液体に沈めた男をお箸で押し付けたり、突き刺したりして、体をほぐしていく。
みるみる内に男の体はバラバラになり、液体そのものとなる。
「ふふ、よし♪ あ……と、 “材料” の名前を記入する付箋が無くなっちゃったわ。 え~と予備はどこに置いて…………」
ドスドスと足音を響かせて、女は付箋を探しに部屋から退室して行った。
残された俺は、未だグツグツと沸騰して煮える白い液体に、閉じ込められたグラスの中から視線を向ける。
――男が溶かされてしまった、得体の知れぬ白い液体に。
……あの男だけじゃない。
たくさんいた人達は、一つ一つ別種のスキレットの中で溶かされ、みんな消えていった。
残りは自分一人だけ……。
――ああ、何でこんな目にあっているのだ。
朝起きて、隣に住む憧れの人に久々に出会い、今日は良い一日になると思っていたのに……。
◇
~尾上 久志~ (32)
(おがみ ひさし)
「いってきます」
両親が離婚して、自分一人が住むようになった一軒家のドアを開けて外へと出ると、朝日が出迎えるかのように顔を照らした。
「眩しいな……」
前日の曇り空とは違い、今日は良く晴れている。
予報では当分晴れが続くと言っていたが、それはそれで毎日スーツを着こんでいる自分からすれば暑くて嫌だ。
「まあ、雨が降るよりかはマシか。 さて、今日も頑張って働きに行きますか」
パンパンと頬を両手で叩き、まだ眠気がある頭に喝を入れる。
そしてさっそく駅に向かおうといつもの道を歩こうとした時、隣の家から「いってまいります、お母様」と言う丁寧な挨拶が聞こえてきた。
「この声は加恋ちゃんだな」
声を聞いただけで誰の声なのかすぐに分かった。
なんせ、ずっと昔からお隣さん同士で、かれこれこの一家とは17年の付き合いになるからだ。
だから、当然出会えば――
「おはよう、加恋ちゃん。 それと、美奈子さんも」
「あ、おじさん、おはようございます」
「あら、久志くん。 今から出勤?」
こんな風に気兼ねなく『葉山 加恋』ちゃんと、そしてその母親である『美奈子』さんと挨拶をする仲だ。
「ええ、そうです。 それにしても加恋ちゃんは朝早いね、まだ7時なのに」
「はい、生徒会で忙しくて……。 と、ごめんなさい! そろそろ行かないと。 おじさん、私はこれで失礼します」
「ああ、気を付けてね」
お辞儀をして、テクテクと姿勢良く歩いて行く加恋ちゃん。
格式高い学校に通っているおかげか、言葉使いや所作がとても洗練されている。
ちょっと前までは年相応の感じだったのに、少し見ない内にこうも変わるなんて、この年代の成長とは早いものだ。
「久志くんもこんなに朝早くからなんて、いそがし……あら? ちょっと待ってて」
「……え?」
加恋ちゃんを見送り、喋りかけようとした言葉を途中で止めた美奈子さんは、玄関からテクテクとこちらへ歩いて来て、自分のネクタイに手をかける。
そんな目と鼻の先にまで急に近づかれたものだから、驚いた声を上げてしまった。
「ちょ、美奈子さん!?」
「ネクタイが曲がっているわ。 結びなおすから少しジッとしててね」
「ぅ……はい」
初恋の人がこんなに近くにいるので、やっと出せた言葉が「はい」という返事だった。
美奈子さんに変に思われていないだろうか? いや、それよりも自分の顔が赤く染まってそうで恥ずかしい。
~思えば、美奈子さん……いや、葉山さん夫妻が、自分が15の時に隣に引っ越してきて、それから叶わぬ恋に落ちてしまたのをまだ覚えている。
あの時はまだ美奈子さんは19かそこらだったはずだ。
若い時も綺麗だったが、今でも本当に変わらず美しい。
そんな人が、すぐ目の前で自分のネクタイを直してくれている。
だからこそ香ってくる美奈子さんの匂い。 とても良い香りだ。
ああ、夢のような時間……。 ずっとこのまま時間が止まれば良いのにと思うが、でも、こうして甘えている訳にはいかない。
だって、美奈子さんには結婚している相手がいるのだから。
「み、美奈子さん! あのっ! 旦那さんに悪いですから自分でしますって」
「ああ、動かないで? 良いからジッとしててちょうだい。 夫の事は気にしなくてもいいから。 ……もうあの人はいないし」
「……え? へ!?」
いない? いないとはどういう事だ? もしかして俺の知らない間に、うちの両親のように離婚したのだろうか?
「えっと、それはどういう――」
「はい! 綺麗にネクタイを直したわ。 うふふ、よりいっそうかっこよくなったわ、久志くん♪」
「あ、ありがとうございます……」
思わず気になって、離婚したのかどうかだけでも聞こうとしたのだが、美奈子さんは丁度ネクタイを直し終わってしまった。
「私が勝手にしたお節介だから気にしないで。 でも……うふふ♪ あのやんちゃだった久志くんがこんなに立派になるなんて、何だか嬉しい」
美奈子さんの言う通り、出会った当初はグレて喧嘩ばかりしていた。
丁度あの頃から両親の仲は悪く、家庭内はボロボロだったからだ。
「あ、あの頃の話は止めてくださいよ美奈子さん。 それよりも、美奈子さんは今でも全然若いです! 変わらず綺麗ですって!」
「うふふ、久志くんに言われるとお世辞でも嬉しい」
「いやいや、お世辞じゃないですって! マジですから!」
「まあ、ありがとう♪ 実は最近、一段と美容に気をつかっててね……って、ごめんなさい久志くん! 今から出勤なのに呼び止めちゃったわね」
「あ、いえ! 時間に余裕を持って出てきましたから大丈夫ですよ。 今から駅に向かえば余裕で間に合いますから」
「そう? でも悪いから日を改めてお話をしましょ。 あ、そうだわ! 今度久しぶりにうちに来てご飯でもいかが? 今は加恋ちゃんと私、二人だけで住んでいるから余っちゃって」
「それは……俺としては嬉しいんですけど、本当にいいんですか?」
「もちろんよ! 是非いらっしゃい」
(やっぱり旦那さんとは別れたのだろうか? それに加恋ちゃんと二人だけで住んでるとはどういう事なんだ? 真一君は?)
色々と疑問はあるが、聞いていたら深い話になりそうで時間が足りない。
せっかく食事に招待してもらえたのだから、その時にそれとなく聞こうと思い、聞き返す事を止めた。
「それでは美奈子さん、俺はそろそろ行きますね」
「ええ、お仕事頑張ってきてね久志くん。 いってらっしゃい」
胸元で小さく手を振る美奈子さんを背に、俺は駅に向かって歩いて行く。
何だか憧れの美奈子さんと夫婦になったようだ。
眠気も覚め、軽やかな足で歩きながら、今日は最高の一日が始まる――そう思っていたのに、電車を降りて早々俺は、ある事件に巻き込まれる事となった。
「ちょっと! 止めて! 痛いから手を離してよ!」
「やっとお前を見つけたんだ、離すかよ! いいからあいつを何処にやったんだ! お前があいつを連れていったまま、ひと月も帰ってきていないんだぞ!」
「お前って呼ばないで! 私には『月城 梨沙』という名前が――い、痛いってば! 分かった、教えてあげるから。 とりあえず人通りの少ない場所に移動しましょう?」
「――なら、こっちへ来い!」
まだ二十台ぐらいの女性が、一人の中年男性の手に無理やり引かれて、狭い路地裏の方へ連れて行かれる光景が目に入った。
「た、大変だ!」
辺りを見回すと、皆は助けるつもりがないらしく通り過ぎていく。
なんて薄情なんだろうか。
「それよりも警察に電話を――いや、そんな事をしている間にも、あの女の人に危害が加わるかもしれない。 早く助けにいかなければ」
急いで二人が消えた路地裏へと向かう。
正直腕っぷしには自信があるため、あの男一人なら何とか出来ると思っていたからだ。
そして、女性を助けようと息巻いて飛び出したのだったが、そこには――
「おい、あんた! こんな所に女性を引っ張ってきて何を……えっ…………え!?」
自分の思っていたのとは違う、信じられない光景が目に入った。
「……あ……がっ…………」
「ひ、人が、小さくなって……」
てっきり襲う立場だと思っていた男は、女性に羽交締めにされて身悶えていた。
そればかりか体がみるみる縮んでいっている。
小さく……小さく――。 服が地面にパサリと落ちるほどの、人形サイズまで。
「まったく、これだから粗暴な男は大嫌いよ。 ただの食材の癖に」
地面に落ちた服をまさぐり、中から人形サイズまで縮んでしまった男を目の前にまで掴み上げて、悪態を吐く女。
そんな女は、俺が一部始終を見ていた事に気付いたようで、お互い目が合ってしまった。
「あら、あなたは誰?」
何で自分がここにいるのかと、本当にキョトンとした表情で私に問いかける。
「え、あ……俺はあなたが襲われていると思って助けに……。 い、いやそれよりもそれって人……?」
女が右手に持つ縮んだ人間を見ても、現実離れしすぎて未だ信じきれない。
俺を驚かそうと、この二人の男女にマジックか何かを見せられたんじゃないかと、正直思ってしまっている。
「そう、私を助けようとしてここに……。 でもごめんね? 見られたからにはあなたをそのまま帰す訳にはいかないの。 ……だから」
喋りながら、女はコツコツとハイヒールを鳴らしてこちらへ近づいてくる。
ミディアムヘアの綺麗な女性がニコニコと笑みを浮かべながら、赤い液体が入った真新しい注射器を左手に持って。
「や、やめろ……くるな…………。 ――うわぁッ!」
異様な恐怖を感じてジリジリと後ずさるが、足を躓いてしまい尻もちをつく。
そんな自分の傍に女は目線を合わすようにしてしゃがみ込み、何の躊躇もなく注射針を俺の首筋に刺してしまった。
「……ッあ?」
チクリという痛みの後、視界は瞬時に歪みだす。
酒を飲んで酔ったみたいにグニャグニャと。
「な……に……を…………」
視点が下がり、体があの男みたいに縮んでいっているのが分かる。 ――それにとてつもない睡魔が襲ってくる。
これも全部、あの注射針で刺されてから身に起きた事。
「ハァ~無関係な人を縮めてしまったわ。 でもまあ、“材料” が増えたと思えばいいかな」
眠りに落ち行く間際に聞こえた声。
女が言う “材料” という意味は、俺が目覚めすぐに知る事になる。
……なんにせよ、こうして最高の一日になると思っていた日は、最も最悪な一日となって始まったんだ。
――そして現在。
俺やあの男を小さく縮めた女は、新しく持ってきた付箋を手にして戻ってきた。
「あったあった。 え~と資料によれば名前は……柿本 昭義さんね」
付箋を持ってきた月城 梨沙という女は、さっそくボールペンで何やら書き込んでいる。
恐らく、白い液体の中で溶かした男の名前を書いているんだ。
あの路地裏で、俺と同じように小さくされていた男の名前を……。
「よし、ついでに “これ” の名前を書いておこうかしらね。 え~と、尾上 久志さんっと」
女は俺の名前も記入しているみたいだ。
なんの為に記入しているのかは分からない。
でも、恐らくさっきの男と同じ目に、俺も遭うという事だけは分かる。
ほら、女は新しく置いたスキレットの中に、白い液体を入れ始めた。
火力が強いのか、蒸発した湯気がモクモクと上がる。
そんな光景を透明なグラスの中から見せられている。
逃げようにも、グラスの中から出られないため。
「や、やめてくれ……嫌だ、死にたくない」
グツグツ……グツグツ
無情にも白い液体は沸騰しだす。
ボコボコと水泡が膨らみ破裂を繰り返して、如何に高温なのかが見ただけで分かる。
「うん、良い感じに温まってきたわ。 じゃあさっそく……」
「ウワアァァァッ! いやだぁぁぁぁッ!」
二本の棒が自分目掛けて迫る。
お箸で掴もうとしているのだ。 俺を沸騰している白い液体に入れて、あの男達みたいに溶かすために――。
「ギャアアアアアッ!」
沸騰した液体の中で絶叫を上げる尾上 久志。
体は熱湯で焼けただれ、梨沙の持つお箸でバラバラにされ溶かされていく。
骨すらも残さず、久志の全部を――何もかも……。
これは、縮められたその日の内に起きた出来事。
梨沙によって久志の “人生” は、ひっそりと終わったのであった。