SamSuka
雪降らないかな
雪降らないかな

fanbox


雑記:共感覚の消失点について

 昔からパースの概念が苦手だ。

 ここでいうパースとはこういう透視図法のことで、要するに立体感や遠近感のある絵を描くための技法の一つだ。

 パースの説明をするのにこういう図を描いている時点でもうダメさが滲み出ている。

 さて、パースが苦手ということは取りも直さずモチーフの実在感や立体感を描くことが苦手ということになり、実際わたしは背景や物体を描くのが苦手で仕方ないのだが、最近はドローンカメラやスマホカメラの進化により、ちょっとしたひとコマや人物のカットにもパースを効かせるのが当然のようになってきた。ということは、そういうのを会得せずに放置しているといよいよ置いてかれる感じになってきたことになる。

 そういうわけで、今回漫画を描くにあたってキャラのパースを意識して描こうと思ったのだけれど――どうも脳のなにかが噛み合ってない。しっかり消失点を取って丁寧に下書きをしてパースをとっても下手とか苦手とか以前に、たとえば指の数をランダムにして手を描いてるような、「間違ったことをしている」気分になる。

 結論からいうと、私の脳ではおそらく「共感覚の遠近感」と「視覚の遠近感」が独立して作用している――のだろうということになった。

 透視図法における消失点がなぜ無限遠にあるかというと、それは目(レンズ)と光を基準にしているからだ。人間の視覚やカメラは目(レンズ)に入ってきた光を分解する形で視覚情報を獲得する。光は光速で直進してくるので遠くから来る光ほど情報が圧縮され、それがレンズの分解能を超えた部分が事実上の消失点となる。

 さて、では共感覚の場合はどうか。

 ミラータッチ共感覚は一応視覚を基準とした共感覚ではあるが、しかしそれは光を基準としていることとはイコールでない。

 耳で聴こえないほど小さな音を存在するとは思わないように、あまりに小さいもの、遠くて身体感覚にフィードバックできないものはそもそも共感覚の閾値の外だからだ。

 「消失点」をその五感が認識できる限界の遠さだとするなら、共感覚における「消失点」は視覚のそれよりずっと手前にあることになる。そしてそれがおそらく、私が普段絵を描いているときに認識している「パース」であり、私が普段感じている遠近感なのだろう。普段使っている遠近感を無視して別の遠近感メモリを無理やり引き出そうとしたので、ここのところやけに脳に負担がかかっていたのだと思われる。

▲共感覚のパースをあえて図解するならこのような感じだ。自分から少し離れた地点にブラックホールの模式図のような「穴」がいくつも浮かんでおり、その穴の一番奥が消失点になる。


▲共感覚のパースをそのまま使えるのでよく描いている構図


 まあ、こういう透視図法との整合性を無視して人物にパースをかけるのはごく当たり前に行われている技法だし、これ自体は別段珍しいことでもない。ただまあ、ここ最近の私事全般に言えることだが、自分の視界とマジに噛み合ってない感覚を認識するのは一定の手順と整理がいるという話だ。

雑記:共感覚の消失点について 雑記:共感覚の消失点について 雑記:共感覚の消失点について 雑記:共感覚の消失点について

More Creators