改変された世界の片隅で ~異常な世界にも良いところがありました~
Added 2018-09-20 12:47:55 +0000 UTC開かれた箱が、まるで怪物が口を開いているように感じる。 用意された真っ黒な箱。管理人さんにその中に入るように促された。 (は、入れと……? この中に……) とてもじゃないけど、入れるとは思えない。箱は明らかに小さくて、限界まで身体を縮めて入れるかどうか。 ましてや、いまは後ろ手に拘束されていて、普通より小さく丸まれない。 私が逡巡している間に、さっきトイレですれ違った子が隣にやって来た。その子はとても慣れた様子で開かれた箱の中に足を入れ、まるで最初からそこに収まっていたかのような滑らかさで身体を倒しながら折り畳み、手伝いの人たちにベルトを締めてもらって身体を固定されたかと思うと、何事もなく蓋が閉められ、そしてキャスターを使って壁際に運ばれていった。 かつて出入り口があったところには、空港でよくみる荷物を運ぶベルトコンベアの入口のような穴があり、箱はそこに乗せられて消えていった。 あまりに早い。人が一人消えるのを、呆然と見送ることしか出来なかった。 「ぼんやりしてないで! 急がないと遅刻するわよ!」 唖然としていた私のお尻を、管理人さんが無造作に叩く。 管理人さんに怒られることは昨日までにもあったけど、そんな風にお尻を叩かれたことは無かったので、ものすごく驚いた。 管理人さんは厳しい目で黒い箱に入るよう私を促す。 その厳しさに動揺した私は、言われるがまま、箱の中に片脚を踏み入れてしまった。 (でも、どうやって入れ、ば……?) ここで、また不思議なことが起きた。 私の身体は勝手知ったるとばかりに、箱の中に身体を折り畳んで収めていったのだ。さっきの女の子と一緒だ。それをするのが自然、とでも言いたげな、滑らかな動きだった。 絶対入れないと思っていたのに、上手く身体を丸めて、頭を曲げ、器用に箱の中の空間に自分の身体を収めてしまう。 管理人さんがそんな私の身体を、さらにベルトで引き絞り、固定すると同時に圧縮して箱の空間に収まるようにしていく。 ベルトが胸やお腹に食い込んで来る。ただでさえラバースーツで圧迫感があるのに、さらに押さえつけられて私の身体は相当押さえ込まれていた。 (ぐぐっ……苦しい……っ) ただでさえ全頭マスクで苦しいのに、狭いところに詰め込まれ、全身を締め上げられて苦しくないわけがない。 自由を求めて身体をくねらせたけど、ギシギシとベルトが軋む音しか出なかった。 ただ、その苦しみはまだまだ序の口だったと、すぐに知ることになる。 「それじゃあ、勉強頑張ってね」 そう言っていつも見送ってくれる時のような笑顔で、管理人さんが箱の蓋をゆっくりと閉めてしまう。蓋の裏側はクッションみたいな柔らかな素材になっているようで、私の身体にフィットしながら押し潰そうとしてくる。 (つ、潰れちゃう……っ) 空気が圧縮され、隙間から噴き出すような音が響いたと同時に、全身に強い圧迫感を覚え、そして視界は完全な暗闇に閉ざされた。 指先ひとつ動かせない状態で、自分の呼吸する音とベルトが軋む音だけが狭い箱の中に響く。 私を囲っている周囲の壁から、カチリカチリと鍵をかけているような音が響いてきた。 (……うう……どんなに暴れてもびくともしそうにない……この分じゃ、教室についてもなにが待っていることやら……) 朝起きてここに来るまでですら、めちゃくちゃなことばっかりだったのに。 果たして次は何が待っているのかと想像するだけで怖かった。 何より怖いのは、私の意識に反して、身体はこの状況に慣れきってしまっているということだった。 極端に踵の高い靴を履かされていたのに平気で歩けたり、この箱に入るのだって平然とこなしたり。 そもそもの話をするなら、身体の中に何かを入れられていることなんて、相当ショックなことのはずなのに、こうして平然と思考していられるのもおかしいことだ。 本当ならもっと精神的にも嫌悪感とか拒否感とかあって然るべきだと思う。 なのに、私はこの状況に戸惑いこそすれ、すぐにどうにかなってしまいそうなレベルでの忌避感までは感じていないのだから。 本当なら錯乱したっておかしくないはずだ。 (いまの私は正気、なのかしら……) そんなことを考えると怖くなってくる。 私は自分こそが正常で、周りが異常だと思っているけど、本当はまったくの逆で、普通のことを異常だと感じてしまっている異常者、とか。 (そんな、ことはないはず……こんなことが普通なんて……絶対、ない) 心を強く持たないといけない。そう思いはするものの、果たしてそう思うことにどれほどの意味があるのかわからなかった。 横倒しに寝かされていた状態から、箱が起こされて体育座りのような姿勢にさせられるのが、身体の感覚でわかった。そうなると同時に身体を締め上げられるベルトの食い込み方が変わり、せっかく慣れ始めていた苦しみが復活する。 (う、動いてる……っ) キャスターが転がっていく音が身体の下から響いてくる。 それは決して大きな震動では無かったけど、箱とほぼ一体化した私にはとても大きな震動に感じた。 一瞬浮遊感があった後、機械的な振動に晒され始める。 たぶんあのベルトコンベアに乗せられたんだろう。これで教室までいくことになるんだろうか。 (ある意味、楽かも……っていやいや! 何考えてるの!) 楽なわけがない。いくら身体を動かさなくてもいいからといって、楽なんていう言葉で表せることじゃない。 実際、現在進行形で苦しみは続いているのだから。 箱にどれくらいの機密性があるのかはわからないけど、蓋を閉めるときにいかにも密閉性の高そうな、空気が圧縮される音がしていた。 そのことを考えると、かなり空気は限られている。さっきからいくら息を吸っても、苦しいのが楽にならない。酸素が欠乏しているのかもしれない。 (こんなところで……こんな風に死ぬのはいや……!) なるべく呼吸を落ち着けた方がいいのはわかっているのだけど、焦りでどうしても呼吸が早くなる。 箱から脱出しようと身体を捩っても、拘束は全くびくともしない。私は死の恐怖を感じつつ、意識が真っ白になるのを止められなかった。 不意に、呼吸が楽になる。 あぶない。一瞬意識を失っていたみたいだ。 呼吸が楽になった理由もわからず、新鮮な空気を身体に取り入れる。 「フシュー! フシュー!」 勢いをつけて息を吸ったので、変な音が響く。 そうしていたら、頭を突然軽く小突かれた。 「水下司さん? 何をしているの。早く起きなさい」 この声は担任の斉條先生だ。規則に厳格な先生で、正直少し苦手だったりする。 重い瞼を持ち上げると、その見慣れた先生の顔が目の前にあった。いや、見慣れてはいるけど、見慣れていない顔だった。 記憶にある斉條先生は六十代の年嵩の先生だったはずだ。 けれど、目の前にいる、斉條先生と同じ声をした女の先生は、どう判断しても三十代くらいだった。 確かに斉條先生っぽい感じはする。斉條先生を若返らせたらこうなるんじゃないかという感じ。肌の張りや艶が昨日までの斉條先生とは全く違う。 そしてそれは身体に関してもそうだった。若さに満ち溢れたボディラインが、やっぱり管理人さんと同じようにラバースーツで強調されている。管理人さんと違うのは、先生が着ているのはラバースーツのみで、金属製の貞操帯も首輪も見当たらないということだろう。 股間まで完全にラバースーツで覆われているのが見える。ぴっちりとしたラバースーツによって、恥丘の膨らみすら見て取れるようになっているので、見ていてかなり恥ずかしい。自分も似たような姿であるのは承知の上だけど、それでもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしかった。 思わず見入ってしまっていると、斉條先生はさらに不愉快げにその顔を歪める。 「水下司さん。起きる気がないのであれば、罰則を受けてもらいますよ」 罰則。 その言葉を聞いた途端、急に心臓がきゅう、と締め上げられたような感じがした。 慌てて身体を起こし、詰め込まれていた箱から出て立ち上がる。幸い、まだ許容範囲だったのか、斉條先生は一つ満足げに頷くと、私が出た箱の蓋を閉め、それを教室の端のロッカーに仕舞いに行った。 そのロッカーは私が昨日まで使っていたロッカーの位置と同じだった。大きさは箱に合わせて変わっているけど。 ロッカーは箱を入れるための場所になっているみたいだった。 それを見るとはなしに見ながら、私は激しく跳ね回る心臓を感じていた。 一体罰則とは何のことなのだろう。私の身体はその罰則が何をもたらすのか知っているらしく、激しく高鳴る心臓は全く収まってくれなかった。 (罰則……何をされるのかはわからないけど、受けないようにした方が良いわね) そもそも何が罰則対象になるのかもわからないから、とにかく言われたとおりにするというくらいしかできないけど。 心臓の鼓動が落ち着いて来たところで、改めて周囲の状況を確認してみる。 やっぱり箱に詰められたまま、教室まで運ばれてきたみたいだった。私の教室は三階にあって、エレベーターも一機しかなかったはずだけど、一体どうやってここまで運んだのだろう。もしかするとベルトコンベアが三階まで伸びているのかもしれない。そこまでする必要があるのかどうかはわからないけど。 すでに教室には何人ものクラスメイトがいて、皆私と同じ格好をしていた。仲の良い友達と「挨拶」を交わしている人もいれば、席に座って授業の開始を待っている人もいた。 クラスには美夜ほど特別仲のいい人はいなかったから、私は大人しく自分の椅子に座って授業の開始を待つことにする。 (わかってはいたけど……全然違うのね) 教科書やノートを持って来れなかったからどうするのかと思っていたけど、机と椅子が変わっていた。昨日までのようないかにも教室にある椅子や机ではなく、どちらもとてもハイテクなメカメカしいものになっている。 机の方はデジタル画面が斜めに埋め込まれていて、恐らくここに教科書などが映し出されるのだろう。椅子は床に備え付けられているものになっていて、たぶんだけど食堂のそれと同じように何かしら仕組みがあるのだということがハッキリわかった。 「ウゥ……」 食堂で身体の中に液体を注がれた記憶が蘇る。 (正直、座りたくは無いけど……そういうわけにもいかないわよね) 不自由な身体なので転ばないように注意しつつ、椅子に腰かける。 腰かけただけならまだ発動しないのか、それとも単に授業が始まっていないからか、まだ何も起きないみたいだった。少しほっとする。 いつもの授業が始まる前の教室なのに、とても静かだった。皆口が塞がれているから、世間話をすることもできないのだから、当然ではあったけど。 聞こえてくるのは「挨拶」をしあっている子たちの呻き声くらいだ。 ふと、教室の前の方で「挨拶」をしている子たちに目が向く。髪型も何もわからないから個人の判別はしにくいはずだったけど、なぜか私は彼女たちのことがわかった。 (山口さんと田中さん……「挨拶」する仲なんだ) ふたりは何かと張り合っては口喧嘩をすることで有名だった。ライバル関係だと周囲は認識しているし、実際ふたりが顔を合わせればまず相手の挑発から入っていたくらいには犬猿の仲である。 けれど、この世界では仲のいい相手としかしないはずの「挨拶」を、二人は長々とやっている。あれだけ長く密着していれば、食堂で美夜がやってくれたように、とっくに身体の中のものが蠢き始めているはずだ。それを感じているだろうに、ふたりはなおも離れようとしない。 金属製のブラ同士をぶつけ合いながら、身体を擦り合わせている。壁にもたれかかった山口さんの脚に田中さんの脚が絡みつき、互いの股間を押しつけ合っているようにも見えた。そんな風に擦りつけ合ってはいるけど、実際はほとんど感覚はないはずだった。 まるで愛撫しあう仕草を互いに楽しんでいるような、陶然とした笑みがふたりに共通して浮かんでいる。 (仲が悪いと思っていたけど……実は仲が良かったのかな) 言葉を剥奪された結果、逆に正直になれているのかも知れない。 そういえばふたりは言い争いはしょっちゅうしていたけど、なんだかんだ言って息はぴったりだったし、互いに互いのことはよく知っている雰囲気はあった。互いに意地っ張りだから言い争いになっていたけど。 このふたりに関しては元の世界よりも、いまの世界の方が幸せなのかもしれない。 (そうなると、私も関係性が変わってることがあり得るのかな……) 美夜とは仲の良いままだったけど、苦手だと思っていた相手と仲良くなっていたり、逆に仲が良いはずの相手と疎遠になっていたりするのかも。 知り合いを見つけても、慎重に見極める必要があるかもしれない。 そう考えていると、授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響いた。 果たして授業は普通なのか、それとも授業もおかしなことになっているのか。 斉條先生が教壇に立つのを見つめながら、緊張が高まっていくのを感じていた。 つづく