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夜空さくら
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スライムお嬢さま、会社ごと社畜OLをかう ~昼食から実験~


 わたくしの体に包まれたマスターがいました。

 マスターのお可愛らしい体は、いまは指先ひとつ数ミリたりとも動けない状態で固まっています。

 まるで琥珀の中に閉じ込められているような見た目で、事情を知らない人が見れば死んでいると勘違いしてもおかしくはないでしょう。

 まあ、水中にただ浮かんでいるのと違い、呼吸による胸の上下すらないのですから、死んでいると見るのがむしろ自然ですわね。

 けれどもわたくしには、明確にマスターが生きていることがわかっておりました。

(マスターを包んでいるのはわたくしの体なのですから、当然ですけども)

 現在、マスターは肺の中まで私の身体に満たされており、自分で呼吸する必要もなくなっていました。わたくしが体を通して新鮮な酸素を供給し続けているため、平気なのです。

 あまり長時間この状態にしておくと、マスターの体が呼吸をすることを忘れてしまい、まともに生きることも出来なくなってしまいますので、ほどほどにしなければなりませんでしたが。

 わたくしは自分が心のどこかで、マスターがそうなってしまえばいいのに、と思ってしまっているのを感じました。

(わたくしがいなければ呼吸すらできないマスター……ああ、なんとお可愛らしいこと……)

 究極の依存の形でありましょう。

 そんな風に、マスターにはわたくしに依存して欲しいのでした。

 けれど、それがマスターの意思を無視したわたくしの勝手な欲望であることも理解できておりましたので、わたくしは自重を心がけます。

(大丈夫……マスターはわたくしを受け入れてくださいました……そこまでしなくても、マスターはわたくしの傍にいてくださいますわ……)

 マスターがこの魔法も魔物も存在しない異世界に転生してしまったと知った時、わたくしはマスターを追いかけて転移して良いものか正直悩みました。

 魔物が存在しない世界で生まれ育ったマスターは、魔物であるわたくしを受け入れてくださるのか。受け入れてくださらなかったら、わたくしはどうすればいいのか。

 不安に思いながらも、マスターへの想いは止められず、転移したのです。

 ですから、スライムの姿を見せた時、わたくしが何をするまでもなく、マスターが前世のことを思い出してくださったのは、何よりの行幸でした。

 最悪の場合は、記憶操作をしなければならないかもしれないと思っていたのですが。

(自然に思い出してくださって、本当に良かったですわ……それだけマスターにとってもわたくしたちが心残りだったのかもしれませんわね)

 そうだとすれば、とても嬉しいのですが。

 ともあれ、こうして無事に再会も出来、穏便に打ち解けることも出来、さらには変わらぬ愛情を確かめることも出来ました。

 マスターが女性に転生していたことだけは想定外でしたが、その程度は些細なことです。

 愛するマスターと共に、これから生きていけるのですから。

 わたくしはマスターの体を肺の中まで包み込んだ全身を使い、マスターを愛撫しました。

 柔らかく暖かなマスターの体が反応して、ぴくぴくと震えるのを全身で感じつつ、心の中で改めて決意を呟きます。

(わたくしがあなたを必ず幸せにいたしますね、マスター♡)

 マスターを幸せにするために、わたくしは存在するのですから。



 私の身体を隙間なく――それも外側だけじゃなく、内側まで――覆って、完全に固めていたスライムの体が、不意に波打つ。

 それはスライムにとっては愛撫のつもりだったのかもしれない。

 だけど、体の内側まで浸食されている私にとっては、体を内側から掻き回されるのと変わらない凄まじい衝撃となって襲いかかってきた。

(――ンギイイイイッッ!)

 体が完全に固められているから、悲鳴どころか、苦しみを表現する手段の一切が封じられてしまっている。白目を剥くことすら許されないのだから、私が苦しんでいることにスライムが気づく可能性はほとんどない。

 私の身体が痙攣しているのは伝わっているはずだったけど、愛撫のつもりで動かしているのだとすれば、気持ちよくて震えていると勘違いしている可能性がある。

(す、スライムには人間との感覚の違いをもっと学んでもらわないと……っ!)

 密かにそう決意を固める。

 幸い、スライムは愛撫をそこそこで切り上げてくれた。

『さあ、マスター。お昼をいただきましょう』

 そういって、スライムがいそいそと持ってきたのは、可愛らしい箱に詰められた手作り弁当だった。

 まるでできたてほやほやの新婚夫婦が作るような、大きなハートをイメージして作られたと思わしきお弁当だ。彩りも華やかで一切の妥協がないのがわかる。

(新婚夫婦か……まあ、間違ってはいないのか、な……?)

 自分で自分の連想に納得しつつ、スライムが拘束を解いてくれるのを待つ。

『味はちゃんと一流の料理人に監修していただきましたし、栄養バランスも完璧に整えておりますわ。ぜひ味わって食べてくださいませ』

 言いつつ、スライムは若干どろどろの体で箸を器用に使い、卵焼きを差し出してくれた。

『はい、ますたぁ。あーん、ですわ♡』

 朝もそうだったので、そういう風に食べさせられるであろうことは予想が付いていた。

 予想外だったのは、私の身体を覆っているスライムの体が退いてくれない、ということだった。

(あ、あれ? ちょっと、スライム……これじゃあ食べられな……い、わ……?)

 スライムが私の口の辺りの、覆っている彼女自身の体に卵焼きを押し付けると、卵焼きが溶かされて箸の先から消えてなくなってしまう。

(え、ちょっと、なに、を……っ)

 訳がわからなかった。急に口の中で卵焼きの味がしたのだ。

『うふふ。美味しいですか、マスター?』

 スライムの体を通して酸素を私の身体に供給しているのと同じように、どうやら味覚というものも直接口の中に届けてくれているようだった。

(お、おいしい、けど……へ、変な感じ……)

 租借していないのに固形物の食べ物の味がするというのが、なんとも不思議だった。

 その卵焼きの味は、口を通って喉を通過し、胃へと落ちていく。私は一切食べ物を嚥下する動きをしていない。ただ、食べ物が口を通っていった、という感覚だけがあった。

 わずかに匂いさえ感じるのだから、違和感は凄まじいものがあった。

 自分は確かにここで生きているのに、刺激を感じるだけの物体になってしまったような感じがする。

(なんだろう……人形って、こんな気持ちなのかも……)

 スライムが年若いお嬢様の姿をしていることもあって、おままごとに付き合わされている人形になったような気分だった。

 人間性の剥奪もここに極まる、というものだ。

 こんな状態でしばらく過ごしたら、体の動かし方も忘れてしまって、本当に生きている人形になってしまうのではないかと不安さえ感じる。

 スライムにそんなつもりはないだろうと思っていたから、恐怖はそれほど感じず、スライムに身を委ねることが出来た。

 けど、もしスライムと愛し合っているわけでもない人がこんな状態に置かれたら、さぞかし恐ろしいのだろうな、とは思う。

 スライムの手作り弁当が全て私の身体の中に消え、彼女は満足そうにお弁当箱を片付ける。実際、お弁当はすごく美味しかった。租借するというシークエンスが飛ばされていたから、歯ごたえとかはよくわからなかったけど、味はどれも一級品であることが明らかだった。

『お粗末様でしたわ。ご満足していただけましたか?』

 そう問いかけてくるスライムだったけど、私には頷くことも出来なかったので、せめて笑顔を浮かべようとすることで答えに替えた。

 スライムは全身を覆っているから、そのわずかな動きをちゃんと感知したらしく、嬉しそうに笑顔を浮かべる。

 やってることは人間を人間とも扱わないようなことだけど、こういう笑顔を見ると普通に可愛らしく感じられるのだから、人間の感覚とはあてにならないものだ。

『ふふふ。お腹も満ちたところで……午後の職務のために、マスターには特性のドリンクを飲んでいただきますわね』

(ドリンク……?)

 嫌な予感しかしない。

『どのようなドリンクかの説明ですが……ああ、ちょうど良いので、あれで説明いたしましょうか』

 言いながらスライムは体を細長く伸ばし、社長室のドアを開け、外まで伸ばしていった。

 その外まで伸びたスライムの体が、何かを捕まえ、部屋の中に引き寄せてくる。

 地面を引き摺って連れてこられたのは『何か』だった。

 それが社長室の外の廊下を移動していた人間だと、気づくまで時間がかかった。


 その人間らしきものは、両手と両足が根元からなく、胴体だけの姿だったからだ。


 全身を透明なスライムに覆われている私と違って、不透明な黒いものに全身を覆われている。頭部もその物質に完全に覆われていて、つるっとした全頭マスクを被せられているようだ。

 口元だけは開いていて、妙に赤い艶のある唇が見えている。

 乳房とお尻が異様に肥大化していて、正直全体のバランスが悪い。手足がない時点でバランスもなにもないけど、毒々しいまでに赤い唇といい、なんというか、女性らしさが悪趣味なまでに強調されている感じだ。

 その人の表情はなにも見えないけど、口は開きっぱなしで、そこから唇と同じように異様に赤い舌が垂れ出ていた。「ハッ、ハッ」と口で音を立てて激しく息をしており、犬のようだ、と一瞬思ったけど、考えてみれば犬みたいにだらりと舌が出ているのはおかしかった。

 明らかに、その舌は人の舌の長さじゃなかった。

 それに、大きく口を開いているはずなのに、白い部分、つまりは歯が見えないのも奇妙だ。赤く生々しく濡れた口内がぽっかりと開いた穴のように見えた。

『汚いので、これをマスターの目に触れさせる機会はあまりないと思いますが……一応説明させていただきますわね。これは――特殊清掃員にした、元社長秘書とやらですわ』

 私はそのスライムの言葉に驚いて、その人を改めて見つめる。

 会社の女王として君臨していた社長秘書と、芋虫のような達磨状態で転がされている物体とが結びつかない。

 確かに言われてみれば、口元の色気のある妖艶な感じはあの社長秘書っぽい、と言えなくはないかもしれないけど、言われなければ一生同一人物とは思わなかっただろう。

 高飛車な態度と物言いで、いつも性犯罪一歩手前の無理難題を言いつけて来ていたあの人なのか。

「アー……アァ……ウァ……」

 異常に長い舌をだらりと垂らしたまま、力無く呻いている。

 スライムが会社を掌握し、全てを変えてしまったのは昨日のことで、まだ一日くらいしか経っていないはずなのだけど、いまの彼女からはかつてのような我の強い意志は感じられなかった。

 垂らした舌が何かを求めるようにチロチロと動き回っている。

『この者には、会社の清掃を命じておりますわ。体は汚れを吸着・吸収して大便へと固め、しつこい汚れは改造した長い舌で舐め取るのです。もし、虫の類が入ってきた場合も、この者が食べてくれますので、会社は清潔に保たれるというわけですわ』

 にっこりと笑顔でえげつないことを口にするスライム。

 元社長秘書に思うところがある私でも、その恐ろしさにちょっと戦慄した。

『ああ、ご安心くださいませ、マスター。お優しいマスターは苦しめるだけでは心苦しく感じられるだろうと思いましたので、彼女の味覚や触覚はゴミや虫が気持ちよく、美味しく感じられるように変えております。……感触はそのままですけども』

 スライムはぽつりと付け加えた。

 つまり元社長秘書はゴミを体に擦りつけるのが気持ちよく感じ、舌で舐め取るゴミや虫を美味しく感じる体にされてしまったというわけだ。

 ゴミに触れ、虫を食べる感触はそのままだというのに。さぞ頭が混乱したことだろう。

 いっそ、味もそのままであったなら苦しみ悶えるだけで済んだかもしれない。

(短時間で気が狂っても仕方ないわね……)

 これまでの視察で、私にあまり関わりの無かった社員は、それ相応の扱いを受けていることがわかっていた。

 例え私に対して直接何かをしたわけじゃなくても、「ブラック体質を助長したという罪」「見て見ぬ振りをした罪」というのがあるためだ。でも、そういう人たちは短期間虐めたら解放するつもりらしい。面倒なことにならないよう、記憶操作はするみたいだけど。

 それに対し、直接私に何かをした人や、元社長のように環境そのものを作り出した人は、そうやすやすと逃がす気も無いし、許す気もないらしい。

 元社長の体を別人に作り替えてしまったように、並大抵のことではどうしようもならない状態にしている。

 この元社長秘書に関しても、易々と許す気はないのだろう。スライムはぞんざいに彼女の頭を掴み、正気を失っていることを確認する。

『もう壊れてしまったんですの? 情け無い道具ですわね……どうせ清掃行動は自動的ですし、このままでも構わないといえば構わないのですが、せっかくですし直してさしあげましょうか』

 発狂しても、スライムからは逃れられないようだ。

 スライムが元社長秘書に向かって手を翳し、呪文らしきものを唱える。

 すると、されるがままになって脱力していた彼女の体が、びくんびくんと、釣り上げられた魚のように跳ねた。

「ウァ、ウァッ! オァ、アッ!」

 舌が伸びきって歯がないためか、不明瞭な声で社長秘書が呻く。

 体は異常なまま、突然正気に戻されて困惑しているという感じだろうか。

『これでいいですわね。さあ、マスターのために薬の実験台になってくださいませ』

 そういうスライムがどこからともなく妖しげな液体の入った瓶を取り出した。


つづく


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