緊急事態を告げるベルが鳴り響いたため、シェラ姫の調教を中断したリルド。
地下室から駆け上がったリルドは、警戒しつつも地上の部屋にあがり、地下室の出入り口を閉じて隠した。
その間、ずっと聞き耳を立てていたが、屋敷の中で騒ぎが起きている気配はない。
(インディーが無意味に緊急用のベルを鳴らすわけがない……相応の事情があるはずだが)
リルドはそう考えつつ、廊下に出てインディーを探す。
勘で屋敷の入り口の方へと歩を進めたリルドは、その方向から話し声がするのを耳にして勘が正しかったことを知る。
「……ですから、リルド様はお忙しく、手が離せないのです」
「だから断るというのかね? 君では話にならん! リルド殿と直接話をさせてもらおうか!」
インディーと話している声は、聞きたくもない声だった。
つい先日、将軍の小間使いとして館を訪れたギルバストックの声だったからだ。
(何をしに来た? そう簡単に状況が動くとは思えないが……?)
リルドはそう考えつつも、最低限の身だしなみを整える。
そして、声がしっかり聞こえる物陰に身を潜め、爪先で軽く床を叩いた。
その音が鋭く響くことで、インディーはリルドが近くに来たことを知るのだ。インディーとの間で活用している秘密の符丁のひとつである。
「……とにかく、難しいと思われます。すでにこの国で確保した奴隷の数は十二分……この上さらに調教に手間のかかる奴隷を増やすことは難しいかと。ギルバストック様が新しい奴隷候補を連れて来てくださったのはありがたいのですが」
リルドに聞かせるための、事情説明。
そんなインディーの物言いに対し、ギルバストックはかなり憤慨しているようだった。
「だから、貴様では話にならんと言っているだろう! リルド殿であれば、この唯一無二の価値を理解するはずだ! あの女騎士、アーリアだぞ!?」
「……確かに、唯一無二だとは思いますが……元王女付きの騎士の調教は片手間に出来ることではありません」
そのインディーの言葉を聞き、リルドは大体の事情を把握した。インディーが緊急用のベルを鳴らした理由も理解できた。
理解したからこそ、頭を抑えて天を仰ぐ。
(こ、この……なんて、なんて厄介なものを持ってきてくれやがるんだこのやろう……!)
元王女付きの女騎士――アーリアとは、シェラ姫が信を置き、もっとも身近に置いていた護衛であり、騎士である。
革命が起きた日、姫が王宮から脱出する際にも、そのアーリアが大きな働きをした。
彼女がいなければ、シェラ姫は民衆と軍によって包囲された王城をそもそも脱出することも出来なかっただろう。
結果としてシェラ姫自身は、リルドに潜伏先を読まれ、身を隠す前に捕らえられてしまったが、リルドがシェラ姫を捕まえた際、その騎士・アーリアは傍にいなかった。
それはシェラ姫が城を脱出する際、彼女が囮となって、追っ手を四方八方に振り回していたからだ。
もしアーリアがシェラ姫と共にいたならば、リルドはシェラ姫を確保出来なかったかもしれない。それくらい実力の高い女騎士なのだ。
そんなアーリアも数の暴力と長期戦には勝てず、疲弊したところをギルバストックが捕らえたのだろう。
決して有能とはいえないギルバストックが、そんな手強い相手を追い詰めたとは考えにくいため、運良く力尽きたところに出くわしたか、あるいは将軍がその処理を任せたのか。
いずれにせよ、捕らえたアーリアを処理することを考えた際、懇意にしている奴隷商人であるリルドに調教を任せようとして連れてきた、というところだと思われた。
リルドはそんな大体の事情を把握して、歯噛みする。
(そんなもんを連れてたら、偽物として扱うはずのシェラ姫に、妙な信憑性が生まれちまうだろうが……!)
ギルバストックがなぜリルドの元にアーリアを連れてきたのか、その意図は大体読める。
彼はリルドが調教していた『シェラ姫の偽物』のことを覚えていて、その価値を補強する材料としてアーリアを使え、と言いたいのだ。
本人は偽物であっても、本物の護衛であったアーリアを一緒に取り扱えば、『本物らしさ』は一気に引き上げられる。
姫自体は偽物であることを明らかにしていても、酔狂な顧客はそういった「それらしい」演出を好むものだ。
奴隷商人としてのリルドは、アーリアとの抱き合わせ販売によって、偽物に生まれる価値というものが相応に高くなることを理解していた。
だが、リルドは『本物のシェラ姫』を連れている。
偽物は単なる目くらましのつもりだったが、本物の護衛であったアーリアも一緒となれば、リルド自体に向けられる目も厳しくなることは必然。
もしリルドがシェラ姫のことを知らず、ただ『偽物のシェラ姫』に付加価値を付けたいと思っているならば、疑われても痛くはない。
偽物のシェラ姫を含め、すべての奴隷の詳細な確認に素直に応じ、偽者のシェラ姫しか連れていないと証明すればいいだけのことだからだ。
だが、そこに本物の存在が混じるとなると、話はややこしくなる。
本来、リルドとしては『シェラ姫かもしれない』などと疑われることもない状態にシェラ姫を仕上げることで厳重な検問をクリアしようとしていた。
なのに、本物のアーリアを連れていては「もしかしたら本物のシェラ姫が奴隷に混じっているかもしれない」と疑われてしまう。
念のためであろうとなんであろうと、全ての奴隷を詳細に調べられては、本物が混じっていることが露見してしまう。
それは、絶対に避けなければならないことだ。
だが。
(アーリアを奴隷として得る機会というのは、普通なら絶対に見逃すわけもない商機……! ここでその提案を断るというのは、それ自体が怪しい行動になる……! 将軍にそれを報告されたら、アウトだ!)
ギルバストックの様子からして、彼自身は善意のつもりなのだろうと推測できる。
あるいはこれまで、ギルバストックの好みに合う奴隷たちを提供してきたリルドに対する、彼なりの最後の手向けのつもりなのかもしれない。
リルドとしては、そんな風に恩義を持って行動する、という感性がギルバストックにあったということに、まず驚かなければならなかった。
彼の人となりを認識し直さなければならない出来事ではあるのだが、善意で最悪の事態を引き起こしているのだから始末が悪い。
(ギルバストックなら誤魔化せるかもしれないがその後ろにいる将軍は無理だ。ギルバストックの提案を断わるという道は取れない……)
預かるだけ預かっておいて、姫を国外に脱出させる際にはアーリアを連れて行かない、という手もあるが、重要な奴隷であるアーリアを放置するのは不自然だ。重要度からすれば優先すべきはアーリアであり、反撃や脱走などのリスクを考えると、リルドが傍を離れないのがベスト。
それでも離れるのなら、何か特別な事情が裏にあると思われる。そういった綻びを見逃す将軍ではないだろう。
最悪、自由の身にしたシェラ姫を補足され、全てが水の泡に終わる危険すらあった。
いずれにせよ、アーリアの提供を受けないという選択肢はない。
(なら……腹を括るしかないか)
リルドはひとつ深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、物陰から姿を現す。いかにもいま来たばかりという風を装い、ギルバストックに声をかけた。
「これはこれはギルバストック様。対応が遅くなって誠に申し訳ありません。……インディー、下がれ」
「……は。失礼いたしました」
インディーは深々と礼をして退く。
ギルバストックは若干不愉快そうな顔をしていたものの、リルドが出てきたことでその相貌を緩めた。
「おお、リルド殿。今日はとてもよい儲け話をお持ちしたのですよ」
にこやかな笑みで告げるギルバストックに、同じく笑みで応じるリルド。
地獄への道は善意で舗装されている――ある著名な人物の言葉を、リルドは頭の片隅で思い返していた。
アーリアは騎士だ。
仕えるべき主のために生き、主のために死ぬことを是とする、昔ながらの騎士。
今では半ば形骸化した考え方であったが、アーリアと彼女の主であるシェラ姫は古き良き王と騎士の関係そのままである。
そのことは一般的にも有名な話なので、リルドも当然知っていた。
王に裏切られ、騎士であることを辞めざるを得なかったリルドにしてみれば、羨ましいほどの関係性である。
(シェラ姫を生かすために協力しろ……と言っても無駄だろうなぁ)
リルドは半ば諦めの境地でそう考えていた。もしリルドが彼女と逆の立場であったなら、リルドのような騎士身分から追放されたとはいえ、『奴隷商人であることを是とする』ような存在は絶対に信用しない。
実際、リルドとてシェラ姫が初恋の相手であるという一点がなければ、嬉々として彼女に奴隷調教を施し、将軍にそれなりの高値で売り払っていただろう。
いまでも、その甘美な選択肢には惹かれるものがあるというのに。
アーリアにしてみればリルドが奴隷商人であるというだけで信じるわけもなかった。
(となると、選択肢としては……アーリアには最低限の調教を施して、その場に姫さまがいないということを印象付ける、か……)
本来は偽物を本物らしく見せるために使うべきだ。
だが、それを逆手に取って、偽物をより偽物らしく見せる演出に使う、というのがリルドの考えた筋書きだった。
例えば、アーリアの前で偽物のシェラ姫を鞭打つとする。
アーリアが偽者を本物だと誤認していれば、鞭打たれる姫を助けようと暴れるだろう。そのアーリアの必死さが、偽物のシェラ姫を本物のように感じさせるわけだ。
だが、鞭打たれるのが『シェラ姫の偽物』だとアーリアが知っていれば。
無抵抗の女性が鞭打たれることに顔を顰めはするだろうが、自身も囚われている状態では必要以上に助けようとしないであろう。
シェラ姫が鞭打たれているのにアーリアが取り乱さなければ、それはつまりそのシェラ姫が偽物だと示しているようなものだ。
(となれば……そういうパフォーマンスをする前に、偽物が偽物だとアーリアに分からせておかないといけないということだ……)
アーリアには優れた直感がある。
偽物を偽物だと分からせるのは、そう難しいことではないとは思われた。
(むしろ難しいのは……本当に本物がいるってことを悟られないようにすること、か)
本物がいるということを、アーリアに知られれば、アーリアはどんな手を使ってでもシェラ姫を助けようとするだろう。
それは本来ならリルドも歓迎することなのだが、リルドはリルドなりにシェラ姫を助けようとしているため、その行動は邪魔でしかない。
(本当に……余計なことをしてくれる……)
このままなら上手く行きそうな手応えを感じていただけに、アーリアの存在はリルドにとって最大の悩みの種になった。
一つ息を吐いて気持ちを切り替えたリルドは、館の敷地の一角に作られた倉庫の中に入り、ギルバストックが置いていった金属製の檻の前に立つ。
中にはひとりの可憐な女騎士が捕らえられていた。
容姿端麗、頭脳明晰。
戦いでは鬼神の如し、社交界では一輪の薔薇。
姫の側に控えるに相応しい気品と、全てを黙らせる実力を兼ね揃えた騎士中の騎士。
アーリア・シュタインベルドはそういう存在だった。
捕縛された時そのままの状態で放置されていたのか、その身体も服もボロボロだったが、その瞳にはギラギラとした闘志と殺意が宿っている。
従軍経験があり、いまでもそれなりにやれるという自負のあるリルドが、全力で回れ右をして逃げ出したくなるほど、その瞳は危険だった。
それを意志の力で押さえつけ、リルドは彼女の前に立つ。
(……鉄格子越しでもこえーっ! やばいだろ絶対。マジでシェラ姫と一緒にこいつがいなくて良かった! マジで!)
血を見るどころの騒ぎではなかったのは確実だ。リルドは冷や汗を掻いているのを自覚しつつ、アーリアに向けて話しかける。
「はじめまして。アーリア・シュタインベルド。私はーー」
「奴隷商人リルド、か」
名前を言い当てられ、思わず言葉に詰まるリルド。
言葉に詰まってしまったことで確証を握られたことに気づき、リルドは深く息を吐いた。
「……姫付きの騎士さまが、俺のことを知っていてくれたとは驚きだ」
「消去法だ。私を力で抑えられる奴隷商人は、元騎士のお前くらいしかいないだろう」
「ずいぶんと、俺のことを買ってくれてるんだな」
現役の騎士にそう言われることに、リルドは若干の居心地の悪さを感じた。
アーリアはその顔を不愉快そうに歪める。
「勘違いするな。私はお前を認めているわけじゃない。むしろ元は同じ騎士であったはずのお前の所業には、怒りすら覚える」
「……そんな所業をさせるような身分に俺を堕としたのは、他ならぬ王族なんだがな」
「それでも、だ。私なら腹を切り、命を持って抗議する。騎士の魂を汚すくらいならな」
ミシリ、と骨が軋む音が二カ所から同時に響いた。
リルドとアーリア。二人ともが拳を握りしめ、相手を睨んでいる。互いに互いを憎く重い、互いに敵意を燃え上がらせていた。
先に目線を外したのは、リルドの方だ。
「……やめだ。お前に何を言ったところで、理解し合えるとは思っていない」
「奇遇だな。私もだ」
リルドは来たばかりだというのに、すぐさまその踵を返した。
「正直、お前をどう扱うか迷っていたんだが、決まった。覚悟しておけ」
「ふん。いかなる責め苦を加えられようと、私は騎士の誇りを見失ったりしない」
小馬鹿にしたように告げるアーリアの言葉にも、リルドは振り返らなかった。
ただ、一言告げる。
「――その言葉、覚えておけよ」
倉庫の扉を閉め、そこで待っていたインディーに話しかける。
「インディー。アーリアの調教はお前に任せる。俺だと冷静になれそうにないからな。調教中、脱走や反撃にはいつもの数十倍注意しろ。死ぬぞ」
アーリアの実力を踏まえた上での忠告に、インディーは心得ている、とばかりに頷く。
「どのように仕上げましょうか?」
「それなんだが……お前得意の快楽墜ちを目指してくれ。王族より、姫よりお前の命令を優先するように。ああいう手合いを堕とすのはお前の得意とするところだろう? ただし――騎士アーリアとしても振る舞えるように、人格や理性を壊すのは無しだ」
リルドはアーリアとの会話を経て、彼女をどのように扱えばいいか決めていた。
その方針を聞いたインディーは難しい顔をする。
「……難しいことを仰いますね」
「お前の手腕を信頼してのことさ」
リルドの言葉に、インディーは深く息を吐いた。
「わかりました。期限は?」
「一週間、だな。たぶんそれがギリギリだ。一週間後、国外への脱出を開始する」
「表の仕事はいかがいたします?」
「そっちは完全凍結でいい。あれのことがなくても、アーリアが手に入ったとなれば、他のことに構っていられないからな。調教に集中するという面目は立つ」
残り一週間ですべての準備を完了させることを決意したリルド。
リルドは新たな決意を込め、拳を握りしめた。
一週間後――全ての未来が決まるのだ。
つづく