リルドの喉元に、鋭いナイフの切っ先が突きつけられている。
あと数センチ刃が動けば、彼の頸動脈は切断され、命に関わる重傷になるだろう。
そのため、部屋の隅で待機していたインディーも動けなかった。
「マスター……!」
悔しげに呻くが、どうすることもできない。
一方、自分の命に危機が迫っていても、リルドは冷静だった。
「……何のつもりだ? ラリータ。お前にナイフを向けられる理由はないはずだが」
その問いに対し、招かれざる客――賞金稼ぎのラリータは壮絶な笑みを浮かべて応じる。
「あら。かつての婚約者が熱烈な感情を持って会いに来てあげたのに、そんなつまらないことしか言えないの?」
「最後に会った時、二度と会いたくないと捨て台詞を吐いたのはお前だろ? 第一、こっちが案内する前に館の中に上がり込んでくる無法者にかけてやる言葉などない」
「状況が変わったのよ。あんた、逃亡中のシェラ姫を匿っているでしょう?」
ラリータの鋭い詰問に、リルドは微かに目を細める。
「……ああ、なるほど。そういえばお前にも話したことがあったな。あんな昔の軽口をまだ覚えていたのか。お前、やっぱり俺のことが割と本気で――」
「黙りなさい、殺すわよ」
ナイフの切っ先がリルドの肌をさらに強く押し、わずかに肌を傷つけて血を滲ませる。
インディーが反応しかけたが、それより先に糸目の青年が彼女の真横に立った。
「悪いね、メイドさん。動かないでくれるかな――殺さないといけなくなる」
「……!」
「ああいう強引な方法はやめろっていったんだけど、聞かなくてね……もし冤罪だったらきちんと謝罪も賠償もするからさ」
飄々とした調子でいう糸目の青年に、インディーは鋭い眼光を向けた。
「次にマスターが傷を負ったら、あなたには死んでもらいます」
「相打ち覚悟の宣言かい……怖い怖い。ちょっと、ラリータ! 暴走しないでよ!」
糸目の青年が口にした本気の懇願に対し、応えたのはラリータではなかった。
「インディー、攻撃しなくていい。お前が失われる方が損失だ」
リルドがそう口にしたことで、インディーはその殺気を納める。
「そんなことより、調べるならさっさと調べろ。俺たちも暇じゃないんだ」
「ふぅん? 何がそんなに忙しいの? 国外逃亡の準備?」
「似ているが違う。俺をこの国に縛り付けていた王族どもはもういない。なら、こんな国からはさっさと出て行くのが当然だろ?」
「なるほどね。それに乗じてシェラ姫を逃がそうって考えね」
「だからなんでそうなる……疑うなら、館を調べればいいだろうが」
呆れたように応じるリルドからは、まるで焦りが感じられない。そのことにラリータが苛立ちを募らせていることを、彼女の仲間の青年は感じ取っていた。
(うーん、奴隷専門とはいえ、伊達に商人を名乗っているわけじゃないってことか。なんとも読みづらい人だ。ラリータのかまかけにも反応なし。これは本当に無関係という線もあるのかな……?)
糸目の青年としては、仲間であるラリータの勘を信用している。
だがリルドの対応を見る限り、シェラ姫を匿っているようには見えなかった。
もし本当に匿っていたとすれば、シェラ姫を捜索している自分たちに館に乗り込まれ、さらにその内ひとりに館内を探索されているといういまの状況は詰みに近い。もっと抵抗するなり、誤魔化そうと足掻くのが普通だ。
(まあ、本当に何も知らなかったとしたら、謂われのないことで突然襲撃されたわけなのに冷静すぎる……怪しいといえば、怪しいかな)
「そのすまし顔がむかつくのよ、あんた。少しは慌てたり焦ったりしたらどうなのよ。シェラ姫が匿っていたことが判明したら、処刑されるのよ」
「匿っていたらの話だろうが。だいたい、人の心配をしている場合か? 損害分の補填がタダで済むと思うなよ。言われなくてもわかっているだろうが、俺は元婚約者だからといって容赦はしないぞ」
「何をいまさら。元々親同士が決めた、いつ破談になってもおかしくなかった婚約じゃない。没落して唯一良かったと思える点だわ」
元婚約者同士とは思えないほど、殺伐とした会話を繰り広げるリルドとラリータ。
そこに、ラリータの仲間である大柄な男がやって来た。
「おい、シェラ姫っぽい奴隷を見つけたが……偽者だわ、これ。目の色がちげえ」
そういって男が荷物のように抱えてきたのは、偽シェラ姫であった。四肢を折り畳んだ状態で拘束を施されており、男に抱えられてじたばたと暴れている。拘束は男が施したわけではなく、元々されていたものである。
そんな偽シェラ姫を、男は最低限丁寧な手つきで床に放り出した。
覆うもののない胸や秘部を開けっぴろげにして、手足をばたつかせ暴れる偽シェラ姫の姿は無様なものだった。
「……マサド、代わって」
リルドの喉元からラリータがナイフを引く。リルドの側にマサドと呼ばれた大柄の男が立つのを見届けてから、ラリータは床に下ろされた偽シェラ姫に近付いた。
顔を掴み、自分の方を向けさせると、その瞳をじっと見詰める。偽シェラ姫は怯えた目でラリータを見ていた。
「あのお姫様とよく似てるわね」
無造作に、その左目に、ラリータが指で触れた。
「ヒギッ!? イギイイイイッ!!」
親指の腹で直接眼球を擦られ、偽シェラ姫が悲鳴を上げ、のたうちまわる。ラリータは偽シェラ姫の髪の毛を鷲掴みにし、無理矢理頭を固定した。
その際、ぶちぶちと髪の毛がいくつか抜けるような音が発生し、髪の毛が抜けたのがわかった。
そんなことは気にせず、ラリータは偽シェラ姫の左瞼を無理矢理開かせる。
ボロボロと大粒の涙を流している偽シェラ姫の目は、充血によって多少赤みが加わったものの、王族の証である青色ではなかった。
「なんだ。偽装、ではないのね」
「――おい。いい加減にしろ」
リルドの低い声が、その場にいる全員に緊張を走らせた。
それまで泰然とした態度を崩していなかったラリータでさえ、偽シェラ姫から手を離し、思わず構えたほどだ。
「……なによ。あんたがそれほど怒るってことは、やっぱりこいつになにか――」
「ラリータ。少し黙れ」
言いかけたラリータの言葉を遮り、リルドが言い放つ。
「それは商品で、俺は商人だ。客でもない人間に商品を乱暴に扱われて怒らないわけがないだろう。奴隷商人の身分と仕事に拘りも誇りもないが――奴隷どもを売るからには、商人としての責任がある」
威圧でラリータを黙らせたリルドは、続けてインディーに命じた。
「インディー、そいつの治療を頼む」
「はっ、了解いたしました」
命じられたインディーは無駄口を一切叩くことなく、恭しく礼をして部屋から出て行く。
それから、リルドは改めてラリータの方を見た。
「これで二度目だ。さっさと去れ。三度目はないぞ。損害賠償については、また後日連絡する」
「……あんたの、そういう真面目くさったところが大嫌いなのよ。ふん、どこへなりと行けばいいわ」
捨て台詞を吐いて、ラリータは部屋から出て行く。それに仲間の二人も続いた。
部屋には、リルドと床でのたうちまわる偽シェラ姫だけが残されていた。
リルドは椅子に深く腰掛け、背もたれに背中を預けて深く息を吐いた。上手く表面上に出さずに乗り切ったが、内心は張り裂けそうなほど心臓が高鳴っていた。
(まったく……ほんっとやべえ奴だな、ラリータは! なんであんな昔の軽口を覚えて、しかもそれを根拠に乗り込んでくるんだよ! 終わったかと思ったわ!)
リルドは心の中でそう毒づいていた。
彼は確かにラリータに対し、シェラ姫が初恋であるということを話していたが、それはあくまで軽口レベルのことだった。
リルドとラリータは親が決めた婚約者であったが、どうにもそりが合わない部分が多かった。かつては、交流するたびに口喧嘩ばかりしていたのだ。
その中で、リルドは「俺がお前を好きになることはない。俺がいままで本気で好きになったのはシェラ姫様くらいで、俺はああいう大人しい女性の方が好みだからだ」ということを口にしてしまっていた。
だが、それは怒濤のような口喧嘩の中で放たれた言葉であり、リルド自身ラリータが口にするまで忘れていたくらいだった。
それを執念深く覚えられていたということに、リルドは戦慄する。
(しかし、だからって、俺がシェラ姫を逃がそうとしているなんて考えるとはなぁ。普通ならどんなぶっとんだ思考回路だ、って笑えるところだが……その勘が当たっているだけに、本当に始末が悪い……)
リルドは深々と溜息を吐く。
(結果的に、だが……アーリアを寄越してくれたギルバストックに感謝しないとな)
ギルバストックがアーリアをリルドに連れてこなければ、リルドは数日前にはこの館を出て、国外への脱出を始めていた。
もし移動中にラリータが押しかけてきていたら、ヒトイヌ奴隷の中に紛れさせた本物のシェラ姫に気付かれていたかもしれない。そうならずに済んだのは、シェラ姫を館の隠し部屋に隠していたためだ。
(俺は運が良い……逆に、ラリータは運がなかったな)
治療道具を持って戻ってきたインディーに、リルドは尋ねる。
「インディ-。アーリアの調教は十分に完了しているな?」
「はい。滞りありません」
「そこのシェラ姫が偽者だということは看破されていたんだったな」
「さすがに本物でないことには一目で気付きましたからね。ただ……あれから色々と仕込んだ結果、互いに互いを大事に想うようにはなっています」
アーリアと偽シェラ姫を同時に調教することで、インディーはふたりをパートナーとして成立させることに成功していた。
本物のシェラ姫と結んでいたような主従関係ではなく、同一の立場の仲間として、互いに互いを慰め合う関係に仕立てあげたのだ。
使用出来る道具に制限がほとんどなかったとはいえ、短期間で堅物の女騎士と雌犬奴隷をそういった関係に仕上げていたのは、インディーの腕前あってのものである。
インディーの成果に、リルドは満足げに頷く。
「それなら――可能だな」
リルドはその目をギラリと光らせた。
招かれざる客を追い返した翌日。
リルドは国外への移動を開始するべく、館の庭で奴隷たちを大きな馬車に積み込む作業の指揮を取っていた。
馬車は幌付きのものを改造したもので、壁や天井が鉄製の格子になっている。
その格子越しに運ばれているものが見えるようになっており、運んでいる奴隷達の姿がよく見え、運ぶだけで宣伝になるというわけだ。移動中、人目に晒され続ける奴隷側は溜まったものではないだろうが。
馬車に詰み込まれる奴隷たちの大半は貫頭衣という、一枚の布の中心に首が通るだけの穴をあけただけの服を着せられていた。
無論、その下に下着などを身に着けている者はおらず、彼女たちの動きや馬車の揺れに従い、ちらちらとその肢体が見れ隠れしている。
リルドが扱っている奴隷は基本若い娘が多く、その様だけでも見る者の眼を楽しませることが可能だった。
彼女たちは十分に調教が成されているため、無意味に暴れるような真似はしないものの、久々に服のようなものを与えられ、かえって恥じらいが蘇っていた。
もじもじとみられることに抵抗を見せる様は、開けっぴろげに体を晒すような真似よりも、男の本能に訴えかけ、性的に魅力的に映った。
そんな普通の商品の他にも、館から運び出される者には変わったものもいた。
小さな鉄製の檻に閉じ込められ、その檻ごと台車に乗せて運び出されているのは、ヒトイヌ奴隷たちだ。彼女たちはヒトイヌ拘束を施され、檻の中に鎖で吊るされたまま、運び出されている。
積み込み作業には男手が必要になるため、リルドはその時々で臨時の召使を雇っていた。その彼らをまとめ上げるリーダーは既知の仲であり、作業の報告がてら気軽に話しかけてきた。
「旦那、また変わった物を仕入れやしたねぇ」
「ああ。あれが目玉の一つではあるからな」
リーダーが口にした変わった物とは、ヒトイヌたちに身に付けさせているラバースーツのことだ。この辺りではあまりみない道具であるため、男たちもどう反応したらよいのか悩んでいる様子だった。
ただ、それぞれのヒトイヌの身体の線はハッキリ浮かび上がっており、素養のある者はその異様な女体の姿にいつも以上に興奮している様子でもある。
「最初は真っ黒い化けものかと思って、驚きやしたけど、見慣れるとあれもいいもんですなぁ」
「ふふ、リーダーもラバースーツがいける口か。残念だがあれは結構高くてな。お偉いさん用の商品だよ」
「俺たちレベルでも楽しめるくらいに流通してくれたらいいんすけどねぇ……おっと、旦那に確認することがあったんでした」
リーダーは顔に傷がある強面であり、荒くれ者という表現がぴったりくる男だ。
だが仕事には真摯で、真面目に召使の男たちを統率してくれるため、リルドも重用している。
リルドがリーダーと作業の確認をしていると、屋敷からインディーが出てきた。
召使いたちの間にざわめきが広がる。
彼女が持つ鎖には、それまでの奴隷たちとは比べ物にならない美しさを持つ女性が二人、繋がれていたからだ。
「お待たせしました、マスター」
インディーが軽く礼をしつつ、鎖を引いて連れてきた二人の女性をリルドの前に引き立てる。
そのふたりのうちひとりは、ムトゥ王国の前国王の一人娘・シェラ姫――の偽者。
王女のような小奇麗な服を着せられて、脚で普通に立っていた。だが、ずっとヒトイヌとして扱われてきたためか、どことなく不安そうな顔を浮かべている。重そうな手枷が彼女の両手を前で固めており、その手枷から伸びる鎖をインディーが握っている。
もうひとりは、シェラ姫付きの騎士として、彼女をずっと守っていた女。騎士・アーリア。
彼女の方は帯剣こそなかったが、騎士だったころに身に着けていた鎧を着せられており、見た目だけみればかつての凛々しい騎士そのものだった。
しかし、リルドは彼女がインディーの手によって、性的に屈服させられたことを知っている。かつてリルドの前に連れて来られた時には、騎士から奴隷商人へと身を堕としたリルドを揶揄するような態度で暴言を吐いたものだが、いまはリルドに目線も向けられない様子だった。
〈すっかりしおらしくなっちまって……まあ、あまり突っ込まないでおいてやるか〉
自分の溜飲を下げるためだけに無意味な反発心を生むことはない。
賢明にそう考えたリルドは、偽のシェラ姫とアーリアには目を向けず、インディーにのみ声をかけた。
「ご苦労。早速だが、ふたりは先頭の馬車に乗せてくれ。例の特別製だ」
今回、リルドが表向き入手した中で、最大の成果であり、目玉商品はこのふたりだ。
そのふたりを際立たせるため、先頭の馬車にはそれ相応の、特別製の磔台が用意されていた。
そしてついに――リルドたちのムトゥ王国からの脱出が始まる。
つづく