インディーの手で檻の中から出されたそれの姿を見た兵士達は、それが本当に人間の一種なのか目を疑った。
短い手足でよろよろと動く黒い肉塊。そう表現した方が適切であるように彼らには見えたのだ。
「これも奴隷……なのか?」
得体の知れないものを前にして、兵士は恐る恐るインディーに確認する。
インディーはあくまでも淡々とヒトイヌ奴隷を次々檻から出していた。
「はい。少々特殊な形ではありますが……奴隷の一種と考えてくださって構いません。普通の奴隷とするには心身に問題のある者達をこのように扱っています」
檻からだされたヒトイヌたちは、拘束の形こそ違え、一見すると同じ姿をしていた。
まず全身を覆う黒いラバースーツ。肌にぴったりと張り付くそれは、彼女たちの身体のラインを浮き上がらせ、同時に乳房の形を綺麗なものに整えている。
普通の服や下着を着せられていない彼女たちだったが、ラバースーツがあるおかげでその身体の美しい形を損なってはいない。
とはいえ、見慣れてくれば違うのだろうが、初めてラバースーツを見た兵士たちには、まるで裸身に直接色を塗っているようにも見えた。
それがまた倒錯的な魅力を醸し出すのだが、見慣れない者にとっては得体の知れない姿だろう。
「うわわっ! おい! こいつら、近付いてくるんだが!」
幌がなく、外から丸見えとはいえ、入念に馬車の中を検めるために昇ろうとしていた兵士のひとりが、慌てた声をあげながら後ずさった。
「ハッ……ハッ……ハッ……」
兵士に近付こうとしているヒトイヌは、口のあたりに空いた丸い穴から舌を突きだし、荒い呼吸を繰り返している。目は曇りの濃いゴーグルに覆われており、見えていないはずだったが、どうやら男の臭いを嗅ぎつけたらしい。
犬のよう、といえばその通りだった。
だが、ヒトイヌ自体が得体の知れないものに感じている兵士にとって、そんな存在に迫られると思わず恐怖を感じてしまうのだ。
インディーは腰に提げていた一本鞭を取り出すと、手慣れた調子でそのヒトイヌに向かって鞭を振るう。
鞭がヒトイヌの背中を打ち据え、ピシャッ、っと鋭い音が鳴り響く。
「あグゥッ!」
兵士に近付こうとしていたヒトイヌが、呻き声を上げつつもその場でぴたりと止まる。目も耳も利いていなかったが、そうするように躾けられているのだ。
インディーはヒトイヌの動きを止めると、逃げた兵士に向かって頭を下げる。
「申し訳ありません。精液や汗など、男性の体臭をかぎ分け、奉仕するように仕込んでおりまして……どうやら、それを感じてご奉仕しようとしたようです」
そう言いつつ、インディーはちらりと先頭の馬車の方を見た。そこではリルドが兵士長の対応をしているはずだったが、いまだ外に出て来る様子はない。
「……よろしければ、ご奉仕させますが?」
そう兵士に囁きかけながら、インディーは動きを止めているヒトイヌの、口枷の中に指を入れる。
口内に入り込んできた指の存在を知ると、そのヒトイヌは舌を艶めかしく蠢かし、インディーの指に舌を絡めた。どろりとした唾液が指に塗され、テカテカと怪しく光る。
その指のように、男性器をその穴の中に入れたらどうなるか――男ならば誰にでもわかることだ。
ごくり、と生唾を飲み込む音がいくつも響いた。
だがすぐに兵士は首を横に振り、甘い誘惑を振り切る。
「い、いや、そんなことをしている暇はない。さっさとチェックを済ませるぞ」
兵士が職務に忠実というわけではなく、このような状況でのんびりと奉仕させることはできないと判断したためだ。
インディーは兵士がそう応えるであろうと予想していたのか、特に拘泥することなく、話を先に進める。
「それでは確認してください。ただ……ヒトイヌ拘束は脱がすのに時間がかかります。また、見たとおり身体に欠損がある者もおりますので……すべてを解くのは難しいのですがいかがいたしましょう」
「む……」
問われた兵士は逡巡する。
確実を期すのであれば当然全てのヒトイヌの拘束を解くべきだろう。手間は増えるが、それが確実だ。
しかし、インディーの言うとおり、ヒトイヌを拘束から解放するのにも時間がかかりそうなのは確かだった。
両手両足を折り曲げたまま固定している枷。分厚い首輪。身体を覆うラバースーツに、目や耳、鼻や口を覆う拘束具の数々。
それらを取り外すのには時間がかかるのは、見ただけでもわかる。
加えて、微かに漂う腐臭と汗と排泄物の臭い。拘束具の中の状態がどんなものか、想像するだけでも恐ろしい。
そもそも、獣のように臭いに反応し、男に襲いかかろうとするような者達だ。まともな精神状態をしているとは思えない。
この中に元王族であるシェラ姫がいるとは、とても考えられない。というのが兵士達の出した結論だった。
「そうだな……拘束を全て解く必要は無いが、瞳の色はきっちり確認しろ」
兵士たちはその方針で、ヒトイヌたちの瞳の色を確認していく。
ひとりの兵士が、ヒトイヌのゴーグルをずらし、瞳の色を確認しようとして――呻いた。
そのヒトイヌの目は潰れており、瞳の確認などそもそも出来なかったのだ。
「ああ、申し訳ありません。そのヒトイヌは目が欠損しているのです」
「……先に言え! バカもの!」
思わず怯んでしまったことを恥ずかしく思っているのか、インディーに向かって悪態を吐きながら、少し乱暴にゴーグルを元の位置に戻す。
その後も兵士たちは、恐る恐るヒトイヌの目を確認していっていた。
「こっちはただの朱色だ」
「濃い色だが、赤紫だな」
「こっちは……うっ、こいつもか……なあ、四肢が無い上に、目も見えない奴隷なんて売れるのか?」
ゴーグルを外そうとして、その下からどろりと腐った肉が溢れていた。兵士は慌てて目隠しを戻しながら、率直な疑問をインディーにぶつける。
「手足の残った部分で這って動けますし、口は上も下も無事ですからね。そのあたりの仕込みは十全です」
しれっと応えるインディー。
兵士は「そうだろうか?」と疑問に感じはしても、とりあえずそのヒトイヌのチェックを終える。
そのヒトイヌも先ほどのヒトイヌと同じように、男の身体に擦り寄ろうとしていたが、兵士は気味が悪いとばかりに急いで逃げ出した。
すべてのヒトイヌの確認を終え、兵士たちが一息吐く。
「大丈夫そうだな。まあ、もしシェラ姫が混じっていたとしても……こんな状態じゃ、国外に出す意味も無いか」
兵士達はそう結論を出し、馬車自体に隠し空間がないかどうかを調べていく。
ヒトイヌたちを一体ずつ檻の中に戻しながら、インディーは密かにほくそ笑んだ。
兵士達の思考や言動はすべて、インディーの――ひいては彼女の主人であるリルドの目論見通りだったからだ。
シェラ姫はヒトイヌの中に紛れていた。目が潰れていると誤認するように、ゴーグルの中にもう一つ目隠しを用意し、ゴーグルと目隠しの間に肉片と血を挟んでおいたのである。
最初にチェックされたヒトイヌは本当に目が潰れており、それをカモフラージュに活用したのだ。そのカモフラージュに兵士はまんまと騙されてしまった。
(十分な準備をしていたとはいえ……ここまで上手くいったのは想定以上だわ。まあ、まだ気は緩められないけど)
無事にチェックを潜り抜けたとはいえ、最後まで油断はできない。
インディーは緩みかけた気を引き締め直し、兵士たちが馬車をチェックするのを従順に手伝った。
そして――リルドたちはムトゥ王国を出国する。
元ムトゥ王国の隣国。
国境に面した街の、中心街から大きく外れた位置にある屋敷に、奴隷商人リルドの一行はやってきていた。
その屋敷はリルドに命じられたインディーが国外で活動する際の拠点となっていたひとつで、リルドはそういった屋敷をいくつか国外に用意していた。
奴隷を含めた様々なものを外国から得るための拠点だ。
その館の一室で、リルドはインディーと二人きりで話をしていた。
「……なんとか、ここまでこぎ着けられたな」
「ええ。予定外のことがいくつかあって想定より時間はかかってしまいましたが。上々の結果でしょう」
「関所ではもう少し一悶着かと思ったんだが……拍子抜けするくらいあっさり通れたな」
「結果として、ですが、アーリアの調教のために出発を延ばしたのが良かったのでしょうね。ちょうど兵士達の気が緩む時期なのでしょう」
インディーの指摘に、リルドは指を鳴らす。
「あー、それはそうかもな。もう少し時間が経っていたら、あの将軍が手を打って逆に警戒が強まっていたかもしれないし、絶妙な時期だったんだろうなぁ」
ともかくだ、とリルドは言う。
「最大の難関を越えた以上、あとはひたすらムトゥ王国から離れるだけ……インディーには、本当にずいぶんと苦労をかけたな。ありがとう」
「マスター、その言葉は時期尚早というものなのでは? 気を抜くのはまだ早いかと思いますが」
もっともなインディーの指摘に、リルドは肩を竦める。
「まあ、そういうなよ。確かに油断は禁物だが……国外に出てしまえばこっちのもんだ」
リルドがそういうのも無理はない。
最大の敵であった将軍は、元ムトゥ王国内では比類無き権力を持ってしまっていた。
もしその将軍が無理矢理にでもリルドの全てを調べようとしていたら、抵抗することもできなかった。
勘であれ、密告であれ、なんであれ。将軍に目を付けられた瞬間、リルドは破滅を免れなかった。
だが元ムトゥ王国から出てしまえば、いかに将軍が元王国内で権力を持っていようが関係がない。将軍が無理を通そうとすれば、当然隣国の者がそれを諫める。下手を打てば将軍は隣国を敵に回すことになる。
その差は大きなものだった。ムトゥ王国は大きな国だったが、隣国とのパワーバランスは対等だ。ましてや革命直後のムトゥ王国に、隣国と真正面からやり合える余力など残っているはずもない。
シェラ姫が逃げたという確証があれば話は違うだろうが、推測だけでリルドを捕まえにくる可能性はほぼないと言っていいはずだった。
リルドはリラックスした様子で頭を悩ませる。
「問題は彼女をこれからの旅路でどう扱うか、なんだよな……」
「なるべく遠く離れた国に着いたら解放するとおっしゃってませんでしたか?」
「最終的にはそうだ。けれど、それまでの扱いってもんがあるだろ。少なくとも、ヒトイヌのままにしておくのは危険だ。かといって、急に自由にするのもな……変に勘ぐられて、逃げ出されるのもまずい」
大きな脅威をくぐり抜けた、という認識がリルドにはあった。
ならば、シェラ姫を少しでも自由にしてやりたいと思うのは自然なことだ。
ちなみにそのことをあらかじめ考えていなかったのは、国外に出るのが第一にして最重要課題だったためだ。
国外に出ることができなければ、考えていたところで無駄になる。
『シェラ姫を普通の生活が出来るようにムトゥ王国から解放する』という、最終的な目標だけ明確であれば、あとのことは王国を脱出出来てから考えればいいことだった。
「とりあえず、ヒトイヌ拘束は解こう。ただ、急に自由にするわけにもいかないから、拘束して箱の中にでも詰めておくか。国を渡るごとに拘束を解いていくことにしよう」
リルドが決めた、暫定的な方針を受け、インディーは頷く。
「他の奴隷についてはいかがいたしますか?」
「この国で大部分は売却する。偽シェラ姫とアーリアは奴隷市場のオークションにかけることになるから、それに合わせて……」
今後のことについて、リルドとインディーは話を詰めていく。
そのふたりの元に、慌ただしく使用人のひとりがやってきた。冷や汗を垂らし、息を切らせて部屋に飛び込んで来たその使用人は、ふたりにとって信じがたいことを口にした。
「リルドの旦那! 大変です! ムトゥ王国の――将軍様がお見えです!」
「ふむ、貴様がリルドか。想像していたより、ずいぶん若いな」
その男は、初老という年齢に似合わぬほど、壮健な見た目だった。燃えるような朱色の髪は獅子のたてがみのように豊かで、その体には飾りものではない鍛え上げられた筋肉が身についている。顔や手に皺こそ多いものの、外見から彼の実年齢を言い当てられる者はほとんどいないに違いない。
威圧感の凄まじい将軍に対し、ただの奴隷商人であるリルドは、臆することなく淡々と頭を下げた。
「将軍閣下……いや、国王陛下と呼ぶ方が適切でありましょうか。お目にかかれて光栄でございます。しがない奴隷商人の私に、一体どのようなご用件でしょうか?」
リルドはまずはそう問いかけた。
将軍はムトゥ王国での革命の中心となった人物だ。革命は成ったとはいえ、いまだムトゥ王国国内は大きな混乱の最中にある。
彼はまだ国から離れることなど出来ないはずだった。それがどういう訳か、隣国の、リルドの前にやって来ている。
実際に後ろめたいことががるリルドでなくとも、まず意図を尋ねたいのは当然だった。
「ああ、そう固くならずとも良い。ギルバストックの奴から聞いていてな。……偽者のシェラ姫を仕立てていると。なかなか出来がいいと聞いているぞ」
「お褒めにあずかり光栄です」
「その存在のこと、どこまでが知っている?」
「……私と、ここにおりますインディー、将軍様に、ギルバストック様。それから何人かの使用人と、関所でチェックを担当していただいた兵士の方々……でしょうか。まだ宣伝などは打っておりませんので、偽シェラ姫のことは内密に進んでいる状態です」
「思ったより少ないな。好都合だ」
にやりと将軍は笑う。実に悪魔的な笑みだった。
「偽シェラ姫だが――ワシに寄越せ。アーリアの方もだ。安心しろ。代金はきちんと支払ってやる。オークションでどの程度の値が付くかはわからないが、相場の倍程度支払ってやろう」
「……理由をお聞かせいただいても構いませんか?」
「わかっているのではないか? ワシは本物のシェラ姫を捕まえようとしておる。だが、本物のシェラ姫は一向に見つからん。無理な山越えをしようとして野垂れ死に、獣に食われた可能性もあれば、いまだ国内のどこかに匿われている可能性もある。いずれにせよ、放っておいてはいつの間にか妙な神格化がなされ、国の安定の障害になりかねない」
将軍は力説する。
十年先、百年先の未来予想図を。
「それを防ぐため――シェラ姫の処刑を行うことにした。だが本物は死体すらない」
ならばどうするか。
リルドはすぐに答えを見つけた。
「それで、よく似た偽者を処刑し、シェラ姫を完全に殺した、という事実を作るわけですね」
「そうだ。それさえ出来ればワシの治世は完全に安定する。処刑の際には女として生まれたことを後悔するような、悲惨な処刑とする予定だ。あの小娘、国民の人気は高かったからな。無様な姿を晒させ、その人気も人望も全てを破壊する」
にやりと微笑む将軍は、再度繰り返した。
「ワシに偽者のシェラ姫と、ついでにアーリアも寄越せ。偽者であることを最大限有効活用してやろう」
その将軍の要望を、リルドが拒否出来るはずがない。
破格な値段ではあったが――偽者のシェラ姫と、女騎士アーリアは将軍の手に落ちることになったのだった。
つづく