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夜空さくら
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平べったくなった友達と。 前編


 わたしの目の前で、真っ黒な人形が蠢いている。

 頭のてっぺんから足の爪先まで、真っ黒なその人形は、まるで地面に映る影がそのまま起き上がったように、目も口も耳も何もなくてのっぺりとしている。

 造形の荒い、真っ黒なマネキンというのが近いかもしれない。質感はプラスチックとかじゃなくて、ゴムのように柔らかいけど、反発力が相応にある物だ。

 その人形とわたしは同じくらいの背丈だから、その無駄に隆起している大きな胸がなければ、自分の影が動き出したのかと錯覚していたかもしれない。

 もっとも、わたしはその人形の正体を知っているので、そうでないことは百も承知だったけど。。

「オゥ、エー」

 もごもごと、人間なら口がある辺りからくぐもった声を放つ人型。

 たぶん言いたいのは「オーケー」かな。

「はいはい……わかったから。……聞こえてないだろうけど」

 わたしは深く溜息を突きつつ、あらかじめ渡されていたリモコンを操作する。

 最初は何かが起きているように思わなかった。

 けれど、目の前に立っていた黒い人影は突然、膝から崩れるようにその場に倒れた。

 思わず助け起こす間もない。床に崩れ落ちた――否、床に崩れ折れた黒い。


 気付けば、黒い人型は薄っぺらい一枚の布のようになって、地面に折り重なっていた。


 さっきまでわたしと同じように厚みを持って、普通の人間と同じように動いていたのに、瞬く間に一枚の布になってしまった黒い人形。

 それを前にして、わたしの心臓は激しく鼓動を奏でていた。

「ほんとに、ぺっちゃんこになっちゃったよ……」

 ごくり、と生唾を飲み込みながら、床に落ちているその黒い人型に触れてみる。

 冷たいはずのゴムの向こうに、暖かな熱を感じる。


 そう。それは、こんなに平べったくなっても――生きていた。


 掌全体を使って、その人型を撫でてみる。

 感触はすべすべなゴムでありながら、二の腕の肉のような生きている人間の、柔らかな弾力がある。

 さらに触れたところから、ほんのわずかに振動しているのが伝わってくる。痙攣、という感じで弱々しいものだ。

「まあ、これだけ平べったくなれば、骨も筋肉も意味ないだろうけど……どういう仕組みなのよ、これ……」

 わたしは深々と溜息を吐く。

 そもそも、ことの起こりは数日前に遡る。





 その日、わたしはいつものように親友のみくらの姉自慢を聴いていた。

「それでねそれでね! お姉ちゃんってばすごいのよ! また新しい研究を形にしたんだから!」

 みくらは大が五つは付くほど姉が好きなのだ。もちろん恋愛的な意味ではなく、シスコン的な意味で。

 実際、研究者として名を馳せているという彼女の姉は、聴いている話だけでも凄いことは確かだった。あいにく歳が離れているとかで、わたしとみくらが知り合った頃には家を出ており、わたしは直接会ったことはない。

 けれど、わたしはみくらのお姉さんが年に何回家に帰って来たか、聴いてもないのに知っているし、何ならそのへんの挨拶するだけする友達よりも詳細なプロフィールまで語れる自信がある。

 お姉さんを自慢する時のみくらは、本気でお姉さんが好きなのだと理解出来るほどキラキラした眼で話してくれるから、別にその話を聞くこと自体は苦ではない。

 苦ではないのだけど、毎回毎回お姉さんの話を聞いていると、さすがにまたかという気分にもなるというか、驚きも少なくなってくるというか。

「はいはい、すごいすごい」

 別に遮りはしないけど、本腰を入れて聴くほどの意識は持てなくなるというのが正直なところだった。

「それでね、その研究の内容なんだけど……」

 みくらもお姉さんのことが喋れればそれでいいのか、あまりこっちが真面目に聞いてなくてもおかまいなしに喋る。

 けれど、その時の話は無視出来るものじゃなかった。

 秘密の内容なのか、みくらはわざわざわたしの耳元に口を寄せて、小さな声で囁く。


「なんとねっ――人間を小さく圧縮して運べるようにしちゃったの!」


 思わずいつもと同じように流しかけた。

「はいはい、すごいすご……なんて?」

 解釈次第では凄く猟奇的な話だ。

 だからこそ普段のように軽く流せなかったのだけど、みくらは全く気にしていないようだった。

「だからね、人を小さく圧縮して、運べるようにしちゃったんだ!」

「いや何言ってるのかよくわからないんだけど……」

 正直な心情の吐露に対し、みくらは頬をぷくりと膨らませる。

「あっ、さねこ信じてないの!? お姉ちゃんは天才なんだからねっ!」

「それはよく知ってる。よーく知ってる」

 大学に通っている時から企業の研究室に顔を出し、数々の新技術を開発しただとか、全く新しい理論で論文を書いて業界を震撼させたとか。

 初めの頃は姉自慢のみくらが大げさに言っているのだと思っていたけど。

 ある日、テレビでみくらのお姉さんがインタビューを受けていて、みくらの話していたことは全部事実だったと知り、仰天したからいまではみくらの話はちゃんと信じている。

 とんでもない天才だということはよくわかっている。

 けれど、それでも信じろというのは無茶な話だった。

「ええと……人間の圧縮って、どうやれば圧縮出来るの?」

「理屈は知らない! 教えてもらったけどよくわかんなかった!」

 みくらの名誉のために補足すると、みくらは決してアホの子ではない。姉バカではあるけど、普通に学校の成績はトップクラスだった。

 みくらのお姉さんの話はテレビで聴いたけど、わかりやすく編集されているはずなのにわからなかった。それくらい訳のわからない理論なので、みくらが説明出来なくても無理はない。

「……一応聴くけど、死んでる人間を圧縮する話じゃないよね?」

 とても猟奇的な話になってしまう。そういう研究をしている人じゃないとは思うのだけど、そうとしか解釈できなかったので、ついそう尋ねてしまった。

「違うよ! 何言ってるの!!」

 何言ってるの、はこちらの台詞なのだけど。

「わけがわからないよ……」

「えっとね、その技術を使って作ったのが、平面化スーツって言うらしくてね。それを着ると布みたいにぺらぺらになるんだって!」

「もっとわけがわからないよ……」

 みくらが嘘をいう子じゃないことはわかっていても、嘘としか思えなかった。

 けれど、みくらはそんなわたしの反応がとても不満だったようで。

「わかった! 今度見せてあげるからあたしの家に来て!」

 まだどこにも発表されていないはずのそれを、見せてくれることになったのだ。



 みくらの家はとても広い。

 彼女のお姉さんが研究によって得た金銭を仕送りしてくれているらしく、一般人からしてみれば広すぎる家にみくらは住んでいた。

 ちなみに両親はそのお金を使って世界中を旅しており、みくらはほぼ独り暮らし状態になっている。だから余計に広すぎるように感じるのだけど。

「ハウスキーパーの人は昼の間に来て帰っちゃうから、気兼ねは要らないよ!」

「……お邪魔します」

 わたしは一応そう挨拶して、みくらの家にあがった。

 みくらは自分の部屋に着くと、早速服をぽんぽん脱ぎ始める。

「え、ちょっと、みくら。いきなり始めるの?」

 まだわたしは荷物も置いていないのだけど。

 みくらは恥ずかしがる様子もなく下着姿になっていた。わたししかいないとはいえ、なんというか、恥じらいの心はどこにやってしまったのだろうか。

「百聞は一見にしかず! 信じられたら、さねこにも体験してもらうからね!」

「ちょっと待って聴いてない」

「だってお姉ちゃんにテスターしてくれって言われてるから。体験する人は多い方がお姉ちゃんに報告出来る内容増えるし」

「……みくら、もしかして最初からそれ目当てで誘導してない?」

「これ! これがお姉ちゃんの作った『平面化スーツ』だよ!」

 なんか誤魔化された気がする。

 みくらがクローゼットの中から取りだして来たのは、真っ黒なボディスーツだった。

 ゴムなのかなんなのか、妙にぴっちりすべすべした外見だ。

 みくらにそれを押しつけられて、思わず手に持つ。見た目の印象通り、普通の服とは違う、奇妙にすべすべした感触だった。

「ダイビングスーツっぽい……かと思ったけど、明らかに違うね……なんか、人の皮みたい……」

 自分で言ってて気味が悪くなってしまった。

 みくらに手渡そうとしたら、みくらは下着に手をかけ、脱ぎ捨てているところだった。

 同年代で同性とはいえ、お風呂でもないのに目の前で素っ裸になられて、思わず変な声が出た。

「にゃに!? な、なんで全部脱いでるの!?」

「あはは。『にゃに!?』だって、さねこ、猫みたい」

 からからと音が立ちそうなほど首を上下に振って笑うみくら。

 笑い事じゃないと思うのだけど。

「平面化スーツは裸の上から直接着ないといけないの。ぴったり肌に張り付けた方が良いんだって」

「だからって、少しは隠してよ……」

 わたしは思わずみくらから眼を逸らす。みくらは何というか、同性でもどきっとするほどスタイルがいい。モデルのように背が高いわけじゃなく、細いわけでもないけど、胸やお尻の肉付きが良くて、腰は程よく括れている。

 なんというか、格好いいというよりは、可愛いというか、甘ったるい感じというか。

 一言で言ってしまえば、エロい。

 そんな彼女が全裸で目の前に立っているのだから、なんだかいけないことをしているようで居心地が悪い。

 そんなわたしの感傷など全く気にした様子もなく、みくらはわたしから平面化スーツを受け取った。

「スーツ着るの手伝って。結構着るの大変なんだ」

 そう言いながら、みくらはまずスーツの背中側に手をやる。そこはサナギが脱皮した時のようにぱっくりと割れ目が開いていた。

 その中に、みくらはまず足を通していく。サイズが結構ギリギリなのか、それとも元からそういうものなのか、ぴちぴちと音を立てながらみくらの体が黒いスーツに覆われていく。

 わたしもここまで来てしまったので、大人しく彼女のスーツの着用を手伝うことにした。

 ぴっちりと彼女の体のラインを露わにしながら、平面化スーツは彼女の体を覆っていく。

 臍の下まであげたら、今度は腕を通す。

「ひゃっ、冷たい」

 腕の部分を肩くらいまで通すと、スーツの前面がみくらの体の前面に張り付いた。その際、スーツが冷えていたのか、みくらが小さく声をげた。

「……全然、繋ぎ目とかないんだね」

 まるでみくらの体に墨汁か、黒いペンキでもぶちまけたようだ。

 みくらの大きな胸はスーツによって潰れるかと思ったけど、不思議とそうはならなかった。程よい隆起を残したまま、ぴっちりと覆う。

 黒いスーツに覆われた状態でぷるぷると揺れるおっぱい。

 普段見ているそれとは全く別物になってしまったような印象で、思わずドキリとした。

 そんなことは元々気にしていないのか、スーツを着るのに必死になっているのか、みくらは気にする様子もなく、スーツを身につけていく。

「背中側はどうするの? ファスナーになってるの?」

「ううん。着た後で割れ目をぴったり合わせれば自動的に接着されるみたい」

「さらっと言ったけどそれはそれで凄い技術じゃないの?」

 そしてそれは本当だった。

 スーツの割れ目を下から合わせていくと、まるで接着剤でも着いているかのようにぴったりと裂け目が張り付き、もとからそうであったように跡もなくなってしまう。

「これ、脱ぐときどうするの?」

「力を込めれば元のように裂けるっていってた」

 試しに接着された部分を指先で摘まんで左右に引っ張ってみると、裂け目が広がっていく。いや、どんな技術だよ。

「色々すごいね……みくらのお姉さん……」

 思わず正直なことを呟くと、みくらはふふーんと得意そうに胸を張る。

「そうでしょうそうでしょう! お姉ちゃんはすごいのよ! この技術はまだこのスーツにしか組み込まれてない、最先端の技術らしいわ!」

 そんな大事なものを預けられたことを自慢したいのだろうけど、それって体よく実験に使われてるんじゃないかな。

 鼻高々なみくらの様子に、そんな野暮なことは言えなかった。

 首元までぴったり裂け目が張り付くと、みくらの首から下が真っ黒にペイントされたような姿になる。

「どう? すごいでしょ!」

「うん、すごい」

 たぶんみくらが思っているのとは違う意味で。

 全身タイツみたいだけど、それ以上になんというかえっちな格好だった。タイツだとギャグっぽいのに、そう思えないのは、艶めかしい光沢があるからだろう。

 みくらのメリハリの利いた体型もあって、なんだかとてもいけない格好をしているように思えるのだ。

 それを自覚しているのかいないのか、みくらは楽しげに追加の着衣を手に取る。

「そして……これもしないとね! 全頭マスクっていうらしいんだけど」

 それは頭に被るためのものだった。

「これを被れば、全身余すところなく平面化されるってわけ! 喋れなくなるし、息も出来なくなるから、私がこれを被ったらすぐにこのリモコンのスイッチをオンにして!」

 そういって手渡されたのは、まるでテレビのリモコンのようなものだった。これで平面化スーツを操作するらしい。

「息が出来なくなるって大丈――」

「それじゃあよろしくね!」

「人の話をきいてよ……」

 わたしの心の底からの呟きも虚しく、みくらはその頭に全頭マスクを被り始める。

 さすがにちょっと苦しげには成りながらも、みくらはその頭部を完全にマスクで覆った。

 マスクの端と、平面化スーツの端がぴったりと合わさり、分かれ目が消えていく。そこも背中の割れ目と同じ技術が使われているらしい。

 こうして、みくらはのっぺりとした黒い人形へと変わった。

 スーツ越しにもごもごとOKを出すみくらに呆れつつ、わたしは言われた通りにリモコンのスイッチを入れて――みくらの体はあっという間に平面化してしまった。


 そしてわたしの前に、物理的にぺったんこになったみくらがいるのであった。


 平面化スーツが本当であることはわかったけれど、これからどうすればいいのか。

 わたしは平べったくなってしまったみくらを掌で触りつつ、途方に暮れるのであった。



後編につづく




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