ヒトネコトリップ! 1
Added 2019-09-18 14:42:42 +0000 UTCわたしの名前は藤原宮子。
少し人見知りする以外、なんの特徴もない、ただの女子大生。真面目とは言われるけど、別にわたし自身は特段真面目であるつもりもなく、単に言われたことを素直にやっているだけ。
容姿に関しては……あまり多くない友達からは、可愛いしスタイルがいいと褒められているけど、友達補正のかかった言葉を額面通りに受けとめるほど自惚れてはいない。お店のお客さんも褒めてくれるけど、あれはリップサービスだと思うし。
とにかく、物凄い特技があるわけでも、膨大な知識量を誇るわけでもないわたしは、どこにでもいる普通の女子大生だった。
だけど、唯一他の女子大生と違うと言い切れるところがあった。
それは――全身スーツを着用しなければならないお店で働いていることだ。
特殊素材で出来た全身スーツは、首から下の身体にぴっちりと張り付くように出来ている。細かな突起とか、見られちゃまずいものは見えないけど、身体のラインは全身タイツ並みに出てしまうので、正直かなり恥ずかしい格好だ。
そんな格好で、お店を訪れてお酒を嗜むお客さんと話したり、見世物になったりするのが仕事だった。
風俗店というわけではない。らしい。一応。たぶん。
全身スーツの見た目はかなり刺激的になるのだけど、お客さんからのおさわりは厳禁だし、そういったお店にありがちなサービスも提供しない。
気心の知れたスタッフ同士で絡む程度のことはするけど、それも別に性的なものでは――必ずしも、という注釈はつくけども――ない。
それでも死ぬほど恥ずかしいのは変わりない。それなのにわたしがこのアルバイトを辞めていないのは、お給金が非常にいいから……というのはもちろんある。
けれど、正直な話をすると――わたしはこの怪しげな世界に魅せられてしまっていた。
元々わたしは、友達の甘城美里に頼まれて、臨時バイトとしてこの店で二度働いた。
最初は単に全身スーツを身に纏い、テーブル席に座ったお客さんたちを順番に相手する、という仕事だった。お客さんは紳士で落ち着いた人ばかりだったけど、ぴっちりした全身スーツ姿をじっくりと見られて、消え入りたいほど恥ずかしかった。
二度目は全身スーツに加えて、猫耳・首輪・肉球グローブとブーツ・尻尾などのグッズを身に付け、『ヒトネコ』にされた。同じ格好になった美里と、ステージでじゃれ合い、絡み合い、見世物になった。途中、美里が暴走してディープキスをされるなど、散々な目にあった。
その結果、完全に『こういう世界』への扉が開いてしまったのだ。
それからわたしは、臨時ではなく正式なアルバイトとなってお店で働いている。
わたしの反応はお店に来るお客さんにとって非常に理想的なものであるらしく、美里とのペアを組んでのショーも非常に受けが良かった。
結果として、最初に約束されていたお給金より遙かに高いものを受け取れていて、それがまたわたしがこの店から逃れられない理由になっていた。
全身スーツの姿を晒すのも多少は慣れたとはいえ、ひとたびお客さんの視線を観じると平静ではいられず、それが益々受けてしまう。
そんな蠱惑的で妖しげなお店で働いていたある日、お店のママさんからある話を振られたのだ。
「慰安旅行……ですか?」
仕事が終わった後、全身スーツを脱いでシャワーを浴び、控え室で一息ついていた時。
肌色の全身スーツを着たお店のママさんから、振られた話の内容を、わたしは端的に繰り返す。相変わらず目のやり場に困る格好だった。だいぶ慣れたけど、自分の格好と同じで恥ずかしいことに変わりはない。
ママさんは、断片的に聴く話から推測される年齢とは思えないほど魅力的で若々しい身体を惜しげもなく晒しながら――実際は晒していないのだけど、ぱっと見は裸にしか見えない――こくりと頷いた。
「うちでは年に数回、従業員の慰安を目的とした小旅行を企画しているの。建前は従業員の交流および親交を深める……ってことになってるけど、実際は格安でいける小旅行だから心配しなくていいわ。ほとんど自由行動だし、ご飯だって個別に食べるくらいだから」
元々友達の美里とならともかく、まだあまり親しくない他の従業員と行く旅行は気を遣いそうだから嫌だな、と思ったわたしの思考を先取りするように、ママさんは言う。
心を読まれているようで、なんとなく落ち着かない。
「そ、そうなんですね……」
「ええ。参加は自由だから、無理にいく必要はないんだけど……どうする?」
「そうですねぇ……ところで、行き先は?」
まずそれを聴かないことには始まらない。まさか外国とかではないだろうけど、もしそういうところだったら、格安でもそれなりの出費を覚悟しなければならない。
まあ、実のところバイト代が恐ろしいほど貯まっているので、多少の無理は利いてしまうのだけど。
わたしの至極真っ当であろう質問に対し、ママさんはニコリと微笑む。
あ、なんか嫌な予感。
「ちょっと変わったところよ」
東北とか四国とか、ざっくりとした場所すら言わないママさんの言い方。
わたしの中で警鐘が鳴り響いている。
「いや、どこですか」
食い下がろうとしたわたしの背に、いきなり誰かがのし掛かってきた。
背中に感じる柔らかい感触。首に回される腕。耳たぶに熱い息がかかって、わたしは反射的に悲鳴をあげた。
「ひゃあ!? お、驚かさないでよ!」
突然耳に息を吹きかけられ、顔が赤くなっているのがわかる。
わたしにこんなことをするのはひとりしかいない。
「ふっふっふー。隙だらけのミヤが悪いの♪」
同じシフトに入っていた美里が、いつの間にかわたしの後ろに忍び寄っていたのだ。
何がそんなに楽しいのか、美里はくすくすと笑いながら身体を密着させてくる。彼女はまだ全身スーツを脱いで折らず、黒いスーツの感触が服越しでも伝わってきた。
じっとりと熱く、しかしどこかひんやりともしたその感触が、わたしの思考を乱す。
わたしが顔を真っ赤にしているのには構わず、美里はマイペースに話を戻した。
「なになに? 旅行の話? ミヤもいこーよ! 絶対楽しいよ! だって今回は……」
にこやかな笑顔のまま、美里はとんでもないことを言う。
「ヒトネコトリップ、だもんね!」
なにそれ、とわたしが疑問符を浮かべるのも無理はない。
理解の追い付かないわたしの様子を見てか、美里は首を傾げた。
「あれ? ママさんから聴いたんじゃないの?」
「いま聴こうとしてたの。変わったところ、というのは聴いたけど……ヒトネコ、トリップ?」
どういうことですか、という意味を込めてわたしがママさんを見やると、ママさんは悪戯が失敗した子供のように、ちろりと舌を出した。
「少しずつ説明したら、いい反応してくれそうだったから」
「ママさん?」
「あー、そうだね。惜しいことをしちゃった」
「美里?」
てへぺろ、といわんばかりの顔をするふたり。
「……帰っていい?」
「「帰らないで!」」
全身スーツを着たふたりに両腕を絡め取られて引き留められてしまった。
どっちからもすっごいすべすべで柔らかい感触がして、また赤面させられたのはいうまでもない。
一端落ち着いてから、話を戻す。
「それで、ヒトネコトリップってなんなんですか?」
わたしの背中には相変わらず美里がひっついている。彼女のパーソナルスペースは非常に狭いので、からかうとかそういうの抜きにしても距離が近くなりがちなのだ。
「まあ、簡単にいうと、二泊三日の旅行の間、『ヒトネコ』として小旅行してみませんかって企画ね」
「わけがわからないよ……」
「企画書みたけど、楽しそうだったよ! ミヤもいこーよー」
美里がわたしの頭頂部に顎を乗せながらそう言う。体重はかけてきてなかったから重くはなかったけど、若干鬱陶しい。
「基本的には『ヒトネコ』として自由に過ごしていればいいだけだから凄く快適みたいだよ! 移動は特殊な車でね、ひとりひとりペットゲージに入れられて――」
「ちょっと待って美里」
いまの一節だけでも、楽しい要素が微塵も感じられなかったのだけど。
なにが楽しくて狭いゲージの中に閉じ込められて移動しなければならないのか。
わたしはそう言いたかったけど、美里は気にせず話しを続けていた。
「いくつかレジャー施設にも寄るらしいけど、なんと言っても『ヒトネコ横町』が楽しみだね! 詳しくは知らないけど、『ヒトネコ』が『ヒトネコ』として自由に振る舞える商店街なんだって! 食べ物屋さんで食べ物を分けてもらったり、日当たりのいいカフェで気ままに昼寝したり、道行く人に遊んでもらうことだって出来るんだって! 大掛かりな仕掛けだよね~。そんな経験、他じゃできないよ!」
「そりゃそうでしょ」
そもそも『ヒトネコ』の存在自体、普通は認められないものなのだから。
普通の街中を『ヒトネコ』が闊歩している様を想像してみたが、それはとんでもなく背徳的な光景ではないだろうか。
なのに、道行く人や店の人は『ヒトネコ』を受け容れてくれているわけで。
(だって『ヒトネコ』ってことは……あの格好だよ……?)
極普通の商店街の光景の中で、『ヒトネコ』の姿をした自分がいる様を思い浮かべ――わたしの胸の鼓動が、どくんと大きくなった。
(い、いま、なんでちょっと興奮したの、わたし……?)
どう考えても恥ずかしいことなのに。
なぜ、普通の商店街の中で、自分だけが『ヒトネコ』として、全身スーツに様々な装備を身に付けた、四つん這いで移動する様を想像しただけで、興奮してしまうのか。
わたしは自分で自分の反応が信じられなかった。
そしてそのことはママさんや美里にバレている。
ママさんは微笑ましい者を見る目で。美里は気持ちを同じくする仲間を見る目で。
わたしをじっと見詰めていた。
ごくり、と生唾を飲み込む自分の仕草を自覚するに到って、わたしは興味を惹かれていることを否定することができなかった。
「……もう少し、詳しい話を訊いても、いいですか?」
その言葉を紡いでしまった時点で、わたしはなんだかんだ言いながらも、その小旅行――ヒトネコトリップに参加してしまうのだろうという、確信があった。
つづく