はじめてのヒトイヌ公園 プロローグ その2
Added 2020-04-03 14:23:43 +0000 UTCわたしと瀬田さんは、ヒトイヌ公園の施設内の一室に通されていた。
いわゆる応接室というところで、本来ならまだ入場もしていないような客が入れる場所じゃないだろう。すごく広い部屋じゃなかったけど、圧迫感を覚えるほど狭いわけではなく、程よい広さだった。
わたしと瀬田さんは机を挟んで向かい合い、革張りのソファに腰かけている。
そのソファは非常に質の良いもので、一般庶民なわたしは逆に落ち着かなかった。部屋の各所にさりげなく、嫌味が無い程度に置かれている調度品の類いも、かなりレベルが高い。
たぶんこの部屋は本来施設のお偉いさんとか、スポンサーさんとかが使うような場所なのだ。一介の学生で一利用者であるわたしたちが入れるような部屋では無い。
今回は特別にこの部屋を使っていいということだった。
まあ、あのまま受付の前でぐずぐずされたら、施設側としても困るだろう。他の入場者が来る様子はなかったけど、受付であることには変わりない。
ぐずぐずしているのはこっちの落ち度なのに、落ち着いて話し合う部屋を用意してくれて、申し訳ないやらありがたいやら。
単に客を逃したくない、ということはあるのだろうけど。施設の内容を考えれば、そんなにたくさんの利用者がいるとは思えないからだ。客になり得る可能性があるのなら、多少の融通は利かせる、ということなのだろう。
(……それにしても、なんというか、費用対効果が見合ってない感じはするわね)
いまのところわたしたち以外の、他の入園者を見かけていない。
地図上で見た限り、この公園は結構な敷地面積を有しているはずだ。採算が取れているのか、不思議に感じる。内容を考えると、怪しげなお金の動きがあってもおかしくはない。
まあ、それはさておき。
いま考えるべきことは他にある。
「それで……うん、まあ、落ち着いて話をしましょうか?」
わたしは何から話していいのかわからず、とりあえずそんな言葉で口火を切った。正面のソファに座った瀬田さんは、もじもじと指を弄っている。
「えっと……だからね、ちゃこにあたしのご主人様になって欲しいの」
「それは聞きました。聞いたけど訳がわからないんですよ」
わたしはそう断じた。
実際、訳がわからないのだから仕方ない。
「瀬田さんならわたしじゃなくても、もっと仲の良い友達とかたくさんいるでしょう? なにも、わたしに頼まなくても……」
「それはだめっ!」
思ったよりも強い口調でそう拒否されて、わたしの方が面食らってしまった。
瀬田さんはなんとも複雑そうな顔を浮かべている。
「ちゃこがそうじゃないってわけじゃないけど、そうじゃないの。仲の良い友達にご主人様になってもらうのは違うの。あたしの中で解釈違いなの!」
「解釈違いってなに……」
意味不明な主張に困惑してしまう。
大体、ご主人様に解釈も何もあるのだろうか。
「でも要するにリードを握って公園内を連れ回せばいいんでしょう? それが変わるわけじゃなし……わざわざわたしを選ぶ理由ってなんですか?」
「それは……あたしにもわかんない」
「なにそれ」
本当になにそれ、である。
「あたしの直感なの! ヒトイヌとしてご主人様を選ぶのならちゃこだって!」
「そんな無茶苦茶な」
困惑するしかないというか、なんというべきか。わたしは内心頭を抱えてしまう。
思えば、なんで彼女がわたしを頻繁にグループに誘ってくるのか、不思議だった。
わたしの中では体の良い雑用係か人数合わせだろうと結論づけていたけど、考えてみれば別にそういう感じでもなかった。瀬田さんを初めとして、グループ内の誰もわたしをそんな風に扱ってはいなかった。
他の人はわからないが、少なくとも瀬田さんに関しては、もしかして、このために普段から声をかけてきていたのだろうか。
わたしがジト眼で瀬田さんを見つめていると、瀬田さんは悩んだ末に口を開いた。
「……ちゃこって、言うこと利いてくれるじゃん。呼んだら来てくれるし、ちゃこは興味なさそうなショッピングにも文句も言わずについてきてくれるし。食べ物や飲物も頼んだらシェアしてくれるし」
「そうですね」
別に拒否する理由もなかったからなのだけど、いまそれをいう必要はないだろう。
「だから、あたしがこういう趣味だって知っても、言わないでって頼んだら誰にも言わないでいてくれるかなって……」
「……なるほど」
本人も理由のわからない直感で「自分のご主人様にしたいと思った」というよりは、余程頷ける理由だ。
「他の人には、弱みを見せたくないわけですね」
「弱み……とは言わないけど、絶対関係変わっちゃうもん……ちゃこなら、知ってからもいままで通り接してくれそうだし……」
確かに、わたしは別に今後彼女に対する態度を変えることはないだろう。衝撃的な内容ではあるが、別に普段の生活に影響するようなことではない。
誰だって人に言えない秘密のひとつやふたつ持ってるものだ。
わたしにだって――ある。
その秘密を踏まえて考えると、案外彼女がわたしを選んだのは間違ってはいないのかもしれない。そう思っていると、瀬田さんがいきなり立ちあがって、深々と頭を下げてきた。
「だから、お願い! 今日一日だけでいいから、あたしのご主人様になって!」
普段のおちゃらけた様子とは違って、誠意を感じられる態度だからこそ、わたしはとても悩んだ。
彼女もそれなりの覚悟を持ってしているカミングアウトであり、懇願なのだということはわかる。
いくらわたしなら知った後も変わらず接してくれるだろうと感じたとはいえ、ヒトイヌとして扱われたい、というのは相当な勇気がいったことだろう。
(……受けても、いいかな)
わたしはそう考えていた。自分が不利益を受けるわけではないし、いつものように彼女の誘いに乗ると考えればいいだけだ。ここまで来てしまったこともあるし。
それに、正直なところ、ヒトイヌ拘束というものに全く興味がないわけでもない。
自分が犬扱いされるのは嫌だけど、自分ではなく人がされるのなら、ちょっと見てみたくはある。
半ば騙し討ちのような形でここまで連れてきた彼女への対応としては甘いかもしれないが、彼女なりに色々と悩んだ末のことなのだろうし、それらの決意を無碍にするのも可哀想に感じた。
「……先に言っておきますけど、ご主人らしいことを求められても、困りますからね?」
そう言った時点で、承諾したのと同じだった。
頭を下げていた瀬田さんが顔を上げ、満面の笑みを浮かべる。
「ありがと! ちゃこ! やっぱりちゃこに頼んで良かった!」
「はいはい……」
調子がいい瀬田さんに若干呆れつつも、わたしは彼女のご主人様になることを決めた。
思えばこれが――わたしの人生を変えた一つ目のターニングポイントだった。
施設側からは、話し合いが終わったら連絡して欲しいと言われていた。
応接室に置かれている内線を使って、受付の人に連絡を取ると、さっき受け付けで対応してくれた人が、書類を持って部屋に来てくれた。
「それでは、改めまして当公園――ヒトイヌ公園にお越しくださり、誠にありがとうございます。公園について、軽くご説明いたしますね」
「お願いします」
「当公園では、ヒトイヌ拘束を施した上で、自由に公園内を散策していただけます。公園内にはヒトイヌ用の様々な施設が点在しておりますので、ぜひ巡ってみてください」
言いながら受付の人が見せてくれた公園のマップは、かなり広いものだった。いくつか建物もあるし、東屋や広場もある。全国的にメジャーな遊園地と比べればさすがに規模は少ないが、全部を体験しようと思うと一日で足りるかわからない。
「今市様はパートナー入場となりますので、把握しておいていただきたいルールとマナーがいくつも存在します。……とはいえ、基本方針はシンプルです。『当公園ではヒトイヌが最優先』ということです」
例えば、と受付の人は切り出す。
「公園内には瀬田様以外にもヒトイヌがいることがあります。そのヒトイヌとトラブルになった場合――もちろん状況にはよりますが――基本的にはヒトイヌの主張が優先されるとお考えください。例え勘違いでも、仮に事故だったとしても、ヒトイヌが傷ついたりした場合、人間側が大きな責を負うことになります」
「責……罰金、とかですか?」
「そういった場合もありますが、今市様の場合の罰則はヒトイヌになっていただくことになるでしょうね」
しれっと言われ、わたしは戦慄した。
そういうことをするための施設なのだから当然なのかもしれないけど、まがりなりにも客を強制的にそうさせるという、考えようによっては恐ろしいことを言っている。
「ですがご安心ください。罰則は暴力的な行為だとか、公園内でのことを公園外に持ち出して利用者を脅迫するだとか、そういったことをする不埒者対策であって、普通に過ごしていただく限り、罰則がつくことはまずありません」
「は、はあ……」
それは安心していいのだろうか。でもいまの話をよくよく考えると、公園内だけじゃなく、公園外であっても、違反行為をすれば何らかの処置がされるということだ。私の想像以上に強大な組織なのかもしれない。
「今市様に気をつけていただくとすれば、接触禁止のヒトイヌ利用者に誤って接触してしまうことくらいです。そういったヒトイヌの首にはタグがついていますので、そこさえ気をつけてくだされば問題ないでしょう」
接触禁止のヒトイヌとかいるんだ、と違うところが気になった。
「というか、そもそも他のヒトイヌと触れあったり出来るんですね……?」
「はい。当公園にはいくつか入園方法がございまして、ひとつがヒトイヌ入場、ひとつがパートナー入場、そして最後に一般人としての入場です」
そういう入場も出来るんだと思ったが、それにしては人の数が少ないような気がする。
「入場方法によって、相応の御利用料金をいただいておりますので……」
なるほど、納得の行く話だった。どれくらいの料金なのか気になる。
しかしそれ以上に気になるのは。
「……もしかして、ひとりでもヒトイヌ入場って出来るんですか?」
「あぅ」
瀬田さんが小さく呻いた。視線を向けると、わざとらしく眼を逸らしている。
受付の人は少し苦笑しながら応えた。
「はい。単独のヒトイヌ入場も可能です」
受付の人は明言しなかったけど、むしろそっちの方が主流なのではないだろうか。この手の趣味を持っている人が、必ずしもパートナーを有しているとは考えにくいからだ。
「……瀬田さん?」
問い詰めるつもりはなかったけど、つい詰問するような響きになってしまう。
瀬田さんはとても気まずげに、指と指をぶつけている。
「だって……ひとりは怖かったし……」
わからなくはないけれど。
この施設を信用しないなら、それはわたしが一緒でも今更ではないだろうか。
(……いや、違うか)
瀬田さんは典型的な陽キャだ。わたしは独りで行動するのに全く躊躇を覚えないが、彼女のようなタイプは独りで行動するのに忌避感があってもおかしくはない。
大抵の場合、陽キャは無神経で少々のことではへこたれない強さを有しているように思いがちだが、陽キャにも色々なタイプがいて当然だ。その中で、瀬田さんは独りが平気なタイプではない、ということなのだろう。
一時的にとはいえ、彼女のご主人様になることを承諾した以上、そこを突っ込んでも始まらない。
「まあ、いいです。ともかく、その触れ合い禁止の利用者さんとは触れあわなきゃいいんですよね」
受付の人が頷くのを確認して、次の質問に移る。
「それ以外の人やヒトイヌとは交流しても大丈夫なんですか? 挨拶のマナーというか、気をつけないといけないことは?」
「相手の嫌がることをしない、という原則は当然として、あまり相手の素性を詮索するようなことは言わない、聞かないというのがマナーです。基本的には弁えている方ばかりですから、心配はないかと。もしも今市様がそのような相手に出会ってしまった場合は、運営が対処しますので、適当にあしらってくださいませ」
「一応監視というか、見守ってはくれているんですね」
そういうことなら、心強い。
その後、気をつけなければならない交流禁止のタグの詳細だとか、初めての入園者はどこを回るべきかといった細かな説明を経て、ようやく誓約書の記入になった。
一応何か問題がないかどうか内容を確認したけど、要はヒトイヌ公園のことを外部に漏らさないように、という秘匿に関することと、危険なことや禁じられていることをしないようにする、ということの誓約だった。破った時の罰則についてもそこには書いていたが、違反する気もないわたしはあまり気にしなくても良さそうだった。
(まったく……これを見せないで入園しようとしていたなんて、あぶないことするわね……)
施設側がちゃんとしてくれていたからよかったものの、万が一禁止事項もわからないで通されていたらどうなっていたことやら。
わたしは瀬田さんのパートナーとして入場することを、誓約書にサインして承諾した。
「それではまずは料金をお支払いください」
「あ。それはあたしが払うから大丈夫だよ!」
そういって瀬田さんは分厚い封筒を取り出し、そこから万札を――万札?
「ちょ、ちょっと待って瀬田さん。なにそれ」
「え? あたしとちゃこの分の入場料だけど……」
そういえば明確に利用料金を聞いていなかった。
受付の人に聞いてみると、ヒトイヌ入場にかかるお金は格安だったけど、パートナーとしてのみ入場するとなると、急にその金額が跳ね上がっていた。ちなみに一般利用に関しては、眼が回るような金額だったのでそもそも考えない。完全にお金持ち向けの金額設定だった。
それに比べればパートナーとしての入場料はとても高い。社会人なら贅沢、の範疇で澄むのかもしれないけど、学生の身分ではとてつもなく重くのし掛かるレベルだ。
そんな金額をただわたしに付いてきて貰うために払おうとしている瀬田さんは、なぜか得意げだった。
「ふっふっふー。こっそりバイトして貯めたんだよ-。ちゃこは気にしなくていいよ? あたしの我が儘に付き合ってもらうわけだし」
「いやいやいや! さすがにちょっとないってそれは!」
まともなご主人様として行動出来るわけでもないのに、それはあまりにも勿体なさ過ぎると感じた。それくらいパートナーとしてのみの入場料はヤバかった。
「でも、ちゃこはヒトイヌ入場はヤでしょ?」
瀬田さんに冷静に指摘され、言葉に詰まる。確かに彼女の言うとおり、ヒトイヌ拘束は嫌だ。人にどう見られるかとか扱われるかとかではなく、四つん這いで犬みたいに動く、というのがもう無理だ。
(瀬田さんが言い出したことだし、わたしが気に病む必要ないんだけど……ないんだけど……!)
こういうところで非情に成りきれないというか、割り切れないところが、わたしのダメなところだった。でもやはり金額が金額なだけに、そう簡単に割り切れない。
葛藤しているわたしを見つめていた受付の人が、不意に口を開いた。
「今市様。ひとつ、良いご提案があります」
あくまで提案だと念を押しながら、彼女は続けた。
「パートナー入場の際には『特別オプション』を選択することが出来るのです」
「特別、オプション?」
「はい。このオプションは誰でも可能というわけではありません。誤解を恐れずに言わせていただきますと――瀬田様や今市様のような、お若くて見目麗しい方にのみご提案させていただいているのです」
そして彼女はそのオプションの肝を口にした。
「こちらの指定した衣装――拘束具も含みますが――を着ていただきます。その衣装の内容次第で、入場料を減額させていただく、というものです」
つづく