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夜空さくら
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はじめてのヒトイヌ公園 ~遊技場での「はなし」~


 目の前の遊技場で、二頭のヒトイヌが戯れていた。


 入ってきた時は通り過ぎた観覧席に、わたしは先輩と一緒に昇っていた。いまのヒールの高い靴を履いた状態で階段を上るのは若干怖いところもあったけど、階段にはしっかりとした手すりがあって、それを持てば比較的楽に昇れた。降りる時がちょっと怖い。

 ともあれ、さっきは人がいるかもしれないと思っていた観覧席だけど、昇ってみるとだれもいなかった。先輩曰く「見学だけで入れるような人って結構偉くて忙しい人が多いみたいで、いうほど出くわさないのよね」ということだった。

 その事実に少し安堵したような、肩すかしを喰らったような、かなり不思議な気持ちになったのは、なぜだろうか。

 ともかく、だれもいない観覧席からは、遊んでいる二頭のヒトイヌの様子がよく見えた。

 互いに向かってボールを転がしたり、互いに追いかけあいっこをしたり――ヒトイヌであるということを除けば、極普通の犬が遊んでいるような光景だ。

 あかりは活き活きとした様子ではしゃいでいる。彼女らしいといえばらしいのだけど、あんなに動き回って耐力が保つのか、少し心配だ。

 そんな風に心配していると、飲物を取りに行っていた先輩がストロー付きの紙パックを差し出してくれた。

「ノンカフェインの紅茶よ」

「あ、ありがとうございます」

 レザーグローブに覆われた手だと、うっかり気を緩めると取り落としてしまいかねない。

 慎重にパックに入った紅茶を受け取り、ガスマスクに開けられたサイドの穴にストローを挿し入れ、紅茶を飲む。

「あっ……美味しいです」

「茶葉に拘りがあるみたいよ」

 コンビニなどで売られている、紙パックに入っている普通の紅茶とは明らかに質が違う。こういう細やかなところにも、公園の資産力は発揮されているらしい。

(それにしても……)

 さっき東屋の隣の給水所でスポーツドリンクを飲んだばかりなのに、早くも喉が乾いていることに気付いた。遊技場に到着するまでにも汗を搔いてはいたけど、こんなに消耗が早いなんて。油断すると脱水症状に陥ってしまうかもしれない。

「ヒトイヌ拘束も当然だけど、ラバースーツを着ると意外と大量の汗を搔いているから、水分補給はちょっと多めの方がいいわ。ここで遊んだ後は、あの子達にもちゃんと水分補給をさせた方がいいわね」

 そういうアドバイスはとても助かるものだった。

 こういうことに詳しく無いからといって、あかりの体調を損ねてしまったら大変だ。今回の場合は、自分自身の体調にも気を配らないといけないわけだし。

「貴女たちは、この公園に来るのはもしかしなくても初めて?」

 言葉は疑問形だったけれど、確信しているようだった。

「……そういうのって、やっぱり経験者からするとわかるものですか?」

「百パーセントそうだって思ったわけじゃないけど、歩き方の慣れ方とか、そういうのからなんとなくはわかるわ」

 先輩は自分のパートナーの方に視線を向けているので、こちらとしては話しやすかった。わたしも一応あかりの様子は見つつ、先輩に話しを振る。

「あの、先輩はもう何度も公園に来ているんですよね? ここに来るようになったきっかけって、教えてもらってもいいですか?」

 あかりはヒトイヌプレイに興味があってここに到ったようだけど、先輩もそうなのだろうか。

 純粋な興味から訊ねると、先輩はすぐに応えてくれた。

「そうね……最初のきっかけは、パートナーがここに来たいって話しをしたからかしら」

「パートナーというと、あの人……ですか?」

「ええ。もう何年来の付き合いになるかしら……元から拘束……いえ、SMプレイに興味を持ってた子だったの。私が協力して、彼女を縛ってあげたり、色々したわ」

 先輩はニコニコとした笑顔で続ける。

「色々試している中で、あの子はヒトイヌプレイにどはまりしちゃったの。最初は自分たちの家の中だけでやってたんだけど、慣れてくると外にも出てみたいっていうようになって」

 先輩はとても優しい調子で話してくれた。

 初対面の人とこんな風にこんな話しをすることになるなんて、数時間前には思ってもみなかった。

 倒錯感に心臓がドクドクいっているのがわかる。

「最初は家のベランダとか庭とかで十分興奮できてたんだけど、そのうちにあの子ってば外にも出てみたいって言い始めて……さすがにそれは危ないし止めてたの。そしたら、どこから聞きつけたのかこの公園のことを知って……いまの貴女たちみたいに、ヒトイヌと拘束姿で入場したのよ」

「先輩も、なんですか?」

 少し驚いた。拘束オプションを着けていないから、てっきり先輩はヒトイヌの子に付き合っているだけで、そういう趣味じゃないのかと思っていたけど。単に大人の財力の余裕がある、ということなのだろうか。

 その疑問の答えを、先輩はこっそりと耳打ちしてくれた。

「実は……この後、あの子が十分楽しんだら、その後は私がヒトイヌになる予定なの」

「……!?」

「この公園、客の要望に結構柔軟に対応してくれるのよ。私たちの場合、ヒトイヌ拘束を交互にやるってことで話がついているわ。だから、いまの私はヒトイヌでもなければ拘束オプションも着けてないけど、ヒトイヌとしての入場料で済んでるわけ」

 一応特例だから内緒ね、と茶目っ気たっぷりに先輩は片目を瞑ってみせた。初対面の人間にそんな秘密を話していいのか一瞬疑問に思ったけど、考えてみればわたしがしてもらっている拘束オプションだって特例だ。

 特例の恩恵を受けているのは変わらないから、下手に漏らしたりすることはない、という考えだろう。

「な、なるほど……だから先輩は、いまは拘束オプションはしてないんですね」

「ええ。貴女は実感中だと思うけど、拘束オプションって結構体力使うから……」

 苦笑いを浮かべる先輩。

 確かに、ここに来るだけでもずいぶん体力を消耗してしまった。この後で更にヒトイヌ拘束をするとなると相当辛いだろう。下手をすれば動けなくなってしまいかねない。

(そうなると、わたしの場合は次来た時もずっと、拘束オプションをつけないといけないのね……)

 そう何気なく思ってから、自分の思考に愕然とする。

(……いやいや、今回だけって話しだったじゃない! なんでまたここに来ることを考えてるの!)

 今回だけ、という約束であかりに付き合っているはずなのに、すっかり次も来るつもりになっている自分に呆れてしまう。

 顔の大部分が拘束具で隠れているからか、わたしが愕然としていることに先輩は気付かなかったようだ。

「せっかくヒトイヌになっても体力が尽きて動けないんじゃ勿体ないしね。なんだかんだ、私もヒトイヌプレイに嵌まっちゃったってわけ」

「な、なるほど……あれ? でもそれなら二人とも一緒にヒトイヌになってもいいのでは?」

 そうすればヒトイヌ同士で絡むことも出来るし、衣装の装着は職員さんに手伝ってもらえばいいだけのはず。

「たまにはそういう楽しみ方もしてるわね。けれど、基本的にあの子も私も、ヒトイヌとして扱われたい、パートナーをヒトイヌとして扱いたいっていう気持ちもあるの」

 だから交互にヒトイヌになるのだという。

「あとは単純に、片方が飼い主という立場である方が自由度が広がるっていうのはあるわね」

「自由度、ですか」

「ええ。さっき貴女が私たちと出会った時、接触禁止のタグを外してくれたでしょ? ああやって接触禁止の時とそうでない時を切り替えられる、っていうのも公園を楽しむ上では大きいわ」

 色々と柔軟に動けた方が便利だというのはなんとなくわかる。

「あとは純粋に、動きやすいでしょ。今の貴女には実感しづらいかもだけど」

「それは……そうですね」

 拘束オプションのせいで自由であるという気はしていなかったけど、ヒトイヌ拘束よりはずっと自由だ。あかりに水を呑ませてあげることだって出来るくらいだし。

「弄って遊んであげられるから、片方は飼い主として入場した方が色々と便利ではあるわ」

 そういう意味じゃ、と先輩はわたしを見る。

「貴女とあの子がどういう関係かは訊けないけど、飼い主と入場している以上は、ヒトイヌになってる子をよく可愛がってあげないとね」

「……そう、ですね」

 しかし可愛がるといってもどうすればいいのか。

 さっきは衝動的に性感帯を弄ってしまったけど、あんな風に弄ることが可愛がることでいいのだろうか。

 わたしとあかりは、実際のところただの友達でしかないのに。

「どこまでしたらいいんでしょうか……」

 詳しい話しも出来ないのに、わたしはそう弱音を漏らしていた。

 だが、先輩はそのわたしの呟きを効いて、何か悟ってくれたみたいだった。

「そうね……貴女たちの関係はわからないけど、これだけは言えるわ」

 先輩は遊技場を見下ろしながら言う。


「ヒトイヌは――性的に愛でられてこその、存在なのよ」


 少なくとも私にとってはね、と付け加えたが、先輩はそう確信しているようだった。

「犬としてだけ扱うなら、普通の犬でいいわけじゃない? もちろん犬として扱われたいというのも、ヒトイヌになる理由のひとつではあるけれど。やっぱり最終的には、性的な触れ合いがあってこその、ヒトイヌプレイだと私は思うわ」

「性的な、触れ合い……ですか……」

 ヒトイヌのご主人様として。

 そういったことをする覚悟を、仮とはいえ飼い主のわたしは持たなければならないのかもしれない。

 先輩に背中を押されたような気分だった。

「最初はそんなに無理をする必要はないと思うけどね。お互いの気持ちが一番大事よ」

 そう先輩は締め括った。

 先輩はそう言ってくれたけれど、わたしたちの場合、今日しかないという前提がある。

 そう考えると、少しくらいは自分の気持ちを置いておいても、あかりの要望に応えてあげるべきなのかもしれない。

(うん、そうよ。オプションで軽減したとはいえ……費用はあかりが出してるんだから、あの子の希望に応えないと)

 自分を納得させる。そのことがすでにドツボに嵌まった発想だったのだけど、自分ではそのことに気づけなかった。

 わたしは意を決して、先輩に尋ねる。

「あの、先輩。教えて欲しいんですけど……」

 必要な情報を、彼女なら持っているはずだった。


「この公園の中で、その――性的な触れ合いが気兼ねなく出来るところって、

ありますか?」





 観覧席から降りて行く際、先輩はもしわたしが転落しそうになっても支えられるよう、階段を先に降りてくれた。

 そのおかげで変な緊張をしないで済んだおかげか、無事に一階まで降りることが出来た。

「はぁ……はぁ……ありがとうございます、先輩。色々教えてもらって……」

 あがった息を整えながら、先輩に御礼を言う。先輩は特に気にするなと言わんばかりに、手を横に振った。

「いいのよ。女の子同士のペアって貴重だから。先輩として面倒をみないわけにはいかないわ」

 そんな風に気安くいいながら、先輩は遊戯場の入り口へと向かう。その姿を遠くから見ていたのか、勢いよく先輩のパートナーが飛びだして来た。

 さすが年季が違うというべきなのか、軽やかな足取りで先輩の足元に擦り着くと、くるくると足を起点に回ってみせた。

「元気ですね……」

「まあ、慣れてるしね」

 先輩は擦り着いてくるパートナーを器用にいなし、撫でながら遊技場の奥を指し示した。

「貴女は自分のパートナーのところに行ってあげて。水分補給は忘れずに。それから……また縁があったら会いましょうね」

「はい。色々とありがとうございました」

 先輩との交流はここまで、ということにしていた。いっそ先輩に全てを任せるという選択肢もなくはなかったけど、あかりの飼い主はわたしだ。

 意地を張るところではないかもしれなくとも、それは譲れなかった。

 先輩たちはしばし戯れた後、颯爽と遊技場を去って行く。その手には飲物が二人分握られていて、たぶん公園内を散歩しながら東屋などで飲むのだろう。

 そんなふたりを見送った後、わたしは遊技場に入った。

 そこでは先輩のパートナーに残されたあかりが、荒い呼吸をしながら俯せに倒れていた。

 わたしはあかりの傍に近づき、膝を着く。

「……あかり、大丈夫? 結構激しく動いてたみたいだけど」

「フシューッ、フシューッ……ウゥ……」

 あかりはすっかり疲れ果てた様子で、首だけをゆっくり持ち上げた。そしてすぐ近くについたわたしの膝にマスクの鼻先を擦りつける。

 なんだかその弱り果てた仕草が妙に可愛く感じてしまった。

 しかしこれではしばらく動けそうに無い。まだ時間はあるけど、移動にも時間がかかるのだから、あまりグズグズはしていられない。

「……仕方ないわね……ちょっと待ってて」

 わたしはあかりの首輪に『接触禁止』のタグを再度着けた後、一端遊技場の外へ出た。

 そしてひっそりと置かれていた『ヒトイヌ運搬用台車』を牽いて、遊技場の中へ戻る。

 ヒトイヌが疲れ果てて動けなくなった際、運ぶためのものがあることを、先輩に教えてもらったのだ。

 台車は端的に言えば跳び箱の一番上の部分に、車輪と持ち手を着けたような形状をしている。

 わたしは台車にあかりを乗せる前に、あかりに水分補給をさせた。体調管理は大事だ。

 それから改めて、あかりに台車をみせる。

「あかり、更衣室で休んだ時みたいに、この台の上に乗れる?」

「ウゥ……?」

 あかりは残った力を振り絞って、その台の上にお尻からよじ登った。胴体だけが台の上に乗り、手足を突っ張る必要がなくなって、だいぶ楽になったはずだ。

 わたしはあかりがずり落ちないよう、台の側面から伸びたベルトであかりの身体を台車の上に固定した。

 台車はシンプルな造りのようでいて、軽い力でも押せるように車輪に工夫が施されていた。だから拘束オプションを身につけたわたしでも、あかりを乗せて移動することが出来る。

「あかり、台車の上で休んでいて。いいところに連れてっていってあげる」

 そう言ってわたしはあかりを連れて、目的の場所へと向かう。

 あかりはどこに向かうのかということを疑問に思う余裕もなかったようで、動きだしてほどなくして、器用に船をこぎ始めた。台車の性能が良くてほとんど揺れないということもあるだろうけど、それだけ疲れ果てているというべきだろうか。

(先輩に台車のこととか、色々教えておいて貰ってよかった……)

 あかりを乗せた台車を押して、わたしは公園の奥へと向かう。


 その先に何が待っているか知らないあかりは、のんきに微睡んでいた。



つづく


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