ヒトネコライフ!3
Added 2020-06-26 13:33:50 +0000 UTC食事を持ってきてくれたメイドさんたちの中に、わたしたちの大学で同じ講義を受けている女の子が混じっていた。
その子の名前は、確か丹羽さん。
下の名前はわからない。それくらいの繋がりだ。
同じ講義を受けているから面識は確かにあるけれど、それほど親しいわけじゃないのだ。目が合えば挨拶くらいはするけれど、彼女が他の友達と話しているところに入っていくほどではない。
少なくともわたしとは、『同じ講義を受けている』というだけの間柄だった。
けれど、社交的で関わりのある人ほとんどと友達になれちゃうような美里とは、楽しげに喋っているところも見たことがあるし、休日に遊ぶ約束をしていることもあった。
バイトに誘われるまでほとんど関わったことのなかったわたしよりも、下手したら関係は長いかも知れない。
「んにゃ、ぁ……!?」
だからか、美里の動揺が如実に動きに出ている。オロオロ、という擬音が出そうなほど明確に美里は狼狽えていた。尻尾がその複雑な心境を表すようにうねる。
確かに美里は人懐っこい子だ。わたしよりずっと社交的で、ヒトネコの状態でも遠慮なく躊躇なく人に擦り寄りに行けるほどに。
だけど、それは相手が『そういう趣味』の人で、そういった行動をしても受け入れてもらえるとわかっているからだ。
甘えるにしたって、ちゃんと相手を見極めているのである。
そういう意味で、美里の人を見る目は確かだった。
(そう言えば……元々わたしをバイトに誘ったのだって、他の友達はあの特殊な格好をするバイトを受け入れてくれなさそうだからって理由だったっけ)
なぜわたしなら大丈夫だと思ったのか、少し問い詰めたい気持ちもあるけれど、実際こうして一月もの長い間プレイに興じることになってしまっているのだから、美里の見る目は正しかったということになるのだけど。
(でも……ということは、受け入れてもらえないだろうっていう見立ても正しい、ってことになるのよねぇ)
とはいえ、自分がやるのと他人がやっているのを見るのは違う。
自分がこういう格好をするのは無理でも、人がそういう格好をしているのを見るのなら大丈夫かも知れない。
仮に不愉快に思ったとしても、メイドという立場上、騒ぎ立てることはできないはずだし、仕事上の守秘義務があると考えれば、大学で言いふらされるようなことにもならないはずだ。
ただ、彼女本人にどう思われているのか。それはわからない。
(見た感じ、すごく嫌悪してるって感じでは……ないわよね?)
普段の丹羽さんをそれほどよく知らないから、実際どうなのかはわからないけど、すごく嫌そうな顔をしているとか、わたしたちに軽蔑するような視線を向けてきているとか、そういうことはなかった。
どちらかと言えば無表情に近く、黙々と仕事をこなしている。
他のメイドさんと協力して、食事が載っているワゴンを部屋の中に運び込んできた。
わたしと美里は身を寄せ合いつつ、丹羽さんの様子を伺った。
丹羽さんはわたしたちの動揺に気付いているのかいないのか。
黙々と仕事をする姿からは感情が読み取れない。
嫌悪や軽蔑を押し殺しているから無表情である可能性もあったけど、隣の美里がそこまで深刻そうな表情をしていないところを見ると、丹羽さんはあれで普通なのかも知れない。
微妙に緊迫した空気が漂う中、天景院さんは何やらワゴンの上の料理を眺めて、楽しそうに考えている。
四つん這いになっているわたしたちの視点だと、ワゴンに何が載っているかまでは見えなかった。
(そう言えば、どんな食事が用意されるのかは、言われてなかったわね……)
契約では「栄養状態が関わらないように、毎日三食、適切な質と量の食事を提供する」ということになっていた。
ただ、どんな食事方法が取られるのかは伝えてもらっていない。
天景院さんはタオルのようなもので手を拭いた後、ワゴンの上から皿を一つ手に取る。
小皿程度の大きさのそれには、美味しそうな赤身の寿司らしきものが二貫載っていた。プリプリして脂の乗った赤身は、回転寿司とかなじみ深いチェーン店で見るものとはまるで違う。
おそらく高級寿司店で出されるようなものだ。
思わずゴクリと喉が鳴った。美里に至ってはキラキラとした目でたらりとよだれを流すほどだった。
天景院さんはそんなわたしたちの反応を見てか、にっこりと笑い、わたしたちの前で膝を突く。
「ーーーーー」
そして、何か声をかけてくれながら、その寿司を手で取って差し出してくれる。まさしく餌付けという奴だった。ヒトネコとして小旅行した際に、餌付けされた経験はあった。
それでも、人間としての尊厳が邪魔して、すぐに動けなかったわたしに対し、美里は素早かった。
寿司を差し出された天景院さんの指ごと、パクリと咥える。
「ーーっ」
くすぐったそうにしつつ、指を引き抜いた天景院さん。
美里は一口で食べたお寿司をもぐもぐと咀嚼している。
「んにゃっ♡」
ブワワッ、と美里の尻尾が膨らんで震える。感動している様子に、わたしはそれほどに美味しいのかと、再度喉を鳴らした。
今度はわたしに向けて寿司を差し出してくれる天景院さん。
わたしも美里と同じように口を開けて寿司を頬張る。
フワッ、と口の中でシャリが解けた。
絶妙な魚の甘みと、程よい酢飯の酸っぱさ、そしてほのかに漂うワサビの香り。全てが一級品であることが、説明されなくともわかる。
一噛みごとに幸せが広がるようだった。
「んにゃぁ……っ」
これは美里があれだけ感動したのも頷ける味だ。思わず笑みが溢れてしまう。
そんなわたしたちの様子を見て、天景院さんはとても嬉しそうに笑ってくれていた。犬猫を可愛がる感覚であることは間違いなかったけど、実際今のわたしたちはそれと同じ扱いなので文句は言えない。
ただ、ワゴンのところでじっとこちらを見ている丹羽さんの視線が気になった。
彼女からすれば子供のままごとに興じているように見えるのかも知れないし、一般的な感性であるならそれも仕方のないことなんだろうけども。
それに気づいているのかいないのか、天景院さんはわたしたちに甲斐甲斐しく、メイドさんたちからお皿を受け取り、次々寿司を食べさせてくれた。
どれもこれも美味しくて、こんなご飯がずっと続くのだとしたら、終わったあと舌が肥え過ぎて大変なことになるんじゃないかと不安になった。
(他にも後が怖いことはいっぱいあるけどね……)
わたしはそう思いつつ、今は大人しく食べさせてもらうのだった。
それなりに食事が進んだ頃、ふと天景院さんが丹羽さんを手招きする。
近付いてきた丹羽さんに何かいう天景院さん。すると、丹羽さんは少し困ったような顔をしつつ、頷いていた。
(ん……? どうしたんだ……ろっ!?)
丹羽さんが天景院さんのすぐ側に膝を突いたかと思うと、天景院さんが手に持っていた皿の上から、寿司を取り、そしてそれを美里に向けて差し出した。
さすがの美里も、それには思わず硬直してしまっている。
顔が赤くなっていっているのが、横で見ているわたしにもわかった。
ヒトネコ状態のペットプレイ時に、普段普通に接している友達に餌付けされる。
(どんなプレイよ……! いや、ペットプレイなんだけど!)
わたしがそう独りツッコミをしている間に、美里は意を決したらしく、口を大きく開いて、丹羽さんに食べさせてもらっていた。
美里の唇と、丹羽さんの指が軽く触れ、お互いにビクッと震えていた。
そしてーーそれは人ごとでは済まなかった。
丹羽さんは今度はわたしに向けて寿司を差し出してくる。真正面から彼女の顔を見ると、平然としているようでいて、その頬が少し赤くなっていた。
(は、恥ずかしがらないでよ……!)
無心で動くしかない。わたしはそう考え、恐る恐る口を近付けていった。
なるべく触れないようにしようとしたのがかえって良くなかったのか、わたしの唇が丹羽さんの指に触れてしまう。
ビクッと、お互い咄嗟に身を引いた結果ーー寿司が床に落下してしまった。
「にゃっ!」
もったいない。
反射的にそう思って、体が動きかける。
「ーーッ!」
それを、天景院さんの一喝に止められた。
穏やかな人の鋭い声はインパクトが強い。わたしは思わず前のめりになっていた体を、慌てて引いて伏せさせた。
本物の猫のように、床に落ちたものに思わず食いつきかけた自分。いくら猫に扮しているとは言え、その事実が我ながら恥ずかしい。顔から火が出そうだ。
落ちた寿司は丹羽さんが手早く拾って片付けていた。その時、天景院さんに向かって頭を下げていたので、寿司を落としてしまったことを誤っているのだろう。彼女は悪くないのに。
天景院さんが伏せたわたしの頭を撫でてくれる。気にしないで、ということなんだろうけど、その優しい手つきが帰って恥ずかしかった。
そんなこんなでバタバタしながらも、最初の食事の時間は終わった。
その後、丹羽さんを含むメイドさんたちと、わたしたちとの触れ合いで満足したらしい天景院さんは連れだって去って行った。
ひとまず美里とふたりになったので、ほっと一息吐いていると、美里が脇腹に頭突きしてきた。勢いはついておらず、ぶつかったというよりは寄りかかってきたみたいな感じだったので、痛くはなかった。しかし少なからず驚きはした。
「にゃっ」
なにするのよ、と思って美里を見ると、美里はむーっとした顔でわたしを見ていた。
どうやら丹羽さんのことをわたしが知っていたんじゃないかと思っているようだ。
(いや、わたしも知らなかったわよ、さっき玄関で見ただけで)
そういう気持ちを込めて啼く。
「にゃあ、ご」
細かいニュアンスまで伝わったのか自信はないけど、美里は不満そうな顔をしながらも納得してくれたようで、ふい、とわたしから目を逸らして、トコトコ、と離れていく。
どこにいくのかと思っていたら――
壁に用意された、外に出かけるためのヒトネコ用の扉を潜っていってしまった。
あまりにするっと普通に抜けて行ったので、思わず反応するのが遅れる。
「にゃ、にゃあっ!?」
確かに自由に動いていいとは言われていたけれど。
まさかこんなに早く単独行動をしようとするなんて思っていなかった。
(ま、待ってよ美里……!)
わたしは慌てて美里を追いかける。ドアを頭で押して外を覗いてみる。
扉の先は広い廊下だった。さっきはケージの中に入った状態だったからあまり意識していなかったけど、廊下はかなり幅が広く、天井も高いので美術館みたいだった。
美里の四つん這いの移動速度は異様に速いので、すでに少し行った先の廊下の角を曲がろうとしているところだった。
(み、見失っちゃう……!)
追いかけようとしたけど、扉を潜ろうと片腕を外に出した拍子に、扉の縁にうっかりおっぱいが触れてしまい、ひやりとした感触が走った。
「んにゃぁっ!」
びくっと体が跳ね、慌てて体を浮かせて乳房が当たらないようにする。
そうしてぐずぐずしている間に、美里の姿は角を曲がって見えなくなってしまった。
わたしは中途半端に扉を押し上げた状態で、途方に暮れた。
(お、追いかける……? でも、いまからじゃどこ行ったかわからないし……そもそも美里に追いつけそうもないし……美里のことだからすぐに気が済んで戻ってくるかも……) わたしはひとまず部屋の中に戻って、ぐるぐる周りながら迷った。外に出たらメイドさんと出くわす可能性もある。そうなったとき、ひとりではどうしたらいいのかわからない。
(ちょ、ちょっと待ってれば戻ってくるわよね……美里のことだから、お気に入りの場所とか見つけたら教えてくれるだろうし……)
わたしは落ち着かない気分になりつつ、すぐに部屋を出る気になれなかったので、とりあえず部屋で待つことにした。
ベッド代わりのクッションに抱き着き、なるべく体を隠しながら、じっとしておく。
(一か月、どうやって凄そうかな……)
しばらくは屋敷の中を探検したり、行けるところを見て回ったりして時間を潰せそうだけど、具体的には何もしなくていい期間というのは初めてだ。
のんびりとするというのにも限度はある。
(……運動不足にはなりそうにないけど、気を付けておいた方がいいかもしれないわね)
常に四つん這いで移動するのは、中々体力を消耗する。変な風に筋肉がついてしまう可能性はあったけど、運動不足という点は心配しなくてもいいはずだ。
ずっと食っちゃ寝していればわからないけれど、そうするつもりはわたしにもないし。
柔らかなクッションに抱き着いていると、やがて眠気が襲ってきた。
(少し、だけ……昼寝しよ……)
猫の語源は寝子であるという説もある。昼寝も猫らしい行動であることは確かだ。
お腹が満ちていたということもあって、わたしは微睡に身を任せた。
それから約一時間後。
ぱちりと目を覚まし、あくびをしながら体を起こした。
それと同時に、ひんやりとした外気が裸の胸に振れ、思わず体を竦めてしまった。
「にゃっ」
完全に無防備になっていた自分を恥じ、恐る恐る周囲を見渡す。
周囲に人の気配はなく、美里の気配もなかった。
わたしは壁にかけられた時計を見上げ、結構時間が経ったことを知る。
(あれ……まだ戻って来てないの……?)
いかに天景院さんの屋敷の床に柔らかな絨毯が敷かれているとはいっても、わたしたちのいまの体には肘や膝にサポーターが取り付けられていない。
あまり長時間四つん這いで歩いていたら肘や膝が痛くなってしまう。動き回るのが好きな美里とはいえ、それは変わらないはずだ。
(まさか……迷子になってる、とか?)
天景院さんの屋敷は相当に広い。何も考えずにうろうろしたら、迷ってしまってもおかしくなかった。
(別に無人の屋敷ってわけでもないし、最悪メイドさんに啼きつけば連れて来てもらえるとは思うけど……)
運悪く誰もいないところで迷っている可能性もゼロとは言えない。
迎えに行った方がいいだろうか。
(……でも入れ違いになる可能性の方が高いわね)
うろうろと部屋の中を行ったり来たりしながら、わたしは考える。
(うーん……うん、探しに行こう!)
いずれにせよ、自分もこの屋敷のことはある程度把握しておいた方がいいし、少しずつ範囲を広げていく形にすれば、入れ違うこともそんなにないだろうと考えた。
なんだかんだ言い訳をしたものの、結局わたしもこの広い屋敷の中を探検したいという好奇心が抑えられなかったのだ。
好奇心は猫を殺すという言葉もあるけど、ヒトネコの場合はどうなのだろうか。
そんなくだらないことを考えつつ、わたしは慎重に聞き耳を立ててから、ヒトネコ用の扉を押し開けた。ちょうどいいタイミングで美里が戻って来ていたら、ぶつかってしまいかねないからだ。
幸いというべきか扉を押し開けても誰かにぶつかるということはなく、わたしは再び部屋の外に顔を覗かせた。
どくん、どくんと心臓の鼓動が早くなっているのを感じる。
(よーし……行くわよ……!)
今度は扉の縁に胸をぶつけないように気を付けながら、わたしは上半身を扉に潜らせ、そして――
部屋の外へと、出たのだった。
つづく