ヒトネコライフ!4
Added 2020-06-29 14:50:15 +0000 UTC自分たちにあてがわれた部屋を出たら、この館が広いのだということを改めて実感した。
(廊下の幅も広いし、天井は高いし……)
今は四つん這いであるということもあるんだろうけど、それを差し引いてもf廊下の天井は高かった。ぶら下げるタイプの照明が等間隔で下がっていて、格調の高さを感じさせる。
(調度品もすごいし……)
さりげなく廊下に飾られた調度品の数々に圧倒されてしまう。館の広さも相なって、美術館みたいな雰囲気だった。
嫌味なほど絢爛豪華ではなく、むしろどっちかというと質素なのだけど、それでも明らかに庶民と生活水準が違うと実感させられた。
住む世界が違う富豪だということがわずかなものから伝わってくる。
(壊さないように気をつけよう……)
普通の猫がものを壊してしまうのは、猫が届くような場所に壊れやすいものを置く飼い主側の過失なので、猫が怒られることはない。
けれど、ヒトネコであるわたしたちはそうはいかない。
天景院さんなら笑って許してくれそうな気もするけど、人の善意にそこまで甘えることはできない。
(……下手なものを壊したら、償いでそれこそ何年単位で飼われることになっても、文句が言えないわ)
調度品がどれくらいの価値があるものなのか、わたしにはわからないけれど、わたしや美里が普通に働いて返せる金額とは思えない。
(美里も空気読めない子じゃないから、そういうところでは暴れたりしないと思うけど……)
部屋以外でじゃれ合うのは控えておいた方がいいのかもしれない。
そんなことを考えつつ、わたしは慎重にーーどちらかと言えば恐る恐るーー屋敷の廊下を進んでいった。
体にほぼ何も身に着けていないから、ゆっくり動いているにも関わらず、胸が揺れてしまう。できれば片手で抑えながら動きたかったけど、四つん這いで動かなければならないからそれも難しい。
ヒトネコとしてとは言え、ほぼ裸の状態でこんな立派な屋敷の中を行くというのは、相当恥ずかしかった。
(うぅ……誰も通り掛かりませんように……)
廊下の隅をそろそろと進んでいく。少し遠くで物音がするたびに、思わずビクッと反応してしまい、廊下の隅で丸くなって固まる。
そんな調子では、全然前に進めなかった。後ろを振り返ると、わたしたちの部屋のドアがすぐ近くに見える。
「んにゃぁ……」
情けない声が出る。
美里だって同じ格好なのに、なんであんなに堂々としてられるのか、友人ながらよくわからない。
性格の違いといってしまえばそれまでなのだけど、美里みたいに堂々としていた方がかえって恥ずかしくないのかもしれない。
だからって、それを真似することはできそうにないけれど。
わたしはそんな役体もないことを考えながら、一歩一歩慎重に進んでいく。
(……それにしても、廊下までちゃんと絨毯が敷いてあって楽ね)
あの部屋の中もそうだったけど、四つん這いのわたしたちが動きやすいようにか、床には程よく柔らかな絨毯が敷かれていた。
普通の高級絨毯でイメージするような、無意味に毛の長いものではなく、平たくて動きやすいんだけど、突いた肘や膝を絶妙な加減で押し返してくれるような、そんな絨毯。
(……そう言えば、メイドさんたちも天景院さんも、土足じゃなかったわね)
いかにも洋館らしい洋館で、メイドさんたちの衣装も完璧な洋装だったのに、皆靴を履いていなかった。玄関の様子からすると元々は靴を脱ぐようには出来ていなかったような気がする。
つまりわたしたちを飼うために、床に絨毯を敷き詰め、使用人は靴を脱いで活動するようにしているというわけだ。徹底ぶりに感動すら覚える。
(猫を飼う人は生活が猫中心になるとはいうけれど……天景院さんの拘りは本当にすごいわね……)
別にあの部屋の中だけで飼うことにしても良かったはずだ。ひとつの部屋としては十分広かったし、そこから移動する時だけ、移動先の環境を整えればいいはずだ。あえてわたしたちが自由に動けるようにしなくても良かったはず。
どうしてそこまでできるのか、機会があれば聞いてみたいところだ。
そんなことを思いながら、ようやく美里が曲がっていった廊下の曲がり角までたどり着いた。ゆっくりとその曲がり角から顔を出して、先を覗いてみる。
その曲がり角の先にも、館はまだまだ広がっていた。
(なんていうんだろ。ホラーゲームでこういうのあったなぁ……)
広い廊下が延々と続くシーンは、ホラーゲームでは鉄板だ。もちろんちゃんと照明が点いていて、遠くにとは言え人の気配も感じるこの屋敷はそういう幽霊屋敷とは全然違うのだけど、薄暗くしてちょっと物悲しいBGMでも流せば、雰囲気は抜群だと思う。
曲がり角を曲がっても、美里の姿は全く見えない。どこまで行ってしまったのか。それとも、途中の部屋に入ってしまったんだろうか。
でもわたしたちの部屋と違って、大半の部屋は普通のドアだ。わたしたちが入れるようなドアじゃない。もちろんドアを支えにして膝立ちになれば
(うぅ……わたしが迷子になったら意味ないし……もう少しだけ……)
曲がり角を通過して、さらに進む。
相変わらず床に突いた膝や膝が痛くないような、柔らかな絨毯に覆われた廊下だった。
(……ありがたいけど、足音はほとんどしないからそれはちょっと困る、かしら)
気にしたところであまり意味はないとは言え、人の接近に気づけないというのは少々問題かもしれない。
今この瞬間だって、もしかしたら後ろから人がついてきているかもしれないのだから。
思わず後ろを振り返ってみたけれど、幸い誰もわたしに続いて曲がり角を曲がってきたりはしなかった。
ひとつ息をつき、再び美里を探して廊下を進み始めた。
真横の扉が内側に向けて開いたのは、まさにその瞬間だった。
心臓がきゅっと握り潰されたかと勘違いするくらいに驚いた。
ただ、驚いたのは相手も同じだったようだ。
「きゃっ!」
「にゃっ!」
互いに悲鳴を上げて、硬直する。
全く気付かなかった。ドアがしっかりとした作りで音をほとんど通さないこともあったし、やはり足音がほとんどしなくなっている。ブーツなどを履いた状態出会ったなら、多少柔らかい絨毯でも足音めいたものはしただろうけど、靴下だったりタイツだったりを履いた素足に近い状態だと、全く音がしない。
わたしは驚きで目を見開きつつ、部屋の中から出てこようとしていたその人を見上げる。
口を抑えているその人の顔を見て、わたしは縮み上がった心臓が、さらに収縮したような気持ちになった。
なぜなら、その部屋の中から現れたその人はーーわたしと美郷の知り合いだったからだ。
丹羽さんとは違う、もう一人の知り合い。
名前は確か、大河原さん。
よりにもよってこんなタイミングで、知り合いと出会ってしまうなんて。
大河原さんの目が丸々として驚きを表している。多分わたしも似たような顔をしているのだろう。
その視線がわたしに、わたしの体に向けられるのを感じる。
(み、見ないで……っ)
縮こまるしかないわたしに、何を思ったのか。
大河原さんは扉を開けたまま、ドアの脇へと移動した。
「ーーーー」
そして、何かを呟きながら、部屋の中から手招きをする。呟いた言葉の意味はわからなかったけど、身振りも加えられたら何を言いたいのかは大体わかる。
わたしは少し悩んだ末、このまま廊下で蹲っていて他の人に見られても恥ずかしいことに思い至った。
恐る恐る彼女の部屋の中に足を進め、その中に入っていく。
どうやらその部屋は、住み込みのメイドたちに与えられる一室のようだった。
(二人分とは言え、わたしたちの部屋の方が広いのが若干気になるけど……)
とは言え、別にこの部屋も特別狭いというわけではなく、ちょっとした高級ホテルの一室くらいには広い。
同じ大学に通っているのだから、多分ここでは夏休みだけ住み込みで働いているのだと思うけど、そんな一時的なメイドにもこれだけの部屋を用意できる天景院さんの富豪っぷりが際立つ。
思わずキョロキョロと周囲を見渡していると、ドアを閉めた大河原さんが、ベッドのシーツを剥がして、それをわたしの体にかけてくれた。思わずホッとしてしまうのは、人間として仕方のないことだっただろう。
「ーーーーーーーー」
何か言っているようだったけど、わたしにはその言葉は理解できない。
「にゃぅ……」
申し訳ない思いで声をあげると、伝わっていないことは通じたようだった。
大河原さんは少し考えた後に、何やら机の方に行き、すぐに戻ってきた。
そして、わたしが這いつくばっている目の前の床に、メモ帳のような物を広げた。
(あ……そうか)
さらさら、と大河原さんがメモ帳にペンを走らせる。
『これで、通じる?』
確かにこうすればわたしにも意図が通じる。耳当ての機能は開くまでの人の声を訳のわからない音に変えてしまうだけなので、わたしの頭がバカになった訳でも、言語機能そのものを疎外しているわけでもないからだ。
だからわたしは頷いた。正直、ヒトネコとしてこの屋敷に来ている以上、こうやって人と意思を交わすことは契約違反のような気がしたけど、直接的に筆談が禁じられているわけじゃないし、ルールの穴のようなものだった。
わたしに書いた内容が伝わっていることを受けて、さらに大河原さんがペンを走らせる。
何を書くのか、じっと見詰める。
そうして書かれた内容は、とても返答に困る内容だった。
『それって、藤原さんの趣味でやってるの?』
ドクン、と心臓が大きな音を立ててなった。
なんと答えたらいいのか、すごく悩む。
(自分の意思ではあるんだけど……でも趣味かっていうと……)
ためらいなく頷けるほど、まだわたしは振り切れていなかった。
かと言って首を横に振ったら、それはそれで問題になるかもしれない。
もしかしたら大河原さんは、わたしや美里が無理やりヒトネコをやらされていると勘違いするかもしれない。
最悪警察に駆け込まれて、大騒ぎになるかもしれない。そういう仕事で契約しているということは確かだから、最終的には落ち着くかもしれないけど、一般人に知られてしまったらとんでもなく恥ずかしいことになりかねない。
(親とかに連絡行ったらとんでもなく面倒なことになるよね……)
ただでさえ住み込みで一ヶ月もの長い間一切連絡が取れなくなることに、わたしの親は渋い顔をしていた。それがこんな怪しげな仕事だったと知れたら、もう二度と働きに出ることも許してもらえなくなりそうだ。
そんなことにならないためにも、ここは肯定するのが正しいのだと思う。
けれど肯定したら肯定したらで、もし大河原さんがペットプレイに嫌悪感を抱いていたとしたら、軽蔑され、今後ここで暮らしていくのがすごく気まずくなってしまいそうだ。
わたしは大河原さんがかけてくれたシーツに包まりながら、盛大に冷や汗をかいているのを自覚した。
どうすればこの場を穏便に切り抜けられるのかーーわたしには全くわからなかった。
すごい広い屋敷の中は、探検のしがいがある場所だった。
あたしは気分良くひょいひょいと歩きながら、屋敷の中をどんどん進んでいた。
(もっと狭いかな〜、って思ってたけど、これは一月で全部回れない可能性も出てきたね〜)
どうせならミヤも一緒に連れてくれば良かったかも知れないと思ったけど、ミヤはあのおっきなおっぱいがあるせいであの格好じゃ機敏に動けないだろうし、まずはあたしだけで出てきたのは間違いではなかったはずだ。
ミヤの巨乳は触り心地も抱き心地も揉み心地もいいけど、こういうときは少し不便である。
(まあいいや! 時間はたっぷりあるんだし、まずはあたしが色々調べてミヤを案内してあげよーっ、と!)
てとてと、と進んでいたが、曲がり角からメイドさんが歩いてくるところだったので、素早くぴょんと跳ねて避ける。
「ひゃっ!?」
向こうは驚いていたみたいだけど、あたしは気にせずその足元をすり抜けて先へと進んだ。チラッと振り返ると顔を赤くしたメイドさんが唖然とあたしを見ていた。
(うふふ。可愛い)
「にゃーおっ」
あたしは別に裸を見られても特に気にしないようにしていた。そりゃ少しは恥ずかしいけど、今までだって散々恥ずかしい行為はしてきたのだから、裸を恥ずかしがるのも今更、という感じなのだ。
(さすがに知り合いに見られたのはびっくりしたけど……まあ、大丈夫でしょ)
天景院さんがちゃんと説明してくれてるみたいだし、そういう仕事なのだと思えば、見られても別に恥ずかしくはない。
後々講義室であった時は少しは気まずいけれど、今はちゃんと正当な理由でやっていることなので、恥ずかしくは思わない。
(そういう意味じゃ、ミヤはほんとすごいよねぇ……)
恥ずかしがってろくに動けていなかったミヤはある意味すごい。
いい加減慣れても良さそうなものなのに、いまだに恥ずかしがって顔を赤くしたしているんだから。
(ああいうところが、お客さんにウケがいい理由なんだろうけどねぇ)
あたしとは全く違うベクトルで、ミヤのお客さんの評価が高いのはそういうところだ。
だからこそ、今回セットで飼われることになったのだろう。
ミヤのことは大好きだから、こんな風に一緒に特別な夏を過ごせるのは、純粋に嬉しい。
(このヒトネコライフが終わる頃には、ミヤも思う存分じゃれてきてくれるかなぁ)
そうなったらいいのに、とあたしは尻尾をふりふり振りながら歩き続けた。
四つん這いで動き続けるのがさすがに疲れてきて、少し足を止める。
腰を落として、少し休憩だ。
(中庭もあるって話だったけど、どっちが中庭なんだろ……ああ、そう言えば帰る道もわからなくなってきちゃったなぁ)
まあ最悪廊下の真ん中で寝っ転がっていたら誰かが見つけてくれるだろうから、その誰かに連れて行って貰えばいいだけだ。
あたしはそれくらい楽観的に考えていた。
床に突いていた手をじっと見る。特に痛苦なっていることはない。床がすごく柔らかい絨毯に覆われているからだ。
(足音がほとんどしないのは、さっきみたいなことがあるからマイナスかなぁ)
曲がり角などでは慎重に覗いた方がいいのかも知れない。それこそワゴンとか台車みたいな物を動かしている人がいて、それと衝突してしまったら怪我をする。
(メイドさんたちはブーツとか履いてないし、ぶつかってもそんなに痛くないだろうけど……ね……?)
ふと、あたしは何かの振動が近づいてくるのを感じた。
誰かが歩いている、ドスドスという感じの振動。お尻をつけて座り込んでいたので、それのおかげでさっきと違って分かったのかと思ったけど、何やらそういう感じでもない。
(なんだか……振動がすごく大きいような……?)
あたしはいつでも逃げられるように、両手両足の先だけを床につけた体勢になる。
結論から言って、その備えは全くの無意味だった。なぜならーー
曲がり角から現れた巨大な影に見下ろされ、その重圧に体が固まってしまったからだ。
つづく