ヒトネコライフ!7
Added 2020-07-10 14:00:34 +0000 UTC念のためその中に誰もいないことを確認してから、『おトイレ』というプレートがかかった扉を肩で押して開く。
扉が自動的に元の位置に戻っていくのを確認したあと、改めてトイレの中を見渡した。
(そういえば鍵って閉められるのかしら?)
普通の猫なら気にしないところだけど、わたしはヒトネコだ。
用を足している途中で美里が入ってきたら相当に気まずい。わたしだったら今したように、美里が用を足しているかどうか確認してから開けるけど、あの子は勢いのまま飛び込んで来かねない。
扉をよく確認して見ると、大きな金具によって内側から鍵がかけられるようになっていた。これならヒトネコ状態の私たちでも鍵をかけたり外したり出来る。
安心したわたしは、猫の手状態に丸めた手で鍵をかけ、ふと思う。
(……普通の鍵でも普通にかけられるわよね?)
わざわざそれ用の鍵にしなくとも、指先が自由なのだから普通の鍵でも普通に操作することが出来る。
今後指定される衣装次第では指先が使えないことも考えられたから、どっちにしても開けたり閉めたり出来る鍵にしておくのは悪くはないんだろうけど。
ただ、少なくともいまは指先が自由なのだから、わざわざ猫の手状態で操作する必要はなかった。
(うぅ……毒されてるなぁ)
つい細かい所作を、ヒトネコとしてのものにしてしまう。
お店でのショーならいざ知らず、いまは別にそれをしなければならないというわけでもないのに。
わたしはどんどんヒトネコに慣れてきている自分を感じつつ、とりあえずさっさと用を済ませることにした。
最初に確認した通り、トイレは広くて清潔な空間だった。便器は和風の便器で、足を開いて跨ってするタイプだ。
(こういうタイプ、あんまり使ったことないのよね……)
いまはどこも大抵洋式便器だし、わざわざ和式便器を選ぶ理由もない。わたしが知っているのも知識としてだけで、実際に使った経験は数えるほどしかなかった。
(ええと……まず、こう、跨って……)
わたしはなるべく便器には触れないようにしながら足を開き、膝立ちになって便器に跨った。そして、上半身を起こし、ちょうどいい高さにあった台の上に手を置く。
猫が窓枠に前足を乗せて外を見ている姿勢のような、用を足すにしては妙な姿勢だった。
(たぶんこれであってるのよね……?)
あまり自信はなかったけれど、ひとまずこれで大丈夫なはず。
尻尾飾りに尿がかからないように注意しなければと思っていたけど、普通にしていたら大丈夫そうだった。尾てい骨あたりに根元が来るから、思っていたより後ろに向かって垂れている。
(よ、よし……!)
わたしは覚悟を決め、ゆっくりと下腹部に力を込める。
程よい解放感と共に、黄色い液体が便器の中に落ちていった。いまだかつてない奇妙な体勢での用足しだったけれど、幸い零したりすることなく、全て綺麗に便器の中に出せたようだった。
最後まで出し切って体を震わせる。普通ならここで自分で拭いて終わりなのだけど、このトイレ内には紙がない。
改めて、台の上の壁を見た。そこにはどんな手の状態でも押しやすいように大きめのボタンがある。形状としては早押しのクイズ番組で使われているようなものだ。
(ええと……このボタンを押せばいいのよね?)
わたしはどんなことが起きるのか、ドキドキしながら、そのボタンをポチりと押した。
すると、静かな音を立てて便器の中を水が流れ、出したものを洗い流すと同時に、正面の壁――わたしのお腹あたりの壁だ――が、観音開きにパカリと開いた。
その中から股間を拭く用だと思われるタオル付きのマジックアームが伸びてくる。
思わぬハイテクな仕組みに驚いていると、マジックアームの先端に取り付けられたタオルで股間を拭きあげられる。タオルは程よく暖かいお湯で濡らされていた。
「にゃっ」
その暖かい感触に少し驚いたけど、普通のトイレットペーパーで拭くよりよほど綺麗になるだろう。
(ショーツとか身に着けられないから、それくらい綺麗にしないと……なんだよね)
しかしここまで自動化する必要があるのだろうか。蒸しタオルの用意さえしてくれれば、少なくとも今は自分で拭けるのだけど。
そう思っている間に、処理が終わったのか、マジックハンドが再び壁の中に引っ込んでいき、扉が閉じた。
「ふぅ……」
終わったらしいので、一息吐いたわたしは跨っていた便器の上から降り、部屋へと戻る。
扉を押し開けて部屋に戻ると、いつ戻って来たのか、美里がいた。
寝具を兼ねたクッションスペースで、あられもなくひっくり返って呑気に寝息を立てている。
(早いわね……それだけ疲れたってことなのかしら)
わたしが認識しているだけでも、美里は屋敷の中を走り回ったり、天景院さんの妹さんに翻弄されたり、体力を大きく消耗するようなことばかりしている。それ以外にも実は風呂場で大暴れしていたのだから、いかに体力オバケな美里といえど、スタミナが尽きてしまうのは自明のことだった。
(疲れ果てて眠りにつくまではしゃぐなんて……ほんと、同い年なのかしら)
子供というか、幼児のようだ。
わたしはやれやれと思いつつ、クッションのひとつを転がして美里の上に乗せてやる。すると美里は寝ぼけながらもそのクッションにしがみついた。
室温は常に一定に保たれているから、風邪は引かないと思うけど、年頃の女子が体を開いてひっくり返っているのはあまりにもあれだ。
クッションを抱き枕にしていれば、少しはマシな光景になる。
わたしも同じようにクッションを抱えて寝ることにして、美里のすぐ傍に寝転がる。
クッションを抱き枕にすれば体も隠せるし、暖かいからお腹を冷やす心配もなくなる。丸まって眠るのは人間には無理だけど、仰向けに寝転がるよりは猫っぽい寝姿になるだろう。
(まあ、猫とか犬って、たまにすごい寝姿になったりするから、必ずしもそれが悪いってわけでもないんだろうけど)
わたしはそんなことを考えつつ、目を閉じた。
すると、部屋の照明が柔らかいものになって、薄暗くなる。
(……もしかして、ずっと誰かに見られてる?)
天景院さんが個人で楽しむように記録は取っているとは言っていたけれど、もしかすると監視係みたいな人が常にカメラ映像を見ているのかもしれなかった。
(……大河原さん、大丈夫なのかしら)
もしも常に見ている人がいたとするなら、当然大河原さんがわたしを自分の部屋に招き入れたところも見られていたはずだ。部屋の中の様子まで監視しているのかはわからないけど、自分の部屋にヒトネコを招き入れたことを詰問されているかもしれない。
天景院さんはそう無体なことをする人ではないと思うけど、わたしを心配してやってくれた大河原さんが、その結果なんらかの不利益を被ったら申し訳がない。
(……まあ、わたしが心配してもどうにもできないんだけど)
結局、ヒトネコの状態であるわたしに出来ることはないのだから。
なるようになるしかない。
(美里ほど割り切ることはできないけど……あんまり考えすぎるのも良くないかなぁ)
「ふにゃぁ……」
つらつら考えていたら、強い眠気が襲ってきた。
普段、そんなに寝つきが良くないわたしだけど、今日はすぐに眠気が襲ってきた。
自分自身疲れているというのもあるし、すぐ近くで美里が気持ちよさそうな寝息を立てているというのも、眠気を倍増させる原因になっていた。
気付いたら、眠りについていた。
夜中、トイレに起きた美里が戻って来た際、わたしに抱き着いてきたので、その時はさすがに起きたけど、それ以外は夢も見ず熟睡することが出来た。
こうして、ヒトネコライフの初日は、どたばたと騒ぎはありつつも――無事終了した。
それから一か月の間、ほとんどの夜はこんな風に穏やかに過ごすことが出来た。たまに美里が寝ぼけて体を弄ってきて、寝不足になる日もあったけれど、それくらいは穏やかな部類だった。
それはつまり、穏やかでなかった夜もあったということだけど――それはまた、別の話だ。
それから数日、わたしと美里はのんびりとしたヒトネコライフを堪能していた。
食事やお風呂など、天景院さんやメイドさんたちに入れ替わり立ち代わり世話をしてもらいつつ、屋敷の中を探索し、眠くなったら昼寝して、適度な運動をして、手入れをしてもらって体を磨き、悠々自適な生活を送らせてもらった。
わたしは恥ずかしくて無理だったけれど、美里はメイドさんにじゃれついては、ノリのいいメイドさんに遊んでもらったりしていた。そういうところは、自然とヒトネコとして振る舞える美里の良いところというべきか。
ただ、わたしの探り探りの窺うような視線や態度は、そういう警戒心の強いタイプの猫を好む人にとっては中々いいものだったらしい。
最終的に屋敷の中で『ミサ派』と『ミヤ派』が生まれたとかなんとかよくわからない話を後日聞くことになるのだが、それはまだまだ先の話。
その日も、わたしと美里は一緒に屋敷の中を散策していた。
美里がひょいひょいと進む後ろを、一生懸命手足を動かしてわたしが追いかける。これもこの数日でこの屋敷で見慣れた光景になっていた。
美里との機動力の差がどうしてもあって、どうしてもこうなってしまうのだ。
「にゃー、にゃー」
「にゃおん……」
先導する美里が立ち止まって啼いて急かすので、頑張って美里についていく。
そうこうしているうちに、目的の場所に――中庭に到達した。
色々と探検して見た結果、わたしたちが単独で行ける中では、この中庭が一番面白かった。
第一に広い。
下手な小学校の校庭くらいあるんじゃないかと思うほど広かった。
お洒落な街灯のような照明を除けば、ほとんど何も置かれていない。
中庭の端には、立派な樹が植えられている。ただ、近付いてみてわかったのだけど、本物の樹じゃなくてあくまでもそれを模して造られた作り物の樹だった。本物だと虫が湧いたりするからなんだろうけど、そこまで徹底するのかと始めは呆れてしまった。
もっとも作り物とはいえその樹の梢が生み出す日陰は、さわさわと木葉が擦れる音が耳に心地よく、虫の心配もしなくていい分、とてもいいものであると認めざるを得ない。
木の他には、中央付近に白い彫像が置かれているくらいだ。
等身大よりちょっと大きいくらいの裸婦像で、なんというかシンプルなものだった。裸婦像なのだから当然だけど、シンプルで装飾はほとんどなく、ポーズも棒立ちで腕も後ろに回してまっすぐ伸ばしている、というだけのもの。
(芸術ってよくわからないわ……)
考える人の像みたいに、わかりやすいポーズを取っているならまだわかるのだけど。
像が置かれている四角い台座にも何も書かれていなかったから何の意味があるのかわからない。
(別に芸術品を見に来たわけじゃないけどね……)
天景院さんの屋敷にはとにかく色んな美術品がある。嫌味じゃない程度に、屋敷のバランスを崩さない程度に、様々な場所に様々な装飾品が置かれていた。美里は全く興味がなさそうだけど、わたしはどんなものがあるのか、期間中に暇を見つけてじっくり回ってみたいと思っている。
美里はとにかく体を動かしたいようで、中庭に来ると早速全力で駆け出す。
中庭の地面は天景院さんが言っていた通り、人工芝で覆われていて、ほぼ裸のわたしたちが走り回っても何の問題もなかった。
(人工芝って、擦れたりすると火傷するくらい熱くなるって聞いた覚えがあるけど……別に、そんな感じではないわよね)
美里は手足の先だけを地面に着ける動き方で、普通の人がびっくりするレベルの俊敏さを魅せていた。
それでもたまには転ぶことがあり、思いっきり地面を滑っているように見え、心配になるくらいだった。
いまのところ擦りむいたり切り傷を造ったりして怪我をしてはいなかったけれど。
彼女の受け身が上手いだけかもしれない。
わたしは運動神経の関係で美里ほど俊敏には動けなかったし、そもそも走ったりして激しく動くと胸が揺れるので、美里のような動きは出来なかった。
(別に美里もないわけじゃないのに、なんであんなに躊躇いなく動けるんだろう……)
いまのわたしには理解できない。
中庭を駆け回る美里を見ていたら、ふと、視線を感じた。
(まただわ……今度は誰かしら)
中庭というだけあって、周囲を館の建物が囲んでいる。だから、どこからでも見られる可能性はあった。
実際、いまも廊下を歩いて移動しているメイドさんたちの姿が、何人か確認できる。
メイドさんは仕事中だから忙しそうにしているけど、こっそり視線を向けてきたりしていてもおかしくはない。
(うーん、わからないわね)
チラチラ見ているというより、じーっと見られている感覚だったけど、視線の出所まではわからなかった。
わたしは視線のことを考えるのをやめ、中庭に腰を下ろす。芝生の感触がお尻に伝わってきて、なんともむずむずする感じだ。一応この中庭は外だから、空も見えて解放感もある。
そんなところで、ほぼ全裸で猫の真似ごとをしている。
なんだか現実感がなくて不思議な気持ちだった。
ぽかぽかとした日差しが体に当たって暖かい。
(……そういえば夏にしては過ごしやすいわよね)
高温多湿な日本の夏は、じっとしていても汗が滲み、不快な感覚になるものだと相場が決まっているのだけど。
この館が建っている場所は、よほど過ごしやすい避暑地なのかもしれない。
ぽかぽか陽気に晒されていると、夜は十分寝ているのに、眠気が襲ってくる。
(うー……ちょっとだけ……寝ようかな……)
直射日光が当たるところで寝る気分にはなれなかったので、作り物の梢の下に移動し、そこで出来る限り丸くなって目を閉じる。
のんびりしたヒトネコライフを堪能するわたしたち。
けれどもヒトネコである以上、『そういうこと』も行われるのだ。
穏やかじゃない夜が、訪れようとしていた。
つづく
Comments
ご指摘ありがとうございます!-w-ペコリ 素で間違えてました申しわけない。修正しておきました!
夜空さくら
2020-07-10 23:42:08 +0000 UTC> いまはどこも大抵様式便器だし、 > 最終的に屋敷の中で『ミサ派』と『ミサ派』が生まれた 誤字?
c933103
2020-07-10 23:36:17 +0000 UTC