ヒトネコライフ!19
Added 2020-08-24 14:36:56 +0000 UTCヒトネコが、目の前にいる。
ぴくぴくと動く猫耳と、ぴんと立って驚きを露わにしている猫の尻尾飾り。
作り物ということがわかっていても精巧にできているそれは、彼女を限りなく本物の猫娘に近づけていた。
もっとも、それ以外のパーツはすべて人間の女性と変わらない。
年齢は大学生くらいだろうか。
しなやかな手足と、細く華奢な首と胴。
張りのあるお尻に、過不足ない胸の膨らみ。
栗色の明るい髪と、健康的な肌が眼に眩しい。
彼女が、人が猫に扮した性的な姿――ヒトネコという存在だということは、明らかだった。
(これは……!)
わずかな動作からも、このヒトネコのクオリティが高いことが窺える。
そもそも見た目からしてやばい。女性としてアイドルみたいに普通以上に可愛い上に、ヒトネコとしてもめちゃくちゃ可愛い。
猫耳と尻尾が非常によく似合っている。首に巻いている猫らしく赤いチョーカーのようなものも、白い裸身の中でいいアクセントになっていた。
もしも自室で寛いでいるときにこんなヒトネコがやってきたら、きっとオレは興奮を隠せなかったに違いない。
今は幸いというべきか、咲ちゃんが傍にいるということもあって自制心が働き、過度に露骨な興奮はしなくて済んだ。
(しかし、ほんとすげぇ……!)
とはいえ、このレベルのヒトネコを前にして、完全には興奮を抑えられない。
ドクンドクン、と心臓が激しく高鳴っているのがわかる。
オレが自分の衝動と戦っている一方。
そのヒトネコはオレを見上げ、目をまん丸にして驚きを露わにした後、両手の先と両足の先で体を持ち上げた。
それはまさしく、四足獣が駆け出そうとする瞬間のようだった。
おそらく彼女はそのまま走り去るつもりだったのだろう。俊敏な動きからして、相当な速度で逃げ去るだろうことは想像に難くなかった。
しかし、そのヒトネコはオレの後ろ――咲ちゃんの姿を認めると、駆け出すのを中止した。
オレと不意の遭遇をした時よりも、明らかに驚きを露わにし、すとん、と腰を下ろしてしまう。
一方、そんなヒトネコに視線を向けられた咲ちゃんはというと、突然目の前に現れたヒトネコという存在に完全に心奪われていた。
真っ赤になった顔に手を当て、あげかけた声を必死に飲み込んでいる。
今まで動画の中などでしか見たことがなかったであろう、ある意味憧れの存在であるヒトネコを突然目の前にして、思考が停止してしまっていることが伝わってきた。まあ無理もない。
ましてやその初めて直接目にしたヒトネコがこのクオリティだ。咲ちゃんじゃなくても平静ではいられまい。
そんな咲ちゃんを、逃げるのをやめたヒトネコは、その大きな目でじっと見ている。観察しているようだ。
(まあ、そりゃあ気になるよなぁ……)
咲ちゃんは大学生くらいのそのヒトネコより明らかにさらに若い子だ。服装がセーラー服だから普通に考えれば高校生だということになる。
オレがそうだったように、そのヒトネコも咲ちゃんのことは無視できないようだった。
(さてどうするか……)
奇妙な緊張感が場を流れる。
何か話しかけてみるべきかと思ったが、確かこの猫耳を身につけているヒトネコには人間の言葉が理解できないという話だ。
話しかけても無駄に終わるだろう。かと言って咲ちゃんは硬直していて、彼女から動くことはできない。
ここはヒトネコ愛好家の先輩としていいところを見せたいところなのだがーーオレが何をするよりも先に、ヒトネコの方が動いた。
オレの足元をするっと抜け、咲ちゃんの方に近づく。
咲ちゃんは完全に足が止まって後ずさることもできなかった。
ヒトネコはそんな咲ちゃんの傍に移動すると、真下から咲ちゃんの顔をじっと見上げる。
「あ、えと、その……せ、先輩、どうすれば……っ」
困ったような、嬉しいような、なんとも複雑な表情で咲ちゃんは右往左往している。急に憧れのアイドルが目の前に降臨したようなものーーと考えれば、そういう反応と態度になるのも当然かもしれない。
オレは少し考えて。
「あー……うん。とりあえず目線を合わせる、かな」
動物相手の時はとりあえず視線を合わせるのが重要だ。ヒトネコにそれを適用していいのかはわからなかったけれど。
「こ、こうですか!?」
素直な咲ちゃんは即座に従い、両膝を床について半ば正座みたいな姿勢を取った。
そんな咲ちゃんの周りを、ヒトネコがぐるぐると回りだす。
「あ……っ、こ、これってもしかして、見定められてるんですかっ」
「ああ、そういうことみたいだ」
ヒトネコにも色々タイプがいるけど、彼女は限りなく本物の猫と同じ仕草を取るタイプらしい。実際、咲ちゃんのことを見定めたいというのはあるのだろう。くるくると回りながら、徐々にその距離を詰めていく。
そして不意に、咲ちゃんの顔にぐいと自分の顔を近づけた。
「……!」
息を飲んで固まる咲ちゃん。ヒトネコはニヤリといかにも悪戯好きそうな笑みを浮かべーー咲ちゃんの頬にキスをした。
「んにゃ!?」
咲ちゃんの方が猫みたいな悲鳴をあげ、バランスを崩して尻餅をつく。
捲れ上がったスカートの内側から、咄嗟に視線を逸らしたオレは素晴らしい紳士だったと思う。
「にゃはっ♡ にゃははっ♡」
楽しそうに笑うヒトネコ。悪戯大成功、と言った様子で、なんとも悪いヒトネコである。
オレたちが騒いでいる様子は、遠くからでも何かあったとわかるものだったらしく。
「何かあったのかい?」
のしのし、と足音は立っていないのに明らかに聞こえてくる足音を響かせつつ、奈津樹さんがやってきた。
「あ、奈津樹さん。それがこのヒトネコとばったり……あれ?」
説明しようとしたら、ヒトネコは全力で廊下を駆け行ってしまっていた。速い。ものすごいスピードだ。
四つん這いとは思えない。
さすがに全力疾走したら追いつけるだろうが、それくらいこっちも本気にならないと追いつけそうにもないスピードだ。
「すっげえ……」
思わず素で感心してしまった。
(……ああ、そうか。ヒトネコ横町では膝まで肉球ブーツに覆われているし、肘までグローブで覆われていて動き難いけども……ここだとそういうしがらみが一切ないもんな)
全裸かつ四つん這いで疾走する恥ずかしささえ克服出来れば、あれくらいの速度は出せるものなのかもしれない。いや、それにしたってガチ野生動物を思わせる速さだったけれども。
そんなヒトネコの姿をチラッと見たのだろう、奈津樹さんは苦笑を浮かべた。
「ああ……あれはミサだね。元気いっぱいで運動と悪戯が好きないい子だよ。アタシは全力で嫌われてるけど」
「嫌われてるんですか……」
オレは尻餅を突いた咲ちゃんを助け起こしながら、奈津樹さんの言葉にそう呟いた。奈津樹さんは恥ずかしそうに指先で頬を掻く。
「いや、ほら、ミサってめちゃくちゃ可愛いだろ? 初めて出会ったのが不意の遭遇でさぁ……つい、可愛さのあまり、全身を撫で回しちゃったんだよね」
ああ、それは嫌われるのも無理はない。
そう思ってしまったが、声には出さないようにした。
「まあ基本的にはものすごく人懐っこい子だし、パーティ中にヒトネコと触れ合う機会があったらまずはミサから、っていうのはありだと思うよ」
それじゃあ失礼、と奈津樹さんは玄関の方に戻っていった。
オレはひとまず咲ちゃんを落ち着かせつつ、ふと思う。
(ミサ、か……もしかしなくても、あのミサかな)
ミサという名前のヒトネコには、覚えがあった。
なんというか、「これでこそヒトネコだ!」という理想の中の、猫よりの部分を抽出したようなヒトネコ。
ヒトネコ横町が少し前にやっていた人気投票企画で、『新人賞』を受賞していたヒトネコだったのだ。
ヒトネコ横町には会員限定で見ることができるサイトがあり、オレは一度横町を訪れた時にそのサイトのことを知らされていた。
そのサイトでは定期的にヒトネコ横町を訪れる者同士、情報交換などを行っているのだけど、サイトでは定期的にヒトネコの人気投票が開催されている。
その人気投票は基本的には年次が変わる前の一月か二月くらいに行われるのだけど、少し前に「ヒトネコトリップ」というイベントでヒトネコ横町に初めてくるヒトネコたちが多数現れたことを記念して、非公式に臨時の人気投票が行われたのだ。
定番の『ボス猫』たるシロや、どこでも構わずあられもない格好で寝ていて、それを邪魔すると引っ掻いてくる『いばら姫』などの有名どころは当然のようにランクインしていたけれど、そんな定番の中に食い込んだのが、あの栗色のヒトネコ・ミサだ。
写真と実物は結構印象が違って、気付けなかった。
実際にミサを目の当たりにした人曰く、『本物の猫みたいにめっちゃ人懐こかった』『天性のヒトネコらしいヒトネコ』だと。
それゆえに、並いる競合を蹴散らして、新人賞を獲得したのだ。
新人賞を取るほどのレベルとはいえ、さすがに大袈裟じゃないかと思っていたのだが、実際に目にするとそう言った評価をされるのも納得のいく話だった。
(あ……天景院さんがずっと飼ってるヒトネコなのか、聞けばよかった)
あそこまでヒトネコに徹することができるのは、本人の資質的なものだと思っていたのだが、もしかすると天景院さんに長く飼われているから、そういう仕草が板に付いているのかもしれない。
別にだからどうだということはないのだが、純粋に気になった。
色々と気になることはあったが、とりあえず咲ちゃんに話を振る。
「いやぁ、それにしても……すごいヒトネコだったねぇ。いきなりあんな高レベルのヒトネコを見れるなんて、ラッキーだったね」
咲ちゃんはまだ半ば放心状態だったけど、オレの呼びかけにハッと反応する。
「そ、そやね……じゃなくて、そう、ですね……びっくり、しました」
パーティ会場に行ったら一頭はいるんじゃないかと思っていたけど、こんな廊下でいきなり出会うのは本当に不意打ちだった。
咲ちゃんは興奮冷めやらぬ様子で、目をキラキラと輝かせている。
「やっぱり……ヒトネコって、自由、ですよねぇ……散歩してて大丈夫なんでしょうか?」
それはオレも思った。今日がパーティだなんて話は、ヒトネコの彼女だって当然知っているだろう。それなのにこんなところをうろうろしているなんて、なんとも自由というか奔放というか。
すでに到着している人たちも結構いるだろうに、会場にいなくていいのだろうかと心配してしまう。
「まあ、大丈夫なんだろうね。オレたちも向かおうか」
気を取り直してパーティ会場に向かって歩きながら、オレたちは出会ったヒトネコのミサについて話をした。
オレがヒトネコ横町訪問者のみが入れる特別サイトでのことを軽く話すと、咲ちゃんはなんとも羨ましそうな顔をする。
「それは……やっぱり一度は行かないと入れないんでしょうか?」
「基本的には行かないといけないみたいだね。……でも、もしもタイミングがあったら、天景院さんにお願いしてみたら? 確かあの人、ヒトネコ横町にもかなり出資しているはずだから、出資者として多少の融通は利かせてもらえるかもよ?」
特別扱いはあまり褒められたことではないが、素晴らしいヒトネコに成り得る咲ちゃんなら誰も文句は言わないと思う。
(……まぁ、天景院さんってそういう出資者としての特権とか優遇とか、ほとんど使わないって話だけど)
あくまでもヒトネコファーストなのだ。本当に徹底している。だけど本人が得をするわけじゃないこういう特権なら喜んで用いるような気もする。
それで結果として素晴らしいヒトネコが増えれば、天景院さんも愛好家たちも嬉しいわけだし。
ただ、根が真面目な咲ちゃんは特例として認めてもらうのは引っかかるものを感じるのか、悩んでいるようだった。
いますぐ決めなければならないことでもないと話を流し、オレは彼女を促してパーティ会場に向かう。あんまり悩ませたら変に拗れそうだったからだ。
そしてようやく、オレたちはパーティ会場へと辿り付いた。
一般的な小学校の運動場くらいはありそうな、広い中庭が丸ごとパーティ会場となっていた。
パーティは立食形式で、丸いテーブルがいくつも置かれ、豪勢な料理が並んでいる。
その周りには招待された客と思わしき、いかにも上流階級っぽい人たちが集まって団欒している。ほとんどが男性だったが、一部にはドレスを来た女性も混じっていた。
そして――パーティ会場の至るところに、たくさんのヒトネコがいた。
つづく