こんにちは!ちうねです。
少し間があいてしまいましたが、先月末発売のきららキャラット12月号にて「紡ぐ乙女と大正の月」15話を掲載していただいております!
先月に引き続き軽井沢編の続き…です。唯月と雪佳の過去話もありつつ、軽井沢を楽しむ面々、そして二人の関係の今後は…?的な内容になっております。
今回はセンターカラー+12Pでいつもより2P多いので、その分より楽しんでいただけたら幸いです…!
また、同時期に発売になったおちフルアンソロにもちょこっと参加させていただいております。
幕間に1コマ漫画を数点描かせていただきました!
どの漫画もとってもおもしろ可愛かったので是非お手に取ってみてくださいね~!
【以下、調べる過程で分かった面白いお話や建物などの紹介を少しだけしようと思いますが、ちょっとだけ本文のネタバレがありますので12月号をお読みになってから見るのをお勧めします】
今回も以前書いた碓氷線に関する記事のように基本的に作中に出てきたものや建物について書きたいなと思うのですが、個人的に今回調べた中で一番面白かったのが冒頭出てきた大正時代の蛍事情(?)です。
唯月と雪佳が外にでた先、何をさせようかなあと思っていて夜だったら蛍とかいたら絵的に綺麗だな~蛍にしたいな~と思ったのですが
いくら大正時代といえど、都心の真ん中にある邸宅に蛍っているのか…?
という素朴な疑問にぶつかりまして…
担当さんと調べた結果、地方から蛍を持ってきて庭園に放流する、ということが明治以降の近代日本で行われていて、上流階級の人間も購入した蛍を自宅の庭に放つ…という雅な遊びをしていたことが分かったのですが、歴史的に見ても事実なら採用するしかない!と面白く描いた部分だったりします。
個人宅だけでなく、鉄道会社が主導で蛍を庭園に放ち、蛍狩り企画などを立ち上げることで誘客をしていた…など、もう本文とは何も関係ないのですが、こんな時代もあったのか…とかなり興味深く思いました(詳細は最後にあげる論文を読んだ方が分かりやすく、面白いのでぜひ!)
あとは作中で出てくる描写や建物についてちょっと説明しないと分かりづらいかなという部分中心にとりあげたいと思います。
軽井沢の日常部分は基本的に当時の華族がしていたことをベースに描こうと思い調べたことを反映させてみました。
例えば大正組はなんなく馬に乗れていますが、当時のご令嬢の記録をみると乗馬は
別荘地での主な遊びの一つだったようで、普通に乗れる子が多かったみたいです。
貴族という感じでかっこいい…
英国式のお茶会、というのも別荘のお庭でよく行っていたそうです。夏の軽井沢の別荘でお茶会…想像に違わない雅な日々を過ごしていて資料を見るたびにう、羨ましい~ッと脳内でハンカチを噛んでいました()
最終日に4人が訪れていた見晴台は、今も残っていまして
晴れた日には南アルプスや八ヶ岳が一望できるとても気持ちの良い場所です。
ここは大正7年に名古屋の豪商・近藤友右衛門が山頂を切り開いて、遊歩道等、自費で完備し山頂と一連の施設を軽井沢町に寄付した…という歴史がありまして、昔のお金持ちは太っ腹だなあ~と小学生並みの感想を抱きました。
(私が行ったときにはちょっと雲が多かったので写真が微妙ですが…)
ちなみにこのあたりは群馬と長野の県境でしてこんな看板もあります。
ここの真ん中に立って半分群馬、半分長野ごっこを一人で楽しみました。
見晴台から10分くらい歩いたところに作中にも出てきた熊野神社もあるのですが、
こちらでは地面に県境の標識がありますのでよりやりやすいかもしれません(?)
また、四人が休憩で食べていたサンデーも当時の記録に残っていたお店を元にしています。
当時の実業家のご令嬢である朝吹登水子さんの回想録に以下のような記述がありました。
「当時の青年や少女たち、子供たちの一番の愉しみは、ブレッツ・ファーマシーでアイスクリームを食べることであった。——アイスクリームを出すカウンターの後ろの棚に、缶が並べてあって、いまのバーのウィスキー瓶のように何様、何様と名前が書いてある。この缶の中にはモールテッド・ミルク(粉ミルク)がしまってあって私たちは、チョコレート・サンデーに「粉をかけてね」と注文する。これが素晴らしく美味しかったのだ。——」(朝吹登水子『私の軽井沢物語―霧の中の時を求めて』より引用)
おそらく前後の文脈から、軽井沢会テニスコート(現存、前回の記事で少し紹介してます)の脇にあったそうなのですが、
残念ながらこのブレッツ・ファーマシーは現存しておらず、他の資料にも記述がないか調べたのですが見つかりませんでした。こういう当時あったお店の話などはやはりその時に生きた方々の証言によってなんとか分かることで、時代がたてば流行っていたものでも人々の記憶からは消えてしまうことに寂しさを感じますね。大正時代に生きた方々も年々減っているので口述記録、回想録というのは本当に貴重だなとしみじみ思いました。
しかしチョコレートサンデーに粉ミルクをかけていて、しかもボトルキープのようなシステムが採用されていたというのはとても面白いですね…!
結構チョコアイスに粉ミルクって今の時代にやっても流行るのでは…?タピオカブームの次は粉ミルクチョコアイス、これだ・・・・・
そして最後に…ここは一番お話のネタバレを少し含んでしまうのですが、雪佳と紡がばったり遭遇したあずまやらしき場所についてです。
こちらも実は現存する場所なのですが、残念ながらこのあずまやは今は撤去されていて、奥に見きれている建物が残っている…というちょっと複雑(?)な場所です。
掲載時には見きれてしまってうつっていないのですが実は雪佳の奥の建物はこんな感じでして、これは「ショー記念礼拝堂」という軽井沢最古の教会です。
ちなみに当時はどんな感じだったかというと、
こういう風に、手前に何故かあずまやのような建築物があり、奥に教会…という
構造だったようです。何のために入口にこういうのがあったのかはわからなかったのですが、雨宿りに最適すぎたのでここをモデルにすることにしました。
今はこのように砂利道の奥に教会があるだけで手前のあずまやは撤去されてしまっています。
特にこの場所が話に大きく絡んでくるわけではないのですが、実際に昔の写真が残っている場所が今もあるとテンションがあがってしまう人間なので是非紹介したいなという作者のエゴでした!もし軽井沢に訪問する際は是非、隠れ登場スポット(?)としてこちらも見学していただければ嬉しいです。作中に出る出ない置いておいてもとても良い場所ですよ~
というわけで今回もまとまりのない文章でしたが、以上が少し付け加えて解説したいなと思ったことでした。
こういうのってあんまり話過ぎると白けてしまう感じもあるので、前回碓氷峠のお話を書いた時と同様、悩ましいなあと思ったのですが、これをきっかけに軽井沢の歴史等々、興味を持っていただける方がいましたら嬉しいです。
それでは駄文を書き連ねるのをやめて、本来のお仕事に戻ろうと思います。
というわけで今月号のキャラットさんも何卒よろしくお願いいたします!
【主な参考文献】
保科英人「明治百五拾年 . 近代日本ホタル売買・放虫史」『伊丹市昆虫館研究報告 第六号』2018年
→https://www.jstage.jst.go.jp/article/itakon/6/0/6_5/_article/-char/ja/
(こちらのサイトからどなたでもDLして読むことができます)
朝吹登水子『私の軽井沢物語―霧の中の時を求めて』文化出版局、1985年
宮原安春『軽井沢物語』講談社、1991年