こんにちは。
まずはR-18漫画『都堕ち』を読んでくださった方はありがとうございます。深く感謝申し上げます。
この記事は漫画を読まなくても分かるように書いているつもりですので、未読の方は適当に『そんな漫画があるんだな』くらいに思いながら読んでください。
現在『都堕ち』の続編を制作中です。タイトル等は追って発表します。
本記事ではこの『都堕ち+続編』の2作を『都シリーズ』と呼称します。
R-18画像は取り扱いませんが、ストーリー展開の都合上センシティブな文章や画像を取り扱いますので、ご注意ください。
また、この記事は犯罪行為を肯定するものではありません。
なお、この漫画は『怪来怪去』という、ゆーきさん(@Chonbokki)が私のキャラクターにインスピレーションを受けて制作した小説の登場人物を主役に据えた、いわば1.5次創作です。
そのため、本記事では『怪来怪去』の引用を交えて話していきます。
都シリーズは、簡単に言うと純潔だった少女(都)が援助交際に堕ちてしまう物語です。
この物語における都の願いは『大人になること』でした。
私は、この話を劣等感の物語だと思っています。
彼女はなぜ大人になりたかったのか。
都はある理由で発育不全を抱えており、体格のいい親友と比較して、自分の姿に劣等感を覚えています。『大人』の定義は人それぞれなのに、彼女は外見で自身を値踏みしてしまっているのです。
結局のところ、『親友たちに劣等感を覚えない自分になりたかった』というのが彼女の本音だと私は思っています。
その結果、彼女は『大人になるため』に、援助交際という極端な行動を取りました。
続編では、都は親友に援助交際の事実を知られます。
親友に止められるも、突き放した態度を取り、悲しませてしまう都。
『怪来怪去』本編において、都は聡くて賢い子であると描写されていますが、都シリーズの都の内面には今にも崩れそうなほどの脆さがあります。
その脆さに至るに足るほどの強い劣等感を彼女は抱えていたのです。
『怪来怪去』本編において、小学生時代の都が、『他人を信じることができない』と感じる場面がありました。
その引用がこちらです。
自分は決定的に他人を信じることが出来ないのだ。
そのことが都の心を苛み続けてきた。(中略)
自分にはもう、疑いのない目で人を見ることなど出来ないのだ。この濁った瞳はもう、自分の意思とは関係なく相手を値踏みするようになってしまったのだ。
汚泥の混じった水は清水には戻れないのだ。
──『怪来怪去 二』より引用
都は幼少期に苛烈ないじめを受け、その傷から他人を信じることができなくなっていました。
もし都が他人を信じられていたら違ったのかもしれません。
親友たちは、都が発育不全を抱えていようと、それを決して気にしたりしない存在でした。そんな親友との交流において『私はそのままの私でいい』と自分を信じることができたのかもしれませんし、もし援助交際に走ったあとでも、自分を止めようとする親友の言葉を突き放さずに受け止めることができたかもしれません。
でもそうはなりませんでした。
彼女が他人を信じられなかったからです。
『(自分が大人だと思える)大人にならなければ、他人に見下される』と思ってしまったからです。
販売サイトのジャンル設定で『都堕ち』は『快楽堕ち』となっていますが、彼女が堕ちた先は快楽だけではありません。(『きもちいい』という台詞があるので一応快楽堕ちではあります)
本当に彼女が堕ちたのは劣等感を忘れられる場所です。
援助交際以外の方法で劣等感を忘れられるほど彼女は強くなかったのです。
この物語を語るうえで避けて通れないのが『みやげさま』という登場人物です。
彼女(?)は私が普段描いている無性別宇宙人『みやげさん』にそっくりな謎の存在です。
みやげさまは事あるごとに都を唆し、純潔だった都に性的快感を覚えさせて援助交際の道へ誘導したり、続編ではなりきりプレイをさせて都の罪悪感を忘れさせたりと、何かと彼女を『堕とす』方向へ導く、邪悪な存在です。
みやげさまにとっては都が生きやすい方向(=劣等感や罪悪感を忘れられる楽な方向)へ導いているだけで、完全に善意による行動でしかないのですが……。
完全に人外の思考回路をしているので、信用しないほうがいい存在なのは確かです。
ここも都が他人を信じられていたかどうかで展開が変わります。
もし都が他人(たとえば親友たち)を信じられていたら、みやげさまの口車に乗せられることなく誘惑を断ることができたのでしょう。
でも、これもそうはなりませんでした。『大人になりたい、ならなければ劣等感を克服できない』という気持ちを、都は最後まで否定できなかったのです。
都シリーズは、そんな劣等感ゆえに堕ちてしまった、愚かで脆く、そして人間的な弱さを持った少女の物語だと私は思っています。
余談ですが、私がR-18作品を作るのは実は初めてではなく、2022年にとある性暴力の描写があるゲームを作ったことがあります。詳しくは語りません。
なぜ性暴力の話を描いたかというと、当時の私は性的なことを暴力の手段としての側面が強いと捉えていたからです。傍から見れば世界に対する歪んだ捉え方かもしれませんが、少なくとも当時の私はそう思っていました。
都シリーズはそこから私が絵描きとしての目線で性という概念に対してもう一度向き合ったものであり、劣等感の克服のために性を渇望する少女の物語となっています。
2022年当時の私はこのような性を渇望する少女についての話を自分が将来描くことになろうとは、思ってもみませんでした。今の私にはもう間違いなくあの話は描けません。あの話を作った時の私はもう私の中で死んで墓の中に居るので、当時の気持ちを思い出すこともできません。
ただ当時は当時で精一杯だったと思うので、あの時の私を否定するわけではないです。
以上、都シリーズについての雑多な文章でした。
もちろんこれは私なりの解釈なので、別の解釈をしていただいても構いません。
この作品が官能作品としての出来が良いのかは正直わかりません。
でも、私の描きたいものは描けているのではないかな、と個人的には思っています。
続編も頑張って制作していますので、お待ちいただける方はお待ちいただけると幸いです。
読んでくださってありがとうございました。