あついから水着かきました
くそ日記いきます
くそ日記
今月はなんか長い
治ったんだけど、直してる最中になんかレジストリがぐちゃぐちゃになってしまって
OSを再インストールする羽目になった
その際にCLIP STUDIOのバックアップをしたと思ったらバックアップするフォルダを間違えていたため
クラウドにアップロードされていた2年前のデータを復元する羽目になった
ペン設定からトーンに至るまですべてが2年前にタイムスリップしてしまった
なかなか面倒に感じる
特にトーンの入れ直しとフォルダ整理しなおしが精神的にきつい
まあなんか買ったはいいものの使ってないトーン1000000個くらいあったし
仕切り直しということでがんばろう
これきれてるときの私
ともだちのocかいたり
4年前に描いた絵をリメイクしたり
エロッ
4年前、この絵の前後の絵を見るにヌルメタを連載しはじめた直後くらいの時の絵
描いた時はめちゃくちゃうまくかけた~~と思っていたのに、今見るとヘナチョコすぎる
絵を描くことが仕事になってから急激に上達した実感がある
「絵を描くには楽しむ才能が必要!」「描きたいものを楽しく描こう!」的な論があり、これ自体は特に間違っていないと思うが(楽しさが維持されない場合、ペンがどんどん重たくなる)
別に楽しければそれでいいというわけでもない
何事も単純化して断言するのはよくない
私はとにかく絵を描くのが楽しいという気持ちベースで10年ほど絵を描き続けているタイプのオタクだが
絵を描き始める理由は個々人それぞれあるだろうけど、自分の場合は「ゲームのパッケージイラストのような絵が描きたい」というようなものだった 具体的には、PSP版魔界戦記ディスガイアのパッケージイラストが出発点にある
最初はそれこそプロの画集を買いまくり、いずれ激ウマイラストレーターのようなイラストを描けるようになりたいと思っていた
絵を描いていると、そもそもこの行為自体の楽しさが上達への飢えを失わせていく
途中で完全に止まっていた
なんというか描くことそれ自体が楽しいため、ある一定ほど描けるならそれ以上を心が求めない
そもそもプロぐらいうまくなりてえなあとボンヤリおもいつつもプロになりたいとは特に思っていなかったところもあり
「気合いれて1枚完成さす」とか「他の描き方を試す」みたいな行為は上達するためのかなり重要な要素であり、そういったものは途中から失われていった
原因は別にこれだけではなく、最初ライバル視していたイラスト友達がどんどん絵を描くのをやめ始めたりしたのも遠因としてあると思うが
どんどん というか、もう全員やめた
仕事になって一番良かったのは、「本の表紙になる」とかそういう現実が、自分が自分の絵に求めるハードルを底上げしたことであり、結果的に「俺めちゃくちゃ下手くそじゃねえか」みたいな気持ちが強めに発生してゴリラになった
なんか自分に甘い人しか周りにいないため、もっとうまくなれ とか言われることはなかったが
SNSにアップロードするのと本の表紙をデザイナーに依頼するのはまた違った心理ハードルがある 雑に刺激とか言われるもの
仕事になることで同じフィールドにいる他の人間に刺激をうけるみたいなこともあった ななどなどなど見て「やっぱこれくらいうまくないとだめだ」みたいな気持ちになったのは多分私だけじゃない
「いいねがほしい」という思いに捕らわれて頭がおかしくなって4ぬ みたいな話はよく聞くが
「絵かくのたのしい」という思いに捕らわれて硬直することも全然ある
※
別に楽しいなら無理してうまくなる必要はどこにもないが、
結果的に仕事になる前の自分は最初の目標を放り捨てていることになる
ゴールはどんどん下がっていっても憧れは特に下がることがないので微妙な持続ダメージを受けることになるし
目標は達成されるほうが気持ちいい
※
ここでいう「上達」は非常に狭義なもの
うまいという言葉の範囲はありえないほど広いし、自分が上達を停止していると定めた期間の中で生まれたアートスタイルもあるし、ぬるめたが産まれたのはこの時期でもある
結果的に全てが現在の絵を構成する要素になり、生活や経験が如実に現れる
そういう意味で絵の発表はコミュニケーションにメチャクチャよく似ている
絵かきはじめたんですけど最初何したらいいですか?とか聞かれるけど
そこでどういった藻掻きを行ったかの全てが後の絵を形作るのでなんでもやればいいのではみたいな気持ちになる
※
グラフはもちろん現実をめちゃくちゃ簡易的にしたものでしかなく、かなり最悪な話として、「停止」なんてのはぜんぜん嘘で本当は徐々に徐々に下降していく
4年前のフォルダ見てたらクソかわいい絵あったので共有
PCが不調の中Noitaを無限にプレイしていた
2年前くらいに買って、5,6時間かけてプレイしてよくわからずアンインストールしたのを覚えてる
ある日突然Youtubeに「チェンソー杖の作り方」みたいな動画が流れてきて、そういう…ゲームだったのか…?みたいな気持ちになり再インストールした
このゲームはあまりにもキモすぎる
Steamのローグライクは雑にたくさんプレイしてきたが、このゲームには完全に独自のキモさがある
ローグライクはざっくり麻雀によく似ていて
役を完成させるために待ちを作り、待ちを変え、可能な限りの高い点数を狙ってロンを目指す
役が完成したら、あとはその役の強さを振り回して敵を薙ぎ倒すゲームとなる
しかしNoitaにおける「役」は全てゲームの深部に隠匿されている
明示的なシナジーが一切なく、シナジーを見つけるにはあらゆる呪文をあらゆる順番で組み換えあらゆる杖で使ってみる他ない
あきらかにロンできたのに、なぜこの手牌が役になるのか全くわからないこともある
ショップにいる時間がプレイ時間の大半を占める
自分の手牌を眺めながら入れ替えながら試し打ちしながら延々と世界と対話しつづける
役ができた
ある程度現状できる中でも最善に近い杖ができた
と思ったら上からヒーシが火オービットを連射してきて即死
などということが許されている
一体なにが面白いんだ?
この呪文はどんな効果なんだろう と思いながら試し打ちをする
バラバラに引き裂かれて死ぬ
何が面白いんだ?
ローグライクは特に顕著だが
ゲームをプレイすれば自分なりになぜおもしろいのかを考える
ゲームについてもっと知りたいから
でもこのゲームの面白さは全く理解できない
自分が何を面白いと感じているのかわからず
「面白い」といって「どこが面白い?」と聞かれた途端
あらゆる要素を述べ連ね
「クソゲーじゃないのか?これ」に答えが収束してしまう
プレイ時間が100hに到達した
何が面白いんだ?
現実で自らが失敗した時、誰かに責任を問うことはできない
現実に神はいないから
ゲームならそれができる
ゲームにおける死には安心して責任を押し付けることのできる神の代理が2️人いる
制作者か自分か そのどちらかが確実にその責任を背負っている
制作者の悪意、制作者のミス、自分のプレイミス、自分の経験不足
いずれにせよ彼らに擦り付けることに不都合がない
しかしこのゲームにだけは明確に神がおり
それは物理演算シミュレーションで描かれるこの世界すべてのピクセルとなって現れる
だからこそ死んだ時、責任の所在がわからなくなる
制作者の擬人はピクセルの遥か遠くにいてよく見えない
死亡する
万全を期しても死亡するし、テキトーにやっても死亡する
ありえないことがおきる
ピクセルひとつひとつに属性があり、挙動があり、それぞれのピクセルが相互作用した結果、理不尽や不条理が世界を形作る
制作者の意図が明確に形を持って出現するのは、ゲーム開始直後のWASD石がうすくボンヤリ赤く光る瞬間にしかない
お前はWASDで移動でき、左クリックで杖を行使できる
Fでキックでき、Iでインベントリを開くこともできる
それでは闇の中へ
あとはただ賽が投げられまくる
このゲームをローグライクやローグライトと断定するのは難しい
Noitaの中にはローグライクがあるが
ローグライクの外にもNoitaがある
穴の中に潜る縦のゲームでありながら、世界は横にも広がっている
穴の中に潜る下向きのゲームでありながら、秘匿された上に戻る手段がある
Noitaはキモすぎる
私達プレイヤーがこの世界に対抗する手段は
三倍呪文の参照呪文数を一つ残して最初のインクリーズ→チェーンソーをもう一度読み込ませることで詠唱終了までに読み込むチェーンソーとインクリーズマナの数を2倍にすることでリチャージ時間を0にして1Fごとにトリガー付きスパークボルトを連射しつづける
そして
地面に落ちている不安定テレポータチアムポーションに気づかず踏んで溶岩の中に転移し即死する
雪を掘っていたらプロパンガスが埋まっていて死亡する
自分の呪文で死亡する
制御できないランダム性の中に意味を見出し続けながら藻掻きつづけるという点でNoitaは現実に酷似しているが
それでも生きていくということを楽しむ現実の人生に対して
それでも死んでしまうということを楽しむNoitaの人生がある
死ぬのが楽しいなどと
フォスター
2024-05-28 16:51:13 +0000 UTC