SamSuka
烏川
烏川

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しあわせかぞく 終編

父の新婚旅行中に菜穂がこの家に立ち寄ってくることはなく、がらんとした部屋の中で1人静かに休日を過ごしていた。 菜穂がこの家に寄りたくない気持ちは真綾にもよくわかっていたから、菜穂について悪く思う気持ちは無かった。 今は家のことなど考えずに、外で仕事に打ち込んでいたいと菜穂が考えていてもおかしくはない。 そして、父らのヒミツを知ってしまった今の真綾にとっては菜穂以上に、家庭というものが重苦しい楔になっていた。 他の女子であれば憂さ晴らしにと友達なんて誘って外に遊びに行くなんていうことも出来るのだろうが、これまで友人関係をほぼ受け身で生きてきた真綾に急にそんな切り替えは難しい。 こんな時に咄嗟に思いつくような心を通わせた友人がいない自分自身にも愕然とした。 自分という人間はこれまでこんなにも家庭に依存して、外の人間関係を蔑ろにして生きてきたのか。 様々な薄暗い感情が渦巻いて、堪えきれずに洗面所で戻してしまう事すらあった。 父と悠太は連休最後の夜、予定通りにお土産袋をどっさりと抱えて帰宅した。 二人とも血色はよく、特に父はこれまでになく上機嫌な様子であった。よほど充実した旅行だったのだろう。 「………おかえり、楽しかった?……みたいだね。」 ただいま、と元気よく声を張り上げる二人に、かつて同じ場所への旅行から戻ってきたときの光景が記憶から浮かんできた。 あの時はまさか自分達の関係がこんな歪になるなんて思いもしなかったのに。 「姉ちゃんっ、こんど泊まったとこ、部屋の中に温泉があったんだぜ!めっちゃ泳いだ!お祭りも行ったし、馬にも乗った!」 「ふーん、良かったね、こっちはずっと家でゴロゴロしてたよ。」 そういえば、今回は旅行中に殆ど連絡が無かったが、きっと自分への連絡も忘れるほど楽しかったのだろう。 真綾にとっても、その方が確かにありがたくはあった。 お茶を飲んでいると、仕事帰りの菜穂も今日は顔を見せにやってきた。 嫁ぎはしても、悠太は菜穂にとっては変わらず大切な1人息子だ。 「こんばんは。悠太、元気だった?」 数日ぶりに顔を合わせた息子を菜穂が抱きしめると、悠太は気恥しそうにほっぺを赤くしたかと思えば、先ほど真綾にしたように今回の旅行の楽しかったことを次々と報告しだした。 それを菜穂は真綾よりもまだにこやかに聞いていた。 幸せそうにしている息子を前に気分を悪くする母親はいないだろうが、それに対して真綾は今は父や弟を前にして気を抜けば曇りそうな表情を押し隠すのが精いっぱいで。 30分も滞在せず、菜穂は隣の自宅へと帰っていった。 「さて、と流石に疲れたから風呂入って今日は寝るか。明日からまた仕事だしな。」 そう言って、言葉通り浴室に向かっていく父。まだお土産を拡げて楽しそうにしている悠太。 「悠太も、早くお風呂入って今日はすぐ寝たら?私は最後でいいから。」 まだ元気の余っている様子の悠太が存外素直に返事を返すのを聞くと、真綾も自室に戻っていった。 部屋に戻ると、ベッドの上に脱力して横たわる。 一度映像で見てしまえば、ふとした時にあちこちで思い起こされる父と悠太の淫らな情交の数々。 リビング、父の部屋、風呂場、とあちこちで彼らの行為の残像を感じられた。 本当を言えば、真綾はもうこの家で寝食も入浴も、したくなかった。 かといって他に宿を貸してくれる親戚も友達も心当たりがない。 高校卒業を機に出ていくにしても、あと1年以上はこの家で過ごさなければならないのだ。 ─── 父の部屋での一件からさらに数か月も経つと、真綾の生活はいくつかの変化を見せていた。 まず、それまでに比して、友人付き合いが大いに濃くなった。 一緒に遊びに行ったり、勉強をしたり、と共に過ごす時間を増やしていくと、驚くほど会話も増え、自分が彼らに心を開いていると実感する機会も増えた。 真綾がそうあろうと努力したのもあったが、皆そんな真綾の変化を、何を急にと戸惑うでもなく暖かく迎えてくれた。 本当に大切な人間同士の繋がりとは家族の事なのだとずっと思っていた真綾は、このわずかの間に大きく価値観を変えていた。 年頃の女子らしい、普通の人付き合いをしていれば、自然と異性と仲良くなる機会も増える。 まして、以前から友人達にも言われていた通り、容姿も決して凡庸でない真綾には積極的に声をかけてくれる男の子もそれなりの数がいた。 「真綾、猪瀬くん来てるよ。」 休憩時間に声をかけられると、その言葉通り、教室の入り口のところにすらりと背の高いハンサムな男の子が爽やかな笑顔でこちらに手を振ってくれていたので、真綾も少し照れながら彼の傍へと寄る。 「別に、用事は無いんだけど、ちょっと通りがかったから、いるかなと思って。」 「なぁんだ、それだけ~?」 真綾が思わず笑って見上げると、はにかみながらそう言って自分を見下ろすその猪瀬という男子。 彼はここ最近真綾が急に距離を縮めた男子のうちの一人で、真綾は彼に対して初めて異性としての好感を持っていた。 「いや、ホントはそれだけじゃないんだけど、もし今度休みの日でも空いてる日あったら、一緒にどっかに遊びに行かないかなって…。」 端正なルックスをしていて、いかにも女の子慣れしてそうにも関わらずぎこちない誘い方をしてくる猪瀬に、真綾はなんだか可愛らしいと感じて、二つ返事で快諾していた。 そうでなくても、土日休みに予定が出来るのは、今の真綾にとってはありがたいことであった。 「じゃあ、今日一緒に帰らない?どこ行くかとか、ゆっくり相談しようよ。」 真綾の言葉に、猪瀬は可愛らしくくしゃりと破願し、うんうんと何度も頷き、休憩時間の終わりまで他愛無い会話を楽しんでいた。 戻ってきたときに友人達に冷やかされるのも、恥ずかしくはあってもどこか快いものだった。 こんな世界もあったんだなぁ、と新鮮さを感じることも最近は増えた。 授業を受けながら、帰りにカフェにでも立ち寄って猪瀬と互いの時間の許す限り、おしゃべりするのもいいと思った。 毎日毎日真っすぐに帰宅して家族の為だけに喜んで家事をしていたあの頃からすれば、考えられない思考だった。 しかし悠太も来年は5年生になるし、ごく簡単な料理なら一人でも作れる。 高校生の自分よりも時間に余裕があり、何より父の奥さんという立場の悠太が働いている父の為に夕食を用意するのはある意味で当然の流れだ。 勿論悠太の都合が付かない時には娘として義務を果たすこともやぶさかではないが、あの家で過ごしている間に真綾が食欲を感じる事は殆どない。 最近の夕飯の用意を悠太一人に任せがちな事を、先日父からやんわりと指摘されたが、適当な生返事しか返せなかった。 幼い悠太にあんないやらしい仕打ちをしている変態オヤジのくせに、自分にはちゃんとした父親のような顔をして。 どうしても、そういう感情が胸の内から湧き出てくるのが止められない。 悠太に対しては、父に対する以上に複雑な思いを抱き続けている。 たった3年。それでも3年。 本当の弟のように可愛がってきた男児だ。今でも自覚できる程度の愛情はある。 けれど、まだ幼い無垢な子供だと思っていた悠太が父の手管によって肉欲に溺れ、性的快楽に堕ちているあの男児の表情を見てしまうと、どうしようもない生理的嫌悪感を拭えなかった。 悠太に決して非があるわけではないことも、むしろ自分達親子の方に責任があることも真綾にはわかっている。 理屈でわかっているからこそ、感情が付いていけないことがとても苦しく、気が付けば悠太の顔を真正面から見る事が出来なくなっていた。 家にいる時間が、苦痛だった。 カフェで話している間。 猪瀬がそんな自分の内心を察することも無く終始楽しそうにしてくれていた事だけが、せめてもの慰めと言えた。 ─── 家庭内で起きた災難をきっかけに、外の世界への扉が開けたのは皮肉といえば皮肉であった。 家族がうざい、家に居たくない、と血縁以外の人間との交流を深めて、大人への階段を上っていく。 外の世界を愛想笑いで受け流し、偽りの家庭に依存していた以前と比べ、まるで逆転現象とも呼べる今の彼女の挙動は、傍から見ればまるで遅れてきた反抗期や思春期そのものだ。 猪瀬とデートを繰り返して、特別な関係と呼べる仲になる頃には、真綾はそんな風に自分の境遇を分析するようになっていた。 高校を卒業したら、家を出てどこかに下宿して働こう。 決して成績は悪くないにもかかわらず就職を固く決めている事を、猪瀬には不思議がられた。 たとえ学費でも、今の真綾は父には出来る限り頼りたくはなかった。 自分の親離れ、家族離れを強く感じていたそんな折、いつものように家で静かな夕飯を摂っていると父の口から思いもよらない言葉が出た。 「そういえば真綾、お前もうすぐ誕生日だろ?今年は豪華にお祝いしないか?お前にはお父さんと悠太とのことで、色々気を遣わせたしな。」 さも、バースデーパーティをやるのが当たり前、と言わんばかりのその口調に真綾は一瞬目を見開いた。 が、確かに去年までは自分も何も気にすることなく稲葉家と白井家の4人でケーキを囲っていた事を思い出し、少なくとも父にとってはその提案は当然のものであってもおかしくはない。 「うん、パーティしようよっ!ねえちゃん、何食べたい?」 悠太も声を張りながら上目遣いに真綾を見上げていた。 こんなに溌溂とした顔を悠太がしているのを見るのは久しぶりだった。 このところあまり自分の顔を見てくれなくなっている真綾の様子を悠太も気付いて、あの優しかった「ねえちゃん」の変化を子供なりに察している事を真綾も薄々わかっていた。 「私も、もう高2だし、別に今更家族そろってパーティなんて…」 そう言いながら語尾が次第に小さくなっていくのは、自分を見る家族達の優しい気遣いに満ちた視線に晒されているからだった。 自分が今のこの稲葉家を居心地悪く感じていることを悠太だけでなく、父もとっくに気付いているのだろう。 とはいえ、誕生日にお祝いされたくない理由は他にもあった。 今年は猪瀬と誕生日デートをしようと話していた矢先の、この父からの提案だった。 しかしこの家族に対して、出来て間もない初めての彼氏の話などしたくはない。 それは真綾が初めて手に入れた、家族に言えない秘密でもあった。 「今年の誕生日は、友達がお祝いしてくれるって言ってるから、別の日なら…。」 「友達?お前そんな仲のいい友達なんかいたか?」 「いるよ!一緒に旅行に行ったりしてるでしょ!」 さらりと出た父の無神経発言に、一瞬かつてのような砕けた表情が出る。 確かに本当にお祝いを申し出てくれたのはその友人達では無いが。 結局、真綾も半分は押し切られる形で、菜穂の都合の付く後日に家族でのバースデーパーティをやる事になった。 自分のバースデーパーティだというのにあまりにも心躍らない事に驚く。 父や悠太があくまで自分を喜ばせようと、自分と仲良くしようと申し出てくれている事がまた罪悪感を刺激する。 菜穂を巻き込むことになったのは申し訳なかったが、しかし少しでも自分と気持ちを共有できそうな人物に同席してもらえるのは正直ありがたい。 「姉ちゃん。」 食事を終えると、いつものようにさっさと自室に籠ろうと向かう真綾の背中を悠太が追ってくる。 何?、と作り笑顔で振り返ると、自分を見上げる悠太の円らな目と視線が合い、悠太はまるで発奮したように身を震わせる。 「誕生日、でっかいピザとか頼んじゃうね!サラミとかソーセージとか、コーンとか、いっぱい乗ったやつ!」 大きく身振り手振りする悠太のその見慣れた所作を前に、今だ愛おしいと思う気持ちは残っていた。 だからこそ、一生懸命かつての自分を演じて、苦笑しながらあしらってやる。 「あんた、それ、自分が食べたいだけでしょ?別にいいから、好きなの頼みなさいよ。」 「姉ちゃん、なんか欲しいものある?誕生日プレゼント、何がいい?」 踵を返した真綾の背中にも、悠太はまだ呼びかけてきた。 真綾は今度は振り返らずに、考えるふりだけをした。 「うーーん、別に今は特にないかな。小学生が無理してお小遣い使わなくていいよ。」 実際、真綾には、悠太から欲しい物もなければ、して欲しい事も、何もなかった。 今の真綾が本当に欲している物をくれることは、この家族には出来ないだろう。 強いて言うならパーティなんてせずにそっとしておいてほしかったが、それを言う事は流石にできない。 部屋に戻っていつものように机で課題をこなしていると、猪瀬から今度の誕生日デートについての相談が携帯に入っていた。 友達や彼氏といった外の世界の人間との交流は、確かに安らぎばかりではないし、時には緊張や煩わしさといったものを感じる事はある。 けれど、赤の他人であるからこそ、一層頭を使い情を傾け、上手くやりこなして維持してきた関係には、血縁同士の関係には無い類の繋がりが生まれるのではないか。 そんな風にまで真綾は考えていた。 猪瀬との関係がまだその境地に至っているとまで真綾には到底言えないが、けれど、そうなっていければいい、と、そう思いながら携帯の液晶に真綾は指を触れた。 ─── 稲葉家での真綾のバースデーパーティは、猪瀬とのデートの日、つまり本当の誕生日からさらに10日後に開かれた。 悠太はともかく、父と菜穂がちゃんと余裕をもって同時に集う事が出来るのはその日だけだった。 猪瀬とのデートは真綾にとって、人生で初めて体験した類のワクワク、ドキドキの連続だった。 ただ男の子と手を繋いで歩く、高校生にしてはちょっとお高めのレストランで一緒にご飯を食べて将来の話をする。 彼氏と二人だけで一緒にケーキでお祝いされる。プレゼントを貰う。 猪瀬がくれたバースデープレゼントは財布だった。 「指輪とかにしようかと思ったけど、まだ、なんか、流石に重いと思われるかなって………。」 とは言いつつ、それは結構なブランド物の財布であったが、そういう事に疎い真綾はちょうど新しい財布に変えたいと思っていたというレベルでまずは喜び、照れ笑いを浮かべて自分の反応を見ている猪瀬に素直なありがとうを伝える。 これが生まれて初めて彼氏から貰ったプレゼントだ、とそんな真綾の感慨深い一言も、猪瀬の心を存外揺さぶったようでもあった。 そんな猪瀬の事が愛おしかったし、そんな猪瀬に愛おしく思われたい。 そう思った。 同年代の女子の中には、こんな彼女達のやり取りを他愛無いと思う者もいるかもしれないが、雑誌どころか、少女漫画すらまともに読んだことの無い真綾にとっては何もかもが新鮮な出来事で、思い返すと落ち着かなくて、けれどとても素敵な想い出の日になった。 そんな素敵な想い出の余韻が少しずつ溶けてきた頃、向き合いたくない現実に真綾を引きずり込むイベントが待っていた。 ─── その日、真綾が帰宅すると、ダイニングはおそらく悠太が数日かけて準備していたのだろう折り紙や切り花で飾り付けられ、しっかりと10日遅れのバースデーパーティ会場になっていた。 おかえり、と大きな声を張り上げて出てきた悠太は、エプロン姿で大量の鶏のからあげの準備をしているところだった。 「揚げ物、一人で揚げちゃダメよ。」 揚げ物はもうちょっと大きくなってから、とは日頃から厳しく言っている事だった。 「わかってるよ~~。お母さん帰ってきたら手伝ってもらうから、姉ちゃんは待ってて!」 あくまで主役である自分は手出し無用という事らしい。 嘆息しながら部屋で一人でいると、意外にも菜穂の方が早く帰宅してきて、悠太を手伝っている様子だった。 菜穂の手伝いもあって、テーブルの上にはから揚げだけでなくステーキのサラダや、具沢山のオムレツ、宅配のピザ、と次々に豪華な料理が並ぶ。 「ただいまーーー、どうだーー?パーティの準備は?」 そして、食事時になってようやく帰ってきた父の手には、極めつけのように大きな船盛の刺身と、もう片方の手には大きな箱がぶら下がっていた。 ちょうど、もう後は父が席に就くだけというタイムリーな状況で、両手に抱えられたそれらの荷物に真綾だけでなく、悠太や菜穂も目を丸くした。 「ちょ、ちょっと、どうしたのそれ?」 真綾が驚いて思わず立ち上がると、テーブルのど真ん中に船盛りをどかっと置いた父は、もう片方の箱を床に据えると、汗だくのままふうふうと息を吐きつつ席につく。 「そりゃ、バースデーパーティなんだから、プレゼントに決まってるだろ!ほら、お前こないだ新しいパソコンが欲しいって言ってたじゃないか。」 確かに、随分前にそんな事を言った覚えがあったが、まさかそんな軽口を父がしっかり覚えているとは思いもしなかった。 それも、箱の大きさや包装からはみ出したパッケージに書かれている内容からして、どうやらかなり新しいモデルの、それもデスクトップパソコンらしかった。 「すげーーーー、いいなあ~~~~……。」 悠太だけでなく、菜穂もその経済力と思い切りの良さには圧倒されている様子だった。 以前の悠太との旅行の時もそうだが、普段の父は決して浪費家ではないが、使う時には躊躇なく大枚をはたく傾向があるようだ。 何という物量作戦だろう。 これで喜ばなければバチ当たりと言わんばかりの父流の愛情表現を前に、真綾は感謝を余儀なくされつつも、呆れた。 けれど、その呆れが、一時、父や悠太への蟠りを食事の間だけでも保留させてくれたのは却って助かった。 食欲は相変わらずそれほど無かったが、久しぶりに長い時間、家族と食事をし、とりとめのない会話を楽しんだ。 なんとか真綾に楽しい時間をくれようと、悠太はめいっぱいはしゃいだ声を出し、かと思えばしょうもない冗談を連発する父。 そんな息子と義息、そして真綾を曖昧な笑顔で見守っている菜穂。 そろそろ片付けでも、というところで菜穂の方から小脇に抱えられる程度の包みを渡された。 「お父さんのプレゼントに比べたら、些細だけど。私と悠太から。」 菜穂がそう言うと、悠太の方も小鼻を膨らませて母親の隣で真綾の表情を伺っていた。 なるほど、お母さんと二人で共同のプレゼントということにしたのか、と悠太にしてはオトナな判断に感心しながら真綾が包みを開く。 中からは両手で包めそうなサイズのクマのぬいぐるみが出てきた。 一見どこにもでありそうで、決して安っぽくはない丁寧な造りの愛らしいマスコットを、真綾は一目で気に入った。 菜穂からのプレゼント、というのも滅多に無い事で嬉しかった。 「わぁ、私ぬいぐるみってそんなに持ってないけど、これ、嬉しい。すごく可愛い。」 お礼を言う真綾に、菜穂も目を細めて頷く。 「姉ちゃん、それ、後ろ開いて、物も入れられるんだぜ!!」 確かに後ろの方に、埋もれて分かりづらいがジッパーが付いていて、それほど大きなものは難しそうだが、小物を収容できるようだった。 「はいはい、すごいね。悠太もありがとう。」 実質的にはほぼ菜穂からのプレゼントであろうが、悠太も少ない小遣いから頑張って出資してくれたのだろう。 あまり無駄遣いをしてほしくない一方、その気持ちが嬉しくないわけはない。 祭りの終わりが寂しいのか、まだ何か言いたそうな悠太を置いて、片づけを手伝ってから真綾はまた、自室に帰っていった。父親へのプレゼントのお礼を忘れずに。 ─── 猪瀬とのデートとは比べられるものではないが、稲葉家でのバースデーパーティも、真綾にとって楽しい想い出になった。 改めて父や、悠太、菜穂からの自分への愛情や親愛を感じられたし、やはり自分達はこの4人で家族であり、その事実は決して今後も揺らぐことはない。 その事がしみじみと真綾を失望の海に沈めていた。 やはり、3人には幸せでいてほしいし、愛してもいる。 けれど自分はそんな今の幸せな3人を見ていることがつらいし、やはりここにはいたくない。 愛しているのにもう会いたくないという自分の中の二律背反に何より失望していた。 あまり気力が湧かなくて、中途半端に開封したままの父からのプレゼントを放置してぼうっとしながら、菜穂からのプレゼントのぬいぐるみを手の中で遊ばせていた。 そのぬいぐるみは、お腹の辺りが柔らかくて、親指で押してやると弾力が心地いい。 何も考えずに夜長をそうして過ごしていると、ふと、指の腹に微かに奇妙な硬い感触を覚えた。 綿の中に異物でも混ざっているのかと思ったところで、真綾はこのぬいぐるみに収納スペースがあることを思い出した。 背中にあるジッパーをほじくり出して、音を立てて開いていくと、中からは小さな紙片の折りたたまれたものが出てきた。 手紙だろうかととりあえず手の中で開いていく。 開いてすぐ、小さな指輪もこぼれ出てきたが、まずはそこに書かれた文字を真綾は目で追った。 何のしゃれっ気も無い破れたルーズリーフの紙片と、そこに書き殴られた見覚えのある字から差出人は考えるまでも無く、一人しか思い当たらなかった。 『真綾お姉ちゃんへ』 真綾さんへ、お姉ちゃんへ。 何度も書き直したと思われる消しゴムの形跡の上にそう始まっていた。 『 おれのお姉ちゃんになってくれてありがとう。お姉ちゃんに会ってから、おれはずっとたのしくてしあわせです。これからもずっとおれのお姉ちゃんでいてください。悠太。』 悠太お手製と思われる指輪は、ビーズで作られたものだった。その指輪には見覚えがあった。 確か、父も似たものを結婚の時に悠太から貰っていた。けれど、その時のものよりも、気のせいか使われているビーズの数も多く、とても凝った意匠をしている気がする。 本当は、これを作るために練習していたのではとまで思えるほどに。 指で摘まんだその指輪を眺めているうち、シャツの胸元がぽと、ぽと、と濡れていくのに自分で気が付いた。 それは決して、嬉し涙なんてものではなかった。 悠太という少年の本質は決して以前と変わっていない。 変わった場所があるとするなら、それはきっと自分のせいだ。自分があんな願いを天に届けたから全てが狂った。 どんなに科学的にはあり得ないと言い張っても、今この場で起きている現実から導き出される結論には敵わない。 自分が望んだから、父は悠太を手に入れ、菜穂は息子の経済的安息を得、真綾が望んだ通り4人は家族になった。この歪かつ不法な関係に横やりを入れる者が現れる事すら無い。 決して誰かの不幸を望んだわけでもない。 むしろ、ただ自分達の幸せを望んだだけの自分がこんな酷い目にあうのはおかしい。ずっとそう思っていた。 けれど、もしこれが罰だとするなら、真綾はなぜ自分がその罰を受けなければならないのか、その理由がなんとなく分かってきた気がした。 それは、家族というものを妄信し、彼ら3人を自分に都合の良い家族像へと縛り付けようとした自分の拙い願いに対する罰なのではないか。 ずっと家族4人で幸せに、と言葉にするだけならただの無邪気な子供の願いだ。 しかし現実には時間の流れというものがあり、自分を含めて全てのものは永遠不変ではいられない。 猪瀬という彼氏が出来た今の真綾にはその事はよくわかる。 ずっと4人で幸せになどとその口で言っていた自分自身が、いつか好きな人と結婚して家を出ていく。 そこに行きついた時点で、自分の願いがいかに夢想じみたものであったかがわかる。 その夢想を強引に叶えた結果がこの現状であり、真綾の自縄自縛であり、自業自得であると言えた。 3人はその犠牲者だ。 今まで真綾があえて遠ざけていたその結論を、悠太の真心の手紙が改めてこの場で突きつけてくれていた。 お姉ちゃんになってくれてありがとう? これからもずっとお姉ちゃんに? 悠太にそんな事を言ってもらう資格が自分にあるのか、もう分からない。 自分がお姉ちゃんなんかにならなかったら、悠太は健全で健康な普通の男の子のままだったのに。 しばらく涙を流すだけの時が続いた。 貰った指輪を嵌めてみる気にもならなかった。 何の神がかりも無い自分の力では時間も戻せなければ、元の稲葉家と白井家の関係にも戻せない。 なら、今の悠太の心からの願いであろう、悠太のお姉ちゃんであり続けて欲しいという願いだけは、自分の力で叶え続けていこう。 この3年、悠太と過ごしたしあわせな日々をまざまざと思い起こしながら考えて、考えて、涙も枯れかけたところで、真綾はそういう結論に達した。 ─── 「おはよーーーー」 「うん、おはよ。姉ちゃんのハムエッグ。ちゃんといい感じに半熟にしといたぜ。」 バースデーパーティからさらに数か月。 朝の悠太のエプロン姿もすっかり当たり前になり、料理の腕も随分と上達していた。 父の好物のオムレツも、綺麗な黄白色の光沢を放ち、箸を挿せば中はとろとろに仕上がっている。 稲葉家の嫁として、妻として母として、悠太はすっかりこの家の一員になっていた。 朝ご飯とコーヒーだけでなく、夫と義娘、時には実母のお弁当もしっかり用意し、宿題の合間に掃除も洗濯も炊事もこなす。 当然真綾も手伝いはするものの、悠太の手際は時に真綾も感嘆させるほどだった。 まだランドセルをしょって登校しているとは思えない、良妻に成長していた。 悠太の良いお姉ちゃんであり続けよう、そう心に決めていたにもかかわらず、このままでは追い越されてしまいそうだ。 自分ももうちょっと家事の腕を上げよう。猪瀬の為にも。 それはそうと、とエプロン姿でちゃかちゃか働く悠太を慈愛の笑顔で眺めていた父の隣に座り、小声で耳打ちする真綾。 「ちょっと……お父さん………っ…あんまりこういう事言いたくないんだけど……」 そう前置きして、真綾は父を軽く睨みながら続けた。 「昨夜の悠太の声、ちょっと大きすぎたよ……?まだ新婚だから分かるけど…悠太だって忙しいんだから、あんまり無理させちゃダメだってば。」 こんな事、身内の口から絶対に言いたくはなかったが、他に言える人間がいないのだからしょうがない。 一体どんな仕打ちをしていたのかはしれないが、昨晩壁越しに響いてきた悠太の身も世も無い、思い詰めたあの啼き声には、真綾も大いに参ってしまった。そんな悠太の声の合間を縫って聞こえる、父の煽り声にも。 そんな娘からの野暮な追求に、父は一瞬面食らうと、次には赤いにやら笑いを浮かべて後ろ頭を掻いた。 「いや~参ったなぁっ……わかってるけど、悠太が可愛くて、昨夜はついついノっちゃってな、いや~~~~お父さんも、まだまだ若いなっ…ハハッ」 そんなでっかい中年腹抱えて何言ってんだか、思わず肩を竦める真綾。 父は茶化し混じりでいるけれど、割と重要な問題だった。 なにせ、もうすぐ悠太の母の菜穂もこの家で同居することになるのだから。 大好きなお母さんとまた一緒に暮らせる、と悠太も喜んでいるのだから、早急になんとかするべき問題ではある。 「ごはんごはん~。」 皆の支度を終えると、ようやく自分の朝食にありつく悠太。 あーんと口を開けて即席のハムトーストを元気よく食む悠太に真綾も父も和んでそれを見ていた。 「あれ、悠太。なんか、ちょっと太った?」 何気なく思った真綾はそう言って改めてじっくりと見ると、悠太の方は少しバツが悪そうにトーストから口を離す。 「えっ…そうかなーーー?」 一度思ってみてみると、健康的という言葉で収まる範疇ではあるものの、以前より割とほっぺたがふっくらしているように真綾には感じられる。 「そうか?お父さん的には、今ぐらいの肉付きでちょうどいいと思うぞ。お腹の方もむっちりしてて、揉み心地とかもばつぐ………」 真綾に睨みつけられて黙りこくる父。 けれど、確かに父の言う通り、健康を気にするほどではない。成長期になって背が伸びればまた細くなってくるだろうし。 ハムトーストを綺麗に平らげたかと思えば、今度はみかんを1つ2つ剥いては、パクパクと口に放り込んでいく。 「みかんそんなに好きだったっけ?悠太。」 「うん?うん。最近、好き。」 「おう、みかんかぁ。みかんは健康にいいぞ。これからの季節、風邪も引きやすいしな。」 そんな普通の家庭のやりとりを、ギクシャクもせずにこなせるようになったのは、成長というべきなのだろうか。 一時期に比べれは、この家族での生活を苦痛に思う気持ちは少なくはなっていた。 ただ、いずれ自分はやはりこの家を出ていこうと思ってはいるが。 3人といるのが嫌だから、ではなく自分の為にもっと外の世界に触れて成長できるように。 その為に父にお願いしてどこか遠くの良い大学に入って、下宿して。 閉鎖したべったり仲良し家族、ではなく適度な距離感を保って3人とはこれからも良い家族であり続けたい。 「しかし、肉付き良くなって、すっぱいものが食べたくなる、なんて…まるで赤ちゃんが出来たみたいだなぁ~。」 殊勝な事を考えていた真綾の思考に、またも父の野暮な言葉が突き刺さってくる。 「えっ……赤ちゃん?」 きょとんとする悠太の無垢な表情に、父はスケベ心をそそられたのか、鼻の下を伸ばしながら、顔を覗き込んで続ける。 「ははは、もし悠太のお腹に俺の赤ちゃんが出来たら、真綾の弟か妹だなぁ。」 「えーーー…やだよぉ、赤ちゃん産むとか、こわいもん。おれ、男だし。」 「そーよ。男の子に産めるわけないでしょ。」 呆れながら、父よりも一足早く家を出る真綾と悠太。 二人っきりになるや早々、真綾は眉間に皺を寄せた表情を隠そうともしなかった。 「もーー、ほんと最近のお父さん、調子に乗っててイヤ。悠太も、イヤな事はイヤってちゃんと言わなきゃだめよ、甘やかすから。」 「えーーー?うん。」 姉弟であり、義母と娘の関係で仲良く並んで歩く。 とはいえ、一緒にいられるのは途中までで、駅から電車に乗る真綾とはそこで別れる。 「ねーちゃん、今日何時頃帰る?おれ、今日は早く帰れるから、家の事しとくよ。」 「そうだねぇ。もしかしたら、猪……友達と遊んで帰るかもだから、任せてもいい?」 「うんっ」 家の外にいる時だけは以前の悠太と変わらない接し方が出来る。短いが、貴重な時間だった。 手を振って悠太と別れ、ホームに出るといつもと同じ時刻、同じ場所にいる猪瀬と落ち合う。 悠太にだけは、近いうち猪瀬の事を話したい気持ちがあった。 でも、まだうっかり漏らしかねない子供のうちはお預けかもしれない。 満員電車の中で、人の波の内を彼氏の胸に頼りながら、真綾の表情には優しい笑みが浮かんでいた。 ─── 姉と別れて程なく、小学校まで向かう道中。 当の悠太は一人で立ち留まって俯いていた。 きょとんと唇を尖らせながら、シャツの上から上腹部を擦る。 さっきから、なんだかぽこぽこと、あったかい感触が身の内を擽っているような気がした。 自然と、家を出る前に言われた赤ちゃん云々の冗談を思い出して当惑してしまう。 赤ちゃんを産むなんてこわいに決まってる。 でも、弟か妹が欲しいなぁ、とは、以前から悠太が漠然と願っている事だった。 真綾が、「姉ちゃん」が自分にそうしてくれたように、自分にもお兄ちゃんのように可愛がり、慈しむ対象が欲しいとずっと思っていた。 けれど、さっき真綾が言っていたように男が赤ちゃんを産むなんて出来るわけがない。 特別な、それこそ神様のような不思議な力でも働かない限りは。 「お、悠太!おはよーっす!なんで、そんな変な顔してんの?」 1人で舌を出しておどけていると、ちょうど通りかかった友人に肩を叩かれ思わず声を上げる。 「おはよーーー、うっせーな、ヘンな顔じゃねえよぉ。」 「あれ?悠太、なんか太った~?体、やわらけぇ~~~。」 「太ってもねーしぃっ!」 けらけら笑って後ろから胸板を鷲掴む友人にも、悠太はこそばゆさに身を捩って喚きたてた。 ひとしきりじゃれあいながらいつもと変わらない通学路を駆けていく男児達。 果たして、悠太のお腹の中には新しい家族、新しいしあわせは訪れているのだろうか。 それはまだ誰の知るところでもなかった。 「しあわせかぞく」 おわり

Comments

こんばんはHirokiさん! しあわせかぞく、というタイトルですからね、ハッピーエンドにしなくては、うん☺

烏川

このシリーズ大好きです!最高でした! ハッピーエンドで良かったです(しみじみ

Hiroki


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