満月が、荒野を白々と照らしていた。
乾いた夜風が砂塵を巻き上げ、冷たく頬を切り裂く。
その荒涼とした舞台で、パンは膝をつき、胸を押さえながら荒い息を吐いていた。
視線の先に立つのは、圧倒的な力を誇る敵。
一歩ごとに近づくたび、空気は鉛のように重くなる。
「くっ……! 全然歯が立たない……!」
拳も蹴りも、エネルギー弾すらも、かすり傷ひとつ与えられない。
額を伝う汗が、砂に吸い込まれて消えていった。
敵は冷ややかな笑みを浮かべ、悠然と歩を進める。
「どうした、小娘。孫悟飯の娘と聞いていたが、この程度か?」
胸を突き刺す言葉と暴力に、パンの心身が揺らぐ。
無力感に押し潰され、岩に背を預けるその身体――。
――ドクン。
突如、体内を得体の知れない衝撃が駆け抜けた。
背筋に熱が走り、腰の奥が鋭く痺れる。
「……っ!? な、何……これ……」
尾骨に灼けつくような痛みが走り、パンは呻き声を漏らした。
次の瞬間、皮膚が内側から押し広げられていく。
「うぁっ……!」
骨が軋み、肉が裂けるような痛み。
だが同時に、熱が全身を包み込む。
背骨の奥から解き放たれるような感覚――。
「な、なんで……こんな……!」
ジーンズを突き破り、尾骨から伸び出した茶色の毛並みが、月光に照らされて輝く。
一本、また一本と毛が芽吹き、しなやかな尾を形作っていく。
痛みに身を震わせながらも、パンの口から思わず甘い吐息が漏れた。
「はぁ……っ、あ……!」
裂けるような痛みの中で、同時に甘美な熱が全身を駆け巡る。
気づけば、口元から涎が一筋、頬を伝い落ちていた。
「……っ……ん、あ……」
だらしなく垂れる涎に、パンは気づく余裕すらなかった。
その無防備な姿は、敵にさらなる欲望を掻き立てていく。
敵の口角がいやらしく歪む。
「やはり尻尾が生えたか。危機に瀕したサイヤ人の本能……。悟飯がかつてベジータと戦った時と同じだ」
「パパが……?」
驚愕に目を見開くパン。
――と同時に、視界に忍び込む白銀の光。
荒野を吹き荒れる風の中、尾がゆらりと揺れ、奥底に眠る血を呼び覚まそうとしていた。
――ドクン、ドクン。
胸の鼓動が加速する。
鮮烈に輝く満月が、視界に焼きつこうとする。
「ダメ……! 見ちゃダメ……!」
パンは咄嗟に顔を伏せ、必死に地面を凝視した。
(見たら……ダメだ……!)
父から聞かされていたサイヤ人の特性が、頭の奥で赤い警鐘を鳴らす。
過去、祖父が変化した姿が脳裏をよぎり、満月を見たいという本能を必死に抑え込んだ。
だが――。
背後から襲いかかる鋭い力。
「っ――!」
敵の手がパンの尻尾を掴む。
「うぐっ……!」
雷鳴のような激痛が全身を走り抜け、力が抜けるのを感じる。
尾――それはサイヤ人にとって力の源であり、同時に致命的な弱点でもある。
敵は愉快そうに低く囁いた。
「やはり効くな……。生えたての尻尾はより敏感だと聞くぞ。」
「や……だ……っ、はぁ……!」
えもいれぬ快楽に悶えながらも、必死に抗おうとあがくパン。
だが、敵は容赦なかった。
目の前のメス猿を虐めてやりたい衝動が高まり、尻尾を握りしめたまま顔を掴む。
そして両の指で瞼をこじ開けた。
「目を開けろ。見ろ……あの月を!」
「うう……!」
必死の抵抗も虚しく――。
――ドクン。
そこにあったのは、荒野を覆い尽くすほど鮮烈な満月。
「っ……!」
瞬間、全身を圧倒的な衝撃が駆け巡った。
背中が震え、胸が焼けるように熱を帯びる。
――ドクンドクン!
パンの意識は遠退き、体はもはや言うことを聞かない。
腰の尾が荒々しくうねり、筋肉が盛り上がっていく。
髪が逆立ち、瞳が赤に染まる。
敵は満足げにパンを放し、ゆっくりと後退した。
「フフ……始まったな。これが――大猿か」
パンの喉奥から、抑えきれない獣の咆哮が荒野に轟く。
夜空の下、避けられぬ変身が進んでいく――。
轟音のような咆哮が、夜空を切り裂いた。
パンの赤く光る瞳には、もはや人の理性など一片も残されていない。
そこにあるのは、純粋な破壊衝動――サイヤ人の獣性そのもの。
「ガアァァァァァァッ!!!」
大地が揺れ、岩山が音を立てて崩れ落ちる。
巨大な拳が振り下ろされ、地表に大きなクレーターが穿たれた。
荒野を覆う砂塵が爆発のように舞い上がり、夜空を曇らせる。
敵はその圧倒的な暴力を前に、笑みを浮かべていた。
「フフ……これだ。これこそが、サイヤ人だ……!」
パンの尾が唸りを上げて振り回される。
たった一撃で、数百メートル先の巨岩が粉々に砕け散った。
その衝撃波に、周囲の岩々も連鎖的に崩れ去る。
「グオオオオオォォッ!!」
牙を剥き、涎を垂らしながら、パンは暴れ狂う。
足音ひとつで地面が陥没し、砂塵と衝撃が敵へと襲いかかる。
敵は微動だにせず、その暴風を受け止めながら呟いた。
「いいぞ……理性を失え。お前はもはや、ただの獣だ。」
しかし、パンの耳には届かない。
荒ぶる心臓の鼓動と、血が滾る音が全てを支配していた。
――ドクン、ドクン、ドクン!
紅蓮の瞳がぎらりと光り、敵を見据える。
次の瞬間、その巨体が跳躍し、轟音と共に拳を振り下ろした。
「ガアァァァァァァッ!!!」
大地が裂け、暗闇の荒野が地獄と化す。
パン――その名を呼ぶ者も、今や彼女に届かない。
そこに立つのは、ただ一頭の暴走する大猿。
夜空の下、誰も止められぬ破壊の獣が解き放たれていた――。