みなさんどうもです!さかいです!
今回もさかいが最近読んだ本の感想をつらつら書いていきたいと思いますので、お時間ある方は見てもらえると助かります!
読書感想文に困ってる学生も良ければ参考にしてね!
それでは、どうぞ!
・自由研究には向かない殺人(ホリー・ジャクソン)
ミステリ小説。
イギリスでベストセラーとなったものらしく、かの小島秀夫監督も本書の続編をお勧めされていたので、まずは一作目から、と手に取ってみた。
主人公のピップは高校生。
自由研究のテーマに自分の町で5年前に起きた少女失踪事件を選ぶ。
事件の犯人とされた少年は少女を殺して自殺したと警察は発表。
しかし少年の知人であったピップはそんなわけはない、と無実を証明するために自由研究のていで関係者にインタビューをして真相を探っていく、という内容。
機転の利くピップが様々な手法で情報を集め、状況が二転三転していく様はまるで洋画のサスペンスのようだった。
SIMカードやwordソフトの印刷設定、SNSなど現代的なギミックが多く使われていて、今の時代の作品だなぁ、と感じる。
逆に言うと、10年、20年後にこの本を読むとギミックにピンと来なくなるかも、と思うと今この時代にリアルタイムで読めたことは幸せだったのかもしれない。
そういった「小物」の使い方が上手く、ただの高校生が警察以上の捜査力を発揮する、という物語のネックになる部分に説得力を持たせていたのは本作の魅力の一つだと思う。
「真実に向かおうとする意志」の尊さを前向きに描く明るい人間賛歌で、機会があれば続編も読みたいな、と思った。
・ないもの、あります(クラフト・エヴィング商會)
ショートショート。
クラフト・エヴィング商會という半創作の会社が「堪忍袋の緒」や「舌鼓」のような言葉としては存在するけれど実物はないものをあなたの元に届けます!といったコンセプトの小話集。
人を食ったような短いお話がたくさん入っているという、本当に何も考えずに読めるタイプの本。
気分転換したい人用。
・阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし(阿佐ヶ谷姉妹)
エッセイ。
阿佐ヶ谷姉妹のノンビリしたスローライフの様子や二人のキャラクターを覗き見ることが出来る。
顔が似ているといわれる二人だけど実はけっこう性格や好みは違っていて、えりこさんの方がわりと面倒見がよくおっとり系、みほさんの方は我が道を行くはっきり系と、文章からもにじみ出ているのが面白かった。
二人の人柄から、地元・阿佐ヶ谷でも(二人とも阿佐ヶ谷出身じゃなけど)沢山の人に愛され生活する様は、現代において貴重になった昭和の助け合いの生きざまであり、こういった愛される人柄こそコミュニティで生きていく根幹なのだと再認識させられた。
ギブアンドテイクにおけるギブを皆がし合うような、ほっこりする日常の1ページを見せてもらった。
・勉強の価値(森博嗣)
「すべてがFになる」「スカイ・クロラ」などの著作で有名な森博嗣さんが勉強に関して論じている本。
学校の勉強がつまらなかった、という思い出を持つ大人は多いと思うが、そんな人たちも親になると自分の子供には「勉強しなさい」と口をそろえて言う。
しかしそういった大人はえてして勉強することをやめてしまっていることが多く、子供に自分が勉強している姿を見せたりはしない。
自分が勉強している姿を見せることが、なによりも子供に影響を与えると知っているにもかかわらず。
このような「勉強とは子供時代に行う苦行のようなもの」という考えに対して、本質的な勉強というもののもつ効用を説いていた。
結論としては「自分の思考の中にしかないものを創造的に表現する」ことが重要であり、勉強とはそのためのプロセスである、というものだった。
つまり勉強とは自分の興味のある物事や分野に関して、アイディアや新しい着眼点をもたらすためのものであり、それ自体は重要ではあるが、結局は手段に過ぎないという事。
いわゆる今の学校教育で行われる「勉強」は受験などの競争で勝つためや就職で有利になるため、または社会的な成功者になるために行われていて本質的ではなく、答えのない問いに対して答えを導き出せる力を養う事こそが勉強の本質だと本書で表していた。
森博嗣さんと言えば研究職もされてきたガッチガチの理系人間で、自分とは真逆の人間性なのかな…と思っていたから、本書を読んでみてびっくり。
得意科目とかは全然違うし、僕はここまでピーキーではないけれど、それでも非常に自分と近しい価値観だな、とこの本を読んでて思った。
他人を気にしたり、他人と競争したりする必要は人生において全くない。自分がなすべきことの為に学びを得る。
アドラー心理学にも近い考えだけど、結局、これが全てなんだと思う。
例えば僕が絵や漫画の上達の為に勉強するのは、僕に成したいことがあるから。
そこに他人は関係ないし、別に誰かと競っているわけでもない。
いいねの数やフォロワー数という、数字で可視化され、成果が他人と簡単に比較できてしまう現代だからこそ、こういう自分の軸をしっかりと持つ考え方は大事だと感じた。
・愛するということ(エーリッヒ・フロム)
思想書。
以前読んだ「アーモンド」という小説にこの本のことが触れられていたので、読んでみた。
「愛」というと恋愛とかをパッと想像しがちだけど、この本の指し示す「愛」は親子や友人、コミュニティへの愛なども含めての包括的な「愛」という概念に対して語っていた。
人が愛されたい、愛したいと思うのは「孤独、孤立から抜け出す」ためであり、そこに安心感を得るためである、という。
しかしこういった「孤立を避けるための愛」は一種の社会契約、言ってしまえばギブアンドテイクのようになってしまい、これが自分に与えられなくなると「俺はこんなに愛しているのに、どうして愛してくれないんだ!」というような不満につながる。
もちろんこれは非常に幼稚な愛の形であり、一種の依存関係といってもいい。
本当の愛とは、お互いが自立し、そこに信頼を感じることで育まれる、無償の愛にも近い人間関係にある。
しかし今の社会では「私にとってあなたが必要だ、だから愛する」といった、自分に都合がいいから愛している、という手段と目的が逆転した愛が氾濫している。
これは資本主義的な市場原理が社会に浸透しすぎた結果、公平に価値は交換されるべきという考えが頭の片隅にあるせいだと指摘。
本当の愛は「私はあなたを愛している、だからあなたが必要だ」という、全く逆の発想の上に成り立っている。
つまり愛とは「まずは自分から与えなければならない」ものであり、そこに打算などを含まず、無条件に与えるべきものである、ということ。
自分本位だったり自己中心的な考えの人はこの「まず与える」ということが出来ないことが多く、相手に自分の都合を押し付ける。
しかし人間は完璧な存在ではなく、だれもがダメな部分を持ち合わせている。
自分の都合に100%マッチするような人間はこの世に存在せず幻想にすぎないので、結果、自己中心的な人や自分本位な人は愛を育むことが出来ない。
そういった部分も含めて、相手を尊重してこそ愛であり、そうしなければ、本質的な意味で愛されるという事はない。
では、どうすればこのような「愛」を習得できるかといえば、そこには「信念」が必要であると書かれていた。
自分から愛を与える行為にはその見返りが返ってこないというリスクが伴う。
しかしそれでも、他者の人生、そして自分や他者を幸せを願い自ら愛を注ぐ行為には相手を信じ、そして自分を信じるという行為が不可欠であり、この信じることこそが「愛するという技術」であると本書は語っていた。
ようは「自分の人生に信念をもって生きろ、そうすればそこに愛は育まれる」という哲学っぽい話で、いわゆる宗教学や哲学、心理学は最終的に似た着地点になるな、というのが読んだ感想だった。
あらゆる先人たちが似た思想を持つという事はやはりこれが本質的な内容であり、思考の到達点である、ということなのだろう。
とはいえ、だからといってそれを知る好奇心を失いたくないというか、知った気になりたくないというか、無知の知を失いたくはないので、これからも興味の赴くままに学んでいければと思う。
以上になります!
夏コミが終わり、これから冬コミに向けて活動していくのでまた読書量が減るかもしれません!
それでも月に一回はレビューを書きたいと思っていますので、また良ければお付き合いいただければ嬉しいです!
それでは、また!
さかいワカ
2022-09-09 05:43:47 +0000 UTCオフニャんこ
2022-09-08 10:37:37 +0000 UTC