ここは都内のとある公園前交差点ー。
「なんか今日人多くね!?」
「あぁ…なんかのイベントかなぁ?」
往来する人々は、普段とは違う街の光景に違和感を覚えている。
人の多さ、停車する車の数、ビルの裏には隠しきれない人の気配…その街角だけが異様な雰囲気に包まれていた。
そんな異質な空間の中心は、一軒の花屋だった。店の軒先きまで所狭しと並べられた花や植物は色ごとに綺麗にレイアウトされ、大きく目を引く観葉植物がディスプレイされていた。
そのお店に、明らかに客とは思えないような黒いスーツ姿の男性達が入っていく・・・。
「泉亜樹さんですね。」
「はい。」
「私達はこういう者です。」
男性の一人が胸ポケットから取り出したのは、警察手帳だった。
「ご同行・・・頂けますか?」
「はい。」
男性達は公安の警察官だった。そして泉亜樹(いずみあき)と呼ばれたその女性は、全てを悟っていたかのように「はい。」と一言だけ返事をすると、一切の抵抗もなく彼らの要請に応える。
「ご家族は?」
「主人は今、商品の配達に出ています。娘は留学中です。」
「そうですか・・・今回、政府から特別措置が取られる予定ですので、もう二度とご家族と顔を合わせる機会はありません。ではこちら・・・手錠をしても宜しいですか?」
手錠を取り出す警察官。場の空気が瞬く間に張り詰める。
「どうぞ。」
しかし、彼女は何事もないかのように両手を突き出し、手錠をかけられ、そのまま護送車に案内される。
彼らの一人が安堵した表情を浮かべるが、「やめろ!」と油断を制止するように険しい表情のまま叱る。
程なくして護送車は発車され、それを取り囲むように多くの車が続く。
一連の逮捕劇・・・僅かではあるが現場の張り詰めた空気が融和されたようだった。
「泉亜樹…都内で花屋を経営する37歳の女性。彼女の逮捕の為に300人以上の捜査官が果たして必要だったんでしょうか?」
そう呟くのは、泉亜樹に手錠をかけた若めの刑事…畠昌也(はたけまさや)だ。彼は捜査部に派遣されて間もなかったが、格闘技のスペシャリストだった為、最前線に抜擢されていた。
「当たり前だ。もし、彼女が抵抗でもしたら、俺らの血で海になっていたかもしれない。」
そうこたえる年上の刑事は棚倉秀昭(たなくらひであき)だった。
「本当に信じられませんよ。」
「彼女がこれまで1000人以上の人間を殺めてきた凄腕の殺し屋なんて・・・」
「その界隈で有名になると、逮捕したくても出来ないもんだ。」
「何故ですか?」
「国際機関から横槍を入れられる…゛彼女に仕事を依頼したいので勝手に縛るな゛ってな。」
「じゃあ、どうして今回は?」
「國村泰正(くにむらやすまさ)…元警察官殺害に彼女が大きく携わっているからな。今回は警察も本気だ。横槍を入れられようが、何が何でも彼女から聞き出す構えだからな。」
元警察官の國村泰正は、ある事件の容疑者として、書類送検され、その道中に何者かによって殺害されてしまう。
ある事件とは、南洋諸島のとある国で起きた大使館立てこもりテロ事件…10人以上の邦人も巻き込まれてしまったとされるその事件に関与していたとして、國村は書類送検されたのだったが、送検中に殺害された為、事件の真相は闇に沈んだと思われた。
しかし、ここに来て國村を殺害した殺し屋が、泉亜樹との情報が特別捜査本部に舞い込んできた。止まっていた時計の針が音を立てて動き出したかのように、捜査は動き出し、今回の大捕物に至ったのだ。
要するに捜査本部の目的は、泉亜樹の逮捕ではなく、彼女が殺害した國村泰正が関与したとされる大使館立てこもりテロ事件の解明を進める事だった。
その為のキーパーソンとなるのが、彼女…泉亜樹だった。
ここはとある場所にある尋問室ー。
「あなたが殺した國村泰正という男のことを覚えていますか?」
「いいえ。」
「あなたが殺した相手ですよ。」
「仕事の事は忘れるようにしています。」
「ではいい方を変えます。あれを持ってきて下さい。」
尋問官が指示して持ち込まれたのは、分厚いファイルが3冊・・・。
「これはあなたの家の金庫から見つかったものです。ここにNo.0001からNo.1427まで人の情報が詳細に書かれていました。
これは・・・これまであなたが殺してきた相手の情報ですね。」
「そうです。仕事のことを忘れる代わりに、こうやって詳細を記録してきました。
ですので私を尋問するより、このファイルを見た方がわかると思います。」
「1427番ということですが、あなたがこれまでに殺した人数は1427名ということですね。」
「そうですが、それはあくまでターゲットの数です。周りの取り巻きも含めたらもっと多くなるかと思います。」
彼女に対する尋問は今なお続いているが、その様子を別の部屋から捜査官達は見守っていた。
「何故こうも他人事のように喋れるんでしょうか?彼女は人を殺してるんですよ!あまりに達観し過ぎています。」
捜査部の畠昌也は静かに呟く。その表情は怒りに満ちている。
「まあな・・・でも情報によると、その気になれば、彼女はここから出ていくこともできるそうだ。手錠なんか役に立たないらしい・・・じゃあ何故、あんなに大人しくしてるのかって話だ。そこに何か意図があるんじゃないか?」
上司の棚倉は腕を組んだまま考えている。
「あっさりと警察に捕まったのには理由があると?」
「そういうことだ!そして、彼女はファイルを見ろと言っている・・・これは彼女の言う通りにした方がいいんじゃないのか?」
「もちろん見てますよ!ファイルNo.1116に國村の名前が書かれています!」
「その前後も含めて調べていかなければならないな!それで彼女の足取りも把握出来るはず!よしっ、調べるぞ!」
と、捜査官達の方針も決まり、特別捜査本部長号令の元、ファイルの内容に伴った捜査が開始された。
ファイルに記された場所や人物、あらゆる箇所に捜査官達が派遣された。
「畠!!お前の仕事はこれだ!!」
捜査官の畠は、上司の棚倉に呼ばれ担当する捜査の内容を伝えられる。
「ファイルNo.0001から全て内容を読み返せ!それで、泉亜樹の情報を頭の中に詰め込ませろ!お前が彼女について何でも知ってるみたいな雑学王になれば、お前の意見が捜査に生きる!」
「えぇッ!!1427人全部を読み返すんですか!?そんなの受験勉強以来ですよ!!」
「人を使ってもいいが、出来ればお前だけで読み返して、お前なりに理解を深めろ!」
こうして、捜査官の一人…畠昌也刑事は、殺し屋…泉亜樹が書き残した殺人ターゲットファイルを一つ一つ読み返すことになった。
泉亜樹が殺し屋として仕事を始めたのが〇〇年〇月〇〇日…彼女が15歳の時だった。
そこから22年間書き続けてきたこのファイルを読み解くことで、彼女が歩んできた殺し屋としての人生を把握することが出来る。その大役を任されたのが、畠刑事だったが、この時の彼は、彼女に対しては殺人鬼という感情しかない。
しかし、今後彼はファイルを読み進めていく事で、彼女に対してどんな感情の変化が見られるのか?
この時はまだわからなかった。
とにかく、ファイルを読み進めていくしかない。
ファイルを開ける。
ファイルNo.0001・・・
鈴川慎也(すずかわしんや)24歳・・・