住吉埼葛(すみよし さいか)、22歳。
大学でスポーツマネジメントを学び、大学卒業を控え、某有名スポーツ用品メーカーから念願の内定。
「これで俺も勝ち組…!」
そう思っていた。3月某日――ニュース速報が流れる。
『○○スポーツ、負債総額900億円で破産手続きへ』
そして届いたのは、人事からの一通のメール。
『入社予定は白紙とさせていただきます。あなたの未来に幸多からんことを』
まるで祝電のような呪詛文に、俺のメンタルは崩壊する。
親から「とりあえず地元に帰って来い」と言われ、帰ってきたものの、流石にここから直ぐに気持ちを切り替えて、活動を始める気力はない。少し考える時間がほしいと思っていたところに「ジムを手伝ってみたら」と提案された。向かったのは、祖父が経営するジム――いや、廃墟一歩手前のボクシングジム『サンダー拳ジム』だった。
久々に見る祖父・住吉雷蔵(すみよしらいぞう)は元気だったが、ジムは元気じゃなかった。
サンドバッグは裂け、リングのロープは垂れ下がり、トレーニングマットには謎のカビ(緑色)。
唯一、やたらと元気なのは――
「このストレートに、夫への未練と税金滞納分を全部乗せる!」
グレーのスパッツに、Tシャツは元ダンナの遺品(らしい)。
パンチのたびに人生を語る34歳・未亡人の奈良井綾子(ならいあやこ)。
彼女の存在が、ジムの“唯一の会員”であり、祖父の“最大の希望”だった。
「お前、今やることないだろ?なら、ここのリングで人生をリスタートしろ!」
祖父の雷蔵からはそう言われたが、要するにこの潰れかかったジムの経営面やマネジメントの管理を手伝えということだった。
・・・確かに、失うものはないけど・・・
そう考えながら、唯一の会員である奈良井さんに挨拶する。
「私夢があるの。ミックスボクシングで、私の“人生の負債”にリベンジしたい」
「どこに向かってます…その拳…?」
彼女の夢は、リングで“現実”を殴り返すことらしい。
「そうだ!その精神が己を強くする」
腕を組み、そう言いながら、祖父の雷蔵が横を割って話に入ってきたが、俺は二人の言葉に1ミリたりとも共感はできなかった。
「今の時代は、未亡人だよ。逆境を背負った女が一番強い!」
「いや、商業的にも倫理的にもアウトでは…?」
俺は心の中で思う・・・(このジム、終わってんだろ)・・・。
しかし、彼女は真剣だった。
「私、このジムを再建して“ミックスボクシング界の女王”になるの。夢はでっかく、“負け犬再生プロジェクト”ってことで、よろしくお願いします!埼葛さん!」
「…タイトルがもう負けてる気がするんですけど……。」
要するに、病で夫を亡くし、人生の絶望を味わった彼女が、この潰れかけのジムとともに再起をかける・・・ということだけはわかった。
とりあえず、俺の新しい現実は、夢追う未亡人のマネージャー兼リング設営係に成り果てた。
舞台となるのは、俺の実家がある地方都市・雨降町(あめふりちょう)
観光資源ゼロ、PR予算もゼロ、町の平均年齢は57.6歳。
そんな町が、地方創生プロジェクトの一環として「格闘イベント」を導入することを決定した。
タイトルは――
『喧嘩上等!どローカル・ファイト・フェス』
若者呼び込みの目玉企画として組まれたのが、男女混合ミックスボクシングマッチ。
なぜか真っ先に声がかかったのが、当ジム所属の奈良井綾子だった。
対戦カードの発表に、俺は耳を疑う。
・・・対戦相手は、地元の名士・柴崎達夫(しばさきたつお)45歳。タクシー運転歴25年、離婚歴3回。パンチと家庭に定評あり!・・・
「いや、それPRになんねぇだろ!!」
イベントの告知ポスターには、何故か綾子さんのボクシンググローブ姿の全身写真が使用されていた。
ウエストのくびれ、意外としっかりしたヒップライン。
それを見た町の男たちがソワソワし始める。
「奈良井さん、まだまだイケるよな……」
「この前、商店街で汗だくのトレーニング帰りの姿見たんだわ……あれは……ヤバい……」
俺は内心思った。
(おいおいおい、これじゃあ、町おこしじゃなくて、町のおっさん達の股間起こしてんじゃねぇか!?)
試合当日。セコンドとして準備を進めていた俺のもとへ、祖父・雷蔵がニヤニヤしながら近づいてきた。
「綾子ちゃんはな、お前が思ってるよりもずっと、強いぞ。」
「そうなの・・・?」
「声掛けて、激励してやれ。」
祖母に言われてやってきた控室では、綾子さんは手をぐっと握りしめながら集中しているようだった。
「対戦相手の達夫さんは、昔私の親戚に借金してトンズラしたの。今日、それを返してもらう。拳で!!」
俺は戦慄した。
まさかこの試合……個人的な“負債の清算マッチ”だったのか――ッッ!!
「ママ〜!!」
控え室の扉がノックもなく開いた。
現れたのは、リュックを背負った少し生意気そうに見える少女だった。
「ママ、かっこよくなきゃダメだからね。」
「任せなさい!!」
綾子さんと少女はお互いに笑いながら、軽くグータッチを交わしていた。
この少女の名前は、奈良井 日和(ならい ひより)小学4年生の10歳だ。
もちろん、綾子さんの一人娘で、今は日和ちゃんとの二人暮らしをしている。
綾子さんは昼間、介護施設で働いており、夜遅くまで勤務が続くことも多い。
そのため、日和ちゃんは放課後、学校帰りに直接『サンダー拳ジム』に顔を出し、母の帰りを待つのが日課になっていた。
ジムは正直、託児所の代わりとは言い難い環境だが——
日和ちゃんにとっては“第二の家”のような存在であり、何より祖父の雷蔵の存在が大きかった。
元・世界チャンピオン(自称)の雷蔵にとって、日和ちゃんはまさに天使そのもの。
「今日もよう来たのう、ひよちゃん!おじいちゃん、特製プロテインゼリー冷やして待っとったぞい!」
「ありがと、雷蔵おじいちゃん。でもタンパク質の過剰摂取は腸内環境の乱れにも繋がるから程々にね!」
「おぉ、よく知ってるね〜?日和ちゃんは偉いなぁ〜!」
「うんッ!”子供の学習”っていう本で読んだの〜♡」
・・・日和ちゃんは聡明で落ち着きがあり、大人顔負けの観察眼を持つ少女で、内心俺はビビっていた。
「じゃあ、ちょっと打ち合わせがあるみたいだから行ってくるね!」
「うんっ、行ってらっしゃい!」
綾子さんが試合前の最終打ち合わせで席を外すと、控え室には俺と日和ちゃんの二人だけとなった。
・・・しばしの沈黙。
少女は、手に持ったポカリのラベルをいじりながら言った。
「ねえ、埼葛…ママのこと狙ってるでしょ?」
「ぶっ!? な、なに言って…!」
「ふーん、否定しないんだ。まあ、埼葛なら……いい線いってるかもしれないけど……」
俺は完全にペースを乱されていた。
この少女は俺のことを呼び捨てにし、何故か俺の前では態度を豹変させる。しかも、あまりにも大人びているため、それが恐ろしいのだ。
「ていうか、君、言うこと大人すぎない?……もしかして……貴様……(人生)二週目か?」
少女はニヤリと笑う。
「さぁ、どうかしらね。……ほんの少し……物知りなだけかもよ!」
「…少しどころじゃねぇ。」
「今日の試合……だけじゃなく、これからもずっと埼葛には期待してるの……この世界の流れに”イレギュラー”をもたらす存在になるかもしれないってね!」
「……あの……日和ちゃん……どこでそんなこと覚えたの?」
「”子供の学習”って本よ!」
基本的に、綾子さんも性格や人間性は大概だと思っていたが、その一人娘の日和ちゃんもきっちりそのDNAを引き継いでおり、親子揃ってクセが強過ぎて、俺はどっと疲れてしまう。
「じゃあ、ママのことよろしく!!」
今日の試合は、祖父の雷蔵と一緒に観戦するそうで、日和ちゃんは控え室から出ていった。
・・・(人生)二週目疑惑のある少女・・・もしかして、この町って魑魅魍魎しかいなくないか!?
開始前、実況マイクが鳴る。
「さあ皆さんお待ちかね!当イベントの目玉カードがやってきました!男女混合のボクシング対決!!赤コーナーは未亡人の星・奈良井綾子選手!イベントポスターのモデルも務めていただいた彼女に、『どこに行けば会えるのか』という声が殺到しましたが、それにお答えしましょう!!スーパーマーケットで半額シールを貼られる時間帯にお店に行けば、お惣菜コーナーのあたりで常にウロウロしている姿を多くの人に目撃されています!!狙い目ですよ!!」
・・・実況アナウンスに綾子さんは顔を真っ赤にして、うつ向きながら体を震わせている。
「対する青コーナーは地元でタクシー会社を営む名士、三度の結婚と三度の離婚を経験した“慰謝料キング”こと柴崎達夫氏!現在、元妻達との間において、慰謝料問題でもめているそうで、今日は客席に元妻達とその弁護士が応援に駆けつけてくれています!」
・・・このイベント・・・まごうことなき、アウトの人選なんだけど!!
試合開始のゴングが鳴り響く、第1ラウンドが開始された。
柴崎がまさかの猛攻スタート!
「今は慰謝料問題でそれどころじゃないんだぁ!…絶対勝つゥゥッ!」
この試合に勝てば、過去の借り貸しの件については今後一切何も言わないという約束を綾子さんと交わしたらしく、柴崎は目の色を変えて襲いかかってくる。
・・・バシィィイ!!バシィィイ!!バァァンッッ!!バァァンッッ!!・・・
ラッシュ気味の左ジャブ!右!さらに左のボディ!
綾子さんはやや下がりながらも冷静にガードとフットワークでいなして対応する。
「え、柴崎さん意外と動ける!?」
「バツ3って体力削られてるんじゃなかったの?」
客席からは、年齢を感じさせない柴崎の動きに驚きの声が上がった。
・・・バシィィイ!!バシィィイ!!・・・
柴崎の攻勢に押される形となるも、綾子さんは徐々に距離を詰め、右のショートカウンターを入れる。
・・・ガツン!!・・・
柴崎の顔が一瞬歪む……が、下がらない。
「ふっ…昔の女たちに比べたら、お前の拳の方がまだマシだ!」
どんな修羅場くぐってきたんだこの人…!?
「カアーーンッ!」
ラウンド終了のゴング。
1ラウンド目は……互角……いや、少し柴崎が少し優勢かという感じだった。
再びゴングが鳴り響く、第2ラウンドが開始された。
「未亡人だろうが、何だろうが!女なんかに負けるわけがねぇーーーッッ!!」
1ラウンド目の勢いのまま、柴崎が攻勢に出てきた。
・・・バシィィイ!!バァァンッッ!!バァァンッッ!!・・・
綾子さんは柴崎の怒涛の勢いに飲まれそうになるものの、何とか耐えている……どうやら、これは『反撃の機会』を伺っているとわかった。試合前、祖父の雷蔵から『綾子ちゃんはな、お前が思ってるよりもずっと、強いぞ。』と言われた意味がようやく分かってきたような気がした。
試合のリズムに停滞感が出てきたように思われた。その要因は柴崎の勢いが確実に落ちているからだ。
明らかに彼の攻めは単調になっている。
ここで綾子さんの動きが変わる。まるでスイッチが入ったように……軽快でリズミカルなフットワークを見せ始める。
・・・シュンッッ!!スパァァァーーーーンッッ!!・・・
綾子さんのワン・ツーが鋭く入る。
「……過去の借……いやっ、過去の清算は、こうやって処理するの!」
・・・バァァンッッ!!パァァァンッッ!!!スパァァァーーーーンッッ・・・
左ジャブ、右ストレート、さらに左のボディ!
「おぉぉ……うっ……! だが…まだぁぁぁ…!」
柴崎は綾子さんの鋭いパンチをまともに受けて、満身創痍の状態ながらも何とか耐えている。
「しぶとい!」
「やっぱ名士…いや、執念の人か?」
客席からは興奮・罵声・称賛と、様々な声が入り乱れていた。
そして、綾子さんは一瞬……身体の重心を落とし、柴崎の右フックを誘いながらバックステップを踏む。
「女のくせにぃぃぃぃーーーッッ!!」
柴崎は、苦し紛れのでたらめなパンチを繰り出そうとしたところ……
これは――カウンター!!!
完璧なタイミングで叩き込まれた左ストレートが、柴崎の顔面を捉えた。
・・・誰が見てもわかるような、クリティカルヒットだ・・・
「……こ、この、み、……未亡人……つ、強過ぎ……サイコぉぉぉぉぉ……!」
・・・バタァァァァァーーーーーーーンッ!!・・・
柴崎は反時計回りに回転するように、顔面からリングに崩れ落ちた。
・・・グシャ・・・
レフェリーが腕を交差し、試合を止める。
ヒクヒクと痙攣し、柴崎は完全に立ち上がれない状態になっていた。
すぐ様柴崎は、スタッフに抱え込まれ、担架で運ばれていく。
「すごい!!奈良井綾子、怒涛の逆転KO勝利――ッ!!」
「うぉぉぉぉぉぉーーーーーー!!」
客席からは、溢れんばかりの歓声が上がる。
「な、奈良井さん……み、未亡人サイコーー!!」
客席には、戦ってもないくせに、うずくまって倒れるおっさん達が散見される。柴崎と自分を重ねて興奮していたのだろうか?トイレに駆け込む前に果ててしまうエロおやじもいたそうだ。
綾子さんは両手を上げて、歓声に答えた。
それからセコンド席に戻ってきた彼女を俺は出迎える。
「おかえり、綾子さん。」
汗で濡れた髪、少し息の荒い顔。
その奥にあったのは――どこか、少女のような誇らしさが見られる。
「正直、怖かった……。私なんかがやっていいのかって……。でも…ちょっと気持ちよかった……。」
「完っ全に、リングを支配してましたよ!」
正直、俺は綾子さんの実力を見誤っていたかもしれない。
サンダー拳ジム唯一の会員……奈良井綾子……彼女は……強い。
「ありがとう。支えてくれて。……ねえ、埼葛くん」
「はい?」
「私、まだまだ終わらせないわよ。このリングで、自分の人生を――もう一度、始めるの!!」
その言葉には迷いがなく。彼女の瞳は、まっすぐ未来を見つめていた。
それから、綾子さんは、祖父の雷蔵と共にインタビューを受けるために控え室へと戻った。
地元新聞にはこう載った。
『未亡人ボクサー、地元を殴り起こす!――奇跡のイベント、まさかの大成功!』
そしてサンダー拳ジムには、新しいポスターが貼られていた。
【次の試合、募集中!未亡人と拳を交えたい方へ】
俺は思った。
(俺の人生、ちょっと違う方向にぶっ飛び始めている……この町のこの魑魅魍魎達に飲み込まれるかもしれないと!!)
8mg(ハチミリグラム)
2025-04-25 00:23:58 +0000 UTCさく
2025-04-24 23:24:51 +0000 UTC