SamSuka
8mg(ハチミリグラム)
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愛滅

プロローグ

あっ、全部失ったんだ。私。


その言葉が、脳の奥にぽつんと浮かんだ。


ベッドの上。天井の白。チクチクする点滴。指先はかすかに震えていて、足には重たいギプス。

そして——スマホがない。


「携帯は…」と呟いた声は、かすれていて、自分のものじゃなかった。

ナースステーションに預けられているらしい。母がそう言った。淡々と。


それだけ話すと、母はそれきり口を閉ざした。目も合わない。優しさも怒りも、そこにはなかった。


気づけば、LINEは誰からも来ていなかった。DMもゼロ。

フォロワーも、見覚えのないほど減っていた。


一度だけ、病室のテレビで自分のことを言ってるニュースを見た。


「SNSで人気を博した“暴力系インフルエンサー”、襲撃被害に遭う」

まるで誰か別人のことみたいだった。

本当に自分が、あんなことをして、あんな顔で笑っていたのか?

画面の中の私は、誰よりも楽しそうで、強そうな顔をしていた。


目を閉じれば、いくらでも蘇る。

あの時の動画、コメント欄のざわめき、

笑い声、賞賛、嫉妬、バカにする声。


全部、耳にまとわりついて離れない。


でも、今は何もない。

誰も来ない。

何も残っていない。


“私”は、どこに行ったんだろう。


あんなに「見て」「もっと」「すごいでしょ」って叫んでたのに……

今、誰にも見られていないと気づいた瞬間、心の奥に小さく、鋭い冷たさが生まれた。


あぁ…こんなに、簡単に終わるんだ。



第一章「始まり」


私の名前は『ミオ』


何が最初だったか、もうよく思い出せない。

でも、たぶん——“退屈”だった。


高校を卒業して、フリーターをしながらなんとなく日々を過ごしていた。

進学も就職も、どっちつかず。

SNSにはかわいい子が溢れてて、誰かが恋愛して、誰かが整形して、誰かが泣いてた。

全部が“演出された日常”みたいで、どこか嘘くさいのに、羨ましかった。


「どうせやるなら、“ウケること”しないと意味なくない?」


そんな軽いノリで始めたのが、最初の“対戦動画”だった。


たまたま、喧嘩自慢系の動画が流れてきた。男子高校生たちが路上でスパーリングして、勝っただの負けただの騒いでる。

「女でも勝てるんじゃね?」

そうコメントしてみたら、思ったより反応が来た。


「こいつ、やってみろよw」

「どうせ口だけだろw」

「本当に出てきたらおもろいw」


——やってみようかな……って思った。


本気じゃなかった。ただのノリだった。


でも、「殴るふり」ぐらいはしておきたくて、YouTubeで“自己流の格闘術”を検索して、家でシャドーしてみた。

動きがかっこよかった。

ただそれだけだった。


最初に会った男は、体育会系大学生。

マッチングアプリで「動画の企画に出てくれる人募集!」ってプロフィールに書いたら、すぐに食いついてきた。


「殴られてみたい」とか、「映ってみたい」とか、動機はバラバラ。

でも誰も、本気で私がやるとは思ってなかった。

だからこそ、最初の一撃で彼がよろけた時、スマホ越しのコメント欄が、一気に爆発した。


・・・パンッ!!スパァァァーーーン!!・・・

おそらく、配信画面越しからでもわかるくらい彼の動きは鈍くなっていた。


「イケるかも!!」


・・・ドゴォォォォンッッッ!!!・・・


「え、普通に強いw」

「女の子にボコられてるやん」

「この子やべぇって!!」

その夜、フォロワーが5000人増えた。


通知音が止まらなかった。

深夜2時。ベッドの中でスマホを握りしめて、笑ってた。

やっと見つけた気がした。

自分の居場所を。


「もっと、バズりたい。」

「もっと見てほしい。」


気づいたら、自分でミットを買っていた。

蹴りのフォームを鏡でチェックしていた。

「演出」と言いながら、本気で打ち込むようになっていた。


マッチングアプリの使い方も変わった。

プロフィールは、もはや“スカウト文”だった。


「企画のために戦ってくれる男性募集」

「条件:顔出しOK、負けても文句言わない人」

「演出なので安全には配慮します」

配慮なんて、してなかった。

むしろ、少しぐらい痛そうな方がバズった。


それでも男たちは集まった。

なぜか——楽しそうに。


・・・スダァァァァーーーンッッ!!・・・


ある夜、画面越しにコメントがついた。


「この女、普通に才能あるよ。格闘家になれば?」

違う。そうじゃない。


私が欲しかったのは、強さじゃない。

“誰かに見てもらうこと”だった。


男との対戦後、興奮冷めあらぬ空気感の中、ライブ配信し、リスナーからの声をリアルタイムで聞くのが楽しかった。


倒した男の上に座りながら、ライブ配信したりもした。


その夜のライブ配信は、

過去最高の同時接続数を記録していた。


コメント欄はすでに軽く炎上気味。

「ついに身内とやるのかよw」「これってもうヤラセの域越えてない?」

「マジでやめとけ」「いや、逆に見たい」

賛否が渦巻く中、私は画面の前で微笑んでいた。


その向こうに立つのは——タカだった。


高校の時からずっと仲が良かった。

口数は少ないけど、まっすぐで、嘘をつかない人だった。

SNSにのめり込んでいく自分を、誰よりも近くで見て、ずっと、黙って見守ってくれていた。


だけど今日、彼ははっきりと言った。


「——ミオ、これ以上やったら、お前壊れるぞ!」


私は笑って返した。


「じゃあ、勝負しようよ。私が勝ったら、タカのこと、私の“すき”にする。」


「……俺が勝ったら?」


「そしたら、もう配信はしない。」


一瞬、沈黙が流れた。


タカはゆっくりとうなずいた。


スマホ越しに、1万人以上の視線が私達を見ていた。


軽いジャブから始まり、

私はいつものように“魅せるフォーム”で動いた。

華麗で、そして本気だった。


だけど——


タカの攻撃は、どこか迷いを孕んでいた。


彼は、私を倒すためじゃなく

「止めるため」に戦っていた。

私を“救いたい”と、ただそれだけを信じて。


でも、私は違う。

視聴者を、熱を、歓声を、称賛を手放したくなかった。


だから——




私は勝った。


私の膝が入った瞬間、タカは目を見開き、停止したかと思うと、次の瞬間、唸るように地面に崩れていった。


私は手を差し出さない。


タカは、うつむいたままで、

立ち上がれなくなっていた。


「……うっ、ぅぅ…」


その姿に私は何故か、背徳感が爆発したような感情に苛まれた。


配信のコメント欄は沸騰していた。


「ガチで勝った…」

「あいつ、最後本気出してなかっただろ」

「あー、終わったなこの関係w」

「でもこの展開、バズるぞ」

「ミオ女王爆誕!」

「涙出てきた…何この感情」

私は笑った。


画面越しに、ハートと拍手が飛び交っていた。


そして、急ぐように配信を直ぐに終える。

今日は対戦後のライブ配信はしなかった。

他にやることがあるからだ。


私は彼の上に跨った。


「私は悪くない!本気で私を止めようとしないタカが悪いんだよ!」

そう言いながら、私はタカの唇を貪った。


タカは泣いていた。


彼が今どんな気持ちで成すがままの状態にされているのか?

私には彼の気持ちを汲み取る余裕もなく、それほど迄に全身で興奮していた。


男性を倒した時に感じる背徳感からくる欲情・興奮が、今日は最高潮だった。


倒した男性を無理矢理犯し続ける事が、その感情を何十倍にも膨れ上がらせたのだ。


たぶん、タカのこと……好きだった。


その日以来、タカと会うことは無くなった。



第二章:思い出したくないあの夜


病室の天井は、真っ白で、感情を殺す色をしていた。

ほんの少し首を動かしただけで、体中がきしむ。

割れた肋骨。裂けた唇。点滴のチューブ。

そして、何よりも——沈黙。


見舞いは来ない。

通知も、鳴らない。

スマホの画面には「アカウントが存在しません」とだけ。


「全部、終わったんだよ。あんたはもう、誰でもない」


あの時、救急車の中で誰かがそう言ったような気がした。

それが現実だったのか幻聴だったのか、もうどうでもいい。


複数人に襲撃を受けたあの夜のことは、思い出したくない。

でも、たまに、夢のように思い出す。


ぼやけたネオン。知らない男たちの顔。

「本当にやる?」って誰かが言った声。

そして——


倒れた時、地面が異様に冷たかったのだけは、よく覚えてる。


「何やってんの、私……」

自分の声が、かすれていた。


配信の最後の方、正直ほとんど覚えていない。

アドレナリンと酒と、自分の興奮で何も見えてなかった。

「視聴者がもっと見たいって言ってたから」とか「これは台本だから」って、そんな言い訳を繰り返してた気がする。


結局、全部自分で選んでたくせに。


タカの顔が、時々、ちらっと浮かぶ。

でも、すぐに消す。

向き合ったら、きっと壊れてしまうから。


最後の対戦の最中、

あんなふうに、泣きそうな顔で、

私を見ていた人のことなんて——


今さら、思い出しても遅い。


私の行った悪行は巡り巡って

自分へ返って来たのだ。



退院後


私は、すべてから逃げた。

学校も、友人も、スマホも、外の光も。


ただ、ひとつだけ——

家にある古いノートパソコンにだけ、私はまだ“しがみついていた”。


母には「SNSはもうやめた」と言った。

「反省してる」とも言った。

だけど本当は、夜中に家族の目を盗んでは、ブラウザを開き、検索窓に自分の名前を打ち込んでいた。


“ミオ 現在”

“ミオ 事件 真相”

“ミオ 消えた”

“女格闘家 襲撃”

“自業自得”

そんなキーワードで埋まっていく履歴を、

私は、消せなかった。


期待してたわけじゃない。

でも、ほんの少しだけ、まだ誰かが肯定してくれてるかもって…

どこかでそう思っていた。


でも、そこにあったのは、冷たい文字だけだった。


「ただの構ってちゃんだったな」

「あんな男倒してイキってたの草」

「痛い女。ってか自業自得だろ」

「あの後、男たちにやられたってマジ? 正義とか言ってたくせに」

「やっぱ女が出しゃばるとこうなる」

画面の文字が、皮膚の上を這うような気がした。

誰かに触られたわけじゃないのに、

全身がじっとりと汗ばんだ。


ひとつだけ、黙って画面を閉じた書き込みがあった。


「最後に倒したあの男の顔、まだ忘れられない。あれが本当の後悔って顔だった気がする。ミオは、見てなかったのか?」


私は、見なかった。

見ないようにしてた。

……今も。


静かな部屋の中で、

カーテンの隙間から、外の光が差し込んでくる。私はその光を背にして、ベッドにうずくまった。



再生


その日は、久しぶりに外に出た。


近所のドラッグストア。

母に頼まれた日用品を買いに行くだけの、

ほんの20分の外出。


だけど、空気がやけに重くて、

誰かの視線がどこかにあるような気がして、私はマスクをし、ずっとうつむいて歩いていた。


店の前に、小さな影があった。


中学生くらいの女の子。

制服姿で、スマホを握りしめて、店の壁に寄りかかっていた。


何気なくすれ違おうとしたその時、

彼女がふいに、目を見開いた。


「……来た」


その嘆きに近い声が、私の耳に入った。


彼女の目線の先には、

通りの向こうから、ひとりの男がゆっくり歩いてくる姿。


目立たない格好。

だが、何かが違和感だった。

スピード、視線、足取り……全てが、その子だけを見ていた。


女の子は、スマホを握りしめたまま、動けずにいた。


私は、その場から立ち去ろうとした。


でも、足が止まった。


——それは、この前の自分の姿に見えたからだ。


数人の男達に襲撃を受け、何も出来ないまま、強姦された私に……


私は、彼女の隣に立った。


「知り合い?」


少女は、びくっとしてこちらを見た。

そして、小さく首を横に振った。


男は、あと10メートルほどの距離にいた。

視線が、変わらずこちらに向いている。


「じゃあ、逃げる?」


私は笑った。


「それとも、戦う?」


少女の目が、ほんの少しだけ、潤んで揺れた。


私は、そっと手を伸ばした。

彼女の手首を握り、歩き出す。


男の足音が少しだけ早くなった。

でも、私はもう、止まらなかった。


あの時、誰も差し伸べてくれなかった手を、今、自分が誰かに向けている。

たったそれだけのことが、少しだけ、胸を軽くした。



対峙


夜の公園は、ひどく静かだった。

照明の薄明かりの下、彼はじりじりと歩を進めてくる。


その背後に少女をかばいながら、私は立ちふさがる。

心臓が跳ねる。けれど、もうあの頃の私じゃない。


「……何なんだよ、てめぇ」

男は、私の顔をじっと見つめたあと、ふいに目を細めた。


「……おい。お前、見たことあるぞ」

「え?」と少女が息をのむ。


私は、マスクを外していた。

わざとだった。隠す気はなかった。


「お前……暴力系インフルエンサーの……あいつじゃねぇか」

「ミオ」と名前までは出さなかったが、彼の中では確信に近いものがあったらしい。


「消えたんじゃねぇのかよ? 女のくせに調子に乗って、正義ヅラか?」


その声は、過去に私が浴びてきた声と、同じ音をしていた。嘲笑と軽蔑と、そして少しの興奮が混じった声。


私は、一歩も引かなかった。


「そう!私、全部失った。間違えて、踏み外して、そして潰れた………だからわかる。今、あなたもその一歩手前にいる。」


静かに、でも、確かに伝えようとした。


「だから、ここで止まって!」


男は、顔をしかめた。


「うるせぇんだよ、てめぇが言うな!クソ女が!」


彼は突然、こちらに向かって駆け出した。

その目には、誰の声も届かない濁りが宿っていた。


少女が叫んだ。「やめて!」

私は、反射的に一歩前に出た。


次の瞬間、私の拳が男の顔を捉えていた。

「やめて」なんて言葉が、体のどこにも追いつかなかった。


・・・バァコォォンッッ!!・・・

——鈍い音が鳴った。

肉が打ち合う、重い音。


男は後方に崩れ落ちて、うめき声を上げながら這うように逃げていった。


私は、それを追わなかった。

ただ、静かにその場に立ち尽くしていた。


少女が、おそるおそる私の横に立った。


「……お姉さん、強いんですね。」


「ううん。私は……弱いの。」


私はそう言って、少しだけ笑った。

ほんの少し、自分の拳が、誰かのために動いたことに、まだ許されていないのに、少しだけ救われた気がした。


愛滅 愛滅 愛滅 愛滅 愛滅

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