彼女は最早この世に敵なしとまで言われた格闘家だった。日々が鍛錬の積み重ねであり、幾度となく道場破りを行うことで実践経験も十分に備えている。今ではその腕前を見込まれて凶悪犯罪者を取り締まる組織の一員として働いていた。
次のターゲットは人攫いを繰り返しているという正体不明の魔女だという。目撃情報の多い土地に出向くと、運よく手配書に描かれた顔と同じものを見つけた。
街から少し離れたひと気の少ない場所で、岩に腰掛けて小休憩でもしているかのようだった。
もしそれが自分と同様に武術を嗜む者であれば正々堂々試合を申し込む所だが、今回の敵は何をするか分からない魔法使いだ。対してこちらは魔法の心得が無く、正面から戦うには圧倒的に不利な相手だった。
しかし魔法は使わせなければ怖いことなど何も無い。その格闘家は俊足で駆け抜け、魔女の胴体めがけて蹴りを撃ち込んだ。
「なっ!?」
魔女は碌に筋肉も付かない体にしては良い反応を見せた。格闘家の蹴りを持っていた杖で防いだのだ。
バキン、と音が鳴って杖が真っ二つに折れる。
あまり狙い通りの初手とはならなかったが、魔女は杖に乗って空を飛ぶという情報を掴んでいる。それを折ってしまったのだから空へ逃げられることはないだろう。
「いきなり……っ! 失礼ね、あなた」
「罪人に払う礼儀など無い。大人しく逮捕されるならその体は綺麗なままでいられるが、どうする?」
問いかけたものの、格闘家は構えを取って魔女に急接近した。
「いや……犠牲者のことを思えば、四肢の骨くらいは砕くべきだなッ!!」
魔女の罪状は誘拐のみならず人身売買にも及んでいる。既に多くの人間がこの魔女一人によって本来の人生を奪われているのだ。
(後悔しても仕切れないほど痛めつけてやらねばなるまい……!)
その思いを胸中に秘め、格闘家は気合いを込めた正拳突きを魔女の鳩尾に叩き込んだ──はずだった。
「あらぁ、小虫でも止まったのかしら?」
拳を受けた魔女は平然としている。それ所か痛みなど全く感じていない様子だ。
「なんてね。私の杖にはあらかじめ魔法を掛けてあったの。これを破壊した者の大切なモノを破壊する魔法……ちゃんと発動したみたいね」
喋っている魔女の周りにいくつもの魔法陣が浮かび上がり、そこから何本もの縄が飛び出して格闘家の体に絡みついた。
「何を言っている!! それにこんな縄なんて簡単に引きちぎって……引きちぎって……できない!?」
不適な笑みを浮かべる魔女は舐め回すように格闘家の全身を見つめたかと思えば、一人納得したような態度を取っていた。
「なるほど。あなたにとって大切なモノは……その鍛え上げた肉体って所かしら?」
「何を……言って……」
魔法の杖を破壊した者の、大切なモノを破壊する魔法。その言葉の意味を遅ればせながら格闘家も理解し始めていた。
「そんな……私が人生をかけて鍛えてきた体が……」
「正確にはあなたのその努力が破壊されたのね。培った筋力や格闘能力を損なって、もうあなたはどこにでもいる普通の女の子と同じ体になってしまったのよ」
魔法で射出されたとはいえ、体に巻き付いている縄の強度は確かに強力だが、鋼鉄のワイヤーで縛られても力尽くで脱出できる格闘家にとって、ここまで抗えないなど本来ならあり得ないことだった。
失われている。数々の戦いを制してきた圧倒的な強さが……。
「しかも運がいいわね。肉体の変化に対して健康は一切損なってない……これはいじめ甲斐がある上に、高く売れそうね」
「……ッ!!」
忘れていたわけではないが、目の前にいる魔女は人間を攫って闇の社会に売り払う人身売買人。その相手に捕縛されようとしていることの恐ろしさを、今まさに心の底から痛感した瞬間だった。
「あぐっ……ううぅっ……ッ!!」
屈辱的な格好に縛られ変な鳥に吊るされてしまったかと思えば、口にまで縄を巻きつけられ塞がれてしまう。舌を2本の縄に挟まれており、噛み切ることさえも許されない状態だ。
「見れば見るほどいいわねぇ、あなた。私好みよ……持って帰っていっぱい虐めてあげる。そして心がぽっきり折れてしまったら、私みたいな変態のお金持ちに高値で売りつけてあげるわ! ウフフ……あなたはいくらで売れるかしらねぇ」
魔女の手には折れていたはずの杖がいつの間にかくっついており、元の状態に直されている。それも魔法の力によるものだろう。つまり格闘家はこの魔女に、何一つとして痛手を負わせられず戦いに敗れてしまったのだ。
何も成果を得られず、鍛え上げた肉体も今はもうどこにも無い。
魔女が言うにはこの体は二度と元には戻らないとのこと。何もかもを奪われた格闘家にとって、これから待ち受ける人生に希望の光が射す余地は無かった。