YouTubeの機能でおすすめされたウマ娘のゴールドシップの動画をなにげなく再生した。すると機能がここぞとばかりにさらにさらにとゴールドシップの動画をあまた推してくるのでやはりなにげなく再生に応じて、といったやりとりを繰り返し種々のウマ娘ゴールドシップ動画を連続して嗜んだ日があった。
結果アイドルとは一体なんなのかと少し考えた。
ウマ娘は競走馬?なのでアイドルという設定を備えているかは不明だが、自分が視聴した動画ではユニットを組織して歌ったり踊ったりに興じており、なかにはどういう事の経緯か水着バージョンのものすらもあった。
アイドルだろう。これはもうおびただしくアイドルなはずだ。
ウマ娘にかかわらず以前から自分はかわいい存在がさも必然といった面構えで歌って踊って隙あらば水着にもなったりするといった伝統的な様式は、一貫性を感じることの困難な非論理的なものに思えた。しかしその非論理の連なりは、翻ってアイドルであるからという要素一点のみによって論理性を堅固に支持されているのだろうとも思う。
アイドルとは人々の思いが投影される存在に思える。
清楚であるとか、清廉潔癖であるとかの他に、やはり歌っていてほしいとか踊っていてほしいとか水着になってほしいなど、あらゆる人々のアイドルへの眼差しが投影され立体化に至る結果、アイドルと形容する以外には一貫性の獲得のしようのない非論理的なものに視えるのだと個人的には思う。
「神は人間の本質の反映である」と近代に看破されたのと同じ類の仕組みが働いているのではないかと安直にいうとそのように直観する。
アイドルはその時代の人々を映し出す鏡のようなものにも思える。
一方でアイドルがただただ欲求に応える単線の願望機でしかないのであれば、ウマ娘やゴールドシップといった人格は生まれてこないだろうとも想像できる。
何も前提されてない自然状態から人々が忽如として「馬がいいな」とか「そしてトレーナーにドロップキックをぶちかましてくれるとなお随喜」といったことを望んで、それらを虚空に照射し始めるとはやや考えづらい。これはそもそもモデルの競走馬がいることからも明らかなことだ。神にしろアイドルにしろ仮に衆生の本質が反映された偶像性のものだったとして、しかしこの現象関係はそう単純に解体が可能のような秩序だった構造をしていないこともまた自明に思われる。
また神やアイドルが人々を映す鏡だったとして、しかしその鏡像の情報からのみで人々の本質を理解するのも愚昧だろう。鏡を観察してわかることは映された対象の表面か鏡の材質くらいだ。鏡に映る生物を観察して見識を深めようとする者はたぶんいない。
他にもアイドルはもはやアイドル然としてないことすらも望まれているように感じる。アイドルのようなアイドルよりも、どこかアイドルらしくないアイドルの方が昨今いっそう求められているように見て取れる。ゴールドシップはその典型の像ではないか。
このいかにも矛盾めいた投影はアイドルという概念の前提をそのアイドル自らが破壊することによって、その破壊の力そのものがそのアイドルの生命を証明し、投影化されたただの偶像ではない生きた概念であることを示す通過儀礼のようなものであって、ここにもアイドルという存在とそれを投影する人々の複雑さと連関があるように思える。
しかし一方で当然、本当にアイドルらしくないアイドルではないものはアイドルとして扱われない事実もある。かわいくなくて歌いも踊りもしないし、なんか普通にプライベートでやれ墓石やれ自動車を蹴っ飛ばしたり食べたりしている人間がいてそれを「アイドルらしくなさ過ぎて逆にいちじるしくアイドル」とはならないはずだ。多分。
アイドルをアイドルたらしめる要素という普遍の条件も厳存するはずで、たとえば観取される共通点にアイドルは何かしらの目標を添えていることがほとんどだ。ウマ娘の場合は競走馬としておそらくGⅠ制覇とか三冠制覇などの目標が存在しそこで切磋琢磨に励んでいるなどと想像するのだが、その目標に向って努力する姿がアイドルには必要とされているように思う。これに関してはアイドルのみならずアスリートやYouTuberなどあらゆる人気者商売にはよくみられるファンと対象とをつなぐ紐帯である。
余談だが、今だけ食べ美はこれにあてはまらないのでは?と、ちょうどウマ娘の動画を連続視聴した時節に巷間を賑やかしていた彼女に対して考えることにもなった。
TikTok風なのか、画面に向ってまさに歌って踊る食べ美のアニメーション(かわいい)が公開された。やはり如実にアイドル的な存在だと思われるのだが、自分は寡聞なもので設定を何も知らず、食べ美自身には何か目標が設定されているのだろうか、もし目標や目的がないのであれば彼女はあの画面の中でいかなる事情と動機を抱えて月光の降りそそぐ夜半の土手において単身でいきいきと歌って踊っていたのだろうかと疑問が浮かぶ。
説明するまでもなくマクドナルドの販促が目標なのだろうが、それはこちらの世界の実情であって食べ美自身はその使命を自覚して背負っているのだろうか。おそらく格好からして背負っている自覚はあり過ぎるほどある設定だと思われるが、もしそうではなく趣味であの格好とあのダンスをしているとなると、またアイドルをアイドルと定義づけるものが不明瞭にかすんで混迷に陥るかもしれない。
目標目的を蔵していなくとも、誰に頼まれることもなく独立でかわいくて歌って踊っていればそれでもアイドルになりえるのか。
TikTok風であることが肝要で、人と人、見るものと見られるもの、ファンとアイドルを結ぶ物がひとつあれば人々の投影が始まってアイドルは発生するのかもしれない。
そうなれば全人間が現役アイドルとまでいかなくとも、全人間がアイドルの種子を宿してアイドルになる可能性を控えているのかもしれない。わからない。
アイドルといえば元来テレビスターであるが、自分が先程から思い浮かべているのは主に二次元の方だ。実在しない二次元の方がより神に近い偶像であるとも付会できる。
アイドルは得てして若い男女が多く、少年少女特有の青くまばゆいきらめきを放っている。中には実在する若者のそのきらめきの只中にアイドル像としての希望を投影することに罪悪感を芽生えさせて、しかし二次元であればその懸念も不要である、といった事情で二次元のアイドル的存在を支持している人もいるのかもしれない。如何せん自分はそういった文化に疎く推測でしかないのだが、少なからず自分の観測する範囲だとアニメやソシャゲのキャラに対する話題のほうが実在のアイドルの数よりすこぶる多い。
実在のアイドルには背負わされているものがあるという事実には言を俟たないように思える。恋愛禁止だとかはその最たる現れだ。
そして恋愛禁止であっても同時に本当に恋や異性という事柄に対してまったくの鈍感であってもいけないだとか、頑張っている姿を見せてほしいけど、本当には無理して頑張りすぎないで欲しいだとか、実在の人間に向けられる投影はそのひとつひとつが対象に大なり小なり背負わせてしまうと換言ができてしまうように思え、そしてそれはアイドルという属性にかかわらず人間と人間との関係にはそのような力の働きが絶えず流れているように思える。他者に笑顔でいてほしいと望むことも、たまには泣いてもいいんだよと望むことも投影になってしまえばそれを背負わせてしまうような関係性が。
一方で実在しない人間、つまり二次元のキャラであれば、いくら視線を注いで投影し、どれだけ背負わせても本当には背負うことはないだろうから、あらゆる視線をむけたい放題という念が、自己への赦しをもたらす事情があるかもしれない。
個人それぞれがどう解釈しているかは確認しようもないが、いずれにしろネットでは二次元の対象に対しての個々の感想だったり二次創作のような自己表現が平生たいへん盛んである。
個人的に原作を知らなくても(あるいは知らないからこそ)、個々のそういった眼差しのこもった自己表現を眺める時間はネットの良き趣きの一種であると感じるのだが、他方それは時々バズという形で個々の視線が凝集し巨大なうねりをあげて一体の対象に向けて激しく貫く場面も目撃する。
それが架空であろうとなかろうと、10代の若者の設定の個体に対して膨大な視線と投影が向けられることには時々なにかを感じるものもある。
話がややアイドルという属性を超越してしまっていたきらいがあるが、アイドル主人公を扱ったエンターテイメントの作中でアイドルたち本人は、「アイドルとは…!」とどのような文言や答えを語っているのだろうか。他の人間の思い描くアイドルの定義も気になるところ。
ゴールドシップの動画視聴中の自身の胸中を言語化するのであれば、かわいいだとか愛くるしいといった言に落ち着くのであろうが、むしろそういった動画やコンテンツは自身と対象の関係から言語という人工物による煩瑣な思考を取り除いてくれるからこそ無心に近づけただ心地よさに黙って浸ることができる趣きがあるのだろう。
その沈黙のなかで自分がゴールドシップに何を投影しようとしたかはわからない。
前フリが長くなってしまったが結局自分が考えていることのほとんどはアイドルそのものというより、アイドルなり神なり偶像を維持しようとする私たち人間そのもの、人間のその性質だ。なぜそんなにも投影をするのか、なぜ何かに何かを背負わせるのか。どこまでなら他者に背負わせることを憚らずにすむのか。
自分も実在の人間より実在しない対象の方が気を楽にして何かを投影できると、好んでしていることがあるだろうと自覚する。逆説的に気楽に眼差しを投げたいとはどういうことなのだろうか。
自分は眼差しを何かに投げたくて投げたく仕方ないのだろうか。
ここには一種の道徳の問いなども見出せるかもしれないが、しかし道徳の以前に認知への問いがある。眼差しを投げずに世界と対峙することが出来るだろうか。
夜や昼や
2025-10-17 09:11:47 +0000 UTC