時を遡ること、1時間前―。
巨人は、山の中であぐらをかいてため息をついていた。
(昔はよかっただなぁ・・・)
あのころは、里の人間は優しかった。巨人がいつから、なぜこの山にいるのか、巨人自身にも分からなかった。ただ、太古の昔から、山神としてずーっとここにいただけだ。
何をしていたわけでもない。ただぼんやりと、日向ぼっこをしたり、気ままにセンズリをかいたりして暮らしていた。
それでも、里の人間は、巨人をありがたがった。巨人が何もしなくても、雨が降れば「やまがみ様のおかけだ」とか、台風が過ぎれば「やまがみ様が守ってくれた」だの、ありがたかった。まれに災厄が訪れても、「やまがみ様がお怒りじゃ」と、畏敬の念がいや増したものだった。
裸でいても、文句をいう者もなかった。むしろ、巨人の巨大な陽物は畏敬の的であり、村の男衆の女衆も、まぶしそうに見つめていた。子宝を望む者には、手を合わせて拝む者もあった。巨人がのっしのっしと歩く時にはふぐりと陰茎がぶらんと揺れた。それを見る村人は「やまがみ様の陽物が今日もぶらぶらしておられる。ありがたいのう、ありがたいのう」と、日々の幸せをかみめるのだった。
また、巨人がセンズリをかきはじめると、「あんれ、山神さまは今日も元気だべえな」と、皆なぜか笑顔になったものだ。巨人が陰茎を弄び始めると、血気盛んな男衆の中には、「山神さまと一緒に雄汁出すべ」と仕事の手を止め、褌から陰茎を引っ張り出し、あるいは巨人と同じようにスッポンポンになって盛大にセンズリをおっぱじめる者もいた。肩を組み合って精液の飛距離を競い合ったり、互いの手で陰茎をしごきあったりする者たちさえいた。巨人のセンズリは、里の民にとって、休憩の合図であり、娯楽の時間でもあったのだ。
あのころは、そんなふうにすべてが大らかだった。
それが今はどうだ。科学的思考を身に付けた人間には、巨人は何もしない、巨人の存在と自然現象、災厄の間には、何の因果関係もない、と結論づけた。裸や自慰行為は、忌むべきものに変化した。巨人自身は何も変わってないにもかかわらず。
(続く)
(ご連絡)
※すみません、今回で終わりませんでした。あと1、2回続きます。
※イラストも時間なかったのでラフ画でのアップとなりました(後ほどペン入れします)
あんどん丸
2022-09-06 22:32:56 +0000 UTC戌谷虎鉄
2022-09-06 04:15:00 +0000 UTC