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緑のルーペ
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地獄の話・1

たまに、衝動的に長文を書きたい衝動に駆られることがある。

駆られることがあるが、よくよく考えれば最近は各場所がTwitterくらいしか無い。実は一応ホームページを持ってはいるのだが、というかそういうことになっているのだが、あそこの更新をするつもりは現在毛頭なく、CSSの使い方もアップローダーの使い方も忘れた。パスワードも忘れた。無理。ばーーーか。

Twitterは長文を書くには向いてないので、そうだここに書けばいいじゃんと思い当たり、垂れ流すことにした。

なお「全体公開の記事もちょっとは必要なのでは?宣伝とまでは言わずとも、どんなくだらない内容とは言え一応読めるコンテンツがあるというのは大事なのでは?」というごく小市民的な思惑もある。

さて、こういう文章は雑に書き散らすのがいつもの調子なので、ろくに推敲もせず読みづらいことと思うが、気をつけられる範囲で気をつけるので、お許し頂こう。これは小学高学年の頃に先生の思想の一環で毎日書かされていた作文の延長線上にあるもので、本来、当時の先生にしか読ませないはずのものなのだ。あ、これ伏線です。


さて本題。

地獄とはなんだろう?

地獄とは、死んだ後の世界ではなく、死んだような世界だ。

そう考えれば、地獄なんてこの世界のどこにでもある。

「少女の黄昏がここにある。黄昏なんてどこにでも存在する」

これは、僕が敬愛する友人と書いたあるお話の、今でも忘れられない、とても大好きなワンフレーズだが、要するに、個人にとっても「世界の終わり、人生の終わり、個人の終わり」と感じる瞬間なんてどこにでも転がっていて、それは、傍目にはくだらないことだったり、あるいは傍目にもやばいことだったり、あるいは中途半端でどう感情移入すれば良いのやら首を傾げてしまうものもあるが、そのどれにも共通して言えるのは「そいつ自身にとっては本当にヤバくて辛くて人生を歪めてしまう出来事」だということだ。

黄昏、という言い方は少し詩的で、この切実さを表すに適切ではない感じがした(それはそれとしてこの言葉はとてもとても好きなのですが、目的に応じて言葉は使い分けるものだ)ので、ここではあえて大げさに地獄と表現する。

地獄も天国も、この世界にある。というか自分自身の中にある。

個人の地獄。個人的な、自分だけの、地獄。


さて地獄の話。僕にもいくつかそういうエピソードが存在する。

僕自身が最もバグっていた小学5~6年くらいのエピソードのうち一つを紹介しよう。ちなみに、子供の頃の失敗は大人になると笑える経験になるなんてよく言うが、僕は日を経るにつれて恥ずかしさ、憎々しさ、おぞましさは増す一方であり、これは書けるようになったのではなく、とうとう書くしかなくなったという感情なので、くだらないと感じても、出来れば茶化さずにお願いしたい。


僕が小学校高学年の頃、少し若い男の先生が担任だった。

その担任は少し風変わりな人で、人当たりがよく、深い思索を好み、学校の授業枠を時折潰してまで、哲学的な議論を小学生達にさせた。

「人は何のために生きるのか?」なんて話。

「読書感想文を漫画で書いてはいけないのは何故か?」という話。

流石に小学生時分の話なので、はっきりと覚えているのはこれくらいだが、まあ、当然2回や3回の話ではない。僕は、当時、その先生のことがとても好きだったことを覚えている。子供によって、あるいは親にとってもとても評価の分かれる先生だろう。

その先生は、授業の全行程が終わった後、毎日作文をさせていた。毎日である。

最後のホームルームを終えて、さあこれから帰るぞという時に、「その日何を思ったか」を文章で書かされる。一人の例外もない。「何があったか」ではなく「何を思ったか」というのがミソで、あくまで自分自身の思索をせよとのお達しだ。とは言えクオリティに是非はなかったようで、要領のいい子供はどうもてきとうなことを書いてさっさと終わらせていたようだ。僕はその辺り、なまじ書きたいことが多かったり、長ったらしい文章になる癖があったり、真面目というか、律儀な子供だっただけに、苦労した覚えがある。とても楽しかった覚えもあるが。

「何を書けば良いのかわかりません」

「じゃあ、なぜ何を書いたら良いのかわからないのかを書けばいい」

この問答は、子供心にすごく心に残っていて、今でも厄介な状況を打破するための一フレーズだったりする。僕はこの先生の授業を通して、人生観や文章力の基礎を培ったと言っても過言ではない。


さて、ここまで書けばいい思い出のような話だが、これは地獄である。


当時僕はこの先生のことが大好きだった。小学生以降、一切の親交はなかったが、高校生くらいまで好きなままだった。しかし、20歳の頃、その当時に先生とクラスメイトの皆で埋めたタイムカプセルを取りに行く約束の日に、僕は行くことが出来なかった。そして今では、「反面教師だな」というのがほぼほぼ結論である。

なぜそうなってしまったのか?ある一つのエピソードに殆ど全ての原因がある。


さて、前述した通り、作文は毎日書かされていた。小学生に、一人の例外もなく、毎日である。他の人がどんな文章を書いていたか、僕は知らない…というか僕だけが知らないが、僕は毎回原稿用紙びっしりに書いたり、裏に書いたりしていたため、その手間はご想像頂ければと思う。

それだけ書いてればネタも尽きる。書けることがなくなっていった時、人は、心を掘って掘って掘って、その底にある得体のしれない感情を書く。

得体のしれない感情を書いた。理由のわからない不安を書いた。それを僕は、小学生ながらに、え~…少し原文ママは恥ずかしいので、ぼんやりニュアンスだけをお伝えすると、「とてもつらい何かがあったんだけど、それを僕は忘れさせたのではないか」と表現した。

実際にはそんな忘れるべき辛いエピソードはなく、いや、あったかもしれないが、まあ、そこまで大げさな人生ではないはずで、世界には僕より不幸な人間などそれこそいくらでもいるし、自分が世界一不幸なのではなんて葛藤は、まあ小学生らしい勘違いなのだが、要するにこれは、僕が自分自身の心の底からすくいあげた、すくってしまった、誰にも渡してはならないひとしずくだったわけだ。

これまで、その文章は内容は秘匿されたまま返却され、誰もお互いに文章を見せ合ったり…少なくとも僕はしなかったし、まあ殆どの人間は実際避けていたように思う。作文用紙には一言二言先生の感想が赤ペンで書き加えられて、でも、大体が無難な内容であったように思う。そりゃそうだ。クラス全員の感想なんて、そうならざるを得ないし、そうあって欲しかった。こんなデリケートな文章、批評にさらされるのはごめんだ。

だから油断して、書いてしまったのだ。


数日後。その文章を朗読させられた。

授業参観だった。


長すぎ。疲れてきたので続く。























Comments

これでもなるべく平淡な文章を心がけたつもりなのですが、やはり後から読み返すと色々と感情的な文になっててよろしくないですね。地獄の話なので仕方ないですね、そういうものと思ってよろしくどうぞ。

緑のルーペ

人が歪む匂いがする

ここまで読んだ時点で地獄の音が聞こえてきました。

福虎


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