SamSuka
CHRoSH / 秒針えんぷてぃっく
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汚れた水の中を素足で歩くみたいに震えるほど気持ちの悪い現実感



ウサギキノコ「自己嫌悪」より




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人身事故による電車の遅延。


人身事故ってつまるところ自殺ですよね。


全部がそうじゃないかもしれないけど。




無関係な生者の足を引っ張りながら死んだ人間は


死んだことすら誰にも知られず消える。


罪人は死んだことすらなかったことにされる。


命の重さは平等ではない。


人を傷つけた罪人の命の価値は


傷つけられた人の命と平等ではない。


凶悪犯罪はびこる現代社会で


この感覚はごくごく自然だと思います。




命は平等なんてキレイゴト。


つまり私の命もその程度かもしれないということ。


それを否定できる人間はいないということだ。


命の重さは平等ではないのだから。




無価値なだけでなく


他者をないがしろにし続ける私の命が


他者の命と同じ尊さを持つ証拠など


どこにもない。




さっさと死ねばいい私なんか。






「努力が報われないのは間違った努力をしているから」


という理屈は嫌い。


所詮、


成功したら「いい努力」


しなかったものが「間違った努力」と呼ばれる


という結果論でしかないと思うから。




でも内心は


自分の努力が空回ってることはわかってる。


間違っていることはとっくにわかってる。


だから「間違った努力なんてない」って反発することで


その現実を認めまいとしてるんだろうな私は。




今それを直視したら再起不能になるから。




勝手に苦しんで、周りにも不快をばら撒いて、


得たものは何もありませんでした、なんて


本当になんのために生きてるんだかわからない。




つまり私は


ただ現実と向き合うのが怖くて逃げてるだけの臆病者。


「現実と向き合えない臆病者」。


創作ではよく主人公が悪役にいう言葉だね。


何気なく読んでたけどまさか自分に刺さるとはね。




さっさと死ねばいい私なんか。






お絵描きの話。


上手い絵を見ると辛くなる。


真似しようとしてもできなくて、


下手くそな自分の絵を見て辛くなる。


まぁ、私に限らない


どこにでもあるありきたりな話。




でも技術に嫉妬はしない。


上手くなる分頑張ってきたであろうことはわかるし。


評価数ももちろん、


圧倒的に上手ければ圧倒的に評価されて当然。


だから嫉妬しない。


自分のヘボさに辛くなるから直視できないけど。




過去にも語ってるけど


私が本当に妬ましいのは


頑張って幸せを掴んだ人じゃない。


幸せだから頑張れた人。


頑張る前から幸せだった人。




上手くなる前からたくさんの応援を受けて


楽しく描き続けられている人。




つまり私が本当に望んでいるのはそれなんだろうね。




こうなるともう頑張る元気なんてない。


「楽しく頑張れる人」がゴールなんだから、


死ぬ気で頑張って何を手にしたところで


敗北感しか残らない。




いや、ゴールは本当にそこか?


本当はちやほやされたいだけじゃないのか。




前回も呟いたが


いくら上手くなっても自分の絵に価値が生まれるとは思えない。


構造上の問題で、空席は初めからない。




価値とはなんだ。


人に見てもらうことだ。


「ちやほやされたい」という目標を達成するための


道具としての価値だ。


きっと私の本心はこうだろう。




だからこう思ってる。


見てもらえるかどうかは上手いかどうかとは関係ない。


事実、上手くなる前から見てもらえてる人がいるのだから。


それはつまり、


上手いからって見てもらえるとは限らないということ。


だから、上手くなったところでなんの意味もない、と。




これが私の本質か……




だが不思議だ。


私は、自分が上手くなっても


人に見てもらえることは絶対にないと確信がある。


でも、人の絵を見て


「こんな魅力的な絵なら伸びるだろう」って思うことはある。


事実その人は伸びていたり、


数か月後に界隈の有名人になっていたりする。


なのに、


自分が修業を積んでそのくらいうまくなれば


自分も見てもらえる、とは微塵も思えない。


追いつける気がしない、も多少はあるがそれより、


上手くなれば見てもらえるという前提が


自分に対してだけ適用できない。




結局私は


努力する辛さに耐えられなくて


逃げるために「どうせ無駄」って言い訳してるだけ。


ただの怠け者なのかもしれない。




さっさと死ねばいい私なんか。






「界隈」というものに


所属しようとして


所属できなくて切ったことは何度もあった。




本当に所属できていなかったのだろうか。


そもそも「界隈」とはなんだ。




ちやほやされたい、つまり


「その界隈で一目置かれる存在でありたい」


という自分の望みが叶わなくて


駄々捏ねて暴れていただけだろう。




末端だって、小さなグループだって


界隈は界隈だ。


それに満足できなかった自分の貪欲だ。




さっさと死ねばいい私なんか。






人の言葉が


全て自分を突き刺しているように感じる。




心の拠り所が欲しい。


友達が欲しい。


友達とはなんだ。


どうせ私のことだ。


「自分にとって都合のいい人が欲しい」


こう思っているんだろう。


それは友達とは言わない。




そんなこと思うやつの友達になりたいか?


少なくとも私は嫌だね。


ほら、なんで孤独なのかわかりきっているじゃない。




私に友達を作る資格などない。




人の言葉が


全て自分を突き刺しているように感じる。


感じる、んじゃない、実際に刺されてるんだよ。


私を叩くにはいくら悪口を並べても足りない。


その程度のゴミクズなのだからな。


自分を突き刺しているその言葉は全て真実だ。




さっさと死ねばいい私なんか。






「承認欲求を捨てられない哀しい人ね」とでも思うだろうか。




私はアドラー心理学が大嫌いだ。


あんなもの質の悪い宗教だとすら思ってる。


散々日本の若者を苦しめてきた根性論と何が違うのか。




でも内心はわかってる。


あれは正論だ。


私の方が、正論を突きつけられて逆上しているだけだ。


あれができない自分が間違っているんだ。




「幸せじゃないのは不幸になりたがっているからだ」


「過去を言い訳にしているだけだ」


「自分を幸せにしようとしていないからだ」




全部自己責任だ。




さっさと死ねばいい私なんか。




でもこれだけは言わせて欲しい。




鬱は心の骨折だ。


そしてアドラー心理学は骨折の治療における「リハビリ」だ。


そう思う。


だから鬱の人に


「自分の意志で不幸な思考を捨て幸せになろうとしろ」


というのは、


骨折の人に「痛くても足動くなら走れるだろ」というようなもの。


それだけはわかってもらいたい。




前向きなことを考える、それ自体を脳が拒否する、


前向きになろうとすると死ぬほど辛くなる、


激しい吐き気とストレスで腕を切りたくなる、


それが鬱なのだから。




まぁ、これも所詮、


自分の弱さを他人のせいにして正当化してるだけか。


私は鬱なんて大層なものじゃない。


人に構って欲しくて鬱気取ってるだけのファッション鬱だから。


私を鬱なんて言ったら本当に苦しんでいる人に迷惑だ。




アドラー心理学を好む皆様、


鬱の人に声かけるときは


必ずその人が「今そのタイミングか」判断して教えてあげてください。




私は鬱じゃないから別に絞め殺してもいいけど。


絞め殺されるだけの正当性はあると思ってるから。




さっさと死ねばいい私なんか。






幸せってなんだろう。




ちやほやされてる人を見てもがいてきた私からすれば、


当然、初投稿から人気だった人は妬ましい。


けれど、初投稿から人気だったゆえに


プレッシャーからか絵が描けなくなる人もいる。


その人は幸せか?そんなわけはないだろう。




幸せってなんだろう。




いつも笑えたらいいのか。


リトライ☆ランデブー。


そのくらい単純な思考でいられたら


こんなことにはなってなかっただろうさ。






現実を直視できない臆病者。


直視できたとして


じゃあどうやって立ち直ればいいんだ。




今までの人生は全て無駄だったと認め、


自分はただひたすらに醜いと認め、


誰かと接する資格もないことを認め、


一人で生きられる力もないことを認め、




未来などないという答えしか見えないわけだが。




さっさと死ねばいい私なんか。






心にあったこと洗えるだけ洗い出した。


まぁ楽になるわけでもないんだけどね。




まとまらなくなった。


まぁまとめる気なんか最初からなかったけどね。






そんなくろっしゅさんですごきげんよう。




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