05 漆黒の闇が渦巻く中、かすかに赤い光が揺らめいている。それは地獄の業火なのか、それとも誰かの魂の輝きなのか。 僕は扇を開き、十二神将たちの気配を確かめる。彼らの存在が、この濃密な闇の中で微かな光となって僕を守っている。 「ほう、十二もの式神を使役できるとは」 冥王の声が、闇の中から響いてくる。その声には、どこか愉悦の響きが混ざっていた。 「だが、それもまた運命の皮肉というものだ」 黒い刀が閃く。その軌跡が、闇の中に赤い筋を描いていく。 「寅!」 白虎の姿をした式神が僕の前に立ち、刀撃を受け止める。しかし、刀身から放たれる黒い霧が、式神の体を少しずつ蝕んでいく。 「ふむ。対霊力に特化した式神か」 冥王は興味深そうに呟く。 「だが、この刀は少し違う。科学と霊力が混ざり合った、誰も見たことのない力だ」 その言葉通り、寅神将の体が徐々に歪んでいく。まるで楓が作り出したウイルスのように、式神の霊体が侵食されていった。 「卯、辰!」 二つの式神が加勢する。しかし冥王は、まるで待っていたとばかりに刀を振るう。黒い軌跡が三重の螺旋を描き、式神たちを包み込んでいく。 「面白い...実に面白い」 冥王の声が、歓びに満ちている。 「これこそ、私が求めていた光景だ」 黒い刀が、まるで生き物のように蠢く。その刃には、楓の研究データが刻まれた術式が浮かび上がっては消えていく。科学と陰陽術が歪な形で混ざり合い、禍々しい力を放っている。 「巳、午!」 僕は即座に新たな式神を召喚する。白蛇と黄金の馬の姿をした式神が、冥王を挟み撃ちにする。 「ほぅ」 冥王は黒い刀を横に構え、両方の攻撃を受け止める。刀身から溢れ出る黒い霧が、式神たちの動きを鈍らせていく。 「お前の式神たちには、面白い特徴がある」 黒衣の男が、ゆっくりと語り始める。その声には、どこか教師のような響きがあった。 「十二神将、それぞれが異なる性質を持つ。しかし、それらは単なる力の違いではない」 冥王は片手で霧を操り、もう片方の手で刀を振るう。その動きには無駄が無く、まるで永きに渡って戦いを研究してきたかのようだった。 「式神たちは、お前の心の投影でもある」 「僕の...心?」 問いかけに、冥王は薄く笑う。 「子の機敏さは、お前の臆病さの表れ。丑の堅固さは、信念の強さ」 刀が閃き、午の頭上を掠める。黄金の馬は咆哮を上げ、蹄から神聖な光を放つ。しかし、その光は黒い霧に飲み込まれていく。 「そして、この力こそが」 冥王は刀を掲げ、楓の眼鏡のレンズが不気味な光を放つ。 「研究者として、最も価値のあるデータだ」 突如、広間の床に無数の術式が浮かび上がる。それは楓が描いていた封印陣に似ているが、より複雑で歪な模様を描いていた。 「この地獄の底に、私は長年の研究成果を埋め込んでおいた」 術式が次々と光を放ち、その輝きが僕の式神たちを包み込んでいく。 「未!申!」 羊と猿の姿をした式神が、仲間たちを守ろうとする。しかし、術式の光は防御を易々と突き破っていった。 「無駄だ。この術式は、お前の式神たちの性質を完全に分析し尽くしている」 冥王の声が、闇の中で反響する。 「楓は優秀な研究者だった。彼の観察眼と分析力は、お前の力の本質を見抜いていたのだ」 術式の光が式神たちを貫く。まるでウイルスに感染したかのように、彼らの姿が歪んでいく。 「くっ...」 痛みに顔を歪める。式神たちの苦しみが、僕の体にも伝わってくる。それは単なる物理的な痛みではない。心そのものを蝕むような感覚だった。 「さぁ、見せてみろ」 冥王が黒い刀を構える。その刃には、楓の研究データが新たな術式となって刻まれていく。 「お前の式神たち、いや、お前の心が、どこまで耐えられるかをな」 冥王の言葉と共に、床の術式がより強い光を放つ。僕の式神たちの姿が、まるでガラス細工が砕けるように歪んでいく。 「戌!」 銀色の犬の姿をした式神が前に出る。その体から放たれる波動が、術式の光を押し返していく。 「ほう、抵抗するか」 冥王は興味深そうに眺める。しかし、その表情にはどこか予測済みといった色があった。 「戌神将、調和の力を持つ式神」 黒衣の男は、まるで講義をするように語り始める。 「相反する力を調和させ、歪みを正す。お前の中で最も純粋な式神だ」 その言葉通り、戌神将の波動は他の式神たちの歪みを徐々に正していく。しかし――。 「だが、それこそが最大の弱点となる」 冥王が黒い刀を振るう。刀身から放たれる霧が、戌の波動と交わる。 「純粋すぎる力は、それだけ濁りに弱い」 霧は戌の波動を、まるで染料が水に溶けるように汚していく。純粋な調和の力が、逆に毒となって式神の体を蝕んでいった。 「くっ...戌!」 銀色の犬が苦しげな声を上げる。その姿が霧の中に溶けていこうとした時、突然、異変が起きた。 「何!?」 冥王の声に、初めて驚きの色が混じる。戌の体が、金色の光を放ち始めたのだ。 「そうか...気付きましたか」 僕は静かに告げる。額から流れる冷や汝を拭いながら、扇を大きく開く。 「純粋な力は確かに濁りに弱い。でも――」 戌の光が、次第に強さを増していく。 「純粋さこそが、最も強い盾にもなるんです」 光は濁りを押し返し、むしろ霧の方を浄化し始める。それは戌の力だけではない。十二神将全ての力が、共鳴するように輝きを放っている。 「ふむ...」 冥王は黒い刀を構え直す。その刃に、楓の研究データが新たな術式となって浮かび上がる。 「確かに、お前の式神たちの力は私の予想を超えている」 しかし、黒衣の男の声には焦りの色は無かった。むしろ、より深い興味を示すような響きを持っていた。 「だが、それはそれで...より価値のあるデータとなる」 術式の光が、さらに強さを増す。床一面に描かれた模様が、まるで生き物のように蠢き始めた。 「見せてもらおう。お前たちの、本当の力を」 冥王が刀を振り上げた瞬間、広間全体が血のような赤い光に包まれる。天井から無数の鎖が降り注ぎ、床からは黒い炎が立ち上る。 「来るぞ...!」 僕は十二神将たちを円陣に組ませる。戌神将を中心に、十一の式神が守りを固める。 善なる力、そして正しき道。それは時として冷酷さを伴い、傷つける者となる。楓との戦いで、その事実を思い知った。 しかし、だからといって――。 「道を違えるわけにはいきません」 僕は扇を大きく振るう。十二神将の力が一つとなり、黄金の光となって広間を照らし始める。 「さぁ、全てを賭けた実験の時間だ」 冥王の声が響く中、決戦の火蓋が切って落とされた。 黒い刀が閃く。その軌跡が、空間そのものを切り裂いていく。切断された空間の隙間からは、地獄の業火が漏れ出している。 「子、丑!」 二体の式神が即座に対応する。白鼠の俊敏さと、黒牛の堅固さが組み合わさり、業火の侵入を防いでいく。 「ほう、相性の良い組み合わせだ」 冥王は一歩も動かない。ただ、黒い刀を軽く回転させる。その動きに合わせ、楓の眼鏡のレンズが不気味な光を放つ。 「しかし、それも所詮はデータの範囲内」 床に描かれた術式が新たな輝きを放つ。その光は、まるでウイルスのように式神たちの体を侵食していく。 「寅、卯!」 白虎と白兎の姿をした式神が、仲間たちを守るように前に出る。しかし――。 「無駄だ」 冥王の一言と共に、術式の光が激しさを増す。それは単なる力ではない。楓が長年研究してきた、陰陽術を解析するためのプログラムが組み込まれていた。 「くっ...」 僕は歯を食いしばる。十二神将の苦悶が、まるで自分の痛みのように伝わってくる。 「面白い反応だ」 冥王が静かに告げる。 「式神との繋がりが強すぎる。それは力となる一方で、大きな弱点にもなる」 黒い刀が、まるで蛇のように蠢く。その刃には、新たな術式が刻まれていく。 「辰!巳!」 蒼い龍と白蛇の姿をした式神が、水流と毒気を放つ。しかし、冥王は微動だにしない。 「お前の式神たちには、それぞれ個性がある」 黒衣の男は、まるで研究データを読み上げるように語り始める。 「しかし、その個性の強さこそが、時として足かせとなる」 刀身から放たれる黒い霧が、式神たちの力を解析していく。それは楓の研究の集大成、霊力を数値化し、対策を導き出すシステムだった。 「この刀に組み込まれているのは、楓の研究データ」 冥王は刀を掲げる。眼鏡のレンズが、より強い光を放ち始める。 「彼は実に優秀な研究者だった。お前の式神たち、そして陰陽術の本質にまで迫っていた」 その言葉に、僕は何かを悟る。 「そうか...お前が楓を歪ませたのか」 「そう」 冥王は初めて、素顔を見せるように霧を晴らす。そこには、まるで学者のような知的な相貌があった。 「私は彼に、研究の場を与えただけだ。人の魂を科学する。それは、彼自身の望みでもあった」 「しかし、その研究は」 「人の道を外れる?」 冥王が僕の言葉を遮る。その声には、どこか哀しみが混じっているように聞こえた。 「ならば問おう。人の道とは何だ?」 黒い刀が、まるで問いかけるように僕に向けられる。 「死者を弔い、魂を導く。それが陰陽師の務め。だが、その教えは絶対のものなのか?」 術式の光が、より濃密になっていく。 「人は進化する。そして科学もまた、進化を続ける。その流れの中で、古い教えに縛られ続ける理由などあるのか?」 「それは...」 答えに窮する僕を見て、冥王は静かに続ける。 「楓は、その答えを追い求めた。そして、お前は彼の追求を否定した」 黒い刀が、僕の胸元めがけて突き出される。 「さぁ、お前の答えを示してみろ」 黒い刀が、僕の胸元に迫る。その刃には、楓の研究データが無数の術式となって刻まれている。科学と陰陽術、相反する力が融合した一撃。 「午!未!絶対防御態勢!」 黄金の馬と白羊の姿をした式神が、刀身を受け止める。しかし、その瞬間、刃に刻まれた術式が発動する。 「データ解析開始」 冥王の声が響く中、式神たちの体が強張る。まるでコンピュータにスキャンされるように、彼らの力が数値化されていく。 「興味深い」 黒衣の男の瞳が、研究者のように輝く。 「午、太陽の力を宿す式神。未、慈悲の力を持つ式神。それぞれ独立した力を持ちながら、完璧な補完関係を形成している」 術式の光が式神たちを貫いていく。その光は、彼らの力を解析すると同時に、弱点を抉り出そうとしていた。 「しかし、それは逆に」 冥王が刀を振り上げる。 「弱点にもなり得る」 刃が閃く。午と未の結界が、まるでガラスが砕けるように粉々になっていく。 「くっ...!」 痛みに顔を歪める。式神たちの苦しみが、まるで自分の体が引き裂かれるように伝わってくる。 「お前は強すぎる」 冥王が静かに告げる。 「だからこそ、弱さを理解できない。楓が求めた答えを、否定することしかできなかった」 その言葉に、記憶が蘇る。楓の研究所で見た光景。無数の術式が描かれた研究データ。そして、彼の眼鏡の奥に潜む狂気と、同時に垣間見えた悲しみ。 「申、酉!」 猿と鶏の姿をした式神が現れる。しかし、その姿が術式の光に解析される前に、僕は気付いた。 「待って」 式神たちの動きが止まる。 「強すぎる...」 僕は呟く。その言葉に、冥王の眉が僅かに動く。 「私は、強すぎた」 扇を下ろし、ゆっくりと目を閉じる。 「だから、弱さを認められなかった。楓の苦しみも、研究への渇望も」 目を開けると、式神たちの姿が変わり始めていた。これまでの神々しい輝きは消え、より素朴な、しかし確かな温もりを帯びた光を放っている。 「お前は何を」 冥王の声に、初めて困惑の色が混じる。 「科学は進化する。それは間違いありません」 僕は静かに歩み出す。 「でも、それは古いものを否定することではない。理解を深め、受け入れ、そして...共に歩むこと」 十二神将の姿が、より柔らかな光に包まれていく。それは浄化の光でも、破魔の力でもない。ただ、全てを受け入れようとする優しい光だった。 「戌、亥」 犬と猪の姿をした最後の二体の式神が現れる。しかし、彼らは戦いの構えを取らない。 「面白い」 冥王が黒い刀を下ろす。 「お前の力が...変わっている」 冥王の声には、純粋な驚きが混じっていた。眼鏡のレンズを組み込んだ刀が、僕の新たな力に反応するように震えている。 「これは...」 研究者のような目つきで、冥王は僕の周りに立ち並ぶ十二神将を観察する。彼らの放つ光は、もはや術式では解析できないものに変わっていた。 「科学では説明のつかない変化」 「はい」 僕は静かに頷く。十二の式神たちの光が、さらに柔らかな輝きを増していく。 「楓さんは、陰陽術を科学で解明しようとした。それは間違いではありません」 扇を開きながら、僕は続ける。 「でも、全てを理解しようとするあまり、理解できないものを否定してしまった。そして私も...同じ過ちを」 その時、異変が起きた。黒い刀に組み込まれた楓の眼鏡が、強い光を放ち始めたのだ。 「何!?」 冥王が刀を掲げる。しかし、眼鏡は制御を外れたように輝きを増していく。その光は、楓が残した最後の意思のようだった。 「これは...」 僕は感じ取っていた。眼鏡の中に残された、楓の本当の想い。研究への情熱と、同時に抱えていた深い孤独。全てを理解したいという渇望と、理解されたいという願い。 「戌」 銀色の犬の姿をした式神が、眼鏡に近づいていく。もはやそこには、戦いを挑む姿勢はない。ただ、受け入れようとする優しさだけがあった。 「やめろ!」 冥王が刀を振るうが、既に手遅れだった。眼鏡が刀身から分離し、宙に浮かび上がる。そして、戌の放つ光と共鳴し始めた。 「楓...」 僕は目を閉じ、その光を感じ取る。そこには確かに、研究者としての楓の意思が込められていた。しかし、それは冷徹な数値化への渇望ではない。 理解したい。 理解されたい。 その純粋な想いが、眼鏡を通じて伝わってくる。 「この反応は...予想外だ」 冥王の声が、どこか遠くから聞こえてくる。黒い刀は、力の源を失い、ただの鉄の塊と化していく。 「お前は、私の実験台のはずだった」 その言葉に、僕は静かに目を開ける。 「実験、ですか」 十二神将の光が、さらに強さを増す。しかし、それは相手を倒すための力ではない。 「確かに、世界は実験の繰り返しなのかもしれません。でも、それは決して冷たいものであってはならない」 楓の眼鏡が、よりいっそう強く輝く。その光は、研究者としての冷徹さと、獣人としての情熱が溶け合ったような、温かな輝きを放っていた。 「理解することは、否定することではないのですから」 06 その言葉が響いた瞬間、楓の眼鏡から放たれる光が爆発的に増大する。それは地獄の闇をも押し返すほどの、純粋な輝きだった。 「このデータは...」 冥王の声が震える。眼鏡の中に残された楓の研究データが、次々と形を変えていく。冷たい数値が温かな光となり、無機質な術式が生命力に満ちた模様へと変容していった。 「お前たちは、私の実験を台無しにする気か」 冥王の周りに、濃密な闇が渦巻き始める。それは単なる暗闇ではない。地獄の底に眠る、全ての否定的な感情が具現化したような漆黒の力だった。 「実験であれ、研究であれ」 黒衣の男は歩み出る。その足跡には、もはや人の世のものとは思えない禍々しい力が満ちている。 「全ては私の意のままとなる。それこそが、冥王の意志」 天井から無数の鎖が降り注ぎ、床からは業火が噴き出す。広間全体が、冥界の力に支配されていく。 「子から亥まで」 僕は静かに十二の式神を見渡す。彼らの姿は、もはや単なる神獣の形を超えていた。それぞれが、僕の心の一部として、確かな意思を持って輝いている。 「皆の力を、借りますよ」 十二神将が円陣を組む。中心には楓の眼鏡が浮かび、研究者としての情熱と、魂の温もりを放っている。 「無駄な抵抗だ」 冥王が両手を広げる。地獄の底から、さらなる闇が湧き上がってくる。 「私こそが、全ての研究の頂点に立つ者。理解を超えた存在」 その言葉に、僕は静かに首を振る。 「誰もが、理解を求めている」 楓の眼鏡が、よりいっそう強く輝く。 「同時に、誰もが理解されることを望んでいる。それは冥王であっても、同じはず」 「なに...?」 冥王の動きが、一瞬止まる。 「黒い霧の向こうで、ずっと研究を続けてこられた。でも、その研究は本当に求めていたものだったのでしょうか」 十二神将の光が、さらに強さを増す。それは戦いを挑む力ではない。ただ、真実を照らし出そうとする光だった。 「私は...私こそが...」 冥王の声が、微かに揺らぐ。その姿から、黒い霧が薄れ始める。 「理解の果てに何があるのか。それを知りたいがために、私は...」 その時、楓の眼鏡が大きく波打つような光を放った。その中に映し出されたのは、数多の研究の記録。冥王が積み重ねてきた、果てしない探求の歴史。 そして、その奥底に秘められた、孤独な想い。 「これは...私の...」 冥王の声が震える。楓の眼鏡に映し出された無数の記録は、単なるデータではなかった。それは研究者としての情熱、真実を求める純粋な想い、そして...その果てにある深い孤独。 「理解の果てには、いつも孤独があった」 黒衣の男の周りの霧が、さらに薄れていく。 「人の世の理を知れば知るほど、人の世から遠ざかる。それが研究者の宿命」 その言葉に、楓の眼鏡が共鳴するように光を放つ。 「だから私は、全てを実験台とした。感情も、絆も、魂さえも...ただの観測対象として」 僕は静かに歩み寄る。十二神将たちも、もはや戦いの構えを見せない。 「冥王」 「黙れ!」 怒りの声と共に、地獄の業火が噴き出す。しかし、その炎は何か違っていた。もはや冷徹な実験者の力ではなく、理解を求める者の悲痛な叫びのようだった。 「私は冥界の支配者!理解を超えた存在であるべき...」 その時、楓の眼鏡から一筋の光が放たれる。その光は冥王の胸に直接触れ、そこに秘められた記憶を呼び覚ましていく。 「これは...」 研究所での日々。真理を追い求める若き学者の姿。そして、次第に人々から遠ざかり、ついには冥界の王となった孤独な魂。 「私もまた...理解されることを望んでいた...?」 冥王の周りの闇が、少しずつ晴れていく。その姿は、もはや恐ろしい地獄の支配者ではなく、一人の求道者のように見えた。 「戌」 銀色の犬の姿をした式神が、静かに冥王の元へと歩み寄る。その放つ光は、かつての浄化の力とは違っていた。ただ、全てを受け入れようとする温かな光。 「やめろ...私は...」 冥王の声が、次第に力を失っていく。楓の眼鏡が放つ光と、戌神将の波動が交わり、新たな輝きとなって広間を満たしていく。 「理解を超えることが、孤独を癒すわけではありません」 僕は静かに告げる。 「理解しようとする心、理解されようとする想い。その両方があってこそ」 十二神将の光が、最後の輝きを放つ。それは冥王の心に、そっと触れるような柔らかな光だった。 「ああ...」 冥王の姿から、黒い霧が完全に消えていく。残されたのは、一人の研究者の魂。真実を求め続けた、純粋な探求者の姿。 「これが...理解の果て、ですか」 その声には、もはや支配者としての威厳はなかった。代わりに、長い探求の旅を終えた者の安らぎが感じられた。 「いいえ」 僕は首を振る。 「これは、新たな始まりなのだと思います」 その言葉が響いた瞬間、広間全体が光に包まれる。地獄の業火は消え、漆黒の闇は晴れていった。そして――。 「見てください」 楓の眼鏡が、最後の輝きを放つ。その光は部屋の中央に集まり、一つの形を作り出していく。 現れたのは、白衣を着た狼獣人の姿。オレンジ色のパーカーは少し色褪せているものの、かつての楓の姿そのものだった。 「夜見野くん...」 透明な体を持つ楓が、僕の方へ振り返る。その瞳には、もはや狂気の色はない。代わりに、深い悟りのような光が宿っていた。 「私は...何を求めていたのでしょうね」 その声は、どこか懐かしい温かさを持っていた。 「理解したいという想いと、理解されたいという願い。その狭間で、私は道を見失ってしまった」 楓はそっと微笑む。その表情には、研究者としての情熱と、魂の安らぎが同居していた。 「しかし、今ならわかります」 彼は自分の手のひらを見つめる。そこには、かつての研究データが光となって浮かんでいた。 「理解することは、支配することではない。寄り添い、受け入れること。それこそが、本当の研究者の姿だったのですね」 その言葉に、冥王もまた静かに頷く。もはやその姿には、地獄の支配者としての威厳はない。一人の求道者として、楓の言葉に深く共感しているようだった。 「楓」 僕が声をかけると、彼は優しく首を振った。 「もう良いのです。私の輪廻は、ここで終わりにしましょう」 楓の体が、光の粒子となって舞い始める。 「ただ、最後に一つ...」 彼は僕をまっすぐに見つめる。 「冥府に落ちた私の怨念に注意を...そして...」 その瞳に、一筋の涙が光る。 「未来の研究者たちに、私からのメッセージを」 楓の体が、さらに光の粒子へと変わっていく。 「理解することに、終わりはない。でも、それは決して孤独な旅路である必要はないのだと」 最後の言葉と共に、楓の姿が完全に光となって広間に広がっていく。その光は温かく、研究者としての情熱と、獣人としての温もりが溶け合ったような輝きを放っていた。 「行ってしまったか」 冥王が静かに呟く。その声には、もはや実験者としての冷徹さはなかった。 「いいえ」 僕は首を振る。十二神将の光が、部屋に満ちた光と共鳴する。 「彼の想いは、これからもずっと記憶に残さないといけませんね...」 眼鏡が、最後の輝きを放って消えていく。しかし、その光は確かに、この地獄の底にも、新たな夜明けをもたらしていた。 「私も、学ばせてもらいました、彼岸くん」 冥王が静かに告げる。 「理解を超えようとするのではなく、理解し合おうとすること。それこそが、私たちが求めるべきもの」 天井から一筋の光が差し込む。地獄の底とは思えない、温かな光だった。 「冥王様」 僕は静かに声をかける。暖かな光の中、黒衣の男の姿はより人間味を帯びて見えた。 「お前はこれからどうする?」 冥王は僕を見つめる。その瞳には、もはや戦いの色はない。 「地上には、お前の力を必要とする者たちがいる」 その言葉に、僕は頷く。かつての記憶が、徐々に戻ってきていた。陰陽寮の長として、人々を導く立場。そして、理解することの真の意味を問い続けた日々。 「冥府に消えた怨念は私を...いや私の家族をも狙うでしょう。ならば、冥王。一つ提案があります」 「なんだ?」 「僕の力の半分をこの地に残します。いつか、楓の怨念が、私の子供や孫を襲うことがないように、守人となりましょう」 「いいのか?そんなことをすればお前の肉体は幼子に返り、未来御永劫成長できない体になるぞ」 僕はその冥王の問に対して、笑顔でうなずいた。私の力が半分になったことで、誰かを守れるなら...。 「わかった、止めはせぬ。以降、お前たちに干渉するのも、我が命において禁じよう。それでは...」 冥王が手を翳すと、床に描かれた術式が新たな輝きを放つ。それは以前の禍々しい光とは違い、道を示すような穏やかな光だった。 「これが、地上への道」 光の道が、天井へと伸びていく。それは地獄と地上を繋ぐ、帰路となるはずだった。 「行くがよい。そして...」 冥王の声が、不思議な響きを帯びる。 「理解することの意味を、人々に伝えるがよい」 僕は静かに歩み出す。十二神将たちも、もはや戦いの装いではなく、導きの光となって僕を包み込んでいた。 「楓の研究は」 振り返りながら、僕は告げる。 「決して無駄ではなかった。理解することへの純粋な願い。それは、きっと未来に繋がっていく」 冥王は微かに頷く。その姿は次第に霧の中に溶けていくが、最後まで研究者としての凛とした佇まいを崩さなかった。 07 御山の空が、朝もやに包まれていた。 一本の墓石の前に、彼岸の花を添えて、物思いにふけっていた僕は帰路に就く。 陰陽師の門の前に立つと、懐かしい空気が肌を撫でる。、この地は変わらず人々の営みを見守っていたのだろう。 「じーじ、どこに行ってたんダ?」 「お父さん、また散歩ですか」 愛する我が子、孫にいつものように僕は答える。 「ちょっと、底まで」