新たな年が明けたというのに、喜多川海夢の心は晴れないままだった。
年末に行われたコミック・マーケット、俗にいう『冬コミ』で自身の想い人である五条新菜との間に明確な距離が生まれていた。
今だってそうだ。
タタンタタン、タタンタタンと揺れる電車はどんな時でも狂いなくリズムを刻んでおり、それは新菜と一緒に歓びながら乗っていた時でも、新菜と距離が離れてしまった今でも変わることはなく続いていく。
その日常を象徴するような音は、まるで今の海夢の悩みが取るに足らないものだと嘲笑っているかのようだ。
しかし、今の海夢にはそんなことに苛立つほどの余裕もない。
「はぁぁ……」
海夢は、今のように切なげなため息一つ漏らしただけでも男を魅了してしまうような、あまりにも美しい少女である。
その顔立ちは西洋人形のように整っており、それでいてその華やかなファッションからも分かる通り、美容にも人並み以上には関心を持っているのか長いまつ毛やふわふわとした柔らかな金髪、生来の整った顔立ちを際立たせるメイク術も見事なもので、文字通り、『顔だけで一生食べていける』と評せるほどだ。
それこそ、多くの男は海夢から至近距離でじぃっと切なげに見つめられるだけで、何も求められていないのに自ずからその財産を貢いでしまうような、そんな魔性とも呼べるような魅力さえ携えている。
一方で、顔立ちだけではなくそのスタイルも日本人離れした見事なものだった。
その腰の高さは同じ身長の人物よりも遥かに高い位置があり、ともすれば自身よりも5センチ、いや、相手によっては10センチ身長が高い相手でようやく腰の位置が同じ高さにあるだろうと思うほどの長い美脚の持ち主である。
見事なのはその脚線美だけではなく、その胸元は未だ16歳という『子供』と呼べるような年齢にあっても手のひらからこぼれだすような美巨乳であり、その腰つきに関しても本当に内臓が入っているのかと疑ってしまうほどの細さだった。
小さな顔もあって、スタイルの良さを褒める際に使われる『八頭身』という言葉を地で行くような人物である。
胸の大きさや腰の細さ、足の長さや乳頭と乳頭の間など、その体の数値を情報として知っただけでチンポを勃起させてしまいそうな、そんな雄の欲望を嫌というほどに駆り立てる、そんな理想的な美少女だった。
「マジで、病む……雫たん見ても、シオンたん見ても、全然アガらない……」
そんな『特別』という言葉が相応しい華やかな美貌とは裏腹に、海夢は平凡な少女と同様に異性との仲を思い悩んで、その繊細な心を傷つけてしまう程度には弱々しい心を持っていたのだ。
その気持ちをなんとか持ち直そうとして、スマートフォンの待ち受け画面にしている『聖❤ヌルヌル女学園 お嬢様は破廉恥倶楽部 ハレンチミラクルライフⅡ』という美少女ゲームに登場するキャラクターである黒江雫の画像を見るものの、その気持ちは治らない。
別の好きなキャラクターを見ても同様だった。
本来ならば海夢にとっては特効薬となってくれる『推し』の顔を見ても、気持ちが沸き立たない――――というよりも、沸き立っても心の隅にべっとりと不快ななにかがついた気持ちが消えないというのは、初めての出来事である。
(……なんか、ごじょーくんの顔を見るのがずっと怖い。あの時みたいに怒ってる顔を見るのが怖くて……ううん、正面から会ったのに怒られさえしないのも怖くて……でも、怒られるのもやっぱり嫌で……会いたい相手なのに、怖いから会いたくなくて……頭と心、おかしくなりそう……)
冬コミの日。
海夢は人生で絶対に忘れられない最良の日になると確信していた。
『天命』という背筋が震えるような名作の、『天使様/ハニエル』という魂が鷲掴みされるような魅力的なキャラクターを、『五条新菜』という自分が知る限り最も素敵な制作者が作ってくれた衣装でコスプレするのだ。
自身の周りには幾人もの、本当に数えきることが出来ないほどの人に囲まれて、多くの賞賛をもらって、そういった会社の人からもスカウトももらって、海夢は心が震えるような高揚を覚えたのだ。
それは承認欲求が満たされたからではない。
天使様(ハニエル)って最高だよね、と。
ごじょーくんの衣装ってやばいよね、と。
自分が素敵だと思ったものを多くの人に認めてもらい、感動を共有できたかのようで、それは海夢の短い人生で最も最良と呼べる瞬間だったのだ。
そう、新菜の俯いて眉をしかめた、その顔を見るまでは。
(……あたし、マジでキモ。ごじょーくんに自分がして欲しいことしかして欲しくないとか、ずっとあたしのことをチヤホヤしてて欲しいとか、そんなのマジでクソ女じゃん、あたし……)
そこにショックを受けたのはもちろんだが、それからさらに海夢を追い詰める出来事が続いた。
海夢と同じまだ16歳の少年である新菜が漠然としているものの将来を見据えていること。
両親を失った中で肉親である祖父との絆の繋がりのこと。
そのために雛人形の頭師として立派になった姿を見せたいと願っていること。
そして、雛人形の頭師という職人は気が遠くなるほどに膨大な――いや、連綿とした日々の積み重ねが必要だということ。
心を掴まれるほど好きなものがあるという幸せは、『オタク』である海夢も知っている。
家族がいつ消えてしまうかもしれない事実は、『片親』である海夢も知っている。
自分が新菜から多くの時間を奪ってしまっている身勝手に、自分は新菜に何も返せていない能力の低さに、海夢は叩きのめされてしまった。
(ごじょーくんも、なんだか『天使様(ハニエル)』に凄くハマってたっぽいし……落胆しちゃったのかな……だ、大事な……大事なお雛様の練習をする時間も削ってコスプレに付き合ってくれてたのに……その結果がこの程度なのかって……趣味程度のコスプレなのかって……あたしがやる天使様じゃ『解釈違い』だって、怒ったのかな……)
ボロボロと、思い出しただけでも涙が零れそうになる。
電車の中ということもあって、海夢は隠れるように身を小さくして肩を震わせる。
(……恋をするって、もっと楽しいことだと思ってた。コスをするって、もっと楽しいことだと思ってた。それを続ける限り、ずっとずっと楽しいことばっかりが続くんだって思ってたのに……今は、その二つがきっかけで、こんなにも辛い……)
涙を隠すように俯くことで、華々しい顔立ちと類まれなスタイルを持つ絶世の美少女の海夢が、どこか自信のない『地味な女の子』にさえ見えてくるではないか。
それこそが海夢の才能とも言えるものだった。
実際にセリフを口にしたり身振り手振りを加えるとなると別だろうが、その一瞬を切り取った際の際立つような存在感と、本来の海夢とはまるで異なる魅力を放ちだすその姿は、『モデル』という職業もまたなにかを演じると定義すれば、これもまた演技の才能と呼べるだろう。
そんな海夢が、心から湧き出てくる辛い恋に打ちのめされていることで、自信に溢れて華やかな印象を与えるはずの、『ギャルファッション』という多くの男からは好まれつつもどこか『勝ち気そう』に見えるものであっても違うものに見えてくる。
大げさに思えるだろうが、ヒザ下の長いスカートに野暮ったい髪型でメガネをかけたような、そんな自信なさげな地味な少女に見えてくるではないか。
――――だからこそ、そんな気の弱そうな少女を獲物にする下衆な男が寄ってきたのだ。
「…………え?」
「ふぅぅ~~……! ふぅぅ~~……!」
もぞもぞ、と。
ミニスカ丈のスカートが蠢く感覚を覚えた。
電車の中だ、スカートが動くほどなのだから空調の風が原因なわけがない。
それだけではなく、ヘコヘコとスカートになにか硬いものが押し付けられる感覚と、フーフーと荒く臭い息がつむじに吹きかける感覚を覚える。
これがなにかわからないような海夢ではない。
(痴漢じゃんっ!)
先程のセンチメンタリズムに溢れた心痛を吹き飛ばすような怒りが沸き起こる。
海夢はこれほどの美貌を持ちながらも、幸いにも一度として痴漢被害の経験がなかった。
それは単純に幸運であるということもあるだろうが、何よりもその華々しい美貌とともに、姿勢が良いとはまた別の意味で胸を張って背筋をシャンと伸ばした立ち姿という、いかにも気の強そうなギャルという外見だったからということが大きいのだろう。
それが、新菜との関係性で思い詰めてしまって心が弱ったことで、その堂々とした態度が消えてしまったことでこのような卑劣な男を吸い寄せてしまったというわけだ。
(あー、もうっ! サイアクッ……!)
「ほぉぉ~~……! ほぉぉ~~……! 良い匂いだねぇ……ふひひ……!」
(キッモォォ~~!!!)
初めての痴漢被害にあって頭が真っ白になるほどの怒りが沸き起こり、その怒りが大きすぎるあまりに痴漢を糾弾する行動へと瞬時に移せないほどだった。
そのことに気づいていないのか、あるいは海夢ほどの美少女の体へと卑劣に性欲を向けて解消しようとすることに興奮してしまっているのか。
痴漢犯である中年男性は腰を海夢のお尻に擦り付けることに熱中しながら、そのような女性の心をおぞましさに震わせるほどの気色の悪いことを口にしていく。
その気味の悪さに喉を引きつらせて、声を出すことも出来なくなってしまう。
強い怒りと気持ち悪さがために、瞬間的に動けない上に喋れなくなった海夢を見て、中年男性は恐怖に震えてると勘違いをしてしまったのだろう。
「ほら……オチンポだよぉ……♪」
「ッ~~~~!」
さらにその腰の動きをどんどんと激しくしていくどころか、なんと、カバンで横を隠しながら男根を露出してスカートに直接擦り付けていったのである。
全身の肌が泡立つような不快感に襲われる。
「このっ、調子乗んな――――!」
ここまでされては怒りだとか気持ち悪さだとかがどれだけ多くとも、生理的な反射行動でその痴漢を跳ね除けるようにして
まさにその時だった。
「はい、おっさん。そこまでな」
「へっ…………?」
ぐいっ、と。
その痴漢の肩を勢いよく引き離す人物が現れたのである。
「な、なんだ!? 何をするんだ、君は! し、私人逮捕ってやつか!? 民間人に逮捕権はないんだぞっ!?」
「おっ立てたチンポ放りだして言うセリフじゃねーだろ。おら、わかりやすく隠せないように手を掴んでやってんだから観念しろや」
捨てる神あれば拾う神あり――ではないが。
心を傷めていた海夢を食い物にせんと卑しい性欲を持って痴漢として襲いかかった人物が男ならば、その男を糾弾するように拘束した人物もまた男だった。
胴長短足の、どうやって脚長美人の海夢のお尻にその腰のチンポを擦り付けていたのだと言いたくなるほどに不細工な中年男性は、羽交い締めにされたことでズボンのチャックを上げ直すこともできずに太めだが短い、イモムシのような形状の皮被り勃起チンポが電車内で露出される。
この騒動に、周囲の女性客が悲鳴を上げて離れていくことでさらにその痴漢が目立つことになってしまい、痴漢はついに観念してがっくりと肩を下ろすのだった。
(うわあ……わわ……わわわっ……!?)
そんな、まさしく白馬の王子様のように海夢を救った男を見て、海夢は顔を真っ赤にしながら口元に手を当てる。
すでに先程まで抱いていた怒りは吹き飛んでおり、チンポを露出しているみっともない中年男性には目もくれていない。
じぃっと、誘蛾灯に吸い寄せられる真夏の虫のように男の顔を見つめているのだ。
そんな風に熱い視線を向けて海夢が何を考えているかと言うと――――。
(か、か、かっこいいぃぃ~~~~❤❤❤❤)
――――なんともお気楽な、ミーハーという言葉がよく似合うような賛美の言葉だった。
いや、それも仕方のないことだろう。
事実として、海夢を痴漢から救った男は美男子であった。
身長は180センチの半ばはある長身で、少しオーバーサイズの服を着ているものの骨ばった顎や首元からもその男が不必要な贅肉などない痩せ型の体系であることはわかる。
そんな長身であって顔も小さく、八頭身を越えて十頭身と呼ぶべきほどの見事なスタイルだ。
また、男は肉体が整っているだけではなく、その顔立ちも常軌を逸した美形である。
高く伸びた鼻に彫りが深い大きな目、唇は薄めではあるがそれがまた寒々とした芸術品のような美しさを際立てている。
昨今では持て囃される『塩顔イケメン』とは異なるものだが、それでも戦後からこちら、理想的とされる『王子様』のような目鼻立ちのくっきりとした、中性的と言うには雄々しいが肌艶も良い清潔感のある絵に描いたような美形だ。
(やっば、かっこよすぎっ❤ 読モのバイトの関係で見たことがないぐらいかっこいいっ❤ 嘘、こんな美形って本当にいるんだ❤ お礼を言わなきゃいけないのに、言葉がでてこないぐらいかっこいい❤ アニメや漫画やゲームのキャラでもないのに、マジで超推せるっ❤)
それこそ、大好きなアニメでお気に入りのキャラクターに初めて出会った時ほどの――いや、それ以上の高揚を覚えていた。
『卑劣な痴漢から助けてもらう』という乙女心をくすぐるような出会いだったのも大きいだろうが、それよりもやはり、とにかくこの男性の外見が優れているということに尽きる。
男を見つめていくことで覚える興奮は、海夢が人生で体験した中で最も強い興奮だった。
「君、大丈夫? 怖くなかった?」
「ひゃ、ひゃい……❤ 大丈夫、です……❤」
それは呂律が回らないほどの興奮である。
羽交い締めにしていた痴漢を別の男性に任せると、痴漢にあっていた海夢を気遣うような優しげな表情で顔を覗き込んでくる。
『ガチ恋距離』とも呼べるほどにイケメン顔を近づけさせられたことで、海夢はドキドキと胸を高鳴らせていく。
今の海夢の心のなかには、すでに新菜に関することでの思い悩んでいた暗い気持ちも、卑劣な痴漢を相手に抱いていた怒りも存在しない。
ただひたすらに、『見た目が良すぎるイケメンとお話ができている❤』という気持ちだけが占められていた。
「……あれ? それって、烈のブラックリリィ?」
「えっ!? 知ってるんですか!?」
そんな風にぽやぁ~っとした、海夢以外の人間がすれば間抜けな顔と表現できるような表情を浮かべながらもイケメンを見つめていたが、一方でそのイケメンは目ざとく海夢が持っていた通学カバンにジャラ付けされたバッヂや人形などに目をやったようである。
海夢には複数存在する推しキャラの一人、『フラワープリンセス烈!!』に登場するライバルキャラクター、『二階堂しおん/プリンセスリリィ/ブラックリリィ』だった。
有名な作品ではあるものの女児向けアニメで、しかも、現行の作品ではなく数年前に放映が終了した過去作品でもあるため、年代的には少しズレている上に男性であるそのイケメンが知っているとは思えずに、海夢は驚愕の声を上げてしまう。
「もちもち。いや、俺も女児向けを全部見てるわけじゃないオタクとは別クラスタだけどさ、さすがに烈は抑えとかなきゃ嘘でしょ。こういう言い方は嫌な人もいるけど、それでもやっぱり名作はジャンルを超えるっていうか、別物のオーラっていうかさぁ」
「あ~、わかります! いや、あたしもそういう言い方好きじゃないし作品に順番をつけるのとかもどうかと思うんですけど、烈はマジで神アニメなんで! 二年目でも全然失速しない、10クール全話神回の唯一無二っていうか! ストーリー的に大事な回が神ってるのはもちろんだけど、烈は作画がちょっとお休み入ってる時の日常回でもお話の面白さでガンガン引っ張ってくるし! 劇場版とか、TV版の続きなのにそれだけで完結してるところも神映画っていうか……未履修のオタクはアレだけでも見て欲しいって思わせてくる……!」
「あー、劇場版はやばいね。前にアニバーサリーでの復活上映で見れたのは本当に良かったわ」
「えっ、復活上映とかやってたんですか!?」
「うん、聖地扱いの県だけだったけどね。遠征しちゃったよ」
「お兄さん、烈のことめっちゃ好きじゃないですか!」
まさかのオタクであった。
海夢のマシンガンのような、同じオタクであっても思わずげんなりしてしまうような激しい言葉をうんうんと頷きながら、その全てをしっかりと聞き届けた上で、的確な返しをしてくる。
外見だけではなく中身まで女性を魅了するような、そんな人物だった。
しかも、痴漢が間違っても海夢の視界に入らないように、その高い背丈を活かしてうまく位置取りをしているのだ。
痴漢は妬ましそうに、自分が性欲を発散しようとしていた超絶美少女と正攻法で距離を近づけているイケメンを睨みつけることしか出来ない。
「良かったら、少しお茶でもしないかな? さっきの、怖かったでしょ? 落ち着くためにもさ」
そんな気遣いに満ちた言葉を、海夢はイケメンからかけられる。
ともすれば痴漢撃退したことにかこつけたナンパのような、性犯罪者の次は鬱陶しいチャラ男かとうんざりをしてしまうような言葉である。
恐らく、海夢だって『いつもの海夢』だったらばそう思ったはずだ。
「えー! 良いんですか、行きます行きます! 烈!!トークバンバンしましょーよ!」
しかし、イケメンがあまりにも異性としての魅力が溢れすぎていたことと、それほどの美形なのに海夢と同じぐらい、いや、ひょっとするとそれ以上の『オタク趣味』であることを感じ取ったことで、ナンパだと思いもせずにホイホイとついていくことを決める。
その足取りは先程までとは裏腹に非常に軽く、新菜のことを忘れてしまったのではないかと変な勘ぐりをしてしまいそうになるほどだ。
そして、それほどに浮かれているからこそ、海夢は気づかなかった。
「……へへ、第一段階クリア、か♪」
海夢が背中を向けた瞬間に、そのイケメンがニヤリといやらしく顔を歪めたことに――――。
◆
黒崎透真。
それが海夢を痴漢被害から助けたイケメンの名前だった。
その名前に相応しく、黒髪黒目の純日本人な特徴と、誤魔化しなどどこにもない透き通るような美貌を持った、絶世の美男子である。
だが、黒崎という名字だからというわけではないが、そのお腹の中は真っ黒で下劣な品性を持つ、最低最悪の男尊女卑思想の男でもあった。
「へ~、女の子なのにヌル女までやってるんだ。海夢ちゃんガチオタだね」
「トーマさんもですよ! ヌル女の話をガッツリできる日が来るなんてマジで思ってなくて、チョー嬉しいです!」
「ヌル女は抜きゲーだけど、古き良きエロゲーの文化っていうかさ、日常のギャグも凄く面白いんだよね。ああいう部分がやっぱり俺には楽しくてさ」
海夢はそんな透真の腹の中を知らず、ニコニコと十八歳未満はプレイすることが禁止されている美少女ゲームの話題で盛り上がっていた。
自分のことを馴れ馴れしく海夢ちゃんと呼ぶことも止めず、海夢もまた親しげに透真のことを名前で呼んでいるほどに、二人の距離は近づいているではないか。
今、二人が居るのは隠れ家風の小さな喫茶店である。
東京のとある雑居ビルの奥まった場所にある、女子高校生である海夢ではまず利用することがないような落ち着いた空間を提供しているお店だ。
天井が少々低く、さらに照明も弱くなっており、壁には単館上映をするようなマイナーな映画のポスターや、なんらかのコンセプトアートと思われるものが飾られている。
座席は少なく、個室風のボックスシートが四つあるだけという内装だった。
静かな空間で店員からの干渉も非常に少なく、利用客の会話や時間の流れを尊重しているような、大人っぽい喫茶店である。
大人びた美貌を持つ海夢ではあるが、このような喫茶店に入ったことなど一度もない。
どこか時間が止まったような、それでいて秘密裏に自分の知らなかった何かが密かに進んでいるような、そんな神秘感すら覚える喫茶店である。
最初はその空間に少し怖気づいたのか、注文したカフェラテをごくごくと飲み干して二杯目の注文までしてしまっていた海夢ではあるが、透真の巧みなトークスキルによって緊張が解れてきたようだ。
異性間でするような話とは思えない、美少女ゲームの中でもセックスシーンを最大の見せ場としている『抜きゲー』と呼ばれるようなジャンルの作品の話までしているのが、その証拠だろう。
「は~……なんだかトーマさんと話してるの、めっちゃ楽しい~……♪ 体もぽかぽかしてきたし、やば、あたし興奮しすぎて自分でも引くわ~♪」
「ああ、海夢ちゃんが落ち着いたのなら良かったよ。それとどうかな、この店。女性客を意識して低カロリーのロカボケーキとか出してるんだけど、味は気に入ったかな?」
「めっちゃ美味しいです! 砂糖じゃないですよね、この甘さ! う~ん、こういうのでも食べ過ぎたらやばいのに、もっと食べたくなっちゃうっていうか♪」
そんな海夢の様子に、透真は心中でニヤリとほくそ笑んだ。
実は、海夢はすでに透真の毒牙にかかっていたのである。
この『ミスティク・ルージュ』という、一見すると落ち着いた雰囲気の隠れ家風カフェは、実は透真の息のかかった喫茶店だ。
ここを経営している三十過ぎの美女は、透真の性奴隷なのである。
(良い感じだ……! 電車で見かけた瞬間から狙ってたこの女、都合よく痴漢のおっさんに襲われてたから声掛けの手間が省けたぜ……! 顔も体もAAランク……マンコの出来次第だけど、間違いなく一軍入りだな。絶対に落として黒崎ガールズにしてやるぜ♪)
そう、性奴隷だ。
黒崎透真という男は、ヌル女のような抜きゲーでしか存在しないと思われているような、女性をセックスに溺れさせて自身のことを御主人様と呼ばせて絶対服従を誓わせるという、そんなファンタジーのようなことを現実に行っている、恐ろしい悪漢なのである。
女たちは透真の美しさに魅入られて一夜を共にしてしまい、その類まれな、もはや魔法なのではないかと思うほどの巧みなセックステクニックで性的快感を刷り込み、まるで雛鳥が初めてみた存在を親だと思いこむような形で、自身を絶対の存在だと教え込むということを好んでいた。
そのテクニックは、不感症だと自認をしていた女性ですら脱水症状に陥るほどに潮吹きをするアクメ地獄に落とされてしまうほどのものである。
(聞いた話じゃ、コスプレイヤーのオタク女って言うしな……へへ、アニメにしろアイドルにしろ、『推し』がいるオタク女を落とすのが一番楽しいんだよな♪ そいつから俺に『推し変』させて、昔の推しを乱雑に扱わさせると、対戦ゲームで圧勝した時より気持ちいいからなぁ♪
俺の世代だとオタクでもこういうレベルの高い女がいるから、本当に助かるぜ……!)
透真は最低の男である。
モデルとしても活動してお金を稼ぎつつ、そのような業界に身を置くことで最新のファッションを身につけ、さらには外見を仕事にできるほどの美女を食い物にする悪辣な生態をしていた。
そのスマートフォンには手帳アプリのようなもので、女性の顔写真とプロフィールを乗せた『セフレ図鑑』や『中出し完了図鑑』などを作っており、女性を自身の性奴隷とすることをゲーム感覚で楽しんでいるのだ。
特に、昨今でも話題の『推し活』をしているような女たちを、熱中している元の推しから自分へと推し変させて貢がせることに、お金を手に入れること以上の歓びを感じている始末である。
この『ゲーム』というものが透真は非常に好きで、デジタルなものからアナログなもの、さらにはデジタルなものでもロールプレイングゲームや格闘ゲーム、ノベルゲームなど多岐に渡る趣味をしており、また、その影響下オタクカルチャーにも深い造詣を持っている。
透真もまたオタクなのだ。
「あ~……聞いてください、トーマさぁん……あたしぃ、今絶賛凹み中でぇ……ごじょーくんっていう好きピと、ちょっと距離ができちゃってるっていうかぁ……」
そんな店の中で、海夢は見事に透真の罠にハマってしまい、いくら距離感が近いと称される海夢であっても初対面の相手に打ち明けるわけもない、自身の恋心の相談までしようと仕掛けてきていた。
明らかに、今の海夢は普通の状態ではない。
それは透真が仕掛けた罠へと見事に引っかかったということを意味している。
先程も言ったが、このミスティック・ルージュという喫茶店はそんな透真の奴隷となったセレブ美女が、透真が女を落とすために利用することを目的として開かれた店なのだ。
そのため、セックスに持ち込みやすいように様々な仕掛けが施されている。
流れているクラシック音楽はリラックス効果に優れており、立ち込める甘さのある香りは判断力を鈍らせる、海外から輸入した軽い危険性を持った、『禁止されていないから合法』と呼ばれる類のアロマだ。
さらに、海夢が口にした甘みの中に心地よい酸味を残したカフェラテの中にはアルコール飲料が混ぜられており、ロカボケーキもまた同様にアルコールをふんだんに織り込まれている。
とにかく判断能力を下げるための仕掛けがある、このお店そのものが女性を貶めるための一種の罠のような空間というわけだ。
「あたしが全部悪いんですけどぉ……あたしが無理やり引っ張ってきて、ごじょーくんからお雛様の練習を引き離したのもそうなんですけどぉ……あ~、マジで病むぅ……あたしが嫌なやつすぎるぅ……」
泣き上戸なのだろうか、それとも単純に海夢のここ最近の傷心がそうさせるのか。
恐らくは後者なのだろうが、海夢はテーブルに突っ伏す形で涙をボロボロと流しだした。
ギャルだから不良というのは一昔前の常識で、未成年である上に父親がきちんと躾けようとしている家庭で育った海夢は、当然アルコールを摂取したことなど一度もないため、酩酊状態に対する耐性がないのも大きい。
そんな海夢と向かい合うように座っていた透真は、ゆっくりと体を動かして海夢の隣へと席位置を変えると、海夢の驚くほど華奢な体に手をかけて優しい声色で慰めの言葉を口にしていく。
「海夢ちゃん、自分を責めすぎだよ。その男の子のことを知らないからハッキリとは言えないけど、海夢ちゃんがいい子だってことは俺、わかるからさ。海夢ちゃんに悪いところはあったのかもしれない……だけど、その男の子が被害者だっていうのは違うんじゃないかな?」
「そう……かな……でも、無理やり誘ったのは、本当だし……好きなゲームやってもらったり、好きなアニメ見てもらったり……時間をいっぱい奪っちゃったし……」
「それは違うよ、海夢ちゃん。彼が嫌だと思ったのなら、彼はそのことをはっきりと言うべきなんだ。しかも、アニメやゲームが嫌なんじゃなくて、他にしたいことがあるから今はできないって言われたら、海夢ちゃんは素直に聞く子だって、少ししか話してない俺でも感じるよ。自分が言えなかっただけなのに被害者ぶるなんて……ごめんね、海夢ちゃん。俺、正直言ってそいつのことちょっと嫌いかも」
しかし、それは慰めの言葉に見せかけた、思考を誘導するための言葉だった。
透真は海夢を慰めつつも、あえて新菜という人物のことを悪いように、もっと過激に言えば、罵るようにさえ言っていく。
それも一聴すると理屈が通っているようにも思える内容で、だ。
「……そう、なのかな。確かに……ごじょーくんが言ってくれたら、あたし、ちゃんと引いたのに……」
それは、慣れないアルコールで酩酊状態になっている海夢の無防備な心へスゥーッと染み込むように入り込んでくる。
透真という絶世の美男子に軽い好意を抱き、さらには趣味を同じくするものとして短い間で完全に心を許してしまったのも大きいだろう。
ここに来て、海夢の距離を詰めるスピードの速さが裏目に出たと言っても良い。
「……ごじょーくんが、悪い気がしてきた。優しいって思ってたけど、なんか、勝手に向こうで抱え込んで、勝手に我慢されてるだけな気がしてきた……」
「海夢ちゃんはその五条くんのことが好きなんでしょ? それじゃ不満が貯まるのは好きだからこそ当然だよ。そんなに好きなのに、五条くんはちっとも気づいてくれないって……性格は優しく見えても、人間的には優しくないぜ、それって」
海夢の心が明確に弱ったのか、自分の傷心を他責しだしたのを感じ取った瞬間、透真はここぞとばかりに果敢に攻め込んでいく。
恐らく、会話が始まる前ならばアルコールに酔っていた状態でも不快感を覚えたであろう、五条をよく知らない透真が五条を蔑むような言葉には強い反感を抱いたはずである。
だが、会話の流れもあってか、海夢はそれを受け入れてしまっていた。
「ありがとう、トーマさん……なんか、すっごい楽になった……ごじょーくんのこと、考えすぎてたかも……」
海夢はそのまま、ポロポロと涙を流しながら隣に腰掛けている透真へとしなだれかかっていく。
そんな海夢の肩を、あまり鍛える機会が少ない女子高生とは違う男性らしい力強さで掻き抱き、そのまま空いている右手を海夢の顎へ添えると、そのままクイっと持ち上げて上目遣いにさせることで自身と視線を合わせる。
「ふぇっ……❤」
いわゆる、顎クイである。
「……俺が忘れさせてあげるよ、五条くんのこと」
海夢が一瞬で『推しにしたい❤』と思ってしまったほどの美貌をガチ恋距離まで近づけられて、男性の特徴であるセクシーな喉仏を動かしながら低い声で囁かれる。
酩酊状態であることもあり、その魅力に呑まれた海夢は――――。
「ひゃ、ひゃい……おねがい、します……❤」
――――考えるよりも早く、こくりと頷いてしまうのだった。
(続)
