化け物…それは白く輝き、神のような荘厳さと、悪魔のような凶暴さを携えたさっきの愛玩人形、神村マリーの変身した姿だった。彼女は眼光鋭く蜘蛛の怪物を睨んでいた。
「ば、バカな⁈全身改造されたセクサドールなんて聞いた事ねぇぞ⁈」
戦慄する彼を一条の白い糸が襲い、それは彼の腹から出た足の一本に絡みついた。なんとそれはマリーの腕から発射された蜘蛛怪人と同種の武器であった。
「ひっ⁈」
怪人は物凄い勢いで引っ張られ、瞬く間その巨体は宙を泳いだ。しかし彼も戦闘のプロだ。咄嗟に掴まれた足を自ら切り落とし、クルリと回転すると壁に張り付き受け身を取った。
「ハァ…ハァ…の、『能力吸収』だと⁈あ、ありえねェ‼︎そんな事が出来る『セルロイド(Cell-roid)』と言やぁ…はっ⁈…ま、まさか⁈…」
再びマリーの両手から発射された糸を自らも糸を飛ばして対抗し相殺した蜘蛛は、自分が今対峙している化け物の正体を悟り、怒りにその身体を震わせた。
「チックショオォ!あのクソジジイめ‼︎なにがラブドールの回収だァ‼︎俺をハメやがったなァーッ‼︎」
その隙をつき、絡みあい揺れる糸の間を縫ってマリーがクモオンタに強襲をかけた。彼女は怪物の顔面や腹に数発のパンチやキックをめり込ませた。
「グハッ!…く、クソぉ!」
しかし蜘蛛も負けてはいない。続け様のマリーの攻撃をかわし、彼女の背中に蹴りを入れて間合いを取ると同時にその両手を彼の糸を絡ませて封じた。
「クックック…その様子じゃまだ完全に『発情』してねぇな…所詮テメェのは付け焼き刃なんだよ。これでもう『俺の技』は、出せまいがぁーーっ‼︎」
蜘蛛は間髪入れずに腹からも糸を吹き出し、ラタイダーの手足をまるで繭のように固めた。もがく彼女だったが流石にこの状態を突破することは出来ないように見えた。
「フゥッ!…フゥッ!…このまま連れて帰るか?いっそ殺しちまうか?…」
蜘蛛はそう言いながらマリーに近づいていった。
身動きの取れないマリーの顎を掴み蜘蛛はまたしてもその顔と肢体に見惚れた。彼はもうすでに彼女の魔性に囚われていたのだ。
「ハァ…ハァ…まぁどちらにしろコイツはもうこのザマだ…もう一発…もう一発…味わうとするか…」
一方マリーの方は今まで無意識で戦闘を繰り広げていたのだが、段々とその自我が戻りつつあった。
『…わたし…ワタシは…一体?…はっ⁈』
ハッキリと意識が戻った彼女の眼前にあったのは恐ろしい蜘蛛の化け物の顔であった。
「⁈イヤアアアアアアアアアアアア‼︎」
ザクッ!
マリーの咆哮と共に、蜘蛛怪人の脇腹に鈍い痛みが走った。
「何?」
彼を刺し貫いていた物は繭の中から伸びた巨大なカマキリの鎌であった。
「うおああアアアああアアアああああ‼︎」
マリーの怒号と共に繭が瞬時に四散した。その中から現れた彼女の腕には鋭利な鎌がギラギラと光っていた。
「こ…コイツ…もうすでにカマキリを喰ってやがったのか?…⁈フンギ…ギャアアアア‼︎」
蜘蛛がそう悟ったときにはもう遅かった。怪物の四肢と腹の足は瞬く間に切り刻まれ、彼は地面に仰向けに倒れ、見苦しくジタバタともがいた。
マリーはそれにのし掛かり、首根っこを抑えると叫んだ。
「教えなさい!アナタは一体なんなの⁈組織って⁈なんの目的でこんな事をしているの⁈それに…それに一体ワタシは‼︎ワタシハナニモノなのよォーッ⁈」
こんな化け物と十分に渡り合えるようになっている自分、そして彼やその部下を殺すことになんの戸惑いも抱いていない自分、己の肉体の尋常ではない異変に気付いていたマリーは涙を撒き散らし怪物に詰め寄った。
「へ…へへっ、嬢ちゃん…そいつは『知らぬが仏』って奴さ…」
口から血を吹き出しながらも蜘蛛はマリーを嘲った。
「教えなさいよおおおおおっ‼︎」
怒りとも悲しみともわからぬ感情をマリーは撒き散らした。
「ハ…ハハ!…へっ…じゃあ一発ヤらせてくれたお代だ……アンタは…『ラタイダー』だ……間違いなくな…」
「ラタイダー⁈何よそれ?それだけじゃ何にも…⁈」
さらに詰め寄るマリーだったが、クモオンタの腹から数匹の小蜘蛛が素早く這い出て彼の首筋を刺した。程なく男とその蜘蛛どもは絶命した。
「⁈そんな⁈そんな⁈一体…一体なんなの…ウッ…ウウウ…」
血の海と化した我が家で、裸の美少女は孤独に泣き崩れ、その白い背中を震わせた。
昼間の陽気が過ぎ、冷たい空気と共に街がオレンジ色に染まる頃、剣三郎は買い出しを終え、店までの坂を登っていた。
「?…⁈‼︎」
彼は坂の上に見慣れたコートの背中を見た。夕陽に照らされたそのシルエットを一瞬亡くなった妻と錯覚したが、すぐさま現実に帰ると、剣三郎は急いで坂を駆け上がった。
彼の気配に気付き、振り向いたマリーの顔は寂しげで今にも消えてしまいそうだった。そしてその手にはボロボロになったセーターとジーンズが握りしめられ、コートの襟元からは美しい鎖骨が覗いていた。途端にそこに小さな水滴がポタポタと落ちた。
「……ゴメン…なさい……借りたお洋服…こんなに…しちゃっ…て……ヒクッ…ご、ごめんなさい……どこにも…行くところが…な…なくて……私…わたし……ゴメンなさい…ごめんなさい……」
その端正な顔が震え、小さく歪み、幾条もの涙が頬を伝った。
「何も言うな!さ、さ!とにかく中に入れ‼︎」
剣三郎は店の扉を準備中にしたまま、マリーを中に招き入れた。突然、マリーは剣三郎を壁に押し付けて強く抱きしめた。さっきは夕陽でわからなかったが、その息は荒れ、顔は紅潮していた。
「ハァ…ハァ…ごめんなさい…ゴメンナサイ…ハァアッ…ハアッ……」
泣きじゃくるマリーをクルリと返し、今度は剣三郎が彼女を壁に押し付けた。
「どうした?苦しいのか?そうなんだな⁈…よ、よし待ってろよ…」
「ま、待って!…で、でも私…………わたし人間じゃない‼︎」
その言葉に剣三郎は愕然となった。いよいよこの娘は全てを知ってしまったのだと。少しの思案の後、彼はいきなりマリーのコートを引き破った。やはりマリーはコートの下に何も身に付けていなかった。
「⁈」
驚いたマリーだったが、剣三郎の彼女を見つめる目は優しく、真っ直ぐな事にすぐに気付いた。
「そんなこと……あるもんかい!」
「⁈…剣…さん……剣さん‼︎…」
そう叫んでマリーは剣三郎に抱きつくと、そのまま激しい口づけをした。
「ああマリー!いますぐ楽にしてやる!」
陽の落ちた誰もいない小さな喫茶店の中で、二人の影が重なった。
「すまなかった…」
電球がぶら下がり揺れる六畳一間の、畳の上に敷かれた布団の中で、裸のマリーと剣三郎は、背中合わせに会話をしていた。
彼は昨夜起きた出来事を包み隠さず全て彼女に話した後に、背中を向けたままそう謝罪した。
「…いいの。それが剣ちゃんの…優しいところだもの…」
マリーも背中を向けたままそう返した。剣三郎は彼女が自分の事を『剣ちゃん』と呼ぶようになった事に少しの違和感を覚えたが、気がつけば彼もいつしか彼女のことをマリーと呼び捨てにしていた。おあいこ様だと彼は思った。
「イヤなこと…聞いていい?」
そう言ってマリーは返りを打ち、背中から剣三郎を抱きしめた。二つの柔らかい胸の感触が彼の背中を伝った。マリーは彼の返事も待たずに言葉を続けた。
「奥さん…どうして亡くなったの?」
それは今この場所で本当に嫌な質問だと剣三郎は思ったが、勤めて明るく彼は答えた。
「…交通事故だ。他人の子を庇ってね。…全く、あんな元気な母ちゃんでも流石にトラックにゃあ敵わなかった…」
「…ごめんなさい……私も今日父と母の死ぬ間際を見せられたの。…不思議だった…あんなに強い父が、一瞬で溶けてなくなって…」
「……人間なんて…儚いもんさ…」
その言葉を聞いてマリーは尚強く剣三郎の背中に抱きついた。
「…わたし……これからどうしよう…」
「……。どうにだって生きれる。このままここで何事もなかったように暮らしたっていい。……だが、マリーは…それじゃイヤなんだろう?」
剣三郎の背中でマリーは黙ってうなずいた。それが分かっているかのように、剣三郎は背を向けたまま告げた。
「やっぱりこりゃあ何かの縁だ。俺はもう、絶対にお前をひとりぼっちにはさせねぇよ。」
マリーはまた何も言わずに頷いた。その頬を赤く染めて、ひと筋の涙を流しながら。
秋の、ひときわに永い夜が、ふけていった。
つづく