「し、新城くん…。」
目の前で先輩の声が聞こえた。突然の声に「うう!フゴーッ!(せ、先輩!ご、ごめんなさい!)」と謝ってしまう。許してもらえるわけないのに。先輩?なんでまだそこにいるんですか?後生ですから僕を見ないでください。そのヤクザの言っていることは正解です。僕は人みたいな形をした醜い別のなにかです。今だってこんな姿を見られていることに、なんなら少し快感を覚えているんです。
今度は中ボスが耳元で囁いた。「おい兄ちゃん。ここまで来たら捨てるもんもうないやろ?今オマエが首を縦に振ったらバシュッとこの縄叩き切ったるからよ…でや?あの姉ちゃん抱くか?」
僕は本当に首を縦に振ろうかと考えた。首を振って縄が解けたら、死にものぐるいでコイツから日本刀を奪って、部屋の中のヤクザを皆殺しにしたあと自分も自害するんだ。腹を裂いたあとはそれでもおそらく直立したままの僕の肉棒を何度も何度も切りつけ、血みどろになりながら謝れば、少しは先輩に謝罪の気持ちも伝わるかもしれない。許してもらえるなんて、思ってはいないけど。
どうする?…本当にやるか?そう思って頷こうとしたとき、
「新城くんっ!」
さらに大きく強い声で先輩が僕を呼んだ。い、いけないっ!思わず目を開けそうになる。イ…イヤだ…イヤだーっ!一体どんな罵りを受けるんだろう?怖くて怖くて仕方がない。目を開けたらきっとこれ以上ないほどの侮蔑の目をした先輩が目の前に立っているんだ…。
不可抗力なんです!先輩!あぁ、でも不可抗力で勃起なんてしないし、いわんや射精なんてですよね…。綺麗事を叫びながら、アナタに欲情していたの…火を見るより明らかですもんね。
「新城…くん。ごめんね。アナタを酷いことに巻き込んでしまった…。本当に…ゴメンなさい。」
何を謝ってるんですか?謝らないでくださいよ。アナタのパンツを被って精液垂らした男になんて。
「で、でも…あの…じ、時間かかっちゃったけど、じゅ…準備は、も、もう出来たから。わ、私いまね、な…な、何も着けてないんだよ。」
先輩、今はアナタの優しさが罪です。よくないです。いくら部下が今までアナタを性的な目で見てたのが判明したからって…そんな慰めかたはよくないです。動揺されてるのは分かりますが…本当に、あなたの優しさを止めてください…。
「だから…新城くん、わ、わ、私とっ…その…も、もしアナ、アナタがよければ…だけど、そそそ、その…セッ、セ…セセックスし、し、ししし…よ…」
本当にもう止めてくれよぉおおっ!!僕は目を閉じたまま、大きく大きく、何度も何度も首を横に振った。先輩、本当にもうやめてくれったらああっ!!
そんな訳ないじゃん!!そんなの本心なわけないじゃんん!!社内の男ほぼ全員に求愛される我が社のマドンナがさ!こんな空気みたいな、いやその空気すら汚しそうな虫ケラ相手にするわけないじゃん!!僕は空気で良かったんだ!それで十分だったんだ。アナタの邪魔に決してならず、遠くからでも笑顔が見れたなら、それで本当に幸せだったんだ…。それに…
そぉんなに吃ってまで言うことないじゃないですかっ!本当に嫌なのがよぉく伝わってきて返って惨めです!!ミ…ジ…メなんですって……。
この考えを巡らせている間も僕は首を振り続けた。先輩を拒絶するんじゃない。自分を完全否定するためだ。死にたい…消えてなくなりたい…先輩の中から僕の記憶を完全に消しさりたい…。
長い沈黙があった。その間も僕はまるで壊れた振り子だった。実際もう壊れていたんだ。
誰かが静かに泣きだした。女性が静かにすすり泣いている。えっ?女性?
先輩?先輩が静かに泣き出している??
「グスッ…ウゥッ。………ハァーッ……そっ…か…。フフッ…やっぱり…ダメ…か…。ヒック…だったら…だったらせめて…グスン…お願い…します…ウッ…グス。一度でいいから…ひと目でいいから…今の私を…見てくれませんか?」
えっ?先輩?えっ?
「そりゃあね…年上のおばさんの裸なんてね…興味…ないとは思うけど…グスッ…だけど…ウウッ…だけどぉ!どうして一度だって見てくれないのよおおおおおおおお!!!」
先輩のこんな大きな叫び声はもちろん今まで聞いたこともない。もしかしたら先輩自身も初めて出した声なのかもしれない。それは普段の先輩の透き通った優しい声ではなく、割れて、裏返って、ザラついていた。でもその声に虚飾は一切なかった。お腹の奥底から真っ直ぐに僕に向けられた言葉。僕は俯いたままで目を開けた。このまま真っ直ぐに顔を上げれば、そこに彼女はいる!
「ケホッ!…ゲホ…ハァッ…ハァ…グスン…私はっ…私はあなたにぃ!!」
僕はゆっくりと顔をあげる。真っ白な裸足、細くて長い脚。
「私はアナタに全部見てほしくて脱いだのにいいいいいいいいいい!!!!!!!」
僕は大きく目を見開き、まっすぐに前を見た。
天使が泣きじゃくってそこに立っていた。
見とれてしまっていた。一度見てしまったら目を逸らすなんて出来ない。
細い身体にEカップ。桜色した乳首。くびれた腰から太腿への完璧なライン。薄く整ったキュービックヘアー。ヤクザの表現は間違っていなかった。そして僕はそのイメージを最大限に膨らませ、頭の中に完璧な裸体を思い浮かべてた…はずだった。結果はどうだ。ヤクザの表現のいかにアバウトなことか。僕のイメージのなんて、なんて貧困なことか。百聞いたことは一見の足元にすら届かない。今目の前の裸身は、それらを軽く凌駕して、言葉すら意味をなくしてしまう華麗さを湛えてそこに存在していた。僕は動けなかった。何度も何度も何度も見とれてしまっていた。
涙を拭いた先輩が僕を見て微笑んだ。
「…見てくれたんだ。…エヘッ…うれしい…。」その挙動の一秒一秒が芸術だった。