SamSuka
池野くるめ
池野くるめ

fanbox


【小説】異世界最強の魔法使いエルフは紙おむつが手放せません!? 第一話 待て、俺はトラックには轢かれてないぞ! 

 ―プロローグ―  世界の秘境にある、伝説にしかその存在を知られていない洞窟。長い冒険の果て、遂に辿り着いたその最深部で、俺は巨大な魔物と対峙していた。

 そいつは一見してトカゲのような身体の構造をしているが、その大きさは、自分の背丈の五倍、いや十倍はあるだろうか?四本の頑丈な脚で立ち、全身には鋼鉄よりも強固な鱗が配され、頭部には恐るべき眼光を放つ眼が二つ輝いている。背中には一対の翼を持ち、その大きさは俺を簡単に覆い尽くすほどだ。見間違えることなどない、こいつはドラゴンと呼ばれる伝説の魔物だ。そして世界を破滅へと導く存在でもある。  俺は相手に隙を見せぬよう、剣を構え直す。鋭く研ぎ澄まされた両刃の剣は、勇者にのみ扱うことができる伝説の武器だ。曇りのない刃には、やはり勇者にしか着用できない、特殊な鉱石から作り出した鎧兜に盾を纏った俺の姿が映し出されている。まさに相手に斬りかかろうとした矢先、剣の柄に埋め込まれた魔石が光り輝き、俺の内に秘められた真の力を開放する。  ドラゴンは俺を近づけまいと、その大きな口を開け、焼け付くような火炎を浴びせかけてきた。しかし、俺は臆することなくそれをかわし、ドラゴンの喉元に全身の力を込めて剣を突き刺した。魔石の力でその攻撃力を増した剣は、鋼すら簡単にへし折る鱗を貫通し、相手に深い傷を負わせた。まさに会心の一撃。ドラゴンの眼から生気が失われ、その巨体はゆっくりと地面へ崩れ落ちた。勝負ありだ。  これで世界は平和になるだろう、俺はそう確信した。そして俺は、伝説の勇者ですら成し遂げられなかった偉業を成し遂げた勇者として永遠に語り継がれるはずだ。 第一話 待て、俺はトラックには轢かれてないぞ!  俺、岡田健太郎は調剤薬局の隅で、スギ花粉症の内服薬が処方されるのを座りながら待っている。今は休日の午前であるから、自分と似たような、恐らく社会人と見られる人が俺の前にも横にも座っており、処方にはまだ時間がかかりそうだ。俺は目を瞑ってぼんやりと空想に耽っていた。  皆も子供の頃、色々な空想をしなかっただろうか? 例えば、学校に襲いかかった武装集団を自分の頭脳と秘密兵器を使って華麗に追い返したり、政府が秘密裏に作った人型ロボットを操る素質が自分にだけあったり。もしくは日陰者だった自分が、実はその界隈では名の知られたギタリストで、年に一度の学園祭でその腕前を披露して、同級生や教師を驚かせる空想をしたことだってあるかもしれない。  俺も御多分に漏れず、そのようなことをよく空想するタイプであると思う。俺の場合、それはロールプレイングゲームの世界の中で伝説の勇者になることだ。

 旅行雑誌で見たような中世ヨーロッパ風の城郭都市が点在するその世界は、一歩街の外へ出れば、手足の生えた動くキノコや、馬を丸呑みにしてしまうほど大きな口を持った狼の魔物に襲われる、とても美しく、それ以上に危険な所である。

 そんな世界で、俺は仲間の僧侶や魔法使いと世界を救う旅に出て、氷の宮殿や灼熱の洞窟の最奥部に住み着く凶悪な魔物を倒すのだ。子供っぽいと言われればその通りなのだが、そういうスリルと冒険心に満ち溢れた生活を送ってみたいと小さい頃から考えていたし、今だってもしも叶うなら、真っ先に叶ってほしい夢の一つだ。  もっとも、俺は決して今の自分が嫌であるために、そのような空想をしているのではない。学校で虐められたことも無いし、大学だって無事に卒業した。卒業後は公務員として就職し、それから間もなく数年が経つが、暇とも過労ともなく、安定した独身生活を送っている。自分自身の容姿も、いわゆるイケメンと言われるほど整ってはいないが、かと言ってコンプレックスになることもなく、体型も太過ぎも細過ぎもせず、要するに一般的な見た目をしていると思う。

 一つ変わっているとすれば、自らの性的嗜好…俗に言う「性癖」が、アブノーマルであることくらいだ。そして、今いる薬局という場所は、俺にとってファンタジー世界のダンジョンと同じくらい魅力のあるところでもあるのだ。  この薬局は調剤コーナーのある、全国展開された薬局チェーンなので、食料品や洗剤、日用品まで幅広い商品を取り扱っている。その中で俺が気になってしまうのは、紙おむつのコーナーである。  どうしてそんな風になってしまったのかよく分からないが、俺は、異性の下着よりも子供用の紙おむつを見るとドキドキするようになってしまう、インターネット上では「オムツァー」とも言われる存在だ。断じて言うが、子供そのものにそのような興味があるのではなく、おむつの方に興奮してしまうのだということは強調しておきたい。  きっかけこそ本当に思い出せないのだが子供に戻ってみたい、何かに守ってもらいたい、といった気持ちがなにかの拍子におむつへの欲求と繋がってしまったのだと思う。自分の身長より高く積まれた様々なブランドの、おむつのパッケージ。可愛らしくデザインされたパッケージの上には「一晩中のおしっこも安心」「すきまモレゼロへ!」といった、製品の特徴をアピールする文面が踊る。これら全てが俺にとっては魅力的だった。  いつ頃からか薬局やホームセンターのおむつコーナーを通るたびに心の動揺が収まらず、ある時もののはずみで、子供用の中で最も大きなサイズである「スーパービッグサイズ」のおむつを手に取ってしまったのが、おむつ沼突入への直接的なきっかけだ。もののはずみでと簡単に言うものの、その時の葛藤と言ったら人生上の他のイベントで比較できる対象がないほどだ。もうおむつなんてとっくに卒業している自分がそんなものを手に取るなんて、そう思いつつ売り場を行ったり来たりして、清水の舞台から飛び降りるような気持ちでそのパッケージを手に取った事はいまでもよく覚えている。  その後の布製お兄さんパンツからおむつへの転落劇は、我ながら見事なものだった。大いなる決意で購入した始めてのおむつを自室で開ける時の緊張感に、スーパービッグサイズといえども、適応体重を大きく越えた自分がそれを着用しようといていることへの躊躇。震える手でパッケージからおむつを取り出し、ついに履けてしまった時の達成感と背徳感。そのふかふかとした感触は自分が小さいころ毎日味わっていたものであるにも、関わらずこれまでにない心地よさと安心感に満ち溢れていた。 (おむつに、おもらし…してみたい)  喉が乾いてもいないのに水を沢山飲み、限界まで尿意を高めてわざとおもらしをした。じんわり温かくなるその優しさと、粗相をしてもしっかり受け止めてくれる安心感に抗うことなど、もうできなかった。  そんなきっかけでハマッてしまったおむつ生活は今年でもう数年になる。家には色々なサイズのおむつがストックしてあるし、休みの日は大抵おむつに頼り切りである。絶対に他人には言えないが、今も履いている。 「番号札8番の岡田さん」 「は、はい」  どうやら薬の準備ができたようだ。ファンタジー世界の自分やおむつのことを考えていた所を急に呼ばれたため、間の抜けた返事しか出てこない。  俺はカウンターで薬を受け取った。もう薬局での用事は済んだが、俺の足は自然と「あのコーナー」へと歩みを進めていた。可能な限り自然な体を装い、陳列棚を見る。ここの薬局のおむつの品揃えは素晴らしく、小さなサイズから大きなサイズまでみな揃っていて、ついまじまじと見てしまう。いかんいかん、ここの薬局はポイントカードも作っているし、何度か通っているので恐らく名前も顔も覚えられている。こんな所でおむつを買ったら、俺の性的嗜好がどこに漏れ出るか分かったものではない。俺は今しがた処方された薬の入った紙袋をリュックサックへしまいながら、そそくさと薬局を後にした。  まだ昼過ぎだが、今日の予定はもう何も無い。このまま家に帰っても良かったのだが、先程ぼんやりと考えていた空想が妙に脳内を反響していた。そうだ、どうせ時間があるのだから、俺がファンタジー世界に見立てて同級生と遊んでいた神社に行ってみよう。もう長いこと行っていないし、少し遅すぎるが初詣にもなるだろう。  俺は適当に昼食を済ませた後、家に帰るのとは逆方向の電車に乗り、小学生のころ住んでいた街へと向かうことにした。 ******  電車にしばらく乗ると、俺が昔住んでいた街に到着した。  ここは、駅前こそ栄えているものの、駅からしばらく歩くとすぐに住宅街が広がる典型的なベッドタウンの一つだ。駅から西にしばらく歩いた辺りに俺が昔住んでいた家があり、そのすぐ近くには、小学生のころ同級生と毎日のように遊んでいた神社がある。俺達が冒険をしていた世界だ。  その神社は、今からおよそ千年ほど前に建立された、この地域ではそれなりに大きな規模の神社である。河岸段丘の地形を利用して作られており、玉砂利の敷かれた境内を進むと、崖と木立に囲まれるため、住宅開発が進んだ今でも社殿以外の建物は見えなくなる。  境内の右手には富士山を模した「富士塚」と呼ばれる人工の小山があり、サツキやツツジの木が植えられている。春になれば塚全体が花で埋め尽くされるため、地域の名物にもなっている。塚の頂上には自分の膝の高さ程度の小さな祠があり、俺が遊んでいた頃は大抵小銭やカップ酒が備えられていた。  さらに、本殿の裏には地層の境目から染み出した湧き水が溜めた、学校のプールよりは一回り小さな池がある。木漏れ日が射して水面が光る様子は、いかにもファンタジー世界に出てくる聖なる泉のようで小学生の頃の俺にはとても神秘的に写ったが、もっと昔には川魚の養殖をしていたらしい。  その上、この神社には洞窟まであるのだ。境内の左側には階段があり、そこを登ると林の中に入ると、元からの段丘の斜面を利用して作られた、参拝用の人工の洞窟がある。その洞窟は斜面を横から掘って作られており、分岐は無く、やや湾曲しながら反時計回りに進む構造になっている。それほど大きな洞窟ではなく、小学生ですら両手を伸ばせば壁にぶつかってしまう程度の幅しかないし、天井だって背の高い大人なら、少しかがまなければ頭をぶつけてしまうくらいの高さしかない。長さも短く、洞窟内部に設置された電灯をつけてから進めば、ものの三十秒もあれば出口に辿り着いてしまう。洞窟の出口から出た後、左に進めばすぐに入口の前に戻って来るシンプルなものだ。しかし火山岩を使って作られた内壁に、裸電球が吊るされた洞窟の内部は、小学生の俺の想像力で想像できるダンジョン像それそのものであった。  今日の神社には、初詣の時期を過ぎたこともあってか、自分以外には誰もいない。しかし、決して寂れているとか廃れているとかいった感じはなく、冬でも葉を落とさない常緑樹が風に揺れて擦れる音も合わさって、むしろ静謐と呼ぶにふさわしい雰囲気を醸し出していた。俺は懐かしさを感じつつ本殿に向けて歩みを進めた。本来であれば手を清めてからの方が良いのだろうが、正式な参拝でも無いし、何より外が寒いので省略させていただきたい。元より、昔は毎日のようにここで遊んで、社殿の下に潜ったり、自作の弓でお焚き上げのために集められていた破魔矢を飛ばしたりしては、神主さんに怒られていたような子供だったから、多分これくらいの事は多めに見てもらえるだろう。  俺は賽銭箱に小銭を投げ入れ、鈴緒を振った。ガランガランと鈴が鳴り、すぐに静まる。二礼二拍手の後、目を瞑り、手を合わせて神様へお祈りをする。 (これからも家族が健康でありますように…それから…仕事が上手く行きますように…)  大した額のお賽銭を入れた訳でもないのに、お願い事だけは次々と出てくる。 (あと、もしも、もしも出来たらで全く問題ないのですが、神様がいるようなファンタジーの世界で冒険をしてみたいです。ご対応いただけますと幸いです。ご確認のほど、何卒よろしくお願いいたします…)  我ながら強欲だ。しかもかしこまりすぎて、最後の方はビジネスメールのような言い回しになってしまう。 (最後になんですが…というより、これはもう懺悔なのですが…少し小さい体になって…お知らせサインが付いているおむつを履いてみたいです……申し訳ありません、何でもないです。今のは忘れてください……)  強欲な上に業まで深いと来た。これ以上あれこれ願うと天罰が下って雷に打たれでもしてしまうのではないかと思い、俺は深く一礼して、参拝を終えた。端から見ればさぞや信心深い人間に見えたかもしれないだろうが、お願い事の大半は不純極まるものだ。  それでも参拝を終えると、なんだか清々しい気持ちになった。きっと普段誰にも見せることのない気持ちを打ち明けられたからなのだと思う。  もう帰っても良かったのだが、最後に林の中の洞窟にだけ行きたくなった。この神社の中で一番ダンジョンっぽいところ。  本殿脇の階段を登り木立の中を進む。途中で左に曲がりさらに進むとその洞窟が現れた。十何年かぶりに見るその洞窟は、自分が成長したからか昔よりも少し小さくなったように感じたが、その印象は全く変わっていなかった。ゴツゴツとした火山岩を積み上げた入口に紙垂が掛けられている様は、いかにも「それ」っぽい感じだ。  少しかがんで洞窟に入り、内壁に設置された電源をパチンと上へ倒す。洞窟内を飛び飛びに吊るされた白熱電球が光り、歩く先を照らした。洞窟の中へ入ると木々のざわめきが聞こえなくなり、しんとした空気に包まれた。聞こえるのは自分の布切れの音と靴音だけ。そうそう、この感じだ。あの頃と何も変わっていない。  洞窟は昔と変わらず、短かった。俺は洞窟から出ると、木立の中を歩き再び入口に戻ってきた。もう一つだけ、昔やっていた中でもっともスリリングな遊びをしてみたくなったのだ。  それは、電気を消して洞窟の出口を目指すというもので、仲間四人で列になり、先頭の一人がプラスチックのバットで真っ暗な中で壁の位置を探りつつ、残りの三人は前の者の肩に掴まりながら進むものだ。電気も無く、湾曲した洞窟の中は光の全く入らない暗黒の世界になる。これがたまらなく冒険心を掻き立てられる最高の遊びだった。  俺は改めて周囲に人がいないことを確かめ、リュックサックの中から折り畳み傘を取り出した。かさの持ち手を伸ばし、壁の位置を探るための棒にする。先程点けた電源を落とすと、参拝用の人工洞窟は、とたんにダンジョンのような恐ろしさを持つ暗黒の空間へ変化した。 (俺は今からダンジョンに向かう勇者になるんだ…!)  気持ちを高めるため、強くそう念じながら洞窟へ入った。  入ってすぐは、入口から入りこむ光でわずかに進む方向が見えた。しかし、洞窟の湾曲部へ差し掛かると後ろから差す光はすぐに小さくなってゆき、ついに真っ暗な空間へと突入した。眼を暗闇に慣れさせても全く光の入らない空間。眼を開けていても閉じていても視界は何も変わらない。右手に持った傘がコツコツと壁に当たる方向を避け、何も無い空間を進んでいく。  先程はあっという間に出口にたどり着いたのに、今度はどれだけ歩いても暗闇から出られないかのような感覚に陥る。進むのも引き返すのも暗闇なので、もう進むしかない。  永遠の暗闇に閉じ込められたかと錯覚した時に、出口の明かりが遠くに見えた。まだ明かりは薄く、足元を照らすほどでは無かったが、それでも十分だった。俺は力強く地面を踏みしめ、その光を目指して歩いた。  ついに洞窟の出口に到達した。達成感とともに外へ出たが、あまりの眩しさで何も見えない。暗闇の中で開ききった瞳孔に太陽光は強すぎる。  徐々に眩しさが引いていき、辺りが見えるようになってきた。その瞬間。 「えっ…?」  俺は状況が飲み込めず、声にもならない声を出すしか無かった。  洞窟を抜けたそこは神社の木立の中では無く、遠くまで続く草原を見通す丘の上だったのだ。心地良い風が吹き、陽の光が温かく降り注いでいる。後ろを振り返ると今通って来た洞窟が口を開けている。  混乱した俺はただその場に立ち尽くしていた。こんなことがあって良いのだろうか?きっと夢でも見ているに違いない。  だが落ち着け、とりあえず周りの様子をよく見てみるんだ。まずは何も持っていない左手で、自分の頬を軽くつねってみる。痛い。どうやら夢を見ているわけでは無いようだ。洞窟の中で頭をぶつけたり転んだりもしていない。俺は間違いなく洞窟の入口から入り、たった今出口から出た。  ではこの風景は一体?どこまでも広がる草原を見渡すと、遠くの方にオレンジ色の屋根を持ついくつかの尖塔とそれをつなぐ壁があるのが見える。どうやら日本ではなく、西洋のどこかにいるようだが、他に人工物は見当たらずそれ以上は何も分からない。遠くには山々が連なっており、山頂付近は雪で覆われているのか、白くなっている。  目線を手元に移す。すると先程右手に持っていた折り畳み傘は、傘ではなく明らかに「剣」としか呼べない物に変化していた。樹脂とステンレスでできた持ち手は赤銅色の金属になっており、傘の布地はどこかへ消え去り、代わりに鋭利な先端が現れた。よく見ると自分の服装も大きく変化しており、ジーパンとパーカーは麻か絹かよく分からない素材のズボンとシャツに、リュックサックは何かの革で作られたであろう大きな袋に変化している。念の為、ズボンに手を突っ込む。朝履いてきたおむつの感触は……そのままだった。なぜかこれだけは変化していない。   しかし、スーパービッグサイズを無理して履いている感じが消えていた。キツめであることには変わりないものの腰周りのゴムバンドにはまだ余裕があり、先程よりもややゆったりと履けている。それから察するに、どうやら身体が少し縮んでいるようだ。長くおむつ沼にハマっているから分かるが、このおむつのキツさ具合だと今の自分は、自分が中学生くらいの頃の体格をしているはずだ。鏡が無いから分からないが、顔立ちはそれほど変わっていないように感じられる。  このシチュエーションと、この世界。これはまるで…。 (これって、もしかして…異世界なのか!?)  一生懸命そうではない理由を探した。しかし、なぜか変化していないおむつを除いて、身の回りのあらゆるものが、ここが自分の想像していたファンタジーの世界であることを示している。つまり、俺はあの神社の洞窟を通ってこのファンタジーの異世界に迷い込んでしまったのだ! ******  眺めの良い異世界の丘で、俺は迷っていた。何をかって?そんなの決まっているじゃないか、このまま異世界に居続けるか、今来た洞窟を戻り、元の世界に帰るかどうかだ。  まず第一に、この異世界のことが全く分からない。一体何に導かれてこんなところに来てしまったのだろう。一つ心当たりがあるとすれば、さきほどの神社でのお祈りだ。たしかに俺は「ファンタジー世界に行きたい、そして今より小さなサイズのおむつを履けるようになりたい」と願ってしまい、今はまさにその通りの状況になっている。だが、考えてもみてほしい。こんな非現実的な願いを、ただ願っただけで叶えられてしまっては、それこそ文字通りの非現実そのものである。もしくは神様というのが実在していて、初詣の時期が終って暇になったから、気まぐれに俺の願いを叶えてくれたのかもしれない。  次に、現実の世界の俺は今どうなっているのだろう?神社の中で神隠しにあったことにされてでもなければ良いが。何はともあれ、週が開けたらまた出勤しなければならないのだ。もし休むにしても、職場に有休の連絡は入れなければ同僚には迷惑を掛けるし、今季の評定は下がってしまうだろう。  ファンタジー世界には到底似つかわしくない現実的な問題が、俺をこの世界に留まり続けて良いか悩ませていた。  何分悩み続けていたかはっきりとは覚えていないが、俺はついに決心を決めた。 (やはり一度現実の世界に戻ろう)  現実世界の俺の事を気にしていては、この世界のことを満喫出来なさそうだと感じたからだった。もしも元いた世界の自分に何事もなく、またこちらの世界に入ってこられるようならその時は思う存分、伝説の勇者を目指す旅に出たいと思う。二度とこの世界に入ってこられなかったら…それはもう神様の気まぐれで一度だけ夢を見せてくれたものとして諦めよう。  この世界に名残惜しさを感じつつも俺は再び洞窟へ向かった。しかし…。 「いってぇ!!」  洞窟に入ることが出来ない。こちらへ出てくるときには何も無かったのに、頭を盛大にぶつけてしまった。 (もしかして…結界でも張ってあるのか?!)  眼の前には何も無いように見えるが、どうやら透明な壁があるようだ。パントマイムのようなポーズでその壁らしきものを撫でてみたが、割れ目も裂け目もなさそうだ。

 少し迷ったが、俺は今しがた手に入れたばかりの銅の剣でその壁を破壊することを試みた。  見えない壁に向かって渾身の力で剣を振り下ろす。どうせもともとは俺の折り畳み傘だったのだ、壊したって構わないだろう。  だが。 (嘘だろ?全然効かねえ!)  ギーンと鈍く高い音がして剣が跳ね返され、手首が痺れる。その見えない壁はとにかく頑丈で、傷一つ入っていないような感じがした。まるで金庫の扉を爪楊枝で叩いているような、それほどまでに歴然とした攻撃力と防御力の差がある。 (マジかよ!帰れないのか!)  帰れないとなると余計に焦る。効き目がないと頭では分かっているのに、ガンガンと盛大な音を出しながらその見えない壁を叩き続けた。  (ダメだ…どんだけやっても無駄か…!)  息が上がり、額が汗ばむ。その瞬間。 「いってぇ!」  壁に激突したのではない。後ろから「何か」に激突されたのだ。背中がじんじんと痛む。骨こそ無事なようだがアザにはなっているだろう。その鈍い痛みは、まるで至近距離から全力投球されたバスケットボールが背中に直撃したかのようだ。  恐る恐る振り返ると、そこには今まで見たことも無い、いや正確に言えば、ゲームの中では見たことがある生き物が三匹、一匹ずつ順番にこちらを襲いかかろうとしている。そいつらはいずれもサッカーボールくらいの大きさで、玉ねぎのような形状をしており、全体が青く少し透明で、ぶよぶよと弾性のある質感をしている。 (こいつ、スライムだ…!)  俺の知っているゲームの中では、あらゆるモンスターの中でも最弱。しかし、そんなやつの体当たりですらこんなに痛かったのか。そりゃゲームの主人公だってこいつに何度も体当たりされれば命を落とすわけだ…。ごめん。  そんなことを考えている暇は無い。とにかくこの場を乗り切らないと、異世界に来てから半日も経たずに、最弱モンスターに撲殺されて、返事がないただの屍になってしまうという不名誉すぎる称号を得てしまいそうだ。  剣を構えようとした時、二匹目が襲いかかってきた。背中に続く次の一発は、がら空きになっていた俺の左脇腹だ。完全に不意打ちされた先程よりはマシだか、やはりかなり痛い。追い払うように剣を振るが、空を切る。 (待ってくれ…これはちょっとマジでヤバいかもしれない…!)  満を持して三匹目のスライムが俺に襲いかかろうとしたまさにその時、どこからか呪文を唱える女性の声がした。 「精霊よ、我に炎の力を与え給え!」  直後、激しい炎眼の前に現れ三体のスライム達を焼き払う。熱い炎の熱がこちらにも伝わってくる。思わず腕で顔を覆う。  炎が収まると、眼の前にいたスライム達は跡形も無く消え去っていた。焼けた死骸のような物すら見当たらない。どうやらこの世界では、死んだ魔物はどこかへ消滅してしまうようだ。 (た、助かった…それにしても一体誰が…) 「危なかったわね、まずは無事で良かったわ」  先程魔法を唱えた声の主が、丘の下の方からこちらへ歩いてくる。女性というよりは少女という方が適切で、元の世界にいた時と比べて縮んでしまった自分よりも、さらに少し小さな体格をしている。青みのある眼と髪の色をしており、魔法使いらしく彼女の身長よりも長い木製の杖を持っている。耳が長く尖っていることから察するに、彼女は人間ではなくエルフのようだ。ロング丈のワインレッドのローブを着用しておりその下には、ブラウスとスカートを着用している。腰には革製のベルトが巻かれており、魔法に使うのだろうか、様々な小道具が吊られている。 「ありがとう、助かったよ」  まずはお礼を言う。言葉が通じるのは助かるが、これからこの世界で会う人にはどう接すれば良いのだろうか?とりあえず、今の年齢に合わせた感じで行くか。それこそまさにロール(役割)・プレイング(演技)という感じがするし。そのうち慣れるだろう。 「封印の洞窟の方から大きい音がしてたから来てみたら…あなた、ここの結界を破ろうだなんて、何考えてるの?」 「ご、ごめん…」 「この洞窟は異世界に通じていると言われてるの!だからこうして結界を張って守っているというのに…何をしようとしてたか分かってる? あなた、名前は?」 「えーと、俺の名前は…」  何と答えれば良いのだろうか?素直に本名を言うと、この世界ではかなり浮きそうな感じがした。ゲームの中では四文字までしか名前が打てないことも多いし、短いほうがいいだろう。 「俺の名前はケンだ。君は?」 「私はピノ。エルフの魔法使いよ。色々聞かせてもらうから、一旦街へ帰るわよ」

 命こそ助かったがこの後この少女に色々絞られそうな予感がする。もっと慎重に行動すべきだったか?

 とにかく、こうして俺のトラックには轢かれない異世界転生の冒険譚が幕を開けたのだった。

(第二話に続く)

Comments

いつもコメントありがとうございます!異世界もの書いてみたくなりすぎてこのような設定でスタートしています! スライムの攻撃力についてはゲームで遊んでいたときからどの程度のものなのか大変気になっていたので楽しく書いていました笑 上手く性癖要素とファンタジー要素を混ぜつつ引き続き頑張りますのでよろしくお願いいたします!

池野くるめ

 新作ありがとうございます!  今回の主人公もとても感情移入しやすい、というかほとんど自分自身のような感覚がします。  薬局でコーナーの前を不自然に歩くところもそうですし、初めて紙おむつを買った時の緊張などは臨場感がありすぎます。  買うところを知り合いに見られたりしないか心配で、レジの流れが異常に遅く感じてソワソワするんですよね。  本編ですが、主人公が少年化するのもいいですね。意識は元のまま、姿はおむつ本来の年齢層に近づくのは楽しそうです。  そして今回のヒロイン、ピノがそんな主人公よりもさらに小さいというのは、もうスーパービックの使用想定年齢ど真ん中で、今から期待が膨らみます。(書いていて思いましたが、エルフなので見た目と実年齢が乖離している可能性もあるんですね。気になります。)  今のところ、肝心の紙おむつが主人公の履いている一つだけなのが気がかりですが、くるめ様の考えた設定がこれからどう展開していくのか、続きが楽しみです。  また、性癖とは関係ないところですが、スライムの攻撃を全力投球のバスケットボールに例えているのが面白かったです。  我慢できなくはないけれど、平気ではない痛みですね。鍛えていたり、防具を構えていれば大丈夫と思える絶妙な加減を上手く表現していると思いました。  正気に戻らないうちに完結まで~とのことですが、くるめ様なら癖のままに完走できると信じております!  挿絵も続きも楽しみにお待ちしてます!


More Creators